年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

4男の決断

2011-01-24 21:23:43 | Weblog
 センター試験が終わり、次の問題は受験校をどこに絞るか、の段階に入った4男は、決まっているのは学部学科のみであり、大学名はわからないでいるのは、私たち親二人だけかもしれない。今日から各大学の願書受付が始まったとテレビニュースでわかった。あわてて4男にメールを入れる。じっくり考えて最終の判断は人に任すことだけはしないように、自分自身で判断をすること、と出したところ、すぐさま返信があった。りょうかい、と。
                          
 来週は私からみて大まかに価値観を共有できるだろうと思う人6~7人が集まって目的のない馬鹿話をする時間を持ちたいと思っている。今日、電話をして人集めと日時の調整に手間取った。集めているのは、30台前半の人たちが多い。愛大医学部の7年生のT君、バラ園勤務のH君、高校向けキャリア教育に携わるS嬢と商工会議所で地域人材教育を進めているD嬢、労働局からMちゃんたち。後は老人の部から私と校長上がりのT、みかん農家2代目のF君である。
 私の周りには多くの講師役がおり、それぞれ各所から招かれて講演をしていられる。しかしこれらのことで私は初歩的な疑問が解決できていないでいる。それは何のための、講演か、という疑問である。どうも講師役の生活のためにしゃべっているのではないか、聞く人に向かってどれほど伝わっていて、どれほど変革をもたらす動機付けになるような話の内容であるのか、皆目わからない。中には自分の名声や自己顕示欲丸出しにして醜い姿勢を見せてくれる人もいる。これからの日本、地域を引っ張っていく人を育てるために年老いた人が前面に出ることより、小中高大学生に対して目線が合いやすいのは、どうみたって20台の世代ではないだろうか。だから私たち世代の中高年者のキャリアが活かせるフィールドは、直接小中高大学生に向けて変革を促すことではなく、20台、少なくとも30台の若い世代の熱意ある人たちの中に入って彼等と研鑽を積み、ともに向上していくことの中で、若い世代の人たちがさらに若い世代の人たちに伝えていく方法をとるほうが自然ではないかと考えている。つまり孫の教育は、猫可愛がりする爺や婆ではなく、自分の子供たちに委ねるほうが自然ではないかと思う。よって孫の世代の教育は、まず自分の子供の教育を通して…という構図になる。
 次週集まる若い人たちはどう考えるのか、ちょっと面白い会になるだろうと今からほくそえんでおる次第。

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