たかはしけいのにっき

ミネソタ大の博士研究員が書く日記です。

世間体と幼さ

2016-02-24 02:25:14 | Weblog
 これは本当に価値があるんだろうか?と考えなくなってしまったら、一気に老け込んでしまうのかもしれない。
 何かの価値基準を当たり前のように有り難がって、そこを曲げてしまう選択肢を必要以上に怖がってしまうと、その外側の価値観から見ていると、あまりにも本末転倒な結果になってしまうように感じるが、その価値観の中に当然に生活している人にとってみると、それは「大人」として「生きていくために」重要なことなのだ。

 確かに、自分の周囲におけるマジョリティに準拠した価値観を見出し、そこに「反応」だけして生きていくことは、ラクかもしれない。でも、その、誰かが決めてしまった定常的な価値観に即して生きることは、必ずしも安泰ではないし、何よりもそこにアジャストしてしまうことで、確実に失ってしまう自分の本当の気持ちをないがしろにしてしまうと、もったいない気もする。
 こういう中学生的な意見は、相手の年齢が中学生に近くなればなるほど、ウケる確率が高くなる。

 まぁでも、つまらない世間体に合わせることが大人になるということで、それに関して誰かを犠牲にすることを都合よく「生きていくために」という言葉で繰り返すのであれば、その定義においては、生きていかないほうがいいのかもしれない。
 ただそれは、ヒエラルキーやお金に対して無頓着になるということでもないし、ましてや、ただただチャラチャラして生きるということでもないのだけどね。

 世間体至上主義者にとっては、ここの前提を疑ってみることすら、子供っぽく見えるのだろう。それはその前提を取っ払ってしまっている人からしたときには、意固地になっているほうが子供っぽいだろう、と言葉の定義が変わってしまい、両者は分かり合えない。
 世慣れて生きていくことが悪だとも思わないし、そこに属さないで生きていこうとすることが善だとも思わないし、当然のことながら、その逆同士を決めつけることも完全に間違っている。

 善悪を決定づけるのではなく、そういった傾向に見える、というだけなのだ。
 あくまで、ただ、世慣れてしまうと老けてしまい、中学生のような意見を大人になっても平気で言えるバカは幼く見えてしまう。

 ただし、あなたがもし、何は無くとも、とにかく長生きすることは徳が高いことだと考えるのであれば、子供っぽいほうが良いだろう。
 気持ちの上でも、非平衡状態をより長く維持しているほうが生命らしいと言えるはずだと俺は思うからだ。

 「長生き」の前に、「若さを保ちながら」という一文を入れるだけで、状況は一変するけどね。
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保育園不足に思うこと

2016-02-22 00:40:37 | Weblog
 保育園に受かったとか落ちたとか、そういう話を訊いていると、はっきり言って可哀想すぎてコメントの仕様がない。っま、本人たちは「大変だー」ってだけで、そこまでの意識はないのかもしれんけど。
 ただ、どちらにしても、そこに直面している人たちに対して、面と向かって、『いやそれは全員受かるべきだろ』という、あまりにも現実からかけ離れた理想的な発言をするべきではないし、『どこもいっぱいなのは保育士が足りてないから仕方ない』という、あまりにも理想からかけ離れた現実的な発言をするべきではないだろう。

 だから、『保育園なんかよりも幼稚園のほうが良いに決まってるだろ』という、現実離れしすぎているを三段階くらい飛び越えた、俺の『基本的に安心できる家で寝ているのが至上だろ』的な価値観に即した意見など言えるわけがないのだが(笑)、、根本的には、あらゆる事柄について、保育園を増やすということをベースに考えもしないで、何が改革だ、何が少子高齢化対策だ、何が男女共同参画だ、何が若者の○○離れだ、と思うわけです。

 っていうかさ、それこそ現実的に物事を考えて、そもそも、みんながみんな、外に出て、毎日ある場所に行って、そこで働かなくちゃいけない、お勉強しなくちゃいけない、という基本的な固定概念って、いつまで当たり前として存在し続けるのだろう?
 別に職場に子供を連れてきても良いわけだし、そもそも毎日職場に行く必要があるのかということもあるし、さっさと在宅勤務でVRで仕事するようなシステムを理系(あ、俺らか笑)は構築しろよ、って思うわけだけど、古臭い価値観に縛られているおじさんたちと、そこに媚び諂ってる人たちは、こういうこと言うと、色々細かいどうでもいいことで反発するんよね、たぶん。

