年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

社会保険事務所で聞く

2014-09-30 00:00:00 | Weblog
 上手なブログの書き方、作り方などの指南書なるものを見ていると、私のこのブログは読みにくいし、理解を得ることが難しいだろうと思ったり、ましてやネットサーフィンのごとく、すぐにクリックして飛んでいくことが多いだろうなどと思う。そして写真なども自宅周りの花などの写真も適当にアップしているためにナンジャ・コリャ状態であろうと想像する。
  なんじゃこの花は・・シソの花です。
スマヌ┏○))ペコリ
 以前から気になっていたことの一つに年金がある。しかも私が先に逝った場合、妻にはどれくらい入るか・・という切実な問題である。
 
 で、それぞれ二人の年金手帳を持って出かけました。そしてPCに向かい計算した担当者から説明を受けて、私が先に亡くなっても奥さんには、ご自分の年金+遺族年金とあわせると○○円となります・・・。ナンジャイコリャであったが、まぁ私がいなくなれば一人だから、引きこもっていれば何とかなるか

 今日の刑余者相談は、私と同学年の人。風営法違反によりⅠ刑・Ⅱ刑で懲役刑の刑期が1年と10月ある。幼少時からの成育歴が北海道の北端から九州の南の島まで居住歴あり。東京新宿に住んでいたのが最も長い。就いた仕事の種類が量販店の陳列棚に並べられるほどの職種あり。だから本人が私に言うことに、自分は何でもできます、と。極めてはいないだろうと思われる仕事の多さ、たぶん陳列棚には商品としての労働力が半端もの商品のようになっていないか、売れない労働力商品になっていないか・・と聞いてみた。 
今日で9月も終わる。ナンジャイナ明日から10月になる。

口ずさんでみた

2014-09-29 21:05:09 | Weblog
 風は秋の風になっている。ボケ~ッと思い出してみた。そして覚えている限り一人で歌ってみた。

♫秋の夕日に照る山もみじ、濃いも薄いも数ある中に~松を色どる楓や蔦は 山を彩る裾模様
…と唄って、家の二階からゴルフ場のある山を見ると まだまだ緑濃い秋でした。次
♪誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた ちいさい秋小さい秋小さい秋みつけた~
続けて
♪静かな静かな里のあ~き お~せどおに~木の実の落ちる夜は あぁ母さんと ただ二人栗の実 にてますただ二人 …とそらんじていると 母から子への静かな栗の甘露煮以外の何かしら豊かな感情の伝承がクリ広がれているような情景が浮かんでくる。
次、
♫あれ松虫が 鳴いている、ちんちろ ちんちろ ちんちろりん♪あれ鈴虫も鳴きだした リンリンリンリ~ンリン アァ面白い虫の声…と唄って耳を澄ますと、遠く国道の方からパトカーのサイレンの音が聞こえてきたぞ・・・
♫どんぐりころころ ドンブリコ お池にはまって さあ大変 ドジョウも出てきてコンニチワ
・・・そうだった、昨年も今年もどじょう汁を食ってなかったなぁ・・とドジョウを思い出し

♫村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
、とくれば、地方祭が来週始まるので、昨日公民館に幟を立てたばかり
次、
♪からす なぜ鳴くの カラスは山に~  と唄うところを カラスの勝手でしょう…などと志村けんを思い出し唄ってしまう有様。でも歌詞をよく読んでみると、カラスが山に帰るのは可愛い七つの子がいるからよ。自宅玄関前の上に張ってある電線にもよくカラスが止まっているが、黒いカラスはいつも何か餌を探してカァカァと鳴いておる。
♪夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる お手てつないでみなかえろ カラスと一緒に帰りましょ・・カラスはごみステーションのふくろを汚し、つい先日は鳩をやっつけていたし、なんかいいイメージがないなぁ・・と。

