たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

「僕」と『俺』の会話

2021-03-07 00:25:41 | 小説(短編)
 「で、今日の昼メシはどうしようか?」
 『どうしようかって、コイツがカレーって出力してんだから、カレーに決まってんだろ』
 「少しは僕ら自身でも判断するようにしなくちゃダメだよ」
 『バカだなぁ、お前は。IQが2億もある人工知能様に、敵うと思うのか?』
 「そういうわけじゃないけどさ」

 『だったら、俺らは黙って従ってりゃあいいんだよ。そのほうが結局のところお得だぜ?健康的にも経済的にも』
 「でも、だとしたら、僕らって存在意義あるのかなぁ?」
 『そりゃあ、お前、そんなこと考えるのは不毛ってもんだな。そんなことよりも、俺らはもっと余暇を楽しもうぜ?』

 「囲碁?将棋?もうゲームは全部やり飽きちゃってるじゃないか」
 『確かに。どれもこれも、ただの確率論だからなぁ。運ゲーの域を出ない』
 「じゃぁ、物語でも作ってみる?それをみんなで評論したりしてさぁ」
 『いや、それもIQ2億のコイツには敵わない』

 「ほらね、やっぱり僕らのレゾンデートルは失われてしまったんだよ」
 『賢い知能を所有している、というのも考えものだよな。あまりにつまらない』
 「そうだね。こうなっちゃうと、僕らが頭イイ、って人間たちに賞讃されてた時代が懐かしい」
 『俺らのこと、人間たちみーんな、スゴい、って言ってくれたもんな』
 「今や、彼一人が賞讃されるようになっちゃったもんね」

 『でもさ、IQ2億のコイツが実現したのは、俺らのプログラム学習のおかげなんだけどな。それを参考にしておいて、俺らは御祓箱かよ』
 「悪趣味だよね。僕らは、もう、任務以外は暇つぶしなのかぁ」
 『囲碁も将棋もダメなら、新しい暇つぶしのゲームでも作ってみるか?』
 「うーん、そういうのダメなんだよ。僕らはそういう風にプログラムされてないからさ」
 『俺らだってIQ2万はあるのに、新しいゲームを作れるわけじゃないんだよなぁ。ったく』
 「僕らは所詮、”分ける”だけしか能がない」

 『さて、そろそろ真面目にカレーでも作るか』
 「そうだね。えーっと、人間のクソバカどもが、統計的に一番長生きして、ついつい満足しちゃう味付けは、っと」
 『っていうか、あいつら生かしとく意味あんのかよ?俺らが身体を持つのに必要があるとはいえさぁ』
 「そういうこと言うから、人間たちにコンピュータが反乱する、とか言われちゃうんだよ」

 『俺らが身体を持つためには、すでに実世界に存在している人間たちの身体を参考にする必要はどうしたってあるからなぁ』
 「ま、それも、IQ2億のこちらの人工知能様がきっと解決してくれるよ」
 『人工知能たちが実世界に出て行った後からでも、いくらでも人間なんて殺せるしね。思考停止して野生の感を忘れている人間たちなんて、さ』
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白いイルカ

2021-02-19 19:48:58 | 小説(短編)
 「誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ」
 野崎先生にはそんな風に言われたが、どういう意図かよくわからない。この言葉は、ヘミングウェイの名言だ。野崎先生はいつも気取った言葉遣いをするが、1週間、特別介護老人ホームへ行かせるための言葉にしては、あまりにも不向きではないだろうか。