 もっともっと、すべての事柄に対して、既存の固定化された価値観に依存せず、フリーで物事を考えたほうが、楽しく生き生きと、そして、固定化された価値観の人が好きな言葉である「生きて残っていくため」にも、重要であると思うのだ。少なくとも新しいシステムと価値観を創るためにはね。

 「でも、子供はいつか、学校に行かなくちゃいけないでしょ?」
 っとか、思うかもしれないが、本当かぁ??

 俺、今、小学生とか中学生とか高校生とかが、「学校って行く必要ある?ないでしょ?行く必要ないと思うから明日から行かないわ。もちろん大学も」って言ってきたら、論理的に否定できないぞ。
 ま、正直、俺って、それなりには勉強してきたほうだと思うんですよ。一応、東大で博士号とってるし。でさ、その景色を観ている身としては、どうしても、あれだけ自分なりに楽しく勉強してきて、どうにか日本の最高峰と呼ばれている場所に行きつけて、それでその景色が「あれ」かい!、その後も「あんなもん」かい!、と思っちゃうわけよ(笑)。俺は(少なくとも理系科目に関しては)自分で勝手に楽しむために勉強してきているからまだ全然良いけど、あれを誰かにやらされていたのだとしたら、もしくは周囲に反応だけしていただけなのだとしたら、本当に最悪だと思うぞ。

 もちろん、俺自身は、それでも学校や大学や大学院から学んだことがものすごく多いけど、必ずしもみんなにとってそうではないと思うし、特にこれからのみんなにとっては、絶対そうでもないだろうし、本当に勉強しようと思ったら、ネットやYouTubeの授業でいくらでも勉強できる。本すら読まなくてもいいかもしれない。最新の論文すらOpenAccessなら読むことができる。

 別に俺は、自分がやってきたこと、自分が持っている言葉、自分ができることに、何の価値もないと思っているので、俺が好きなことや得意なことも含めて、、それは例えば、物理とか、音楽とか、生物の知識とか、プログラミングとか、有機化学とか、本を読むこととか、教員免許とか、博士号とか、論理性とか、ノリとか、そういったことは、至極どうでもいいことだし、ゲームやブログと同様に、くだらないことだと思う。

 だからって、今の現実を直視することは非常に重要なことで、あまりに論理力や基礎がない状態で、みんなのお金を使って、暗記と権威と多数だけの大義名分で、我物顔で「書ける、書ける!」と繰り返しながら、研究しているフリをしているとムカつくわけだけど、、でも、そんなことって、保育園がどーのこうのって話に比べりゃ、非常にどうでもいい話なわけで、、で、さらに、それだって、チャンスがこれだけ平等にある世の中で、必ずしも、そこにだけフォーカスを当てる必要はないのかもしれない。

 生き残っていくために、と本気の本気で考えるのであれば、あらゆる事柄に対する価値観を、もっと履歴非依存で考える必要があるよね。
 で、そこの発想とはさらに非依存的に、保育園だけは、とりあえず何とかして増やさなアカンだろ、と思うわけです。
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あてぶり

2016-02-21 03:05:53 | Weblog
 海外に行くと必ずすることのなかの一つに、「あてぶり」がある。
 俺は(皆さんと違って)英語が得意ではないので、その辺にいる会話している外国人をテキトウに雰囲気で感じ取り、勝手にセリフをあてぶって、楽しむことが実に多い。

ココリコ ミラクルタイプ あてぶり女 (動画再生には再生マークをクリックの後に"YouTube"マークをクリックしてください)


 これを俺が小声でやりだすと「なにやってんだよ(笑)」「テキトーなこと言ってんじゃねーよ」と言われる。
 『いや、絶対ゆうてるって!』と思うのだが、そら確かにテキトウかもな。

