年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

商品券を狙う

2017-11-30 00:00:00 | Weblog
 20年振りにK君から電話が入った。前職時、彼が25歳の時に私の部署に入った。大阪⇒名古屋⇒東京⇒大阪へ異動してきたが今年から広島へ転勤しました・・という報せであった。
  
 仕事上のK君は頑張り屋さんであった。出張時には拙宅にも寄ってくれたり、新婚当時にも奥さん同伴で我が家に来てくれたりもした。何でも、奥さんのお身内に右肩上がりの勢いを得た100円ダイソーの社長がいられて、そのダイソー社長から手伝ってくれ・・とよく誘われていたことがあり、どうしようか?うちの会社を辞めてダイソーに行こうか?などの相談を受けてたことを思い出す。さらに、美人の奥さんをお子さん3人を残して癌により亡くされたことも後に聞いた。
 その後再婚し、本人は単身にて転勤を繰り返し、お子さんは5人となった・・などと電話で話してくれた。

 12月1日の明日は広島で前職時代の仲間が集まって忘年会がある。毎年楽しみにしていたが、今回は義母の1周忌があり、欠席と連絡していたものの、K君は私に相談したいことがあったらしく、電話の声ではその相談の一端をにおわせていた。きっと、会社を辞めたいが・・のことのようだ。私に向かって、何年勤められましたかね?と聞いてきたので、ジャスト30年で区切りをつけたよ・・と応えたが、彼はそこまでは自分は持ちそうにありません・・などと苦悩を伴うように喋っている。大変厳しい出版社であったと思う。でも仲間は大変すばらしい人が多かったと思う。今でもうちの奥さんには、くだらない会社であった、二度と行きたくない会社やね、と今でも愚痴をいうものの、その経験が私の財産となり実は今の仕事にも役立っている、内にも外にも。

 あたかも、みんな必死に大木にすがりつき安定を求めようとする。しかし、自然は、古い葉っぱを風で吹き飛ばすがごとく時間の経過は姿を変える欅のようだ。でも落ちた色づいた葉っぱの上を踏むとカサカサと音がしてしかも柔らかくふわふわ。

  筋トレに気合いが入っておる。開始後3ヶ月になるのを節目に、9月に測った筋肉量などのチェックをすることにした。じつはジムが差し出す数字を上回れば親会社のスーパーの商品券をもらえるのだ。来月に計測した結果で決まるので中間測定ということである。

 上半身のみの筋肉らしい。下半身は逆に落ちているとの指摘も受けた。どうりで足に力が入らないワケだ。左足は痺れっぱなし・・それでも年末の商品券を狙っておる。ウッシッシ。

 今日で11月が終わる、自分の頭の中はすでに30年の正月を過ぎ、春の新芽が明日にも現れてくるような感覚。早い早い。過ぎ行く時間が早くなってきた。

早期離職のこと

2017-11-29 19:16:59 | Weblog
 一昨日山口・美祢社会復帰促進センターにおいての研究会は、例えば2年~5.6年ほどの懲役出所者が協力雇用事業所へ就労するについていかに定着させるかの研究会であった。

 そして、昨日の朝ホテルのTVで山口県の地方局ニュースを見ていると、山口県の若年者の早期離職問題が報じられていた。


 学識経験者高校大学の就職担当の人が集まって会を開いた・・早期退職をどうやって食い止めるか・・のニュースである。
 今やいかなる就労者においても一か所で仕事を継続することが困難になっている、という潮流をどのように考えればよいのだろうか・・

 ちなみに愛媛県は28年3月時点での調査資料であるために25年3月での卒業者が対象となる。



 これらの資料は雇用保険受給資格者をもとに統計を取っているので実際は増えるものと思われる。


 そう・・このような資料を眺めれば、
 なにも出所者の早期退職だけが問題になっているわけではない。

 で、多くの学識経験者や会社の人事担当者が退職理由に対する対策の声をあげる。


 長時間労働の問題点をあげて企業側に対策を講じたり、コミュニケ力の不足に心理方面からセミナーをもち若年者の能力向上に目を吊り上げたりしてる・・・何とかしないと・・とキャリアアップのために資格取得を奨励する商売も繁栄し「弱者若者」、自己肯定感の低い者をターゲットにする。

