たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

履歴にもキャラにも依存しないはず

2020-04-30 00:55:36 | Weblog
 きっと傷つくのが怖すぎるから、どんな局面でも何かのキャラクターを演じざるを得ない。
 いざとなれば、いつだって他のキャラクターを選択することを厭わないし、どこまでいっても自分自身は傷つかない。

 そう。だから、褒められても、蔑ろにされても、拒絶されても、愛されても、どこまでもそれはキャラクターであって、自分自身とは違う。だから、素直に喜べないし、逆に本当に悲しむこともない。そして、そのキャラクターだけでジャッジしてしまう大衆の思慮の狭さと見切りの早さに辟易とすることに慣れているから、煌めいていた気持ちが冷静になるのがとても早くて、自分自身が怖くなってくる。
 もちろん、どんなキャラクターをかぶっていたとしても、それ自体が自分自身にフィードバックして、何かしらの影響を齎すことには齎す。だけど、そのキャラクターを心の中で殺してしまえば、元通りで、何もなかったかのようになる。

 「今はそんなことしている場合じゃないでしょ」

 と胸に響いた言葉が内側でさらに反響して大きくなり、まったく異質の大きな不安を抱えさせられる。そして、薄れゆくキャラクターがこちらに微笑みかけながら「大丈夫だよ。きっと気にも止めてないはずだから」って呟く。そんな姿を、プレーンの俺が「いや、自覚しないだけで、それはない。けれど、これが最適解だと思う」と冷酷に突き放す。
 演じていたからといって、言葉に嘘は一つもない。すべてが想いであって、すべてが自分自身だとも言える。そして、余裕たっぷりなキャラクターが「そのほうがお互いにとって楽しい」って言って、悲観的なキャラクターが「本当にそれで良いの?もったいないんじゃないの?」と繰り返し、嘲笑うことが趣味のキャラクターが「社会的な選択の余地があるのはお前のほーなんだから良いじゃないか」と嘯く。

 究極的に何が原因なのか、俺自身が一番よくわかっている。よくわかっていて、あらゆる可能性を一切残さない選択をした結果、きちんと考えなきゃいけない系に向き合うことができる。そう、直観タイプはね、自分の心がすぐに分かってしまうぶん、それに揺さぶられるリスクのほうが、(少なくとも今は)大きいのですよ。

 気持ちは変わってしまっても、意見はカワラナイ。
 “きちんと到達してほしい”って、それだけは願いとして、少なくともその瞬間に存在していただけで、この次元では尊いものなんじゃないかと俺は思っていたりする。

 「・・・だって、履歴に依存してしまうのは、ホンモノじゃないんでしょ?」
 っと、遙か彼方、レモン色の方向から風に乗って、無意味に上から目線の懐かしい声が聴こえてくる。そう、その通り。時間依存性の無さを証明しているだけだから、それがこの世界では大事だとどこかで信じているから、、だから、どんな経路を辿っても、どんなキャラクターを選択しても、おそらく結果は同じなのよ。
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幸せに到達するためには

2020-04-22 23:00:12 | Weblog
 きっと、どんな人でも何かしらの恐怖を抱いていて、沢山の怖い想いをしてきてしまっているんだと思う。
 恐怖は、人によって、他者を許せなくなったり、殻に閉じこもってしまったり、やたらめったら攻撃性が強くなったりするようになる。

 それらの振る舞いを感じた時に、そんなにも怖い想いをしてきちゃったんだね、って解釈してくれる人はとても少ない。たいていは「めんどくさいな」とか「何を考えてるのかわからないな」とか「うざいな」とかの言葉に集約されてしまう。それらを乗り越えるだけの”何か”は、俗物的な事柄だったりもして、また傷ついて、怖い想いに拍車がかかる。
 その拍車も何回転もしてしまえば、行動が制限され続けてしまう。どういう表現型が発現されていたとしても、自身の行動の制限には気がつけず、必死で頑張っているつもりになってしまうのだ。頑張れば頑張るほどに、こんなはずじゃなかったのに、と呟くようになってしまう。頑張れば報われるはずなのに、どんどん幸せが遠ざかってしまう。