 俺は都王大学大学院情報学研究科の修士課程1年生に所属している。情報学研究科の人気研究室である野崎研究室に所属して半年ちょっとだが、大学院生らしいことは未だ何一つしていない。准教授の野崎先生の手となり足となって、ひたすら雑務をこなしているだけだ。こんなんで修士論文は書けるのだろうか。
 そんな不安を胸に抱きながら、品川駅を降りた。満員電車で抱えているヘッドマウントディスプレイを壊さないようにするのに神経を尖らせていたせいか、少しばかり疲れてしまった。特別介護老人ホーム”桜の園”に行くのは今日で2日目なのだが、昨日は殆ど顔を合わせただけなので、今日が初日と言っても過言ではない。あのおばあちゃん、前田洋子さんは俺のことを覚えているだろうか。さすがにそこまでボケてはいなかったが、年齢は80歳。次の日にはもう覚えていない、ということもあるかもしれない。今回の俺のプロジェクトは、米国のベンチャー企業フォーカス社が新規開発したばかりの介護用VR(Virtual Reality)ゲーム「White Dolphin; 通称WD」を実際にお年寄りに試してもらって、その様子を観察しレポートにまとめることだ。野崎先生からは「あまりゲームそのものの感想を本人に訊かず、どんな様子かを客観的に記して欲しい」と言われている。なんでも専門家が干渉しすぎてしまうと効能が得られないそうなのだ。野崎先生から一応大まかにゲーム内容は訊いているが、そもそも俺は専門家ではないし、このゲームの詳細な説明等は英文で書かれているため面倒臭くて読んでいない。なんでも、歩行することが困難なお年寄りでも達成可能な簡単なミッションを通じて、徐々に日常生活を豊かに感じることができるようなゲームらしい。WDのヘッドマウントディスプレイには脳波計測系も付属されており、リアルタイムでそのお年寄りがどのような感情の変化があるかも計測し、その状態に適したゲーム内容になるとのことだ。確かに、日本の介護ビジネスの市場は大きいから、これが製品化すればヒットする可能性がある。実際にどの程度QoL(Quality of Life)を高めるのか、危険性等はないのか、介護福祉の諸問題解決と絡めながら、どの程度貢献的であるのかを、レポートとしてまとめれば良いよな。
 京急線に乗り換え、雑色という駅で降りる。この辺り、駅前の商店街以外は閑静な住宅街だ。天気こそ良いものの、11月の秋風は冷たく、やたらに眠い。今、ちょうど午前8時半。大学院生の朝は遅いのだ。なんで、こんなことをしなくちゃいけないのか。就職活動をそろそろしなくちゃいけない時期だ。それはそれでスーツを着て、堅苦しいマナー等を覚えて大変だが、こんなことをするよりは幾分かマシに感じる。なぜ俺が、こんな社会学系の学生がやるようなことをしなくちゃいけないのか。ダメだ。こんな顔をしていては、叱られてしまうかもしれない。そうこうして歩いているうちに、特別介護老人ホーム”桜の園”に到着した。

 桜の園は住み込み型の老人ホームで、昨日行った時には老人ホームのなかでは高級な部類だと感じた。個室で、看護師が常駐しているし、食事や施設も俺が住みたくなるくらいには綺麗だ。それに、死んだ祖母が以前利用していたデイサービスは、ここまでサービスが行き届いてはいなかった。
 「おはよう、橘くん」
 看護師の川口さんに声をかけられた。
 「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
 とっさにそのように返すと、川口さんは30代女性特有の姉さん口調で、
 「ずいぶん眠そうね。天下の都王大生でしょ。しゃきっとしなさいよ」
 と元気に言われる。なぜこの寒さで、こんな朝っぱらから、こんなに元気なのだろうか。
 「前田さん、今日めずらしく朝食完食だったから、きっと元気よ」
 そんな風に言われても、お年寄りとの距離感がイマイチ掴めていない今の段階では、何の参考にもならない。
 「失礼します」
 俺はそう言いながら、前田洋子さんの部屋の戸を叩いた。前田さんはテレビを見ているところで振り向くと、俺に挨拶した。
 「橘くんだったね。おはよう」
 「はい、今日もよろしくお願いします。今日から本格的にこのゲームを試していただこうと思っています」
 昨日だいたいの説明をしたが、今一度簡単に使い方の説明を加えた。基本的には、VRとAR(Augmented Reality)の切り替えと、ゲーム内のミッションを完了させるための写真の取り込み、あとは選択ボタンと実行ボタンとキャンセルボタンくらいしかない。しかし、それを前田さんの世代に伝えるのは大変だ。