 そんな歌を唄っていた時のことを思いだすのも、秋が来たからだろうか・・・
 そして、何かしら身体を動かすのも面倒くさくなるようでもあり・・・
  でも怒り爆発することあり・・・
ジツワ   昨日の夜遅く4男の小中学校の同級生T君の母親から私に電話があった。よく聞いていると、同級生T君のお兄ちゃんのことであった。公務員になり1年半がたつ。しかし自分に合ってないから辞めたいと云っているがどうしたらいいもんだろうか・・という相談の電話であった。私は親戚でもなんでもない、タダ4男が一時期少年サッカーをしていた時の仲間であり、その親同士の顔見知りくらいの関係である。よそのご家庭の教育問題など私が口を挿むなど考えもしないことであるが、仕事を辞めたいがどうすればよいか、公務員を辞めても他に仕事があるのか、などと受話器の向こうから聞こえてくる。年齢をお聞きすると25歳だと云った。仕事を辞める辞めないの決定権は親にはない。子の人生は子に決める権利がある。子の人生の主人公は子である。にもかかわらず親が私に決定することを迫ってくる。だからアッタマに来たワケ。一つだけアドバイスさせてもらったのは、今この時にこそ、悩んでいる子供が、成長しているときだと自分は思うよ・・ましてや毎日出勤しているし夜もきちんと睡眠がとれているようだし日常生活は乱れてないし問題がないのに、何で親がそこにしゃしゃり出て子の成長を阻害するのかと。
 結局子の愚痴もまともに聞き入れることのできない親を強く感じた次第。あたかも、カラスの勝手でしょ・・・
 

「話道」

2014-09-28 21:35:26 | Weblog
 そそっかしい性格が難儀さを作る。
 今日の講演会に誘われたのは、中小企業家同友会女性部会主催「『生きる基本』」を知る」喜田総合研究所・喜田寛さんの講演会。ジツワ先日、こころ塾からチケットをいただいたのである。しかも無料でいいから出席しないかと・・・。スーパーで半額とか3割引きとかのシールにめっぽう弱い自分の性格であるが故、タダでいいよ、と有料チケットをいただいたのである。講師の名前を知らなかったけれど、女性経営者の方々がどのような視点から経営者として経営を学ぼうとしているのか、また興味を持っているのか、人をどのように育てようとしているのか、などとその姿勢が少しは見えるのではないか、と思うが故に、イキマスイキマス、チケットください、となったワケ。
   チケットには、ひめぎんホールとある。今日の午後、珍しく30分前に私はホールに到着した。だから椅子に座り込んで時間待ちする余裕がある。まぁ15分前に会場に入ればいいだろうと、ゆっくり構えた。そして、やおらその時間になり会場に入ると、アレレ、行った入口の受付けには、○○コンサートと書かれているではないか、しまった場所が違うぞ・・パンフレットをよく見るとひめぎんホール別館11会場とある。しまった10分前だ、そこはひめぎんの本店前の建物の11階に違いないと、そそっかしくも電車に飛び乗り勝山町電停に向かう。そして本店前のビルに行くとシャッターが閉まっているではないか。しかもそこは研修センターと書かれてある、いやぁ・まいったなぁ、間違えたぞ、どこやろか、と電話で聞くことにした。するとひめぎんホール別館は、ホールの東側にあるとか。ナンジャイナ、またしても市内電車で南町電停まで逆戻り。その頃には開始時間を15分過ぎておる。行ったり来たりして、パンフレットに書かれてある場所をきちんと理解していないが故、そそっかしくもあわてて行ったり来たりして汗がタラタラと出ることに。ひめぎんホールの文字だけを見て、別館を見落として判断していたのだ。受付にはこころ塾スタッフのアヤさんもいて待ってくれておった。オ~オ。

 講演内容は、当たり前のことを当たり前にやる話。老荘思想で謂うところの、盥の中の水をこちら側に寄せようとすると、全部向こうにいってしまう。反対に向こう側に押し寄せるとこちらに帰ってくる…。そのような話。水をお金に代えると・・・どうか…そんな話かなと思った次第。あとは、レスリングの浜口京子選手のお父さんの言うところの、気合いだキアイダキアイダ・・といったところだろうか。笑顔とあいさつなどタダで手に入れることができるものが最も良い教材になるなどの揶揄といったところか。

