年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ヤスに逢う

2013-01-31 21:21:00 | Weblog
 夜遅く温泉へ行くと、アレ~、ジョーのおいちゃんと声をかけてくる青年がいた。近づいてよく見るとヤスであった。中学生時以来だから6年振りになる。昔と同じく白い歯を見せて少年時代と同じニコニコのいつもの笑顔である。ヤスは少年サッカーのチームにいて4男も属していた当時のキャプテンであった。いつも試合中にはそのニコニコ顔が、監督コーチから見て、一生懸命にやっているのかといぶしがられていたためなのか、よく怒鳴られ怒られていた。しかしまったく微塵にも表情を変えることなく、ニコニコの顔を変えることなく、県大会決勝において土壇場の試合に臨んでいたことを思い出す。今夜、その当時の少年時代の笑顔とまったく同じ顔を見せて私に話しかけてきた。

 ヤスと同級生の4男が正念場を迎えている。人生には男として乗り越えなければならない三つの場面があると昔テレビで云ったのは、元西武→巨人の清原選手。それは修羅場と正念場と土壇場の三つの場。激しい争いの場である修羅場は、覚悟を決めてくぐらなければならない。切羽詰まったギリギリの最期の土壇場は避けて通りたいが、ぶち当たってしまえば注意を払って避けねばならない。本領を発揮すべき大切な正念場は、それこそ性根を据えて迎えねばならない。
 ヤスも長年のサッカー生活の中では、高校時には全国大会にも出場した経験のあることから修羅場あり土壇場あり正念場ありの今までを送ったに違いないけれど、いずれも臆することなくニコニコ顔して乗り切ったのだろうと、久しぶりにあった顔見てそのように思った。
 4男も今土壇場にいる。それは修羅場として受け入れているのかどうかわからないが、正念場であることには違いない。いずれにせよ男としてこの三つの場面に遭遇している以上乗り切らねばならない場面であることは間違いない。
 でも、もう一つ大人になると、濡れ場の乗り切りも必要だと云った輩がいたが・・・

挫折

2013-01-30 00:00:00 | Weblog
 帆船ビクトリーのキッドが来るのが毎週水曜日である。全120回のシリーズとなっている。まだまだ完結にはほど遠いけれどそれ以上に手元には次々と溜まるばかりで制作の方は全く進んでいない状態である。はじめの数回を袋からあけて作ったくらいで、後は買いっぱなしで溜め込んでいる。そのうち気合いが入れば自分のことだから、ビャ~ンと見る見るうちに船の形になってくるだろうと甘く考えている。今日は35回目のキッドであった。レジで私の名前を覚えてくれている若い店員さんがいつもの表情と少し違う。ちょうど店内は数人しか客がいなく書棚で立ち読みをしている様子につきレジ周りには誰もいない。そこで、気になって少しばかり雑談をする。若い人に話しかけたのは、私の120回シリーズに引っ掛けて、道半ばの挫折感をどう乗り切ろうか・・・、それと店員さんがもしかして抱えているのかもしれない仕事辞めたい気持ち(顔の表情がそのように現れているように感じた)に引っ掛けた。昔のマラソンランナー君原選手の話である。42.195kmを走り切る途中で嫌になった時、君原選手はどうしたのか・・である。確か、街中のコースで、次のあの電柱まで走って、そこでリタイアしようと、そしてその電柱まで走りきると、次の電柱まで走って止めようと考えながら走っていたとか。つまり、目標の電柱まで走って、そこでまだ余力があるようであれば次の目標地まで頑張ってみようか・・その繰り返しであった。その話をしながらの数分の時間を持つ。

 今朝は神経麻酔科のT医院へ母親を連れて行くと、母親の最大の友人タケオカさんが同じく点滴を受けるために来ていた。アレレ、ということになって二人でお茶をしようと相談しておる。だからして、もうアンタは帰ってよろしい・・と解放された。ヤレヤレ