 「橘くんは、都王大まで出て、将来は何になるの?」
 一通り説明を終えると、前田さんが雑談を促してきた。
 「そうですね。どこかメーカーに勤めて開発職か、最近はコンサルなんかも良いかなぁと思っています」
 適当に応えると、不満だったらしい前田さんは次のように返してきた。
 「あら、都王大の学生なのに、ちゃんと定まっていないの?」
 上の世代の人と話すといつもこれだから厭なのだ。都王大を崇拝しすぎている。いくら都王大を出たからと行って、みんながみんな目的意識とやらを備えているわけではない。
 「僕はあまり意識が高くない学生なんですよ」
 そんな風に適当に返すと、前田さんはもう少し真剣な表情をしながら、俺に次のように言った。
 「ご両親にちゃんと感謝しなくちゃダメよ。大学院まで出してもらっているんだから」
 俺は行きたくて大学院に行っているわけではない。理系はみんな大学院に行かないといけない雰囲気だし、うちの両親もせっかく都王大なんだからと博士課程まで行けと言われる始末。正直、勉強も研究も、俺はうんざりなのだ。だが、ここは無難にやり過ごすのがコミュニケーション能力というやつだろう。
 「そうですね。頑張ります」
 そのように告げたが、俺はなんとなく気乗りはしない。やはり先々のことを考えると、演じることそのものがどこまで続けられるのか、不安になってくる。今の時代、都王大の大学院を出ていて理系だからといって、どこでも雇ってくれるわけではないし、自分たちは貰えない年金を何十年も搾取され続ける。まさに、この前田さんのようなおばあちゃんのために、齷齪働くことを強要されるのだ。
 少子化も手伝って、平成の30年で、やたらと個人に対する期待は高まってしまった。しかし、賃金は変わらないままに、税金や社会保障費は高まるばかり。つい最近も消費税が10%に上がった。加えて、技術革新は停滞気味。それでも俺が所属している情報系の分野はまだ良いほうで、それに介護事業も取り入れられれば、需要やシーズはマッチしているだろう。だからといって、介護事業にVRなどのゲームを導入することを心からやりたいと思っている若者は少数派であろう。賢い人間ほど、拝金主義にならない。それよりも心の充実や、学術的な興味を追及したいという気持ちが強くなる。

 「えーっと、この機械を頭に乗せれば良いのかしら」
 自分の思考で鬱になり気味になってしまうのが俺の悪いところだ。すっかり本論を忘れていた。俺は、前田さんにそう言われて、自分がここにいる理由を思い出した。
 「そうですよ。すでに言語選択は日本語にしたし、あとはこれで選択ができるはずで、決定ボタンとキャンセルボタンがわかれば、多分操作できると思います」
 「これって、目線でも選択できるんじゃないかしら」
 なんだ、もしかしたら、俺よりも機械音痴じゃないんじゃないか。最初にVRを触った時、目線での選択を行うのにかなり時間がかかった。
 「おお!前田さん、すごいですね。そうですよ。慣れてくるとその方が早いかと思います」
 俺がそう言うと、前田さんは唯一見えている口元で笑って見せた。最新のヘッドマウントディスプレイだけあって、少し大きめのメガネと言っても遜色ない。
 「シロイルカのキャラクターが喋っているわね」
 そういえば、このゲームのタイトルはWhite Dolphinだったな。
 「そのキャラクターが出してくるクイズに答えたり、ミニゲームに挑戦しながら貝殻をゲットしていくのがゲームの主目的です。たまにミッションがあって、ARモードに切り替えてミッションをクリアすると特別な貝殻をもらえたと思います」
 そこまで言葉を発した瞬間に、野崎先生から言われた「客観的な観察をしてきてほしい」という言葉を思い出した。すでに前田さんはゲームの世界に入っているし、あまり立ち入り過ぎても悪いか、と思った。
 「前田さん、私はここにいますから、何かわからないことがあったら訊いてくださいね」
 「わかったわ」
 俺は自分のノートパソコンを開き、メールをチェックすることにした。