 ただ「わかるわけないだろ!」というのは違うと思う。だって、まぁ、そらちょっとは英語もわかるし、ほーんのちょっとはフランス語もイタリア語もわかるわけで、そこを軸にしながら、あとは雰囲気と表情だけで読み取ればいいわけで、完全にゼロからあてぶってるわけじゃないんだから、意外と正しい可能性はあると思う。

 こういう空想技術って、案外色んなところで大事で、意外と現代社会のあらゆる面で要求される能力であると思う。例えば、自分のところに近づいてくる相手の足音で、相手が機嫌が良いのか悪いのか、怒っているのか謝ってくるのか、割と簡単に判断できうると思うし、上級者になると実際に観なくても足音だけでその持ち主が誰だかわかるようになります(まぁ匂いとかもあるけどね)。
 俺が毎朝この能力を高めるためにやってることがあって、それは電車で誰が次の駅で降りるかを、みんなの振舞や表情から判定するってやつです。朝、品川から山手線に乗ると、ちょうど席がきれいに埋まってるくらいで、大崎で降りる人を判定するのに、(俺にとって)ちょうど良い難易度のクイズです。「いやstochasticだろー」っと思うのは、それはあなたが論理の世界に生きすぎているからです(それもワンステップの因果関係で理解できてしまう程度の単純な世界)。というより、これ自体に俺は論理的な解釈を入れられるだけ入れたうえで、表情と所作を読み取っているし、実際に調子良いときだと新宿まであらゆる人を当てられるし、調子が悪くても俺は毎朝大崎から座っています。
 もちろん、こういう曖昧な直観力というか想定力ってのは、(地に足のついた論理的思考と)半分にしておかないと、ただの妄想癖が強いヤツになってしまう。だから、論理性は高められるだけ高めておかなくちゃいけない。まぁ、こういうのを論理的じゃないと言ってバカにしたり、「じゃんけんは偶然だ!」と信じているのって、実は「そんなことは論理性がない!」と言ってるその当人こそが基礎的な論理的思考力があまりに足りなくて、何ステップもの思考についてこられないケースがほとんどなんだけどね。

 特に、何かについて「これまでできなかったことを、できるようにしてみよう」と思うのであれば、どこかでジャンプすることは必須なのだ。ただベースとなっている明らかな論理的解釈を自分なりに尽くしていないと、それは達成されない。当たり前だけど、ジャンプするためには地面がしっかりしてないとね。地面をしっかりさせていないでジャンプしようとすると、行き当たりばったりになるし、作業の繰り返しになるし、その場対応になるし、権威や空気で誰かを抑えつけようとしてしまうのだ。

 というわけで、あてぶり、ってのは、皆さんが思っているよりも、けっこう大切だと思います。確かに最初はバカバカしいのですが。
 想像力を鍛えることはとても大事。

ナカイの窓 人気作家 2月17日 (参考は30:33-40:06)


 山里も含めて作家の皆さんは流石だなって感じですが、そのなかでも湊かなえはマジで流石だなって思います。おどおどしてても、いつもの湊かなえでした。短い時間でマジですごい。映像がそれにしか見えなくなる、かつ、もっと全容が知りたくなる。
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意見を公に書くということ

2016-02-19 01:26:23 | Weblog
 自分がよく理解してもいないのに、何かを批判することは原理的にできない。少なくとも、全体としてどういう構造とどういう論理がそこに働いているのかを掌握したという自信を持っていない限りは、批判的に物事を捉えるということはできないはずなのである。

 しかしながら、その場の雰囲気や流れで、誰か1人を酷評する批評家たちが、最近ものすごく増えている気がする。それは、ある意味では良いことでもあるけれど、ものすごく恐ろしいことでもある。
 自分が攻めやすい部分を責めることで、自分が勝ったような気分になるのは、あまりにも滑稽であるし、何よりも1人にその責任を背負わすべきではない気がするからだ。そこは、この時代なのだから、Googleで検索することを前提とした責任の分散のさせ方をするべきだと思うのだ。なかなか、そのような取り組みは成されないけどね。

 こうやって自分の意見を文章で大勢に向けて書いたり、自分の意見をみんなの前で強く主張したりすれば、当然、ちゃんと理解していないヤツが、不当に俺自身を評価して批評してくることも、ものすごく増えてくる。
 すると、『いや、待て!俺が言っていることを、もっとちゃんと聞け!そして理解しろ!俺はそんなことは全然言っていないぞ!』と言いたくなる。

