たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Time and Information are Money

2018-12-28 00:19:00 | Weblog
先日、Amazonの「ほしい物リスト」を公開したら、なんとフォロワーの方から本を頂きました。お二方から、それぞれ二冊です。もともとインターネット上で知り合った方ですが、こんなこともあるのか、と思いました。改めて、Tsujimotoさん、Makotoさん、有り難う御座いました。

 非常にありがたい。15年以上ネットで発信していて、「はじめて経済が発生した!」という感動があったわけですが、なんていうか、どこかの組織に従属し続けなくても、お金を介在させない経済力は得られるのではないか、と思ったりしました。

 "Time is Money"とは昔から言われるわけですが、現在はそれに加えて情報もセットです。つまり、お金、時間、情報は、それぞれ等価交換が可能なんじゃないかと。

 世の会社勤めのサラリーマンというのは、時間を売ってお金にしていると考えられていますが、実は情報も売っているのです。正確に言えば、時間と、情報を得られるチャンスを捨てて、お金を得ている。
 組織に所属するということは、そういうことなわけです。だって、その狭い世界の中で生きていけちゃいますから。このあたりが、現代の若者は、漠然とアグリーできていないんじゃないかと思うのですよね。

 つまり、「お金、時間、情報」の3つを稼がないといけないのに、なぜおじさんたちは、必死になってお金だけ稼ごうとするの?、という疑問が自然に抱くのかなぁと。

 私は現在Twitterのフォロワーが1000人ちょっと。Twitterやっていない人もいますし、私のことをあえてフォローせずに陰で話題にしている人(つまりアンチの人)などもいますので、もう少しは知名度があると思いますが、それだけ情報を稼いで、やっと物品が2個届くレベル。
 でも、こっちのほうが、自分の実力で稼いでる感じがするし、時代が進めば進むほど、もっと簡単に情報経済も展開していくと見込んでいます。

 なので、目先のカネに目がくらんで残業なんかするよりは、好きなことやって、それを発信してファンを作って、面白いって思ってもらって、ちょっとでいいから、自分で稼いでみようぜー!
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「おかしい人」なんていない

2018-12-12 19:00:00 | Weblog
 Twitterを見てると、ちょっとした発言で、「こいつはおかしい」とか「変なヤツだ」とかの認定が日々行われている。

 気持ちはわからんではないのだが、ちょっと待ってほしい。冷静に考えて、世の中にそんなに「おかしい人」はいないんじゃないか?
 「おかしい人」ではなく、いつもは極普通の人なのに、ある発動条件によって「おかしい状態」になっているだけ、ってことはないの?!と思うのだ。

 今日は、その「おかしい状態」の発動条件を探ってみたい。

 まずは時間に着目しよう。
 中二病、季節の変わり目さん、深夜ノリ。これらの方々は、非常にわかりやすく「おかしい状態」になってますよね。一定時期、一定期間、一定時間に、おかしくなる人たちです。時間限定であれば、「おかしい状態」は、ほとんどの人が経験あるのではないでしょうか。
 中二のときは「なんでもできる!」ってなるだろうし、季節の変わり目は個人的にはよくわかんないけど(笑)、春先と秋先は電車とかにいるやん?で、深夜に友達と電話したり、ずっとYouTubeみたりしてると、「世界は俺のモノ」的に思ってきちゃったりして、ちょっとおかしくなってきたりするやん?朝起きるとバカバカしくなったりしてさ。

 こういうことは多かれ少なかれ、誰にでもあるんじゃないかと思うわけです。
 そもそも人は、どこかしらに「おかしい状態」を保持してしまっていて、それがどのように発現されるか?だけだと思うのですよ。

 では次に、場所に着目してみよう。
 アイドルのコンサート、ディズニーランド、スポーツ観戦。大してファンでもないのに、誰かの付き合いでこういう場所に行ったとき、熱狂的なファンを見つけると、高確率で「おかしい人いたわ。。」ってなるでしょう。
 でも、上記したような場所であれば、ある程度は許容しますよね?だったら、冷静に考えてほしいんです。職場やTwitter、研究室やゼミの場においてのみ、「おかしい状態」が発動されてしまう人も、一定数いる可能性を。