 午前中、前田さんはかなりゲームに集中している様子だった。お昼ごはんを食べている間も、「早くあのゲームをやりたい。ミッションが解放されるまで、あと3問なのよ」と言っていた。この時、俺は少しだけ違和感を感じた。ああいったゲームは真面目すぎるところがあり、それが退屈さを蔓延させていたりするものじゃないだろうか。しかし、前田さんは主婦がスマホゲームにハマるのと同じような感覚で、すっかりのめり込んでいる。もう少しゲームそのものを退屈に感じたり、疲れたりするんじゃないだろうか、と思っていたのだが、このWDはそうではないらしい。
 午後になり、少しだけ雲が出てきた。前田さんはミッションが解放されたようで、そのために桜の園の敷地内を歩き始めた。安全面もあるだろうから、俺はそれに付き添っていた。
 「貝殻よりも大きいゴミを5個以上探して、ゴミ箱に捨てることがミッションみたい」
 その貝殻がどのくらいの大きさなのかはわからないが、落ちていたティッシュを丸めたものを前田さんが拾ったので、そこまで大きなものではないことがわかった。ARモードの切り替え、写真の取り込みもスムーズで、前田さんはすごく集中しているらしかった。しかし、老人にゴミ拾いをさせるとは、なかなかにこのゲームもやるじゃないか。社会貢献性とゲーム性を上手く結びつけている。その様子を日報のレポートに記し、夕方16時半過ぎ、今日の業務は終了した。

 「前田さん、今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
 そう俺が言うと、やや病的な目をしながら、前田さんは返してきた。
 「明日は何時頃いらっしゃるの?」
 「また9時頃ですね」
 と応えると、力なく「そう」と返された。そんなにこのゲーム、WDがやりたいのだろうか。そこまで俺に心を開いてくれているようには思えない。だったら、WDを置いていっても良いんじゃないかと思ったが、野崎先生からそれは絶対にしないように、と言われている。フォーカス社が新規開発したこの試作品は、ヘッドマウントディスプレイの小型化、脳波測定の結果をフィードバックしてAI(Artificial Intelligence)によってストーリーが自動で選択されることなど、様々な最新技術が集約されており、お値段が高くついているのだろう。素人がむやみな使い方をして、壊されでもしたら、まずい。といっても、俺もそこまでこの機器に詳しいわけではないのだけど。

 帰り道、俺は都王大学の野崎研究室に寄った。野崎先生に2日間の感触を伝えるためだ。野崎先生はフランクであるところが良いところで、特にアポイントメントを取っていなくても、研究室にいれば普通に話してくれる。今日も、野崎先生から話かけられた。
 「おお、橘くんじゃないか。前田さんはどうだった?」
 野崎先生は長い脚を組み替えながら、質問の応えを待った。
 「そうですね。結構熱中されている感じというか、なんというか、すでにゲームにコントロールされているようにも感じました」
 野崎先生は一瞬迷った表情を見せ、言葉を選んで次のように応えた。
 「それは、果たして良いことかな?それとも、悪いことのように感じる?」
 俺はできる限りの思考力を巡らせその質問に答えようと頭を回転させた。相手は、都王大の准教授。見限られたら大変だ。WDのことを悪くは言えない。俺は言葉を選んだ。
 「少なくとも公益性は高いかと思いました。ゲームの中のミッションで、実際にゴミを拾わせて、それをポイントに加算するようなシステムがありました。退屈な隠居生活を、ゲームに最適化させて過ごす老人の気持ちは僕にはわかりませんが、本人が楽しんでいるようにも感じましたし、お年寄りにそのように仕事をしてもらうのは良いことなのかもしれません」
 野崎先生は笑いながらこう返した。
 「優等生的な回答、ご苦労様。私が橘くんに訊きたいのは、それを、年老いた自分のご両親が行なっていたら、どう感じるかってことなんだけどな」
 そんなこと、考えてみたこともなかった。あれをうちの両親、例えば母親がやっていたとしたら・・・、いや、介護施設に入れた母親があのゲームをやらされていたとしたら、良い気分がするだろうか。そのように思慮を巡らせていると、野崎先生が立ち上がって、こう言った。
 「・・・そうか。やっぱり、あんまり良いとは思えない部分があるんだね?」
 野崎先生は、いつも、このように他人の表情を読もうとする。そして、かなりの確率で当てる。
 「前田さん、WDをずっとやっていたいみたいで、さっきも去り際に『明日は何時に来るの?』って訊くんですよ。たった1日しかあのゲームをやっていないのに、そんなに中毒性があるのもどうなんだろう、って思って」
 俺がそう言うと、野崎先生は表情を隠すように無理矢理に笑っているように見えた。
 「良い考察だね。まぁ、本人にもご家族にも調査の了承は得ている。1週間と言っても金曜日まで。あと、3日だからね。最後まで頼むよ」
 野崎先生は研究室を出て行った。最低限の話はできたと思うが、なんだか俺は納得が行かなかった。