この頃

2013-01-29 20:47:49 | Weblog
 なんで毎日こうも時間がないのやろか、とバタバタあくせくしておる。フルタイムの仕事を解放されて、よ~しこれで自分の時間が取れる・・などと甘く考えていたのが間違いの元。次から次へと用事ごとが増えている。頼む方も、お前さん暇やろうからこれやっといて、とかあそこに行ってきて、とかこれを持って行って、とか今度の研修でナニナニを60分でいいからしゃべって来て、とかいろんな用事を言われる。しかもほとんどがボランティアであったりする。もちろんこちらも銭勘定して動く予定は毛頭ないが、どちらかといえばそのために駐車料金が発生したりするので持ち出しが多い。妻に小言を言うと、ありがたいことよ、みんなが期待している証拠よ・・などと言い含められておる。

 で、今日はお仕事日になった。先ず、刑務所内で四国4県から保護観察所の就労支援担当者が集まって、面接の仕方について研修があった。とりあえずしゃべる。9時半から11時半まで拘束される。次は急いで1時から予約が入っている相談に間に合うよう、昼ご飯をかき込んで、60分かけて移動。そこで一時間の相談を終えると、次はコミセンで行われている合同就職面接会会場へ就職希望の青年と一緒に行く。そのようなところにはいつも知人が誰かいるので呼び止められ、ついつい椅子に座り込んで挨拶やら世間話で数人につかまる。ア~遅れるよ~、と焦って次の「こころ塾」へ3時半からスタッフミーティングがあり、打合せをせねばならない・・・ついつい体は各所遅刻しながらでも顔を出しているものの、心は一緒に動いてはいない、止まったまま。

介護の日々

2013-01-28 00:00:00 | Weblog
 朝早くから電話がある。天気がいいから洗濯機の中にある洗濯物を干しに来てくれ・・などと母親からである。とにかく面倒くさい。しかし、ここは踏ん張りどころだと思って文句も言わず、その云われた通りにやる。弟に朝ご飯を食べさせてくれとか、お昼のお弁当を買ってきてくれとか・・同じ用事を頼まれても妹は、文句を言いながらやっておる。が、母にとってみれば私や妹には頼みやすいが、妻には頼みにくいのかもしれない。でも昨日などは、妻が連れてきて我が家の風呂に入れてゴシゴシと体を洗ってもらっていた。気持ちがよかったなどと云っておった。しかしこうもたびたび時間構わず呼び出されるとかなわん。で、今日のこと足が痛いとか、立つことができないなどと言ってきたので、よくよく観察すれば、アッ誰か捕まえてお喋りをしたいのと違うのかなぁ・・と。つまり病院のお薬ではなく、耳の遠い弟と耳の遠い母親とが対話すること不可能につき孤独感が深まり、誰かとお話をすることによる人薬の方で治したいのではないか・・と思った次第。
 

どこかで春が

2013-01-27 00:00:00 | Weblog
どこかで春が 生まれてる ♭
どこかで水が 流れ出す

どこかで雲雀(ひばり)が 鳴いている
どこかで芽の出る 音がする

山の三月 そよ風吹いて
どこかで春が 生まれてる

 オ~イ居るか~、と半径100m四方にまで聞こえるくらいの大声でハラちゃんが来る。お散歩のお誘いである。寒いので行きたくもないが、せっかくだから仕方なく付き合うことにする。約30~40分の散歩。今日は少しコースを変えてみた。すると川沿いにネコヤナギの芽を見つけた。もうすぐ暖かい春がやってくる。

