年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

確か?

2009-07-31 00:00:00 | Weblog
 10年前の7月30日は、岡山の今町をウロウロしていた。中心部から南に下がった2号線側にある事業所訪問をしていた。とにかく猛暑が続いていて朝の8時過ぎにはすでに30数度まで上がって歩いていても朦朧としていたことを思い出す。なぜ、そのようなことを覚えているかと言うと、実は体を休めようと思った理由による。二日分の仕事をやってしまおう、そして、皆に二日分の仕事をして有休でもない仕事の日として、堂々とヤスミをトル、と宣言してしまった。別に定められた夏のヤスミを取れていたにもかかわらず、である。ヤスミでもない出勤として、どのように休めばよいのかを実践したわけ。で、30日に猛烈に働いて、普段の1時間分の業務の成果を30分で遣り上げる、そのようなことをやったわけ。目的は何かと言うと、31日に海に行こう、海行って泳ごう1人で、と決めた。そして31日の早朝の特急しおかぜに乗り実家のある海で海水浴をした。海でプカプカ浮きながら、アッ、今ごろ月末の最後の帳尻あわせをしているだろうなぁ・・・などと。結果、私がいなくとも、それぞれ仕事をやってくれている実感があった。以後、私のチームのメンバーに対してガンガン上から目線でものを言うことが少なくなったよううに覚えている。
 7月も終わり、朝の6時半の公園では、子供達のラジオ体操の光景を見ることがない。今年の冷夏の影響なのか、海水浴の光景も、それほどニュースの絵として見ることがない今年の夏。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

夏の光

2009-07-30 00:00:00 | Weblog
 朝方6時過ぎ東の山から来る夏の朝日の光が猛暑の時期の光線に比べて、弱々しい光からなんとなく夏の朝日らしい光線を出してくるようになった。周りの人たちは、暑い毎日ですね、などと言い合ってはいるが、自分はそれほど暑さを感じない。汗をかくほどのこともしてないのだろう。
 午後、刑務所・少年院・保護観察所・保護施設との連絡会議あり。法務省側と厚労省側の横断的な会あり。夕方終了し、今度は明後日行われる自殺予防のための研修会での発表のための資料集めにウロウロする。こころ塾の塾長と電話でやり取りする。塾長に、ところで、こころ塾のHPのアクセス件数、メールなどどれくらいカウント数あるか、と聞いたところ、毎日全国レベルで300~350件のメールがあります、といつものような少し甲高い声で答えてくれた。
 8時頃電話があった。7時から会があるのをご存知ですか、などと。電話の声はECC研究会のH事務局長である。アレ~すっかり忘れておった。そうやった、今日は研究会の理事会もあったんや・・・あわてて1時間遅刻して会場にいくと、優しい人たちが議題を止めて待っていてくれてた。すまぬすまぬ、どうも近頃忘れっぽいようだ。だから、夏の暑さも忘れているのだろうか。
 先月ホームセンターで朝顔の苗を買った、名前につられて買ったのだ。飛びザル、お銀、矢七と言う名前。水戸黄門のご一行様の中で、お銀のこの花が真っ先に咲いた。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

見えないところ

2009-07-29 00:00:00 | Weblog
 今月に入って3男は家から通う日が続いている。仕事が近場のところが多いせいである。建造物にX線を照射して見えない内部構造を検査している。今夜も遅い晩ご飯を食べながら、特定地域や特定業者による何年か前の構造物を検査した結果、耐震基準には程遠い構造になっていて検査報告をするのにどこまで報告するべきか迷ってしまう・・・などと愚痴っていた。その3男が、見えないところをきちんと図面通りに工事しているところは、結局技術的に良い仕事を追い求めようとする事業所と、利潤を追い求めようとする事業所との差はどういうところにあるか、などと喋っていた。表面の可視的な部分で良し悪しを、善悪を、嫌悪を、正不正を、好む嫌うを判断してしまうようになってしまったのは、実は造るほうではなく、利用する側にこそあるのではないか、などとしばらく話した。今日の晩ご飯はカレー、たまに食べたくなる代表ごはん。今夜のカレーの具材の見えない部分は、つまり隠し味は、ニンニクとチーズ。お代わりするメタボ気味3男に、注意をする。夜の10時、4男と妻は、まだ帰ってこない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