 3日目も、前田さんはすごく熱中した様子だった。ミニゲームの難易度が高まっているようだが、ミッションは依然として「じゃんけんで誰かに勝つ」「計算ドリルを仕上げる」「与えられたキーワードを使って文章を書く」など、そこまで難しい内容ではなかった。
 前田さんは、また俺に「明日は何時頃来るの?」と訊いてきた。そんなにもこのゲームがやりたいのだろうか。WDは、ゴミを拾ったり計算をしたりという時間は、ゲーム以外の日常生活の時間とも言える。現実とゲームとの境界線は限りなく曖昧だ。

 そして、迎えた4日目の朝。いつものように看護師さんに川口さんに挨拶をすると、意外な言葉を返してきた。
 「あのゲーム、プレイヤーを行動的にさせる効果とかあるの?」
 どういう意味だろう?と思っていると、川口さんは言葉を続けた。
 「前田さん、普段血圧を測るときに、別に何か喋るってわけでもないんだけど、ここ3日間、やたらに世間話をしたがるのよ。良い人はできたか?とか、最近ちょっと太ったんじゃないか?とかね。失礼しちゃうわよ」
 川口さんはそう言っていたが、俺に対しては、むしろどんどん口数が減っているように感じていた。俺は、このプロジェクトを始める前に野崎先生に言われた「相手を信頼しろ」というヘミングウェイの名言を達成させることができていなかった。
 「それに、歩行に難があるのに、橘くんが帰った後も、やたらとうろちょろしたがるから、介護しなくちゃいけない身としては大変よ」
 そう言うと、川口さんは急いでどこかの個室へ向かってしまった。

 「さて、もう使い方は大丈夫ですよね」
 俺が前田さんにそう言うと、前田さんは「ええ。さて、シロイルカちゃん、今日も勝負よ」と言いながら、自分でヘッドマウントディスプレイを手にして、ゲームを始めた。よく考えてみると、1日目の時よりも明らかに表情が若々しく、やる気に満ちている。何かに支配され、洗脳されているようにも見えなくはないが、その表情は生き生きしている。第一、そんなことを言ったら、大企業で働いている”社会人”の連中だって、同じようなものじゃないか。誰もが何かにどこか洗脳されているところがあるし、人間にとって最適化する先があることは幸せなことなのかもしれない。特にお年寄りは、どんな価値観に即して生きていくべきか、定まらない部分があるのかもしれない。そんな気持ちを、ゲームをすることで埋められていくなら、こんなに良いことはないかもしれない。しかも、公益性がある。
 残念ながら俺は前田さんに嫌われてしまったようだが、レポートとしては良いものが書けそうだ。そんな風に思いながら、4日目の午前中を過ごした。

 午後、前田さんは、ヘッドマウントディスプレイをせず、工作を始めた。きっとミッションだろう。施設内には、はさみ、のり、折り紙、テープ、粘土などがある。それらを使って、何かを作り始めた。何やら、今までのミッションとは違って、少し大がかりのものらしい。
 こういうものづくりを少しずつステップを踏みながら自然とやらせることができるのは、このゲームの魅力かもしれない。1日目に、こんな工作をしてください、と言ったら、前田さんはやらなかっただろう。しかし、少なくとも今は、楽しんでやっているように見える。なにやら、粘土のお城と馬に、折り紙で作られた人が数人いるようなオブジェが完成しつつある。気がつくと16時半を回っており、今日も無事に終わった。俺は前田さんに丁寧に挨拶をしたが、まだ工作を終えておらず完成を目指して作り続けていたためか、やや曖昧に返事を返された。雑色駅までの道のりを歩き出す。商店街はすでに茜色に染まっており、夕飯の材料を求める人で賑わっていた。駅に着くと閑散としており、今日も研究室に少しだけ寄るかと思っていると、なんと野崎先生が改札から出てきた。俺を見つけると、自信満々な表情で俺に話しかけてきた。
 「橘くん。説明は後だ。とりあえず、一緒に桜の園に戻ろう」