 このような風潮をあたかも不健康なこと、良くないことである、悪いことであると意識付けをしているようにも映る。つまり刷り込みがある。自分には早く辞めて何が悪いんだろうと。。そのワケを教える説明責任があるのではないかと・・職業能力の欠如や年金問題などからアプローチするのだろうか・・とすれば当事者にしてみれば放っておいてくれ・・の声が聞かれそうで・・イヤハヤ
  何かしら、このような潮流に対しての対処療法的な施策に少し飽き飽きしている。どのように継続的な就労をするか。。の前にどのように自分は生きながらえるのか・・の質問と答えが見当たらない理由に因る。

 自分たち、出所者の就労支援チームではそのような豊かさをバックにしての話どころではない。雇用保険受給なぞ関係ない、とりあえず明日の食費をどう捻出するか・・のことにて仕事をする。報酬を得るそのような捻出をあきらめて窃盗などの再犯に走るのか・・の瀬戸際で動いておるゆえ、定着支援を考えるのにハードルが高い。たとえば自分の犯罪歴を背負いながら逃げるように社会の片隅で息をする輩を見つめながらお日さまのあたる場所で仕事をする流れを作ってやりたいと・・・
 自分が受刑者に喋っているのは、豊かな生活をするために仕事をする、などの娑婆の人たちと同じような就労目的ではない。目的はただ一つ「“自立”するために働く」。その手段にロジャースをはじめ職業選択理論を掲げて支援するようなことでもなく、精神論だけでもない。自立をすることで得られる自由のことを口酸っぱく云ってるだけ。再びの社会の入口に立ち仕事を再開する時、仕事は何でもイイが、どうでも良いわけではないこと・・。

マズローの欲求5段階説からいえば、人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲するという有名な三角形

 からすれば自分たちは低次元の生存をかけての生理的な欲求から安全に向けての支援となるんだろうか、・・とすれば新卒学生の早期離職者に対する支援者は、高次元の欲求に対する支援のスタイルになるんだろう。

 今のところ釈放者の3年以内の離職率データはない。新卒者の3年以内どころか釈放者の6ヶ月以内の離職の方が気にかかる。ワケは再犯率のこと、5年以内に再び犯罪を犯し矯正施設に収容される人の7割が逮捕時に仕事をしていない・・のデータからすれば、若年者の早期離職とは別次元のことで・・

 新卒者の3年以内に辞めてなぜ悪いのか・・の答えを探しておる。職業能力が身に付かないなどと述べる人の言い分は多分経験の多寡を言ってるのかもしれないがいい年になっても身に付いた能力は、口先だけの言い訳能力が高いだけの輩がいたりするとがっかりする。むしろ離職、離婚などの離が付く節目の言葉にマイナスのイメージが過剰にまとわりつくことが大きな問題ではないかと思う。本当は離で初めて自分と対峙することも多い。離の意味に「はなす」があり、くっついているものを分ける・・があり「はなれる」にくっついているものの一方が動いて別々になる・・がある。イメージとして相互依存する関係を解消する、つまり自立するスタートラインに立つようなイメージを持つ。私の周りで離転職している人もたくさんいるが、みんな不幸になっているとは思えない。離婚を経験し一時は暗い顔していた人も独り身となり結婚はもうコリゴリよと話してくれる人の何と明るい顔か・・集散離合し水辺に浮ぶうたかたにて動くのが自然のスタイルではないかと思ったりもする。

 

山頭火

2017-11-28 00:00:00 | Weblog
 昨夜は研究会の帰り道、途中の防府駅に降りて泊まることにした。ここ防府駅に降りたつのは20数年振りになる。当時広島から1~2週間の予定で出張計画をしていたものの、この街が自分の肌に合わなかったのか、そそくさと2~3日で切り上げて帰ったように記憶してる。そのようなことも思い出しながらも暗いうち朝5時にホテルを出ておサンポ。行先は防府天満宮と山頭火の生家。
 昨日の研究会に一緒に出席した教育担当のスタッフさんが防府で泊まりたかったのだそうだ。ワケを聞くと、三大天満宮では太宰府天満宮と北野天満宮にはお参りをしたけれど防府天満宮にはまだ行ったことがないので…のことらしい。天満宮は云わずと知れた菅原道真公を祀ったところ。とりあえず私もワケあってのお参りをしようかと・・