一人でボツボツと

2014-09-27 00:00:00 | Weblog

 3年前からの計画がある。3.11の震災のこと。子供たちはそれぞれの思い思いに東北の地に出かけた。計画では私も昨年出かける予定であったのが妻の交通事故により長期入院を強いられ目を離すことができなかった理由以外の大きな理由は、自分の気持ちに余裕が生まれなかったことであった。それで、
  牧師にボランティアの相談をすると“エマオ”のパンフをいただいた。
 で、さっそく申し込みをする。そして宿や飛行機の予約を入れる。

 どうなるのか、どうすればよいのか、まず成果を求めることは別にして、とりあえず来月下旬に行くことにした。

逃げ水のようで・・・

2014-09-26 00:00:00 | Weblog
 いくら追っかけても追っかけてもありもしない水を追っかけているようで・・・

松山刑務所講話  2014/9/26

①導入
 今咲いている花の香り  金木犀のかほり・エーライシャンの香り
「木々を渡る風」小塩節 の木に関する話 木は動かない・大地に根を張り養分を吸収するが私たちには見えないこと・てっぺんのこずえは天に向かって伸びる、その天とはお日様、太陽に向かって伸びていく・幹はどっしりと真っ直ぐに伸びていく・太陽は希望?に映る、私も木がつく性があるだけに上に向かいまっすぐと希望に向かっていきたい・・・

②出所者や障害者の就職・仕事の事例
イ)28歳の青年の例
  墨あり 出所後やりたい仕事に向けてハローワークの職業訓練を半年受講しキャドのPCスキルを身につけ就職
ロ)Kさんの失敗例
  暴力団脱退  中にいるときに読書三昧 就職活動するも協調性なく失敗
ハ)一般の例  レストラン・Jの店主の例
  東京のホテルで修業後、洋食の店を地元に帰り開店。商売繁盛するも長年の疲労により失明 しかし身体がフライパンを振る事を覚えている、味加減は感で、メニューを少なくして 再び開業
ニ)39歳の男性の例
  市役所勤務・何不自由なく仕事も私生活も送っていたが、うつ病により休職か退職で悩む。半年の後復職に成功。その裏には徹底した自己管理あり。
ホ)72歳の刑余者の例
  出所後の健康管理と職探しの熱意。みかん採りで足腰を鍛える、その後小金を貯めて他県の協力雇用事業所へ就職。今年から班の責任者に昇格。

③岩屋寺の訓え
就職を考えるときの第一歩にやらなければならないこと。(ホランド理論の変形?)

④締め
「稲盛和夫」さんの話  「よきことを思い、よきことを行えば 人生は好転する」
※人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではない。この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるから。
 考え方が変われば、感じ方から生き方までが変わってくるのではないだろうか。 また、マイナスの考え方(不幸になる考え方)もある。自分の幸せを求め、行動・努力することが大事なのではないか。
 何をするにも、実践するためには能力が必要。幸せになるためには、幸せになる能力が必要ということ。

※ つねに前向きで建設的であること。感謝の心をもち、みんなといっしょに歩もうという協調性を有していること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、やさしい心をもっていること。努力を惜しまないこと。足るを知り、利己的でなく、強欲ではないこと。
 
 一生懸命に働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思う。

※『努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る』井上靖

 などと近々釈放される10人ほどの刑余者に対し、コピペを挿み60分のいつものおしゃべりとする。でも近頃、立っておしゃべり会をやると、なぜか終了後頭が痛くなってくる。今日も同じ。

 午後一番の用事は、母親を整形外科に連れて行くこと。腰が痛いと云っておる。私の場合は整体に行くが、母親は外科病院へ。何でも、先生に会い先生とお話をするだけでも痛みが軽くなるらしい。撮った画像を見ながら説明を受けるも、軟骨がすり減ってるぶん痛いんだろうとなった。お薬を頂いて家まで送ると、今度は以前から約束していた、まっちゃんと一緒に飯を・・・
  若い人とお話をするのは気持ちがいい。いろんな苦労に会いその山を一つづつ乗り越えようとしている若いまっちゃんと楽しい時間を持つ。夜中、家に帰れば、2階のベッドで妻はすやすやと寝ておった。