 そもそも幸せになるためには、正解に揺らぎを持たせる必要性がある。なぜなら、きっと、俺らが心のどこかで目指しているのは、今は予想できないような幸福だからだ。
 目指すべき方向性を定めること自体は間違っていない。しかし、それに適合しない選択をした場合に不幸せになるのだと決め付けていれば、自らの幸せプランで自らの首を絞めるようになってしまう。

 恐怖は我々に決定論的に解釈させたがる。だから、「あいつはクズだ」とか「世間はみんな怖い」とか「こうじゃないとダメだ!」と叫びたくなる。とにかくジャッジしたくなるのだ。
 そして、いつもの必殺技に頼るようになってしまう。時にやたら厳しくしたり、時にやたら甘えてみたり、時にやたらに突き放してみたり、それらが「努力の証」として自分の心に住みつくようになり、いつもの不幸が訪れることに安心感さえ覚えてしまうようになる。
 到達すべき幸せは今は認識できないはずなのに、それに固執したばかりに、「上手く行かない」が日常化し、だんだんと「上手く行かなかった」ことが安心感と心地良さすら与えてくる。ねえ、果たして、本当にそれで良いのかしら?

 どんな人でも恐れを持っている。そう、それは読者である貴女に限らず、俺も例外ではない。
 豆腐を四方八方に鋼鉄が守っているように、その奥底に存在している最もフラジャイルな恐れの本質を、いつまでも露わにできないでいる。それを守るために、平気なフリして偉そうに話してみたり、無理して謙虚になってみたり、すべてを露わにしているフリをしながら甘えてみたり。もっと、本当の意味で、素直になれれば良いのにね。

 素直になるためには、メモリーをもっともっと空ける必要があって、自分のことだけを考えている時間を減らさなくちゃいけない。きっと「多くの人よりはできているほうだよ」と貴女は言ってくれるだろうけど、自己評価としては全然できていなくて、いつの間にか、視点の高い場所から現実世界に降りることが極端に怖くなってしまっていた。俺の恐怖は、視点を勝手に高くしてくれ、一般化されたことを慧眼で見抜けば見抜くほどに、大衆が評価してくれ、俺自身は上手く行かず、それらが俺に安心感を齎して、まるでこれこそが俺の望んでいることなんじゃないかと、納得させてくる。まったく困ったヤツである。

 自分自身をちゃんと甘やかして、自分自身をきちんと赦してあげることをすっかり忘れちゃっていたのかもしれない。贖罪はとっくに終わったはずなのに、まだその履歴に引きずられちゃっていたのかもね。

 今は、少しずつだけど、鋼鉄が取れていく心の様子を感じながら、きちんと開示されることに期待している。
 そうやって恐怖が安心感に変わっていけば、きっともっと、本当の意味で素直になれるよね。
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悩みと問題の対処法

2020-04-15 22:36:22 | Weblog
 多くの人は、悩みが生じてしまうと、ただただ悶々としながら、正しい対処が取れなくなってしまう。そして、余計に重大な問題が増えていき、悩みが増してしまうことすらある。
 混乱の世の中では特にそうで、「悩み」と「問題」について、自分なりの正しい付き合い方を確立しておかないと、なかなかに気持ちが忙しくなりがちだ。そこで、今日は、俺の「悩み」と「問題」の対応手順についてお伝えしようと思います。

 まずは言葉の定義をしておきましょう。
 「悩み」とは複数の「問題」がお互いに絡まり合って解きにくくなった状態を言います。なので、「悩み」というグループの中に各「問題」が元として存在しているイメージを持ってください。

 そして、各問題は、必ず以下に分類されます。時間ごとの分類ですね
 A. なるべくすぐ、遅くとも1週間以内に解決すべき問題・・・テスト期間、提出物など
 B. 急ではないけど、1年以内には解決しなきゃな問題・・・仕事でのプロジェクト、論文書かなきゃ!など
 C. 10年以内くらいに解決しなくちゃいけない問題・・・結婚、介護など
 D. 人類がいずれ解決するであろう問題・・・「どうして人は死んでしまうのか?」「誰もが納得する法を作りたい!」など
 E. 原理的に解けない問題・・・「永久機関を作りたい!」など