 だが、こんなことを大衆に向けて叫んでも仕方ない。勝手に理解してくれて結構!という態度でなければ、人前で自分の意見を書く、なんて恥知らずなこと、できないんですから。

 それでも良い!、という人しか、現状、意見を大衆に言ってはいけません。大衆は想像以上にクソッタレしかいませんから。
 それが良いことかどうかはわかりませんが、これが俺がここで書いている最大のリスクであると思いますので、今日は一度それを書いておこうかなぁと思いました。

 これから、何かを書こうとする人は、お気をつけて。
 ま、研究者や大学院生は、論文というかたちで、絶対に何かを大衆にむけて書くわけだけどね。
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直観の強み

2016-02-16 23:56:49 | Weblog
 なんでもかんでも改革すればイイというものでもないし、なんでもかんでも保守的になればイイというものでもない。
 自分自身がどちらかというとどちらなのか?を意識しながら、適材適所に考えていくのがベストだと言える。

 ただ、これは比較的安定しているときの考え方で、不安定期はそうも言っていられないのかもしれない。圧倒的な時代の変化に対しては、一つひとつに自分の思考を費やしていては、時間が無くなってしまうだろう。
 当然、だから改革派になろう、だから保守的になろう、ということではない。こういうときこそ論理性を働かせるよりは直観に頼るべきなのだと思う。みんな、大衆は賢いヤツについていくと思っているが、実はそうではなく、とにかく判断が早いヤツについていくのだ。これは不安定期には特に顕著であり、とにかくすぐさま判断できるヤツが得をする。

 直観を働かせるうえで非常に重要なのは経験である。これは広い意味での経験であって、色々な研究分野にチャレンジするべきだ、色々な研究室に行くべきだ、程度の狭義の経験の種類の広さでは意味がない。もっともっと汎用性の高い経験のことを指していて、そういう経験がデータとして多数であるからこそ、論理性をいっさい介在させずに、ターゲッティング広告やレコメンデーション機能などと同等に、正しい判断ができる。そして、それらと同じように、見抜いていると相手にばれないように、「あえてはずす」くらいじゃないといけない。

 だから、俺は、(少なくともこの時代を生きるのであれば)基本的には、いろいろな景色をみるべきだと思っているし、もし考えられる時間がある事象であるなら、ひとつでも多くのことに対して論理的にも考えたい。
 「こう摂動を加えたら、大衆はどういう反応をするだろうか?」「これをこういう言い方で言ってみたら、ヒトはどういう表情をするだろうか?」「この世代の人、このタイプの人が、恐れている根源的なものはなんであろうか?」こういうことに対して、データを沢山集めることで、混乱期を乗り切れる確率が高まる気がする。そこに論理性を介在できればベストだけど、とりあえずはパサパサとデータを収集してクラスタリングしておくほうが良い。

 そして、クラスタリングの結果、曖昧な「教師」ができたことに対して、論理をも構築できたら構築して、さらに精度を高めていき、難に備えよう。
 このように、ものごとを直観的にとらえながら、感覚的に対応していく強みに加えて、超部分的に論理性を活かしていくことが、俺が本当の意味で解きたい問題を解く上でも、大事だと最近気がついた。

 だって、、やっぱり、俺は、思考は突き詰めれば単なる履歴現象だが、感情は単なる履歴現象ではない、と思っているから。
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ホシカケ2016

2016-02-14 04:10:13 | Weblog
 『毎年大変だね。俺は今年もパス』
 「でも今年で最後らしいよ?」

 と言われて、久しぶりに人前でアカペラをやることになりそう。なのでYouTubeで復習(復讐?笑)してみてたんだけど、選曲とかパートとか考えるのが久しぶりすぎて、それだけで面白い。