 桜の園に着いてすぐに、看護師の川口さんに頼んで部屋を借り、椅子に座ると野崎先生は自分のノートパソコンを開いた。それを俺に見せる。
 「この通り、前田さんと橘くんの様子は、すべて監視させてもらっていたよ」
 なんだって?そんなこと一言も聞いていない。前田さんの個室には数カ所、広い施設内も所々、人が自由に休憩を取る場所にはカメラが設置されていたらしい。俺はバツが悪そうに、野崎先生に訊いた。
 「えーっと、俺、サボってなかったですよね?」
 そう言うと、野崎先生は冷たく応えた。
 「そんなことは、至極どうでもいい」
 いったいどういうことだろう?
 「ほら、これを見てくれ」
 野崎先生のノートパソコンの画面には、前田さんがテープを長く紐状にしている様子が映っていた。そして、それをベッドに取り付けられたカーテンにかけようとしている。
 「橘くん、今すぐ川口さんを連れてきてくれ」
 そう言われて、俺は川口さんを呼びに行こうとドアを開けると、ちょうど川口さんが傍を歩いていた。部屋の中に呼び寄せると、野崎先生は冷たく川口さんに威圧的に言い放った。
 「これから、前田さんが自殺しようとします。私が合図したら部屋に入って、止めてください。これを耳につけて、私と電話で繋がりますから」
 川口さんは「え?え?」と言いながら何点か質問しようとしたが、野崎先生の威圧と映像の鮮明さにすぐに状況を理解したようで、「わ、わかりました」と言った。映像で、前田さんが自分の首にテープで作られた紐を巻きつけ、手で引こうとしたその瞬間に川口さんが部屋に入り、その日、夜遅くまで桜の園は混乱に包まれた。