 ただ単純に悩んでいる状態から、以上の時間ごとに各問題を分類した時点で、悩みの8割くらいは何故かそれだけで解決します。悩んでいるときは、まずはその元となっている各問題を書き出してしまうことが重要です(想像するだけじゃなくて、本当に書いてね)。

 これをきちんとしないで思考すると、「悩み」というグループのなかの一つの「問題」であったのが、新たな「悩み」に変化してしまう可能性があります。
 例えば、Cの問題として「子供が欲しいのに相手がいない」と思ったとしましょう。これをちゃんとCだと認識していないと、「なぜ人は若いうちしか子供を作れないのか」というDの問題にパワーアップし、「それなのに、少子化について国の方針を決めるのは60代以降の政治家たちなんて」となり、「それなのに、自分は立候補もできない。何もできていない」などと悩んでしまったら、完全に不毛でしょ?でもこーゆー人って意外と多い。頭は良いのかも知れないけど、頭の使い方が悪い。で、そういう状態になってしまっている人にみんなが言うセリフは「考えすぎ」一択。型もなく思考するから、そうなるんだよ。なので、きちんと時間別に問題を仕分けよう。そして、仕分けたら、基本は動かしちゃダメ

 問題の分類ができたら、それで終わってしまうこともあるのですが、2割くらいは、これだけではどうにも立ち行かない時もあります。そんな時、俺は、だいたいの各問題について、以下に書き記した①-⑦を順にとります(順番は必ずしも守らないけど、大体この順番で思考する)。

①放っておく
 “問題は解決すべきもの”と学校で習うからか知りませんが、みんなやたらめったら解決しようとしすぎだと思うんだよね。
 問題って、時間で仕分けたら、基本は放っておくものですよ。放っておくと、誰かが解決してくれたり、時間が解決してくれたり、自然消滅してたりするものです。この視点を決して忘れないでね。別に、必ずしも問題に立ち向かう必要はありません。
 
 だって、小学校の頃にも何かで悩んでたはずじゃん?いま、それ思い出せないでしょ?全部解決してきたわけではないよね?
 だから、いま自分に害を加えないのであれば、放っておいても噛みつきゃしません。

②定量化する
 じゃあ、放っておくと噛みついてきそうで、夜も眠れなかったら?
 とりあえず定量化しましょう。噛まれたら最悪どれくらい痛いのか、その問題の体長ってどれくらいなのか、どれくらいうるさいのか。定量化ってのは、中くらいとか、大きいとか、そういうのを定量化とは言いません。100点満点できちんと点数をつけてください

 2つ内定があって、どっちの仕事にしようか?と迷ったとしましょう。とりあえず放っておいたけど、そろそろ「返事は?」と人事の人が噛み付いてきそう。
 そうしたら、点数をつけましょう。給料は定量化されているからそれは良いとして、”ラク”度合い、同じ部署の人の人柄は何点?、仕事内容への興味としては何点?、クライテリアをきちんと設定して、ちゃんと点数をつけて、総合点を付ければ良いです。そして、必ずしも、総合点数が高かった方を選ばなくても良いことを忘れないでね。

③問題を飼う
 定量化したけど、まだ問題との関わり方が不安な場合は、問題を愛でてあげてください。思考力というエサを与えながら、いいこいいこしてあげましょう

 昔、塾講師のバイトで数学を教えていた頃、ある程度以上の難関大学を目指す子には、これをよく言っていました。「数学の難しい問題を常に一つ頭の中に飼いなさい」と(受験数学の場合は、同じ問題を最長1週間くらい飼うようにしましょう)。いつでもその問題を頭に思い出せるような状況にしておいて、あらゆる瞬間にいろいろな角度から考えようね、ってことです。
 これをしていると、存在するだけであんなにツラかった問題たちが、愛しく思えてきます。そうなったら、解けても解けなくても良いんですよ。よーするに、気持ちがラクになることが重要で、考えることが楽しくなれれば良いんです。ただし、仕分け①②を経過しないで、ただひたすらに考えてもツラいだけのことが多いから注意ね。