 ちなみに、私も、ブログやTwitterで自分で書き終わったものを見たときに、「これは、自分ではない何かに"書かされた"な」って本気で思うことがあります。こういうときは「おかしい状態」になってる可能性が極めて高い。
 ネットで先に私のことを知ってて、リアルで初めて会った人に高確率で言われるのが、「たかはしさんって意外と普通ですね」です。まったく、良いんだか悪いんだか、わかりませんが。。(YouTubeで音声あげはじめてからは、こう言われることは少なくなりました)

 さて、そういうわけで、ここで終わってもいいのですが、論理の基本に準じると、一つだけ変数が足りていません。
 「時間(t)」「場所(x, y, z)」ときたら、「数(N)」の要素を考えないわけにはいかないでしょう。

 「数」でおかしくなるとはどういうことか。
 例えば、Twitterでリツイートされまくると、平常心を保つことは難しくなると思います。私も、はじめて100件以上リツイートされたときには、かなりテンションが上がった覚えがありますし、はじめて1000件以上リツイートされたときには、テンション上がりすぎて友達にかなり長電話してしまいました。フォロワー数に関しても、多くなればなるほど、自分自身を保つのが難しくなるでしょうし(私は1000人程度ですが、それでもTwitter上での「たかはしけい」に持っていかれそうになることがあります)、「おかしい状態」になることも多いでしょう。

 Twitterだけでなくとも、「時間」「場所」でおかしくなっている状態の自分に対して、誰かから沢山の「数」批判を浴びたりしたら、めちゃくちゃおかしくなると思います。

 だから、大人なら、便乗して他人を煽るのはやめましょうね。このせいで、誰か(特に重度の中二病患者である若い子)がおかしくなったのだとしたら、便乗して煽った人にも責任はあるんじゃないかと思うわけです。
 もちろん、ネットの場合であれば、その程度煽られておかしくなるくらいの防御力で、書き込んではいけないわけです。でもさ、、いつの間にか得てしまった攻撃性を、自分自身への防御力へと簡単に転換できる人も少ないので、自分のことを大人だと思うのなら、ある程度、温かく見守ってあげてもいいんじゃないでしょうか。
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人は原理的に老害になってしまう?

2018-12-08 19:00:00 | Weblog
 今年もあと僅かですが、なかなかに話題が多かった一年だったなぁと思います。
 特に「勘違いしたおっさん」による話題が目立ってたんじゃないかと。

 アルマーニ制服騒動、財務省の文書改ざん、山口メンバー逮捕、日大アメフトタックル、そして、今また話題になっている、東京医科大学の裏口入学・得点操作問題。

 どれも、当たり前にヤバい炎上案件になるのは外部から考えれば明らかなのに、どうして平気で、そのような行動ができてしまうのか、というものばかりだ。

 こう並べてみると、やはり、人は原理的に老害にならざるをえないのではないか、と思ってしまう。

 年齢を重ねれば重ねるほど、立場を高めれば高めるほど、自分の権威目当てのYESマンばかりが周囲に集まりがちになってしまう。どんなに「それでも俺に意見をちゃんと言ってくるヤツ」を求めたとしても、その前段階で別の誰かによってはじかれてしまっていたり、「とはいえ、最低限の礼儀は重んじる」などと条件を狭めてしまっていたりする。
 そうすると、自分が何を言っても周囲は反対しない状況が長くなってしまうのだ。徐々に、「俺はエラいんだから、これくらいは許される」という判断基準が甘くなる。本当は相手がものすごく怒っているのに、表面上はニコニコ「いつもありがとうございます」などと言ってきたりするからだ。

