たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ルンペンブルジョアジーの排除が意味すること -TwitterJPの解雇より-

2022-11-11 02:00:36 | Weblog
 TwitterJPでの大量解雇が話題で、正直面白がっている自分がいる。
 あるブログではルンペンブルジョアジーという言葉を使って説明していたが、、確かにこの国では、STEM以外の分野で学士になり、あとは大企業に入って、キラキラっぽい職種(あえて具体的には言わないが)を選び、本当の意味で利益に繋がる仕事をしていなくとも、頑張っているフリをして権威に媚び諂っていれば、高収入になってしまうのが現状ではある。

 アメリカから帰ってきたと同時にアカデミアから離れて丸4年が過ぎ、一応は俺も「社会人」として振る舞っていると、いかに多くの人が仕事をしていないか、がよくわかる。
 
 上流から来た連絡に、それっぽい言葉を付与して、下流に同じような連絡をすることを日々繰り返していたり、
 ”改革”と名付けた無駄な変化を社内で推し進めて、それを多くの部署に強要することで、多大なる迷惑をかけてみたり、
 現場を一度も見ていないが故に、まったく的外れな評価制度を、さもスゴそうにプレゼンテーションして押し付けてみたり、

 こういった無益どころか邪魔な作業すらも仕事だと言い張るのであれば、大学院生など、どんなに無意味な研究テーマであっても、それなりにちゃんとしているぞ、と思わざるを得ない景色を呆れ返るほど観てきた。しかし、権威とカネに媚び諂い続けるがゆえに、それが正当化されてしまう。
 社会のためになるどころか、全員の生産性を下げている。はっきり言えば、何もしないで給与をもらっている状態のほうが、いくぶんマシなのである。彼らが否定しがちな「学者の趣味の研究」とやらをやるために、無意味な実験を繰り返せば、それは確かにカネだけが無駄になるが、それよりも最悪なのである。だって、「管理」という名の下に、本当に必要な仕事をしている人の邪魔をしているわけだから。

 しかし、この構造は、ある種仕方ないのではと思ってきたのも事実である。そのぶん、研究者は文章力を高める必要があるだろうし、実力で敵わないと判断するや否や政治力で押しつぶそうとしてくるクズに対しても対抗できるくらいの思考力を有さないといけないのだと、そこそこに自分に言い聞かせてきた。いわゆる、自責思考ってやつだw

 それが今週、イーロンマスクの買収という外部からの圧倒的な要請によって、本質的には無益な仕事をしている人たちが一斉に排除される景色を観たのである。もちろんTwitter上であるけれど、これは、本当の意味で真面目に仕事に取り組んできた、本当の意味で会社を支えてきた、立場もなき名もなき人たちにとって、溜飲を下げるものであったのではないだろうか。
 これまでは、本当に真面目に働いていた人たちが排除される絵を、何度も何度も観せられてきたのだ。それが一変して、本当は要らない人たちがいなくなった。さらに、日々使っているTwitterが快適になってしまった。そして、それを多くの人が気がつき、喜んでいる。研究者としてだけでなく、社会人として過ごしてきたこの4年間で、一番インパクトのあるニュースであったといっても過言ではない。

 今すぐには変わらなくても、遅かれ早かれ、今のシステムが継続するわけではないことが、よくわかった。
 「うちの会社は海外の大金持ちに買い叩かれることなんてないから」というわけにはいかない。だってさ、みんなが一番嫌いな「本当はお前なんて嫌われてるんだよ!必要とされてないんだよ!」ってことが、可視化されちゃったのだから。

 ルンペンブルジョアジーかそうでない人か、という二分はできないだろう。きっと連続的に繋がっているはずだ。
 中途半端に位置していた人たちにとって、これは選択が迫られるタイミングである。

 これまでのように、社内外で打ち合わせばかりを繰り返し、自分の立場を維持したり向上させたりするために、忙しさを演出し、仕事をしているフリをしつづけ、仕事をしていた証拠をGoogleカレンダーにつけていくだけの生活をするのか?
 それとも、一度立ち止まって、自分が社会のために何かを提供して貢献するためには、何が必要なのかをイチから考え直し、カッコ悪くてもそれに少しずつでも取り組むのか。

 世間の一人ひとりが、君を見ている。
 今ここまで読んでくれている読者は、きっと根は真面目なのだろう。若い頃にキラキラした空気感に流されて、それを継続してしまっただけ。心がちょっとだけ弱くて、承認欲求に流されてしまっただけ。

 本来の君なら、絶対にできる。

 「俺はそんな立場じゃない!お前なんかに言われなくても、俺はお前よりも偉いんだ!」
 …風に乗って聴こえてくるその声に、かわいそうに、という言葉しかかけてあげられなくて、心から申し訳ないと本当に思っている。

 俺は根っからの実験屋の研究者なので、こういうことを書いてることをこっそり見つけた人がいたときに、その人やその周囲がどう変わるのかを観ているのが面白くて仕方ない。これくらいの精神性じゃないと、俺の頭じゃ、真実は掴めねーんだよ。
 こういうシーンがまだまだ観られるなら、この国のこのシステムの中にいても面白いかなと思ったりもするけど、それでも流石にそろそろ飽きたよなぁというのが正直なところ。だから、悪いけど、これでも治らない人は、別の人に手当てしてもらって。

 そして、「あの時代は変だったよね」と、いつか笑って話せる日が来ると良いよね。
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