少年院にて

2009-07-28 00:00:00 | Weblog
 二人の少年から依頼を受けている就職相談で施設へ行く。1人は15歳だからこの春、中学校を卒業したことになるけれど、卒業式の当日は、施設で迎えたんだろうと思う。当然仕事の経験はない。一方18歳の少年は、高校を早めに中退し溶接の仕事を多少経験しながらさらに技術を磨こうと施設内で資格を取り就職を待ちわびている。そのような背景を持つ二人に、それぞれ面会し仕事についての相談を受ける、情報を伝える、仕事の話しをする時間を持つ。二人の少年の過去を振り返ることが私の仕事ではないので、犯罪について、罪についてを問うことが今日の仕事ではない。今後、二人の少年の将来についてを問うことが今日の私の務めであった。小難しい理屈を並べ立てるより、明日は何をしたいのか、それよりもっと向こうの30歳になったときどのようになってみたいかとか、20年後、30年後を漠然と思い描いて仕事に励んでみてよ・・・などと監視つきの部屋で相談。すると段々目が輝いてきたように二人とも私には映った。今日は曇り空の合間に時々陽が射しておった。夕方聞くカナカナゼミの郷愁に満ちた切に哀愁を感じる鳴き声も、いつ梅雨が明けるのかはっきりしないこの時期には、今ひとつ哀しみが想起しないのはなぜか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

梅田にて

2009-07-26 06:57:34 | Weblog
 恥ずかしくも私はこのようなことをしゃべって、大きな花束をもらい、そして伊丹からの最終便で帰った。その晩、私がおしゃべりした内容をそのまま文章にして、退職挨拶として東京・名古屋・高松・福岡の同僚に送った。私にたくさん頂く挨拶状のほとんどが無事に勤めたとか、つつがなくとか大きな事故がなくとか、文中に散りばめられている人が多いと思うけれど私は、無事でもなくつつがなくもなく悪戦苦闘の連続であった。雇用保険における退職理由でいうと自己理由による退社である。その後、私から前社の社員に連絡を取ることはない、が出張で地方に来られる人は、時々私を訊ねてこられる。           Hさんは挨拶状をどのように書かれるか・・・と思う。福祉施設に長年勤めたHさんは、事業所を数箇所移動されたが、振り返ってみてキリスト教系の施設、ガリラヤ荘が、建物は1番古かったけれど、スタッフは1番穏やかに老人に接することが出来ていた、と話していられたのが印象に残った。
 明日はきっとハレの夕日は、数日前。(写)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