 ノーヒントの状態が長年にわたって続き、突然ネットで拡散される。
 これが、「勘違いしたおじさん」の気持ちなのではないかと思うのだ。
 
 俺はまだ31歳だが、それでも20代前半の頃に比べると、周囲からの全否定の発生率が低くなっている。このままいけば、自分も老害になってしまう、もしくはすでに老害なのではないだろうか、と不安になる。
 忘れないでいられるのだろうか。人は原理的に老害にならざるをえない、という可能性を。

 そして、同じおじさんでも、スーパーボランティアの尾畠春夫さんのような方がいることも忘れてはいけない。
 今年8月、山口県周防大島町で行方不明だった2歳男児を救出して話題になった。この人、調べてみるとなかなかにすごい人なのに、社会的な評価は、上で評価されてたようなおじさんたちに比べて、低い。

 あんまりにも承認を得られすぎても勘違いしやすくなってしまう。
 どのようにすれば、勘違いしてないおじさんになれるのか、よくよく考えていかないといけないと思う。

 あわせて読もう
 →新しいこと勉強し始めるのは25歳までが限界
 
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「日本は時間に厳しい」は大嘘

2018-12-06 19:00:00 | Weblog
 昨年1年間は米国ミネソタ大学に研究員で留学していた。東京に帰ってきて、はや8ヶ月になる。
 たった1年間のアメリカ留学、帰ってきてからもう8ヶ月も経っているのに、そんな俺でも、生意気にも東京に違和感を抱くことがある。

 それは、時間の厳しさ。

 なんかね、たまにアメリカにいるときの自分が帰ってきて、品川駅とかでスーツ姿で走ってるおっさんとか見ると、ちょっと笑っちゃうんだよね。自分も走ってるくせにさ(笑)。
 ミネソタでは、何かが始まる時間に合わせるために走る、なんて殆ど無かったなぁと思う。

 いつだったか、ミネソタのラボで、友達と話してたんだけど、、

 『いやー、電車が10分も遅れててさ。凍え死ぬかと思ったよ』(←その日-20℃)
 「HAHAHA! Keiは寒さに弱いねー」
 『10分も遅れたくせに、何のアナウンスもないんだよ?』
 「ヘイ、Kei、ここは日本じゃないんだよ?そんなことで謝ったりするのは日本だけさ」

 なんてことがあったりして(遠い目)、それほどミネソタは時間がゆっくり流れていたなぁと思う。

 でも、だからといって、日本、特に東京が「時間に厳しい」わけではないように思う。だって、ゼミとか会議とか、平気で延ばすじゃん。日本人って、(特に自分が上司で部下に)時間泥棒することに対して、何の罪悪感も抱かなかったりするじゃん?若い子はまた違うけどさ。
 ミネソタにいるとき、ゼミが延びたり、セミナーが時間以上に行われることは一切なかった。始まりの時間は割とテキトーで終わりの時間は厳しいのがミネソタで、始まりの時間が厳しくて終わりの時間がテキトーなのが日本なイメージがあるんだよね。

 アメリカは個人主義(Individualism)が多くて、日本は集団主義(Collectivism)が多いってのは、この辺にもあるのかなぁと思う。アメリカでできた友達とか、みんなで飲んでて、帰るときには何の前触れもなく、突然自分のタイミングで帰るからね。あれは見習わないとあかんよ。ひきこもりの俺としては。

 グローバルになりてーなら、英語なんてできなくていいから、まずはあらゆる類の飲み会を、自分のタイミングで帰れるようになるところから始めてみてはどうかね?
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「基礎研究」って言うな!