 俺の”飼ってる問題”は、みんな可愛い子ばかりです。中には10年以上の問題もいます。ほんと、愛くるしいですよ。

④問題を壊す
 手懐けられなかった問題は、、壊すしかありません(いきなりバイオレンス笑)。
 捨て犬ならぬ、捨て問題にしてはいけません。それはでやったのですから、ペットを飼ったら最後までちゃんと責任を持たないとね?

 「昇進がかかってるのに上司に嫌われてる!どうしよう!!」と思っていても、会社なんか辞めてしまえば、そんなことは問題でなくなります。壊すと、作用・反作用で必ず痛みを伴いますから、なるべく使いたくない手段ではありますが、それで悩んでおかしくなったり、死ぬよりはマシ。あとは、会社を辞めた後の自分に任せましょう。
 いきなり壊さなくても良いですが、時として、思い切って、問題そのものを破壊してしまう選択肢は持っておいてください。そうすると、対応が自然と見えてきたりします。

⑤誰かに話す
 誰かに話すよりも前に、会社辞めるのかよ?っというツッコミを受けそうですが笑、、まぁ確かにそうですね。は順番を入れ替えがちかもしれません。が無理だったら、を考えてみる、っていうのが正確かもね。

 誰かに話すという手段も、人によっては結構忘れがちで、大体のことは人類はすでに誰かしら解決していますので、相談してみるのは良い手段です。しかし、問題の仕分けおよび①-④を自らで思考していないと、人に話しても「仕方ないよねー」という共感だけで終わりがちです。まぁそれで気持ちが軽くなればそれでいいのですが、大抵夜には不安になってきてしまう。

 ちなみに、俺に話をすると、仕分けと①-④までの思考(それで済まなきゃまで)を代わりに俺がやってあげます。しかし、こういう人は稀です。
 相手に話すときには、順序立ててあげてね。間違っても、相談した相手に、「私の気持ちをわかってくれないわ!」とか自分勝手なことを言わないように(←なぜジェンダーが女になるw)。

⑥「なぜ?」や「とは何か?」を4回以上繰り返す
 誰かに話してもモヤモヤが晴れないならば、問題の根本から疑ってみましょう。
 「なぜブラック企業があるのか?」→「資本主義だから仕方ないんだ」→「そもそも資本主義とは何か?」→「どうして人はカネがないと生きていけないのか?」。まぁ、これくらいはパサパサっと思考してください。

 本当に注意ですが、悩みを仕分けていない状態でをやっても、思考が突散らかるだけです。ちゃんと分類したり、問題を愛でてあげようとしたりしたからこそ、定義や定理に戻る価値があるんです。ここまできて、初めて、深く深く掘るイメージで思考しましょう。

⑦別の同型なグループを探す
 完全に群論の発想ですが笑、①-⑥までやっても、まだ問題が不安材料として残ってしまったら、「悩み」そのものに戻ってください。
 で、悩みのなかの各問題の相関関係を洗い直して、これと同型な他の悩みを探してみましょう。自分の悩みじゃなくても構いません。誰か他の人の悩みでも良いでしょう。

 そうすると、新しい悩みのグループで、どのように問題を放って置けるのか、定量化できるのか、飼えるのか等が学べます。
 その学びは、解決できなかった悩みのグループにもそのまま適応できるはずです。これで大丈夫なはず。


 以上、①-⑦の問題対処手順を行うことでほぼ困ったことはありません。で、最も重要なのは、それらを楽しむってことです。
 どんなにヤバい状況でも「余裕かまして、楽しんでいる風に魅せる」というのは、とっても重要で、そうすれば楽しくなってきます。「武士は食わねど高楊枝」とは善く言ったもんですね。