「うまれた家はあとかたもないほうたる」と書かれてある。

 種田山頭火の生家跡

 種田家は当時広い屋敷であったことがうかがえる。

 ここで山頭火は生を得て終焉地の松山・「一草庵」で没したのものも何かの縁とばかし訪問。
「漂流者昨日も今朝も視ておる」

 朝早くとも散歩してる人と数人すれ違う参道。

 歩きながらフト苦笑い。そういえばこの間は東拘に行った際にも早朝に浅草寺まで散歩したナァ、昨年も長野出張時には暗い中、善光寺までウシに引かれることなくタクシー拾って行ったなぁ・・・などと神社仏閣の観光方面ではなく“お参り”方面のことにて・・アレレまだ奥さんと夏には平家伝説の赤間神宮にも行ったなぁ・・・コリャ完全にお年よりさんのやることだワ・・・と脳裏をかすめて苦笑い。

 移動は疲れる。

 もう帰ろう

 海がある 島がある 自分が在る

 ここにへばりついて生きておる。この向こうの周防大島にも私の好きな民俗学者・宮本常一さんの実家がある。

 これでまた年末までの行事ごとの一山が越えた。次は義母の1周忌が日曜日にある。

受刑者の教育

2017-11-27 00:00:00 | Weblog
 現職時代のようだ。朝も早く6時には自宅を出発する。行先は山口県美祢市。PFI(Private Finance Initiative)方式による刑務所、官民協同による運営の美祢社会復帰促進センターにおいて出所者の就労定着のテーマでの研究会出席のため。

 朝日が昇る頃フェリーに乗り込む。

 夏目漱石「坊ちゃん」に登場するターナー島にも陽があたり、

 これらの島々の山に登ったことを懐かしみながら、

 柳井水道を通り柳井港に着く。そこからJRに乗り継ぎながら

 やっと着いたのは

 厚狭駅。そこで迎えの公用車に乗り込み山の中の美祢社会復帰促進センターに着くと12時半。僻地から僻地への移動は大変疲れる。6時間30分もかかって大変疲れる。
 リゾート丘陵地に建つ広大なホテルのような錯覚を受ける・・も携帯電話やタバコなど管理区域内に持って入ることができないのはどこも同じ・・。
  (ネットから)
 まずは所内見学から。犯罪傾向の進んでいないA級、しかも問題が多くない優秀な?受刑者が全国から集められている。
だからここの受刑者は束縛されることが他所と比べて少なく自由が多い。お風呂でもご飯でも・・・しかし、全員みかん色のフリースジャケットを着用しているが名札にはGPSが付けられているので全員どこにいるのかは監視員によるモニターで管理されている。先日訪問した東京拘置所、略してトーコーではさらにモニター数監視カメラの数は多かったが・・ここでは塀もない代わりに3重のフェンスに監視カメラ付である。収容能力は男子500名女子800名のキャパを持つが現在そんなにはいない。



 研究会ではワークの参観から。内容はTA(交流分析)によるワークである。アメリカの精神科医エリック・バーン博士によって、精神分析を土台とし、人間性心理学を取り入れて開発された、人の心と行動に焦点を当てたワーク。その中で今日はangerのことを4人の受刑者を前にして講師がやっていた。概ね犯罪を犯す前の感情や行動、言語と非言語によるコミュニケーション能力のことなど。

 官民協同とはいえ国の職員さんが多いなかで、民では小学館集英社さんのグループ企業がカウンセリングなどを担当している。

 そして研究会での討議…活発な意見交換がある。ここは全国の矯正施設の中でも先端を走る教育であると考えさせられた。

紅く黄色く白く

2017-11-25 00:00:00 | Weblog


 公園で散歩



 紅葉してた



 遠く石鎚も雪が



 今年は寒くなるのが早そうで

  欅の葉っぱも落ち



 城山の下も秋が深まる



 次の楽しみは新芽の時期か

 

 散歩の帰り道に母親の所に行くと、布団に入っておる。突っついて目を覚まさせ、ベッドから起こして持参した柿とミカンとショートケーキをテーブルに出すと、美味しい美味しいと言いながら食べておった。お腹がすくらしい。今度来るときにはおむすびを持ってきてよ~・・と奥さんにおねだりしておった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

2017-11-24 00:00:00 | Weblog
  レオナルド・ダ・ヴィンチ展のチケットを2枚頂いた。レオナルド・ダ・ヴィンチについての知識は薄く、「最後の晩餐」や「モナリザ」の絵画しかない。お休みの奥さんを誘って美術館に行く。