2018-12-04 19:00:00 | 自然科学の研究
 あらゆる理系の研究領域が存在している現代において、「そのなかで成り立つ研究」というものが、あまりにも乱立されてしまった。
 それってさ、ぶっちゃけ「内輪だから成り立ってるだけでしょ?」ってことであっても、「でも沢山引用されてるんで!」とディフェンスできるようになってしまったのだ。

 まぁ、そういうことって、ほかでも沢山あるよね。バンドとかでも、友達に無理にチケット売らなかったらいけない状況で、友達脅してでも集客したほうが偉い、みたいなさ。いやいや、友達売ってまで伝えたい音楽って、なんなん?って思っても、それで評価されちゃったりすることあるわけですよ。
 研究も全く同じで、本当はこういうことがやりたい、って気持ちで大学院に残ったはずなのに、「でも、この分野では、こういうやり方は受け入れられないから、慣習通りにやろう」とか先生から言われたりするわけで、「やりたいことをやりたい方法でやる」ことが重要なはずなのに、そういう気持ちを売ってまで、「やりたくないことを、やりたくない方法でやって、とにかく論文にする」ってことを、みーんなやってたりするわけです。

 誰かが「そんなん、やーめた。学問上、本質的に必要なことだけを好きにやります」って言えば良いわけですが、それを言った瞬間に「はい、じゃー、アカデミアから出て行ってください。明日から居場所は世界中のどこにもありません。この分野で生きていきたいくせに、そんな生意気なこと言うヤツはいりません」みたいな扱いを受けるわけです(実体験w)。

 なので、アカデミック界隈にいる平均的なヤツが、たまーに、俺みたいな変なヤツから、『それって、そもそもどういうモチベーションでやってるんですか?』とか訊かれると、本人も価値を感じてないから「基礎研究としてー」とか言い出すわけですよ。だいたいね、学会でもなんでも、みんな方法論はよく質問するけど、モチベーションとか意義とか、ほとんど質問しないからね。「何の役に立つんですか?」とかドヤ顔でいうバカな文系がその典型で、それって意義を訊いてるんじゃなくて、ただ(どこに応用できるかの)方法論を訊いてるだけでしょ。
 その分野のヤツ全員「それをやる意義がわかってねー」ってことあるわけよ。で、そういうところに、何千万円とか税金使ってたりしてさ、、ヤバいじゃん。だから、必要な研究にだけ投資する、みたいなことを考えるわけじゃん?でも、フーリエ変換すらできないくらい、理系的実力が何もないヤツらが、「俺らは"需要"は把握してるー」とか勘違いして、カネ出すかどうか決めてたりするので、超必要で重要な研究から駆逐されていっちゃってるわけです。

 そんなわけで、最近本当によく思うわけ。意義ねーことをやる大義名分として、やたらめったら気軽に「基礎研究」って言うんじゃねーぞ、って。せめて、本人が、自分自身の職の安定や学位取得以外の、(研究内容における)本質的な価値を感じてろよ、と。
 そのせいで、本当の基礎系の分野が、ものすごく苦労している。「無駄なことしてる」って自覚してるんなら、「本当はあんまり意味ないんですけど、慣習として…」ってせめて言えよと。そうすれば、納得してくれる人もそれなりにいるはずだし、たとえ反発されて怒られても、意味ねーことに血税使ってるお前が悪いやん、って思わん?

 あとさ、これはバイオ系に言いたいんだけど、、お前らバイオに基礎系の分野とか、ねーから。バイオの基礎ってなに?具体的に言ってみろよ。ただの切手集めと同じ枚挙主義だろーが。バイオで"基礎研究"とか言ってるヤツは、オタクとかコレクターと何も変わらん。
 純粋数学は基礎だけなので言わずもがなですし、物理は、どの分野でもニュートン力学から脈々と続く一つの論理体系に帰着されていくという"基礎"がある。化学だって、新しい反応機構の発見はこれまでの基礎に組み込まれるわけで、分子マスターになるためには必要だったりするわけですよ。で、バイオはあるの?ないだろ?「これはこれ、それはそれ」みたいなのは、基礎とは言わねーんだよ。

 バイオで基礎やりたいなら、「生命とは何か」やらなあかんわけで、だったら、その根幹となる物理勉強してんだよな?って思うわけですよ。だから、生物学科上がりで「バイオの基礎研究してまーす」なんてのは、99.9%、その場凌ぎのイイワケ言ってるだけですから。