 これで、ほぼあらゆる悩みは余裕なはずだ。っていうか、最初の仕分けで8割まで解決できるからな。
 それでも、どうしても解決できない悩みや問題があったら、俺が代わりに解決してやるから、相談メールしてこい!
相談メールの目標とルール
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ウェブ会議で気をつけるべきこと

2020-04-13 22:44:40 | Weblog
 昨今、WebExやスカイプ、Zoomなどを用いたウェブ会議システムが盛んに行われている。
 私自身も最近になって、遠隔で会議したりディスカッションすることが増えているが、実は非常に非効率的に感じている。

 そこで、思いつく限り改善点を述べてみようと思うので、ぜひ参考にしてもらいたい。

①顔を出せ
 在宅ワークになって、あまり自宅での顔を晒したくない気持ちはわからなくはないが(ヒゲ剃ってないし、コンタクトじゃないし等)、相手の表情がわかって喋ることは、会議全体の発言の質を高める。
 人は思っているよりも表情を読みながら喋っているもので、それが何もない状態で喋ってしまえば、失言率は高まるし、くだらない発言を黙認しがちにもなってしまう。ぜひ、顔を晒して会議をしよう。

②喋る人数を減らせ
 私は定期的に複数人でツイキャスをするが、きちんと喋ることができるのは実質4人くらいが限界だと思う。
 オンラインで会議をしている場合、何も喋っていない状態を長く作ることは、なぜか怖がってしまいがちになる。だから、「止まらない」ということをしなくちゃいけないのだが、同時に「声が被ってはいけない」。この2つを達成するためには、4人くらいが限界なので、予め会議で喋る権限がある人を決めておくと良いと思う。

③チャットを利用しろ
 喋る人数を減らしてしまうと、民意が反映されないことを危惧する人は多いだろう。そこで、チャット機能を有益に利用しよう。
 喋る権限を持った人が、チャットでのコメントを拾うようにして、あまりにも有意義な発言であったら、その人にその場で喋ってもらう、などのやり方をすると良いと思う。

④交通整理係を用意しろ(すべての意見に反応するな)
 喋る人数は4人以内にせよ、とで言ったが、そのうち1人は交通整理係にしましょう。主にチャットの意見を拾う係です。
 この交通整理係に要求されていることは結構大きいのですが、重要なのはチャットでのすべてのコメントを拾うわけではない「スルースキル」。大事なコメントだけを拾いながら、喋っている人の中でもくだらないことを言っているなと思ったら、ばさっと途中で切ってしまう思い切りの良さが求められます。

⑤スライドや見るものを準備しろ
 やたらめったら、だらだら喋ってしまう会議は、リアルでもイライラしますよね?
 きちんとスライドを用意したり、見るべきものを準備することは、時間の節約になります。限られた時間の中で有意義なコメントばかりにするためには、事前の準備がとても重要になることは、言うまでもないよね?

⑥時間を決めて守れ
 会議が終わる時間を決めて、それを守るためには、各々が「言葉を選ぶ」必要があります。「言葉を選ぶ」ということは、無難なことを言うことではなく、「思いついた順番で喋るな」ということです。いくつか言葉を思いついたなかで、一番クリティカルに伝わる表現を適材適所選びながら会話をすることで、会議時間は短くすることができますし、有意義にもなります。思いついた順で喋っていたら、いつまで経っても会議は終わりません。ましてや、それで責任の押し付け合いなどしていたら、会議はいつまでも終わらないでしょう。

 以上、6項目挙げてみました。
 確実に有益な会議になると思いますので、ぜひ試してみてください。

ウェブ会議で気をつけるべきこと6つ -2020.4.13.ツイキャスより-
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家に居ながらできる"有意義な暇つぶし"を6つ挙げてみました

2020-04-12 23:57:28 | Weblog
 新型コロナウィルスの影響が大きくなり、ついに緊急事態宣言が出された。
 どれほど長くこの状況が続くかはわからないが、4/12現在、2020/5/6まで「外出の自粛を要請」されている。一般企業でもテレワークや在宅勤務が少しずつ導入されており、俺自身も現在、会社に出社するのには上長の承認が必要な状態である。