アレしてコレして急にアンナことして

2014-09-25 19:16:03 | Weblog
 毎週1回は整体に行き固まっている筋肉をほぐしてもらっている。先月までの肩から背中、腰、大腿部から足先までの痛みが軽減されているように感じる。今日も夕方整体に行き治療してもらっていると、曲がらなかった腰から足が幾分か曲がるようになった。

 今日の天気は灰色の雲と真っ青な青空が交互にやってくるような、蒸し暑い日中。久しぶりに二人で運動公園でのお昼ご飯。すると突然母親がお世話になっている介護施設のケアマネさんから連絡が入った。アレレおかしいなぁ、現在ショートステイにも行ってないし・・などと思っていると、ケアマネさんが、実は、入所者の人が愁訴を訴えており、その娘さんが相談に見えているんだけど対応が難しいから、ナントカしてくれ・・と電話口で云っておる。

 母親である80歳の入所者は、双極性障害により精神科にかかっているとか。ハイとボトムが交互にあり、それを見ている50歳もとっくに過ぎている娘さんが途方に暮れているとか・・
それでは話を聴きましょう。。となって急きょ介護施設へ行くことになった。日頃母親と弟のことでお世話に成りっぱなしにつき、妻と二人の1時も過ぎたお昼ごはんタイムもそこそこに駈けつけることにした。

 重要なことは、双極性の母親からの相談ではないこと、仮に相談があった所で治療は医師がやること、今日の相談はその一人娘さんからの相談であることである。つまり、下降していく、衰えゆく実の母親を見守ることの辛さ、しんどさを訴える内容であると見立を立てた。50歳の娘さんが数十年前までの若かりし母と自分の姿、仲の良かった昔を思い出して、Memories of happy days カムバック・・・である。仕事ではない今日の特別相談番外編。どうしたらいいですか?答えを教えて・・と云ってくる。約束の40分をとっくに過ぎたころ、おもむろに、私には残念なことに、わかりません。。と告げるのみ。昔の自分たちに恋をしないこと。昔に戻ることは全くありません・・と云うのが精いっぱい。あ~ぁ私には人の相談なぞ、もともとできっこないと考えているのになぁ・・・できるとしたら、寄り添う対象者を選択しないようにすることだけかなぁ。

なかなかの苦戦

2014-09-24 21:39:51 | Weblog
 今日の相談者は3人。一人目は統失による投薬治療を受けている刑余者。釈放後の生活を守るために就労を希望している。精神障害者手帳1級を所持しているので障害者年金を受給しているはずではあるが刑務所に入っていることにより年金をストップされていると考えられる。しかし本人はわからない。累犯障害者の道に進まぬよう、釈放後は保護観察所や社会福祉協議会、もちろん医師とも連絡を取りながら処遇を考えなければならないだろう。就労支援とはいえ、障害者就労支援センターに相談する前にやらなければならないことがあるも、私だけでは難しい。

 二人目は24歳の若い女性。適応障害と診断されている。大学を卒業後保険会社に就職。営業に配属されたものの成績が上がらず、かといって同僚は成績を上げているので気持ちが焦る、そして滅入ってくる。今まで私は常に学習面でも運動面でも最上位にいたが、今回の仕事において初めて挫折した。私はダメな人間です。今飲食店で午後からアルバイトをして生計を立てているが、それだけでは一人暮らし生活費が足りないので親から仕送りをしてもらっている、自分が情けない・・と一気に話して涙を流しておる。
 
 今や時代が変わってきたと実感するのはこんな時。挫折の経験を受けとめることが難しく、勢い精神科に行くことになる。そして病名を付けられ、投薬治療を受けることに・・
 人生の問題であることと病気の問題と区別して考えたいと思う。