 アンギアーリの戦い・・も知らなかった。レオナルド・ダビンチがパラシュートやヘリコプター、ロケットの原型を作ってたり、肉焼き機や土木工学の水準器や六分儀、旋盤の原型を作ってたの知らなかった。

 このように、天才と言われてたことも知らなかった。だから、自分の無知はすんなりとアホな判断をしてしまう。マルチ才能を発揮する天才人のこと、いくら時代背景があるとはいえ、戦い、武器製造のことにまい進していた作家を礼賛するような仕種で鑑賞する自分たちのことを。

 暴力問題で賑わう大相撲。しつけとか教育とか、いかなる理由を付けても、暴力は絶対だめだと決めておる。

 中学校時の友人は、よく先生にたたかれたなぁ、殴られたなぁ・・と懐かしんで話してくれる。でもあの時自分が悪かったなぁ・・と反省しながら当時の先生から受けた愛のむちに感謝しておる。でも、今の時代、いくら何でも暴力はアカン。

 北朝鮮問題では、日本の首相もアメリカ大統領とタッグを組んで撃って来たらこちらも倍返しをするぜ・・の姿勢のように映る。兵隊から帰ってきた親、オジサンたちから耳にタコができるほど聞かされてきた、戦争はダメだという意見なぞ、どこ吹く風のようで、正義の旗を立てて挑むように・・市民に不安感を煽り立てているような錯覚を覚える。
そのような空気が今、生まれていないか・・・
  
左:作者不詳〈アンギアーリの戦い(レオナルドの模写)〉
右:バスティアーノ・ダ・サンガッロ〈カッシーナの戦い(ミケランジェロの模写)〉

 そういえばアンギアーリの戦いも軍旗をめぐっての争奪戦の図であったか・・・。

 イタリア・フィレンツェ地方のことは知らない。自分は世界史を取って学んだことを覚えてはいるが、全く忘れておる。それよりも、強いイタリアがワールド杯の予選通過ならなかったことの方が驚き。イタリアの固い守りを表すカテナチオは守備の底にいるリベロが特徴であったが、それも時代とともに変化せざるを得ず、戦い方も日々変化しておる。
 

上や横より下側

2017-11-23 00:00:00 | Weblog

 欅も色づいた。

 ケイトウも紅く燃えておる。

 皇帝ダリアも気高く咲いた。

 紫式部も実を付けた。

 でも、手が足元にくっつくくらいが身の丈だろうと・・身の丈に適う生き方が最も息をし易い生き方なんだろうが・・・腰が固くなると頭が下がらない。痛い。

 今日は旗日、休日の日。自分は毎日が休日の感覚。

のら

2017-11-22 20:36:29 | Weblog
 ノラで思い出すことにイプセンの「人形の家」がある。

 人形のように育てられたノラが弁護士と結婚し同じように人形のような妻となり、そして生まれる子にも人形のように接する・・成育歴を持つ主人公の生き方・・だったか忘れてしまったが。たしかノラであった。

 それより先に解決しなければならない問題が、わたしには別にあるのです。自分自身を教育することに努力しなければならないのです。その場合、あなたに助けていただこうとは思っていません。わたしひとりでやらなければならないことです。だから、これでお別れいたしますわ。・・・(中略)・・・自分自身と外の世界とを正しく知るためには、わたしはひとり立ちになる必要があるのです。ですから、もうこれ以上あなたのそばにいることはできないのです。 「人形の家」よりノラの話。人形の妻であること、人形の親であることから自分が一つの意思を持つようになると。。。


 連想するのに弘田三枝子も「人形の家」を歌ってた。自分にはノラと歌手の弘田三枝子がおかしくもだぶって見えてたのは私が大学生の頃。歌がうまかった・・・。

 でもイプセン「人形の家」の主人公のノラではなく、「のら」の方。こちらの方言である。「のら」とは怠け者の例え。

 今日は午後の出勤だから午前はブラブラ。今にも雨が落ちてきそうな雲が上空にある。そのような日でもバレエレッスンの送迎のためのバス運転手のカメさんは毎日バスの車内掃除をしている。送り迎えをする小学生や中学生がイスに座ってお菓子を食べるのだそうだ。それが床に落ちて汚れるので掃除機を回すのが日課になっている。カメさんのお孫さんが東高のエースとして春の甲子園で活躍したのが一昨年の3月であった。今お孫さんは大学生となり球場に応援に行くこともなくなりバスの運転を夜遅くまでやっている。