 さて、そんな中で重要になってくるのは、時間の過ごし方。休日はなるべく外に出ないようにと促されており、都内の大型ショッピングモールや百貨店などは土日は営業を自粛している。在宅になったせいで、通勤に時間を使わなくてよくなったぶん、時間に余裕ができた人も多いことだろう。
 っというわけで、今日は、家に居ながらできる"有意義な暇つぶし"を考えてみようと思う。実際に俺がすでにやっていることもあるし、これから取り組もうかなと考えている事柄もあるので、参考になりましたら幸いです。

①歴史を学ぶ
 歴史というのは、いつの時代もどこの国でも、安定期と混乱期を繰り返しており、歴史の学習内容として広く知られている事柄というのは混乱期の出来事が多い。
 現在の状況は、明らかに混乱期がやってきていて(たぶん日本だと3.11あたりからだけど)、歴史を勉強しておいて、それを活かそうとすることは、今後きちんと対処を考える上で必須になってきます。

 「歴史を学ぶ」と書きましたが、目的は「歴史に学べ」という手段を取れるようになること。歴史学者じゃないのだから、自分が生きている時代と殆ど関わりがない史実に興味がないのは当然なのですが、歴史を学ぶことで目の前の決定においての正解率が上がるなら、お得でしょ?学べば学ぶほど、「人類って、ぱっと思いつくことは、すでにだいたいやってるんだなぁ」と思い知らされますし、どういう時にどういう決断をしたり、どのようなモチベーションでいるべきかを学ぶことができます。
 今こそ、歴史を学ぼうぜ。歴史とか中高生時代以来やっていない、という人は、ひとまず興味のありそうな部分を地図を観ながら重点的に調べてみることをオススメします。一つの地域の、一つの時代で、どのような動きがあったのかを確認するだけでも、何もやらないよりは遥かに良いですし、それで興味を持てれば、他のところもやれば良い。無難に興味深いのは太平洋戦争のあたりですが、現代史として地下鉄サリン事件などの流れを知ることも重要ですし、欧州旅行やスターウォーズが好きならオリエントやローマ史をやっても面白いと思います。

②哲学を学ぶ
 意思決定するにあたって、大きく寄与するのは、価値観です。この”価値観”というものを、どのようにロジカルに考えるか?という点において、「それってそもそもどうなの?」ということを考え尽くそうとする哲学の考え方は、非常に重要です。

 みんな「トロッコ問題」はよく知っているけれど、(YouTubeにずっとあるにも拘らず)サンデル教授の「JUSTICE」政治哲学の講義を全部観ている人は、ものすごく稀です(俺は日英と4周くらいはしていますがw)。この授業では政治思想として、功利主義、自由主義(リバタリアニズム)、美徳主義がでてきますが、これは”価値観”というものの根幹を上手く表しています。よく恋愛のシーンなどでも「価値観が合わない」と言いますが、そのような日常的な場合でもこの3つのどれに基づいているかを考えることは有益だと俺は思っています。最大多数の最大幸福を目指すのか、個人の自由の最大化を目指すのか、理想を追求し我々は”どうあるべきか”を考えるのか。今のこの緊急事態には、とっても必要な考え方なはずですよね?

 それ以外にも、エピクロス派の思想として「隠れて生きよ」というものがあったり、西田哲学の善の研究の「絶対矛盾的自己同一論」は、今知らないならば、知れば考え方を大きく広げてくれるでしょう。”夜のお店に自粛要請があるにも拘らず補償はしない”ということが問題になったりもしましたが、例えばハンナ・アーレントの「人間の条件」などを知っていれば、もう少し深い考察を自分ですることができると思います。
 今この時間が有り余っているタイミングで、難解な思想や哲学を学んでみることは、ものすごく有意義なことだと思いますよ。特に前提知識がなくても、きちんと書いてあるものをきちんと読めば、きちんと理解できるのが哲学の良いところですから。