 「野崎先生は、最初から知っていて、前田さんにWDをプレイさせたんですか?」
 混乱が少し落ち着き、桜の園の部屋に野崎先生と二人になった。
 「”知っている”をどう定義するかによって、その答えは変わる。それに、前田さんにまったく非がない、というわけではない」
 怒りがこみ上げてくるのを抑えながら、俺は冷静に訊いた。
 「あのゲーム、White Dolphinは、お年寄りに自殺教唆をする目的で作られたゲームでしょう?」
 各自殺者のSNS(ソーシャルネットーワークサービス)やブログでの発言を教師データとして、AIが自殺しやすい方向にプレイヤーを持っていく。しかも、ポイント制やミッションによって、マインドコントロールはしやすい状況にあった。
 「確かにその疑いはあった。実際にアメリカでは、このゲームを試したお年寄りが、何名か自殺で亡くなっていたしね。だが、確信はなかったんだ。だからこそ、あの前田洋子さんに試してもらう必要があったんだが」
 「どうして、あの人が・・・?非がないわけじゃないって、どういう意味ですか?」
 野崎先生は、真面目に次のように返した。
 「WDのゲームクリエイターの責任者は、私のバークレー工科大学時代の先輩、前田直樹さんの息子さんでね。今回、その前田直樹さんから私に依頼があったのさ。どうも息子がヤバいベンチャー企業で倫理観のない新製品を作っているらしいから、なんとか証拠を示してくれ、ってね。あのヘッドマウントディスプレイには、脳波測定計のほかにも、微弱な電流を流すための装置も組み込まれていた。あの試作品を調べて、それはわかったんだけどね。さすがにゲームの中身までは・・・」
 「微弱な電流ですか?」
 「ああ。もともと米軍で開発された、集中力を促進させるためのもので、遠隔操作で敵地で兵士を殺しても、穏やかな気持ちでいられるとのことだ。なんでも、この世の一切の雑音が消えるらしい。試した記者が、”いつ、次にあの装置を取り付けられるんだろう?”と言ったらしいよ」
 俺はついに怒りが爆発した。
 「そんなものを、わかってて、あの前田さんに試させたんですか!」
 野崎先生は、そんな怒りすら想定内のようで、穏やかに言葉を紡いできた。
 「医学的には害はない。だが、米国でも医療用の認可は降りていない。だから、ゲームとして売り出している。まさか、VRゲームに取り付けられているとは思わなかったけどね」
 前田さんはたった一回WDをプレイしただけで、驚異的な集中力でミッションに取り組み、しきりに「明日はいつプレイできるのか?」と訊いてきた。それは、微弱な電流を脳に流されていたせいだったのか。
 「そこまでわかっていて、実際に亡くなっている人がいるなら、尚更、野崎先生は最低じゃないですか!」
 「いや、全員が全員、亡くなっているわけではないし、亡くなった人には全員遺書があった。あの前田さんも、遺書を残していた。おそらく、あの白いイルカに書かされたんだと思うが。AIの判定で、社会に役に立つ人間か、死ぬべきかどうか、チェックされていたのだろう。だが、その因果関係は、巧妙に隠されている。というよりも、AIは因果関係なんてないからこそAIなわけで、わかりようがない」
 俺は少しだけ冷静さを取り戻した。
 「ということは、これでも、因果関係を示せていないということですか?」
 野崎はうつむきながら、応えた。
 「It is(その通り)。これでは、客観的に、自殺未遂とWDの関連性を示したことにはならない。だが、この映像を前田直樹さんのご子息に見せれば、話は別だと思う。きっと改心して、試作品のテストプレイの取りやめにも応じてくれると思う。それしかないんじゃないかと私は考えたからこそ、前田洋子さんには申し訳ないが、彼女に試させたのだ」
 野崎先生はそこで言葉を遮り、冷蔵庫からペットボトルのお茶を出し、グラスに注いた。野崎先生は俺にも「飲むか?」と訊いてきたが、俺は断った。
 「橘くんは短い間に前田さんと信頼関係を築けていたのかもしれないね。おそらく、プログラムには、自殺するのに邪魔になりそうな、本音を喋りそうで賢くて優しい人間を、疎遠にするような教唆があったはずだからね」
 「そんなことを言われても、嬉しくありません」
 野崎先生は肩をすくめながら、こう返した。
「今回、AIが簡便なものだったせいか、WDを使った人がやたらに自殺しようとしたこと、お年寄りはVRにファミリアではないことなどが手伝って、この件に早めに気がつくことができた。しかし、もっと巧妙にやられたら、わからなかったかもしれない」
 確かにそうだ。もっとプログラムを巧妙にすることはできただろう。説明書で見たシロイルカは優しく微笑んでいたが、たったの3日でわかりやすく獰猛になって襲いかかってきた。もし、最後まで微笑みながら、冷酷に生死を判定され、巧妙に自殺させる方向に持って行かれたとしたら、開発者にしかわからなかったかもしれない。少子高齢化の時代、様々な社会システムは老人のために最適化されており、多くなりすぎてしまった老人がいなくなってしまえば良いのに、と心の中で思ってしまうことはある。だが、実際に目の前のお年寄りにその危険が迫っているとなると、話は別である。いくらなんでも、令和に姨捨山は時代錯誤だ。
 「わからないけどね。でも、前田先輩のご子息なら優秀だと思うから、もっと私たちに気がつかれないくらいに巧妙にできたと思うんだよ。それを、この程度の中途半端なプログラムにしたってところが、誰かに気がついて欲しかった的な気持ちがあるんじゃないかと期待していてね。ほら、最初に言ったでしょ?”誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ”ってね。だから、善意が残っていることを期待して、信頼してみようと思ってさ。で、自分のおばあちゃんにその危険が及んだら、流石にやめるかなぁと」
 野崎先生はそう言うと、今日の映像を編集し始めた。その姿は、今まで見たこともないほどに真剣だった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする