後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真で見る日本民族最大の激動の時代、昭和時代」

2021年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和時代は激動の時代でした。日本民族の歴史の中でも最大の激動が起きたのです。
私は戦前の昭和11年に生まれ昭和33年に大学を卒業しました。昭和の出来事はよく新聞でも読み鮮明に覚えております。そして戦前、戦後の食糧難の苦しい経験と相まって昭和の出来事は終生忘れることが出来ません。
その主な出来事の一覧を示したいと思います。

(1)昭和の戦前期
1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵、南京事件。
1928年(昭和3年)済南事件、張作霖爆殺事件。
1929年(昭和4年) 世界恐慌。
1930年(昭和5年) ロンドン海軍軍縮会議、濱口首相遭難事件。
1931年(昭和6年) 柳条湖事件、満州事変。
1932年(昭和7年) 血盟団事件、五・一五事件、第一次上海事変、満州国建国。
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、滝川事件。

1936年(昭和11年) 二・二六事件、西安事件。
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件、第二次上海事変(日中戦争(支那事変)始まる)。
1938年(昭和13年) 張鼓峰事件。国家総動員法。
1939年(昭和14年) 第二次世界大戦開戦、ノモンハン事件。
1940年(昭和15年) 日独伊三国軍事同盟、日華基本条約締結。
1941年(昭和16年) ゾルゲ事件、大政翼賛会、日ソ中立条約締結、真珠湾攻撃。

12月8日 南方作戦発動、太平洋戦争(大東亜戦争)始まる。
1942年(昭和17年) ドーリットル空襲、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い。
1943年(昭和18年) アッツ島の戦い、学徒出陣、同盟国イタリアが連合国に降伏。
1945年(昭和20年) 硫黄島の戦い、沖縄戦、占守島の戦い、国際連合設置、九州大学生体解剖事件。
3月10日 東京大空襲。
3月26日 沖縄戦。
5月 同盟国ドイツが連合国に降伏。

7月 ポツダム宣言。
8月6日 広島市への原子爆弾投下。
8月8日 ソ連対日参戦。
8月9日 長崎市への原子爆弾投下。

8月10日 ポツダム宣言受諾の決定。
8月15日 玉音放送。
9月2日 降伏文書調印。

(2)昭和の戦後期
戦後のアメリカなどによる占領期、1945年(昭和20年) - 1952年(昭和27年)
1946年(昭和21年) - 1950年(昭和25年) 農地改革
1946年(昭和21年) 伊豆諸島返還。日本国憲法公布(1947年(昭和22年)5月施行)、人間宣言、昭和南海地震。
1951年(昭和26年) サンフランシスコ講和条約・(旧)日米安全保障条約締結。
1952年(昭和27年) 主権回復。トカラ列島返還。

1954年(昭和29年)自衛隊発足。第五福竜丸事件。
1956年(昭和31年)日ソ共同宣言発効、国際連合に加盟。
1960年(昭和35年) (新)日米安全保障条約発効、安保反対闘争、日米新安全保障条約、カラーテレビ放送開始。
1964年(昭和39年) 第二水俣病発生、東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)日韓基本条約締結。

1968年(昭和43年)東名高速道路開業、小笠原諸島返還。
1970年(昭和45年) 日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。
1972年(昭和47年) 札幌オリンピック、あさま山荘事件、沖縄返還、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明調印。

1976年(昭和51年)ロッキード事件
1978年(昭和53年)成田空港開港、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約締結。
1987年(昭和62年)国鉄分割民営化によりJRグループが発足。
1988年(昭和63年)リクルート事件。
1989年(昭和64年)昭和天皇崩御、皇太子明仁親王が天皇に践祚。平成に改元。

以上は次の資料をもとに抜粋し整理したものです。
「日本史の出来事」、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B

昭和20年に日本が外国に完全に占領されたのは日本の歴史において初めてのことです。開闢以来の大事件でした。
この米英などによる占領は日本の社会と文化を根底から変えたのです。それは正しく激動の出来事でした。
幾つかの写真で激動の昭和時代を見てみましょう。
1番目の写真は国際的に非難を浴びた満州の満鉄の「あじあ号」の写真です。 
2番目の写真は「あじあ号」の食堂車の様子です。当時のモダンな女性が食事をしている光景です。
3番目の写真はアメリカのB29が束になった焼夷弾を投下している様子です。 
4番目の写真は東京大空襲で焦土と化した東京です。 本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもので、右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館です。(米軍撮影、出所:Wikipedia、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59594 )

5番目の写真は1945年(昭和20年)9月27日の昭和天皇とダグラス・マッカーサーの会見の時の写真です。 

7番目の写真は1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書に正式に調印した時の写真です。 

8番目の写真は満州のハイラルにあった小学校の同窓会報を編纂した本です。
日本の1945年の敗戦によって海外にあった日本人学校が一切消滅してしまったのです。学んでいた学童や生徒は驚愕し深い悲しみを覚えました。この悲劇は朝鮮、樺太、台湾、満州、そして南洋の地で突然起きたのです。 
大学時代の旧友の竹内義信君が提供してくれました。
8番目の写真は蟻の町のマリア、北原怜子さんとゼノ神父様です。それにしても終戦直後の日本は本当に貧しかったのです。食糧難と燃料難が重なり生活はひどいものでした。そんな中での貧民の町、蟻の町は想像をこえた困窮だったのです。北原玲子さんとゼノ神父様はその中に飛び込んで人々を助けたのです。 
9番目の写真は沢田 美喜記念館とエリザベス・サンダース・ホームの入り口です。この右の奥には聖ステパノ学園小学校、中学校もあります。 沢田美喜さんは献身的に進駐軍の混血児の世話をしたのです。
10番目の写真は1964年に開業した当時のコダマ号です。

11番目の写真は1964年の東京オリンピックの開会式で行進する日本選手団です。 
12番目の写真は1964年の東京オリンピックの表彰式で金メダルを受けるは日紡貝塚チームです。「東洋の魔女」と呼ばれていました。

13は昭和天皇陵です。
 八王子の長いイチョウ並木の途中で北方向に曲がると昭和天皇陵があります。昭和天皇陵と香淳皇后陵は武蔵野御陵と呼ばれています。御陵は深い森に囲まれ静かな長い参道が続いています。境内は自然な昔の武蔵野の森のようなのです。
昭和天皇は激動の時代の天皇でした。苦労の多かった天皇でした。武蔵野御陵に行くたびに天皇の苦労を偲びながら昭和という激動の時代を考えています。私が通った小学校の教室には昭和天皇と香淳皇后のお写真が飾ってあったのです。
それにしても昭和という時代は日本民族の歴史の中でも最大の激動が起きたのです。それに比較して平成や令和の時代は平和です。静かな良い時代です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)