③Twitterで知らない人にウザ絡みしまくる
 なんか一気に民度が下がった気がしますが笑、、だって、ここで「数学や物理を勉強する」とか当たり前のことを書いてもつまらないでしょ?笑笑
 誰でもできることとしては、これも結構面白いかもしれないなぁと思いました。
 
 ちょっとでも疑問に思ったことは、リプを投げてみる、引用リツイートをしてみる。ただし、同じ人にツッコミを入れ続けない、というルールは課してください。
 そうすれば、少なく見積もっても10人に1人くらいからは返信があり、それを50回もやれば、誰かと仲良くなることもあるかもしれません。それって、ちょっと面白いでしょ?何か新しいムーブメントが欲しいなら、必ず自分から行動しよう。どんなめんどくさがりさんでも、指ちょっと動かすだけなんだから、簡単でしょ?

④筋トレをする
 「努力する→見た目に結果がでる」という事柄のなかで、筋トレほどわかりやすいものもないかもしれません。ほんの少しだけ(腹筋を20回するとか)でも良いから、暇な今に始めてみよう。
 散歩したりジョギングするのも良いですが、自粛なのであまり外を動き回るわけにはいきません。でも、健康を維持するためには適度な運動が必要です。そんなことを考慮すると、筋トレをすることはとっても理にかなっていると思います。

⑤なんとなく連絡をとってなかった友達に連絡をとる
 人生はあっという間に終わってしまうわりに、それを自覚している人は殆どいません。「いつか連絡したいなぁ」と思っていたら死んでしまった、なんてことがあるかもしれないわけですから、ぜひ積極的に何かのきっかけで関係性が崩れてしまった人に連絡してみましょう。それで連絡が返ってこなくても、どーでもいいじゃないですか。だって、もうすぐ死ぬんですから。

 しかも、連絡する大義名分も多いにあります。「コロナだけど、どう?」たったこれだけで、おーけー。
 ものすごい喧嘩で齟齬が生じてしまっていても、このように来たら、それなりに返信をする人はいるかと思います。(もともとちゃんと友達ならね。恋愛関係でやっちゃダメだし、過去に何かを勧誘したとかならダメよ、念のため)

 どーせ連絡をとっていなかったんだし、連絡をとって損することはないはずですから、ムーブメントを求めていこうぜ。両親や親戚関係でも、このタイミングは絶好かもしれませんね。

⑥好きなことについて書いたブログをとことん読んでみて、まとめる
 上のでどれもピンとこなかった人へ、ですが、何か大好きなことについてGoogleで検索しまくって(検索ページ10までは全部見てみましょう)、一般の人のブログを読みまくってみましょう。そうすれば、自分でも気がつかなかった視点や考察に出会って、考え方や発想がガラっと変わることがあるかもしれません。
 そして、感銘を受けたものを、自分のTwitterやブログ(なるべくならブログが良い)で紹介すると良いと思います。文章を書くと、自分の考え方がクリアになったり、より深いものになったりしますので、超おすすめですよ。


 っというわけで、6つほど挙げてみましたが、いかがでしょうか。

 何をするんでも重要なのは、自分自身がきちんと心から笑えることです。「笑う門には福来たる」とは善く言ったもんで、こんな状況でも無理矢理に楽しめる人が、いろんな意味で生き残れます。そして、そのような状態になって、初めて、他者に何か有意義な事柄を提供できるんじゃないかと俺は思っています。
 緊急時、俺はこれを読んでくれている人には、助けられる人になるのではなく、助ける人になって欲しい。「衣食足りて礼節を知る」も善く言ったもんで、そのためにも、まずは、あなた自身がきちんと笑えることが重要ですから、とりあえず生活ができていて暇な人の参考になれば幸いです。世の中には、これを読む余裕がないほどに生活に余裕がなくなってしまっている人だって沢山いるのですから、ね。
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貴方の能力に頼って良いのかしら