挨拶4

2009-07-26 00:00:00 | Weblog
 ところで、先ほどの大江健三郎さんの本に沿っての話しに戻ります。30年前の24歳の入社した新人時代の自分と54歳の退社する今の自分とが, どのようにつながっているのか・・・です。 54歳の私が24歳の私に問いかけます。「あなたの30年後の私の姿を見て想像した通りになっていますか、どのように感じますか?」「大地にしっかりと根を張って生きていますか?」「その根っこはあなたにつながっておりますか?」 と。
 普及という仕事を30年足らずやってきました。最初のひと月の所内指導を除いて単独で29年10ヶ月ほど稼動をしました。 申込書を取った人は,W率が低い分 のべ2万千人位になると思います。 おそらく○○出版の歴史51年間を通して10本の指の中には入るだろうと思います。 皆さん、私は決して自慢をする為に言っているのではありません。反対です。21,000人の見知らぬ沢山の人達から栄養分を頂いて、私の姓にもありますように、樹木の根をのばして頂いた、しかも、妻と子供4人。家族6人が生きていくための滋養分を貰ったということです。 感謝の一言です。
このことは決してお客さんとばかりつながっているものではありません。今までに数え切れないほど辞めていかれた方,ご指導を頂いた上司や先輩,同僚ともつながっておりますし既に亡くなられた同志ともつながっております。今、こうやって私の話を聞いている皆さんともつながっております。厳しい普及の仕事をしながらも笑顔を見せてくれた人とも、電話などで叱咤激励してくれた人とも、いつも嫌がらず無理を聞いてくれた内務の人とも、若い人達ともつながっております。 この30年間の,不可思議とも思えるそのつながりにもう一度感謝をしたいと思います。長い間、本当にありがとうございました。心より感謝を申し上げます。
さて、今後の私ですが,少しボヤ-ッとした時間を もちたいと思っています。が、食っていく為にあと10年を最低に15年を目標に仕事をしたいと考えております。そのために勉強をしたいと思っていることがあります。長年、自分と人とを相手にやって参りましたので、それに基つくものであればいいなあと思いますがどうなりますことやら。
 九州支店に弓道を趣味にしてらっしゃる方がおられますが、何かの本の中にこのような言葉がありました。「矢は弓の力なり 男の仕業は女の力なり」の一文です。矢は自身では飛びませんよ、弓の力によって飛ぶんですよ、同様に男の人のしわざは女の力によりますよ、ということでしょうが、所詮,男の私一人では, たかが知れたものでしょうから 妻の協力を得ながら、未だに充分な根を張っているとは,到底思いませんので、24歳当時の私と同じようにこれからも 苦しくとも、もがきながらも、先ほど申しましたように後10年、15年と仕事をしていきたいと考えております。おんなへんに台を書いて、それが私の始まりです。
 今朝、空港に向かうために家を出ながら狭い我家の庭の木を眺めておりますと今年の寒い季節で すっかり葉っぱを落とした木の枝からも,ヒガンザクラですが小さな芽がたくさん出て膨らんでおりました。まもなく開花するでしょう。自然の摂理です。 今、販売環境は寒く厳しい状況にありますけれども先ほどの自然の摂理でいうと、芽がたくさん出ている時だと思います。どうか皆さん自分を信じて進んで行って花を咲かせて下さい。終わりになりますが、このような送別会を開いて頂いた支店長、皆さん方ありがとうございました、皆さんのご健康とご家族の方々の幸多いことをお祈りして 私の挨拶といたします。長々とお聞き頂きありがとうございました。
3月吉日 」
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

挨拶3

2009-07-25 09:44:36 | Weblog
その本を読みながら、私は自分流にこう考えました。 少年時代の大江さんが60歳もとっくに過ぎた大江さんに 「僕はどのような大人になり、老人になるんでしょうか?」 と尋ねた時、自分の木を見つけることが出来るかどうかはわかりませんが、大江さんが再び大瀬の山間の森に入って自分の木の下で大江少年に「ぼくは あなたのそのままの人ですよ」 と答えると同時に、おじいさんが少年に, 「あなたの持っている夢や希望に沿っているおじいさんに見えますか」 更に少年に 「あなたはどんなふうにこれから生きていきたいのですか」 とお話をするのではないだろうか と思うんです。中井君や香取慎吾やキムタクの,私は個人的には慎吾が好きなんですが,スマップの 「ヨゾラノムコウニ」 という歌のなかにもありますように ♪あのころの みらいに ぼくらは たっているのかなあ♪ という、つまり、ずっと前の自分と今の自分とがどうつながっているのかなあ、ということだと思うんです。
私も皆さんも会社にいる限り、ころもへんに刀を添えての初めがあって、糸へんに冬と書いての終わりがあります。私の初め,○○○○出版社に入った動機といえば昭和47年4月の,ちょうど30年前の24歳の時でした。当時の自分は魂が定まらない青春の彷徨時代でして,デラシネ、根無し浮草状態でした。ころもはボロボロ,刀の刃もボロボロ、しかし先っぽだけは,とんがっていたように覚えています。 悩んでおりまして…・、これからどうやって生きていこうかと。それで ヨッ~シ!この根無し浮草状態から脱出して大地にしっかりと根を張って生きていこう、その為には、自分の中に住み着く保守性をどうやって追い出そうか、というものでした。 なぜならば、守るべきお金も力も何もないくせに保守的に閉じ篭りがちであったからです。 折よく朝日新聞の人事募集欄に,○○○○出版社の募集記事があり、募集条件として書かれておりました〓小乗的サラリーマン不可〓という文字に魅せられて入社した訳です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

退職挨拶2回目

2009-07-24 00:00:00 | Weblog
ノーベル文学賞を受賞された大江健三郎さんは難しい本をたくさん出しておられますが、最近若い人達に向けて優しくアピールしていることがあります。その一つに皆さん方の中にも読まれた方がいらっしゃるでしょうが、「『自分の木』の下で」という題名の本があります。
 大江さんの実家は、両側を山に囲まれた狭い谷あいにあります。愛媛県喜多郡内子町大瀬という地区です。その地区に古くから言い伝え られている話しにこういうのがあります。おばあさんから何度となく聞かされた話、つまり、それぞれに自分の木があって、人は生まれた時に、山の高みの森にある自分の木の根元から魂が螺旋形に飛んできて赤ん坊の体内に入り、逆に死んで逝く時には魂が身体から抜け出て、再び山の高みにある自分の木の根元に螺旋状に戻っていくものだ、という言い伝えです。
そこで少年時代の大江さんは不登校時に、山の中の森に入り何十年ヶ後の大人になっている自分に会うために,たくさんある中から自分の木を探し出してこのように尋ねたかったと、 「あなたはどうして生きてきたのですか」 と。 そして、60歳の半ばを過ぎた今、再びあの山間の森に行くと10歳の時の大江少年が待っていて、おじいさんになった大江さんに 「あなたは60数年もどうして生きてきたのですか」 と尋ねられる質問に対する答えとして 「『自分の木』の下で」という本を出版されたんだろうと私は思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

退職挨拶

2009-07-23 00:00:00 | Weblog
 近所のHさんが長年関わってきた福祉施設を去るにあたって、挨拶状をどのように書くのか、と言う話題が昨夜出た。本人は挨拶をする相手がいない、などと言っておったが、私の場合どのように書いたのか、忘れていたけれど、7年前のPCデータで検索すれば、出てきた。久し振りにお目にかかった私の当時の思いについて、今日は第1回。


 「少しお時間を頂戴してご挨拶をさせていただきます。今日で最初で最後となりますが、先ほど会議中にお出ししたお菓子は、松山名産?の一六タルトです。 ここの社長は玉置さんという方で、お菓子の会社の「一六本舗」以外にも車の「ネッツトヨタ愛媛」や「スーパーセブンスター」、「レストラン北斗」など経営しておられます。更にもう一つ会社があります。それは「伊丹プロダクション」という会社です。俳優さんは故伊丹十三さん、宮本信子さんです。その伊丹十三氏の妹さんに「ゆかり」さんって方がおられます。彼女のご主人さんが大江健三郎さんです。私の故郷の隣町の方です。ここからが今日の私の話です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

皆既日食の日に

2009-07-22 00:00:00 | Weblog
 ジョブカフェのOさんから、トカラ列島の悪石島では皆既日食が見ることが出来ますように祈ってます、とメールがあった。皆既日食のおかげで、久し振りにトカラの名前を聞いている。実は33年前の新婚旅行でトカラ列島にある宝島に行こうと計画していたのだ、結果は、交通の便によって行く事が出来なかったので、その後忘れていた。妻は学生時代に当時は、入島するのにパスポートが必要であった沖縄の隣りの与論島に部活での合宿で行っており島のすばらしさをいつも私に話してくれてたので、与論島より宝島の方がより一層宝を得ることが出来るやも知れない、などと小理屈をつけて計画していたにもかかわらず、つい計画倒れになってしまった。そのようなことを皆既日食のおかげで思い出した。で、今日の曇り空、立てこむ相談者と応対していると、忘れておった。たしかに、曇り空とはいえ、午前11時頃暗くなってきたのでまた雨がふるのかなぁ、と一瞬思ったけれど、家人に聞けばこれが日食であることが自分の頭の中で結びつかなかった。夜、妻が興奮気味に職場の屋上で欠けてゆく太陽を見たよ、と話してくれた。
 皆既日食の今日、福祉施設に勤務すること30年を超えるHさんが職場を辞めた。60歳定年での離職である。しばらく福祉施設から離れて充電したいと言った。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加