 3人目は相談が4回目になる人。前者同様自分を受容することが困難な経過を持つ。仕事ができる私、成績が最上位の私しか受け入れることができない、ダメな私は、私ではない・・などと体の髄まで染み込んでいるように感じる人。今日の60分の間、唯一の笑顔が出たのは、仕事先の名古屋の病院で患者さんから、きれいな人ですね・・とほめられたことがある、と言って頬を赤らめ笑ったこと。
 今日使った資料はバレエスタジオ執事のMさんから頂いた45番札所岩屋寺からの通信文。中でも、2番の、もっと頑張ったらよい、頑張れそうだと思えるのはどこだろうか?のところ。話を聴いていると、ふと・・もしかして私就職ができそう・・と最後に云った時が印象に残る。
夜が早くなった。と、同時に香りが風に乗り立ち込めてくる。
エーライシャンと

例年10月7日の地方祭を基準とする金木犀の香りが今年は1週間も早い。


秋分の日

2014-09-23 21:03:57 | Weblog
 親不孝かもしれないが・・・お墓参りは年に何回行くんだろうかと考えた。近所のハラちゃんは毎月日を決めて墓掃除に行くと云っていたが、私の場合正月に春分の日に、5月に、お盆に秋分の日と年末の墓掃除くらいか、あわせて1年にmax6回ということになる。今日は妻と二人でお出かけ。すると墓地はきれいに掃除を済ませシキビも新しく生けられているところがほとんどで、わがお墓だけは夏草ボウボウ、シキビは茶色に枯れておる始末。墓地内の玉砂利に座り込み草抜きの作業からスタート。でも今日は暑い、汗が出るも風がある分やりやすい。草が無くなりお水も代えて線香をくゆらせてお参りとする。辺りを見渡す。
 帽子の山は、か山。私が中学3年生の最後の遠足、3年C組で登った山。高校受験も終わり、進路が就職と進学の二つに分かれ、それぞれ先行き不安に駆られながら3月ポカポカ陽気の中、この山の頂上で級長を務めていた自分が点呼を取り山を下りたことを思いだした。
 この一番高い山は牛の峰。この頂上で小学5年生の夏休みに子供会「土曜会」のキャンプに行き中学生の上級生と一緒にテント泊したことを思い出す。
 このグランドは谷を埋めた埋立地。今日はどこかの学生がラクロスの練習をしておった。
  みんな懐かしい。
  この駅の改札口をダッシュで走り抜け、
  このプラットホームからまさに動こうとする列車に飛び乗った3年間は、特に懐かしい。

今日の診察は耳鼻科

2014-09-22 18:38:10 | Weblog
 県中病院を昨年の9月24日に退院したので、もう1年が来る。昨年の病院南側は旧病棟の破壊が大きな重機で行われていた。しかし今日、11階から下を望むと建設の方向であった。

   時間が経てば景色も変わる。
 で、今日は妻の耳鼻科検診の日。未だ頬の麻痺が残っており、しばらくは顔面のリハビリも継続してやらねばならない。
メンタルケアに有効な手立てがあるとすれば、それは昔話のこともその一つかもしれない。
 先日大阪に住む叔母(母親の妹)から大昔、70年ほど前に住んでいた住宅地図が送られてきた。
 この中央に住宅があったとか。この道を西にむっすぐ進むと中華料理のお店・松竹楼があり、家族でよく食べに行った・・などと懐かしそうに話してくれる。94歳の母が二十歳前後の娘時代のこと。

 海に寄った西の方には英国領事館も見える。ここは今、アジア大会が開かれている仁川の町。日本人町の東に朝鮮町西には支那町と書かれてあった。日本人は敗戦後みな内地に引き揚げた、と。母親が懐かしそうに地図を前にして話しておる。

3男帰宅する

2014-09-21 22:39:23 | Weblog
 札幌に旭川に富良野を廻ってきた3男夫婦が今日は午前中に兄宅に行き、お昼ご飯を一緒にごちそうになったとか、満足した顔の上機嫌で最終便で帰ってきた。
 何が美味しかったか、と聞くと北大前「PICANTE」のスープカレーにすすきの「だるま」のジンギスカン

何が良かったかと問うと
 

富良野、
何が驚いたかと聞くと



  動物園人気№1の旭山動物園だとか
で、道のお土産と交換するべく二人の晩御飯を持って妻と二人でお出迎え。

 ところで、何で北の大地に行ったの?と聞くと、返ってきたのは、「僕らの新婚旅行よ」。ということであった。アレレそうだったのか・・・。