2020-04-05 04:35:22 | Weblog
 気持ちを掌握するには、論理よりも直観を用いることが圧倒的に有益となる。

 そもそも論理とは、他者に説明する際に機能し、事実から解釈までの間に客観性を齎すことができる道具。一方で直観は、パターニングから正解を知り、事象の本質を素早く抽出するための道具。
 どちらが掌握に適しているかは、言うまでもないだろう。”直”ぐに”観”ることが可能な直観こそが、構成要素が多く、かつ時間変動をし続けてしまう”気持ち”の根幹を端的に抽出することができる。

 では、論理は気持ちに対して何の効力も発揮しないかというと、そんなことはない。抽出された根幹の気持ちを軸に、どのような彩りが観られるかを判断するためには、論理を使わざるを得ない。その多様的な構成要素こそが個性であり、他者との差異が考察の対象となるために客観性が付加される。実は根幹なんて、ありふれているがゆえ、それだけでは退屈なことが多いのだ。
 つまり、気持ちは時間が経つほどに変わってしまうものなので、まず直観でその根幹を抽出し、それをベースに論理で多様的な側面や細部を考察することが、最も精緻に素早く気持ちを掌握することができるといえよう。

 順番として直観が先で論理が後になるために、直観よりも論理を得意とする資質を生まれながらに持った人にとっては、自分の気持ちが上手く抽出できないことが多い。直観タイプの人にとっては、「自分の気持ちなんだから、そのままわかるに決まっているだろ!」と思うかもしれないが、ヒトって実は、自分の気持ちすらも、いちいち直観で抽出しているからこそ、認識できるものなのだ。これを、小さい頃から自然とやっている直観タイプの人間は、習慣が染み付いてしまっているために、その動作原理をすっかり忘れがちだ。
 直観タイプの人も、自分の気持ちの根幹は抽出できても、それが他者とどのように差異があり、ありふれた気持ちとどの程度の乖離が存在しているかまで考察できている人は非常に少ない。その細部すらも直観で掌握することも可能ではあるが、いくら生まれながらに直観が冴えていたとしても、その訓練をするよりは、論理を身に付けた方が早いだろう。
 同様に、精緻な論理展開を回転を極限まで早めれば、時間変動し変数が多いために複雑な”気持ち”を、直観で抽出するのと同様に行うこともできる。これも、論理タイプの人が極限まで論理を磨き上げるよりも、直観を身に付けてしまう方が早いだろうと思うが。

 直観は一方向から素早く一本釣りするイメージで、論理は多角的にゆっくりと漁網で一網打尽にするイメージだ。
 沢山一本釣りしまくったり、狙いを定めて超素早く網を貼れば、両者は同じ。だから、直観も論理も、より一般化して定義してしまえば、究極的には同じものである。その一般化された認識能力が、このユーグリッド幾何空間では上手に我々の頭では認知できないので、直観と論理に還元されているだけである。

 特に論理が得意な人にって、気持ちの掌握は、きっかけが掴みにくいぶん、難儀であろう。
 自分の気持ちすら分からず、相手の行動原理を抽出することが苦手な論理タイプの人は、生きることに疲れがちになる。時として、”この世の中に向いてない”に行き着くこともあるだろう。

 しかしながら、そもそも気持ちを掌握することに、そこまで大きな意味があるのだろうか?
 みんな軽々しく「他人(ひと)の気持ちがわかっていない!」などと宣うが、直観と論理を駆使し、きちんと気持ちを掌握できる人なんて、ものすごく稀だし、気持ちをわかっていなかったとしても、他者に優しくすることは可能だ。気持ちを認識することと、他者や系に「より善く」と願いそれを(正確に自分自身で認識せずとも)きちんと実行することは、まったくの独立と言っても良いだろう。

 確かに、気持ちを掌握することは面白みを与えるだろう。掌握された気持ちの解釈は、「より善く」するべしことを、正確に認識することができ、他者に説明することが可能となるだろう。
 だが、それは、あくまで娯楽であり、任意の人生へのマクロからの重要な要請とは限らない。

 だから、”生きづらい”と諦めないでほしい。能力なんて、常にトリビアル。この空間ではね。
 だからね、貴女は遠慮せず、俺のつまらない能力を、いつでも頼って欲しいと心から思っている。
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