 そのカメさんがバスの中を掃除しているのを邪魔するように話しかけると、掃除機のスイッチを消して私の雑談に応じてくれた。邪魔をするのはいつものこと。その内に雨がパラパラと落ちてきた。私の肩に雨が落ちてきた。すると掃除をしながらカメさんが昔々親から言われた言葉を私に言った。

 「のらは一番最初に雨にあたる。のらは一番最初に飯を食う。」

 50年以上も前のこと、内子町の山奥で山仕事や畑仕事に忙しかったカメさんが、少しでも親の目を盗んで怠けようとするならば、よくこのような小言を親から言われたそうな。仕事をやりたくないばかりに雨が降ると最初に見つけて理由をつけて手を休める(親は雨でも手を休めたくないにもかかわらず・・)、仕事よりお菓子を食べたい、ご飯を食べたい・・・と。不耕不織の「のら」を否とし精励刻苦を良しとする時代背景の中で「のら」を戒めていた。

 ぶらぶらする姿はカメさんに見つかれば「のら」に映る自分である。

 午後の「のら」の仕事は釈放前の事業主採用面接会のこと。今日来ていただいたのは10時前に羽田から飛んでこられた社長さん。

 東京の板橋区からやって来られた。

 いつものような面接会。仕事の現場はどこですか?と、さいたまに帰住する若い受刑者Aからの質問に社長さんが答えるのに

 東京駅前の現場です・・・などと。社長さんの説明にAは目を輝かせておった。採用となる。


 今日は11月22日、いい夫婦の日だという。奥さんは冷たい小雨が降る中7時半過ぎに3輪自転車で帰宅。施設にご飯作りに行ってる。

初冠雪

2017-11-21 18:53:43 | Weblog

 石鎚に雪が降った。1,600mから上に冠雪があったとニュースにあった。やっと冬景色になる。

 皿ヶ嶺にも霧氷がついている。

 寒い寒い。こんな日はコタツに入って丸くなるのが一番。・・とはいえ・・・

 早く仕事を終えて帰りたい・・そしてジムへ行こうと考えているのに…何たることか非職員にもかかわらず、就労支援と名が付けば他の部門であっても駆り出される有様で・・いやはや。今日は県社会福祉協議会の御一行様がやって来られて出所者の就労についての意見交換会がある。この会の終了予定時間が伸びてしまって・・イヤハヤ。



 「何でも良いけど、どうでも良いわけではない」のこと。
  じっくり考えたい。どうでも良いわけではない、そのような譲れない条件を自分の軸に確保してるかってこと。



 2014年の今日の早朝に弟が死んだ。誰に看取られることもなく病院のベッドで息を引き取った。今日は横たわるベッドからいつも弟に文句を言われてた話し、「アニキのその貧乏くさい格好はおかしいよ、もっときちんとした服を着とけよ~」のこと。
 あらゆるサイズが同じであったので形見になった弟のジャケットとズボンとネクタイを着用しての出勤とした。その帰り道は老人ホームの母親に会う。夕ご飯前の時間、離れた食卓にぽつんと一人で車いすに乗っていた。難聴により人と話すことを嫌がる。補聴器を最大ボリュームに上げて昔話をする。そして、この服は弟が来てた洋服やで~・・・とおおきな声で話しかけると、ニヤリ・と笑いながら、そうやったかね~・・と応えた。


 年末が近づくと、喪中欠礼のハガキが来る。今年のハガキは同じ年の人が複数枚来てる。島根益田市の、元同僚のセイローさん、彼が拙宅に来ていただいた折我が家の玄関前で小便を垂れるほどに飲んでたなぁ・・そして奥さんの従兄弟のケンちゃん、大阪にいた。奥さんとは仲が良かった。ケンちゃんもいつの間にか亡くなった。そしてシローさんはついこのあいだ亡くなった。よく我が家に来ていただいた。白髪の頭で春になると海に潜りワカメを採りナイロン袋いっぱい持ってきてくれてた。同年代の人たちの訃報である。自分もそのようなエリアに入ってることがわかる。そう言えば先日の日曜日は、牧師から「死」についての意見を私にも求められた。自分はそのことについて小学3年生の時から意識し始めたこと。霊的な死か、それとも生物的な死かと考えると、あくまでも生物的な死を選びたいこと、自分の死について意味を付加させないこと・・であると答えた。