アレ~どうなってんの

2013-01-25 23:23:48 | Weblog
 この2~3日母親が今度は足が痛くて眠れないと嘆いておる。先月痛めた右足太もも内側の痛みも時間薬が効いたのか少しとれて立って歩くことができるほど良くなったかと思うと今度は反対側の足の太ももが痛いらしい。それで、けさ早くに以前行ったことのある神経麻酔科の医院に連れて行って欲しいと催促があった。しかも今日は大学病院に10時半の予約をしている日である。私の方も時間を計算して10時過ぎに家から病院に行く予定であった。どうしようか、今日は刑務所で講話をしなければならないのだ。取るものもとりあえず8時半に母親をつれて神経麻酔科のT医院へ行くことにした。母親の言い分は痛みを取らないと大学病院に行っても座って待つことさえできないから、まず足の痛みを抑える処置をしてもらってから行くのだという。つまり、病院へ行くために別の病院で診てもらうということ。その意見にまったく逆らわずその通りにする。私も我慢のしどころである。その医院で若干痛みも取れ、T.Drに笑顔で見送られ、大至急大学病院へ、そして10時20分に正面玄関で待ち合わせた妹に母親を引き継いで私はすぐさま講話をするために刑務所の中に入る。あ~あ今日も朝っぱらからバタバタ状態である。このようにして悠々自適状態どころではなく人は年を取って行くのかもしれない。
                                  で講話のお話。昨日こころ塾であらすじを考えたのである。どのような話をしようかと。60分だからあまり間口を広げた話はできないなぁなどと、それでも骨子を作るとA42枚分になった。だから余裕があるのだ・・今日はゆっくりしゃべることが出来そう・・しかし、しかしいざ鍵をいくつか開けて、20人ほど待っている人の部屋に入り、職員が私を受刑者に紹介し、さぁしゃべろうとおもむろにA4の紙をポケットから出そうと手を突っ込んでみるも、な、な、ないではないか、アッチャ~忘れてる・・・カバンの中にいれたまま・・この施設内では携帯電話やもちろんタバコや私物など持ち込むことができないのでいつも必要なものしか持ち込んではいない。すでに講話が始まっておる・・ウンジャいつものように私の経験談などを中心にしてお話をしよう・・と。まずは季節の話や全般的な雇用問題から入ろう、次に今から出所したあとどのような心理的な変化が生まれるかを当事者から聞きかじった話でシュミレーションをし、就職した人の話や失敗した人たちの話、いずれも私が携わった経験を中心にしよう。それから成功した人の共通点に焦点を当てて皆さんに考えてもらおう。○○についてどう思うか・・などみなさんに質問をしながら、あたかも集団カウンセリングのようであった。そのためか、みなさん質問がいつ飛んできて自分にあてられるかわからない内容につき、真顔で聞いていただいた・・感じがした。しかし中には、自分はマグロ船しか乗ったことがないので、他の仕事はわからない、などと自分を振り返っている人もいられた。
                                                     
 次週に4県の他行政から担当者が集まり刑余者就労支援研修を予定している。私も面接の仕方や注意点など職員にアドバイスをしなければならないようだ。そのために担当官と簡単な打ち合わせをしていると午後になった。慌てて近くの大学病院へ行く。ちょうど駐車場に妹と母親が車に乗っていた。すると母親は、かかりつけのK.Drから91歳にしては珍しく血液等なんも問題はない、100歳まで生きられる・・などと云われてご機嫌な顔しておった。ヤレヤレ。

T君の裁判

2013-01-24 00:00:00 | Weblog
 
 T君が血相変えてやって来た。今から裁判がある・・と言いながら慌てた顔して玄関先に突っ立っている。大丈夫か、いっしょに行こうか、と声をかけるが、いや一人で行ってくる・・と。
 T君の学生時代からの夢は、子供たちに学習塾を作って教えることであった。それもいわゆる教科書のお勉強ではない。彼が幼少時から好きであった遊びの中から工作をする塾である。市内にたくさんある学習塾とは全く異なった遊びを中心とした理科の工作教育である。以前彼は蒸気で走るおもちゃの自動車を作ったり、鉱石ラジオを作ったりして子供に理科の面白さを教えていた。それが高じて文科省の予算枠内での事業において東京で発表会やら展示会などして講演をする機会が増えてきた。そして数年前からお隣りの韓国まで出向いて出前講演をし理科教育にどっぷりつかっている。最近彼が自宅に設えた研究室で開発したのはおもちゃのソーラーカーである。そして、太陽光を利用したおもちゃのソーラーカーを全国の小学生の教材にしようと大手の会社から依頼を受けたのが3~4年前。それで知人と一緒に会社を立ち上げ作ったが、うまくいかなかった。その時の借入金を巡っての争いである。金銭感覚を伴う経営者、事業家ではなく一研究者としてのスタートであっただけに商売をする感覚が疎かった。おもちゃのソーラーカー生産台数を4万台と見込んでいたものの、その通りにはいかなかった。結果その事業を下りた。