 つーわけで、「基礎研究」って禁句です。
 俺の前で言うときは、覚悟を持って言ってね。
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新しいこと勉強し始めるのは25歳までが限界

2018-12-02 19:00:00 | Weblog
 ネットでも現実でも、やたらめったら「〇〇を勉強したいと思っている」と言う人は多い。
 こんな俺でも、「熱力学を勉強したい」とか「今から物理を勉強したい」とか、最近では「英語が少しでも喋れるようになりたい」とか言ってきてくれることもあって、それなりにメソッドを教えてあげるけど、だいたい中途半端に終わってるヤツがほとんど。

 しばらくして『勉強の具合はどう?』と訊くと、「いやー、最近忙しくてさ」とか「あー、最近全然やってないです」と言われるのが90%。
 でもね、20代前半までの若いヤツ(特に学生)って、まだ続いてる人が多いのよね。大人ほどやらない。ぶっちゃけ、新しいこと勉強し始めるのって、30歳超えたら絶望的に手遅れだと思うし、25歳以降でもかなり無理だと思うんだよね。

 まずね、年齢を重ねるほど、「なんで、それをやらなきゃいけないの?」ってすぐ理由を聴いてくるんだよね。
 特に年上の人とかだと『うっせーばかやろー、いいから、やれ!』とか言えんやん?だから、ちゃんと理由説明するじゃん?で、そのわりに、ちゃんとやってなかったりするやん?だから、教えてあげるコスパが悪すぎて、教えてあげる側も手を抜き始めちゃうんだよね、たいてい。この負のループで、年齢を重ねるほど新しいこと始めるのって、マジで難しくなってくるわけよ。
 若いヤツって、経験も実績も何もないことが多いでしょ。この点、マジ能力。経験者や実績のある人や能力者の話をちゃんと訊いて、その通りに実行する。これ、ものすごい能力よ。バカなおじさんほど、すぐ質問するからね。すぐ何かコメントしたがって、「他人とは違うんだぜ?俺は」感出そうとするじゃん?ほんと、害悪だから。せっかく新しいことやろうとしてるお前応援してやってるのに、ただの時間泥棒だから。

 なので、25歳超えたら、現状を維持しながら、新しくやりたいことやり始めるのって、絶対無理だと思う。
 だから、現状維持すんのやめろ!

 具体的に教えたる。無職になるか、逮捕されるかしろ。
 「熱力学を理解できずに死ぬなら、逮捕されるくらい構わない」くらい思わなかったら、無理だよ。

 現代社会って、誘惑が多すぎるわけです。スマホでYouTube見よ~とかすぐできちゃうわけ。それでも「圏論理解したい!」とか思い続けなきゃいけないわけ。だから、牢獄に入りなさいってことなのよ。
 実際、学校は牢獄です。牢獄で、必要に駆られるからこそ、理解できるようになる。「これを明日の13時の試験開始までに理解しなかったら、マジで留年が確定するかもしれない」とかの状況にならない限り、一部の変態的な学問好きを除いて、量子論とか理解できるようにはならないわけよ。特に物理は、「日ごろのコツコツ」と「直前の一気」の2つがないと、このページを読んでるようなフツーの人では、理解するのは無理だと思います。
 英語だって、25歳超えてたらさ、「英語でちゃんと交渉ができなければ、全財産取られるかもしれん!」って状況にすらなってないのに、英語が喋れるようになるわけがないわけです。

 というわけで、新しいことを勉強したい25歳以上の社会人に告ぐ。
 「まず辞表を書け!」「そのクソみたいな研究室やめろ!」

 もちろん、ホントにやめても、俺は一切知りませんが(笑) 

 まぁ、その程度の覚悟もないなら、「これ勉強したかったんだよねー。でも仕事あるしー。いま必要なわけでもないし。勉強だけが人生じゃないし」とか一生言い訳しながら、何も理解できずに死んだら良いと思うよ。
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