 その時の借入した相手が悪かった。そして裁判を通して決着をつけることになった。
 うまくゆけばよいと思っている。教職を辞して5年が経つ。でも、ものつくりの楽しさを子供に伝えたい夢は未だ消えてはいない。

落ち着く場所

2013-01-23 22:26:39 | Weblog
 出版業界にいて、その市場規模が1兆円産業だと教えられたのは、私の現職時代の半ば頃であったと思う。もちろん右肩上がりに売上げを年々伸ばしていた。ハードカバー本から新書版がもてはやされ売上げに拍車をかけていた。また、雑誌も多くの種類が出されブックと雑誌の間のムックなどももてはやされていた。全国の本屋さんも新店を次々オープンし売り場面積も広げていた。それは、他の、たとえば衣料品業界、食品業界なども同様であった。右肩上がりの時代は活気があるのでそのような状態が当たり前の感覚に自分たちは慣れていた。それはすでに遠い世界のように思う。10年ほど前の出版業界の市場規模は1兆6千億、内書店売りが約72%、CVSや駅などが20%位であった。以後、今右肩下がりに10数年を経過している。その中で伸びているのはネットによる販売。今のところ10%ほどであろうが、本屋さんで本が売れなくなっているのだ。しかも本屋の売上げも売上げ構成の中身は、漫画や雑誌などが多い。活字を追っかけてアナグロ的に想像してゆくよりビジュアルに与えられた画像から想像するデジタル的な方向に自分たちはいっているんだろう。
 で、いつもの帆船ビクトリーの今週号を買いに本屋さんに行く。本屋さんには新しいものを除きほとんど今まで見つけた題名の本が圧倒的に多い。全国どこに行こうとも、どの店に入ろうとも同じものがあるのは気持ちが安らぐ。
 カウンターでは、やっと自分の名を名乗ることなく、私の顔を見るなり店員さんが取り置きの書棚からさっと出してくれるようになった。毎週毎週水曜日に本屋さんに行き始めて10ヶ月になる。全国どこの書店に行ってもそれぞれ同じ本が置かれていることは街の風景が変わっても中が同じであることは大変落ち着く場所であるとつくづく思う。

子育ての年数

2013-01-22 00:00:00 | Weblog

 私たちに子供が授かったのが、自分が28歳の時であった。それ以後ずっと今まで40年足らず子供に何かと教育などで手が離れることはない生活が続いている。私の同年の人たちを見回すとほとんどの人、というよりすべての人が手を離れている。と思っていたが、実は各家庭でいろんな問題があり手がかかっている、などの話を聞くことは稀ではない。手が離れる前の、最後の関門になっている4男の受験が気になっている。どうなのかと、聞こうにも昨夜も帰宅したのは、私が寝たあとのようで、なかなか話を聞く時間がない。時間がないって云うより顔を合わすことがない。で、今朝、朝ごはんを食べる10分ほどの時間だけが、話し合える時間となる。どう、と聞くとウ~ンむずかったね、特に国語が難しかった・・とか。これからどこを受けようか、検討するんだとか。なかなか子育ての終了の合図が鳴ってはくれない。

どうだったかなぁ

2013-01-20 00:00:00 | Weblog
      
 4男のセンター試験の二日目である。夕方になっても帰ってこない。どうしたのか、解答合わせをしているんだろう。8時になっても9時になっても帰ってこない。昨年もこの時間帯に帰ってくることはなかったけれど、いつもと同じように11時頃に帰ってくるんだろうか・・などと妻と話し合うも、ついつい10時過ぎにはウトウトとコタツの中で眠ってしまった。何時になっているのか、わからなかったがガタンと玄関の音がしたのが1時前だろう。4男は何事もなかったように、寒いなぁ・・などと云いながらPCに向かっている。落ち込む様子もはしゃぐ様子もない。淡々と独り言を言いながらPCに向かっているのをこちらは半分眠ったまま・・聞いておった。まぁ明日出来具合を聞くことにしようか・・。