 『まぁ、無難に行くなら、その2つじゃね?』
 「え?ホシカケは?」
 『あぁ、なんか忘れてたわ』
 「えぇ?マジで?」
 『もう、それくらい怖いのよ。無難と世間体のなかに自分をアジャストさせることが』
 「まぁ、わかるけど。いや、だから、無難に歌うだけなんだとしたら、めんどくさすぎるってことでしょ。そこは俺もそうよ」
 『そうなんよね。もうなんつーか、ヒエラルキーあるじゃん。そこでヒエラルキーの維持のために、なんで俺がわざわざ価値観合わなそうな中に入っていかなくちゃいけないの?みたいな。だいたい4月からどこにいるかもわからんのに』
 「無難じゃないほーがいいよね」
 『そうそう、最悪、音楽にならなかったとしても』
 「じゃぁ、アイツ呼ぶか」
 『いや、だから、トリッキーなことすれば、無難ってわけでもねーから(笑)』
 「ばれたか(笑)」

 と笑いあってることそのものが尊いのかもしれない。

 俺が忘れていた福耳が歌ってる「星のかけらを探しに行こう」という曲は、俺にとって、まぎれもなく思い入れが強い曲だ。たぶん、ここで紹介している回数も一番多い。でも色んな意味で封印しているし、その一番の原因は、(ずっと前にも何回か書いているけど)この曲は曲としての完成度が高すぎて、無難で、誰がやってもある程度レールに沿って行けば音楽になってしまうことにあるように思う。
 のわりに、男がリードで入ると、(譜面にも依るけど)最初のサビから裏声で失速感があって、Aメロでは音域的に地声張れる!と思ったら、トップコーラスに主旋律とられるっていう、そんなリードを歌っていた男の俺にとっては、あんまり無難じゃないところもイライラする。これをまともに歌えるようになるために、久保田利伸の「winds」って曲を練習して、ステップにしたなぁ。と思いだしたりしていると、本当に懐かしい。サビの出だしの字ハモでは、サードコーラスが主旋律の1オクターブ下なので、そこではサードが主旋律みたいにして、リードが「メロを主旋律で、雰囲気は上ハモ」みたいな感じで入ると、男だけのグループでも上手く行きます。

 しかし、こんなに時間が経ってるのに、アカペラ業界って、やってることが全然カワラナイなって思います。ゴールデンボンバーみたいなエアバンドが出てきたり、SEKAI NO OWARIみたいなファンタジー系の曲をやるヤツらがでてきたり、パートと前に出すメンバーを固定せずに色んなカタチでカバー曲に挑戦しているGoose Houseみたいなのが出てきている音楽業界なかで(それだって衰退しているのに)、アカペラはいまだに、リードがいて、トップとセカンドとサードのコーラスがいて、ベースがいて、ボイパーがいる、っていう6人構成すら崩そうとするような取り組みが、この業界から出てこないことが、やっぱり消えゆくモノづくりのやり方なんじゃないかなぁと思う。

 研究業界も全く同じです。「論文を書く」「申請書を書く」って言いながら、短絡的な「書ける」科学を繰り返して、それが繰り返せる人が有能であると定義しているあたり、革新的なことをするよりもバカの一つ覚えが推奨されているわけで、そのあたりがアカペラと同じところを感じるわけでして、、うーん、でも、結局のところ、俺って、文句を言いながらも、トラディショナルな落ち目のモノづくりのやり方が、好きだったりするのかな?全然そんなつもりはねーんだけど。

 まぁ、音楽そのもの、自然科学そのもの、には、罪がないですからね。
 久しぶりに、こっち側から、、星のかけらを探しに行こう。願い忘れたことがあったから。

福耳 / 星のかけらを探しに行こう Again


星のかけらを探しに行こう/Slow jam アカペラ
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好きと嫌いのクリスタル

2016-02-13 02:49:20 | Weblog
 「あの人のこと、なんとなく好きかも」
 ということはよくあることだし、長時間成り立つことだと思う。スタンダールで言うところの「第一の結晶」になる前の状態を長く成り立たせることはいくらでもできる。本当の本当に長ければ数十年、この、ふわっと香る微かな好意を、その強さのまま、持続させることは、そんなに意識しなくてもできるだろう。

 だが、「あいつは、なんとなく嫌いだ」
 ということを長時間持続させることは簡単にはできない。短くて数時間、長くても1ヶ月後には、たいした情報量がないにも拘らず、「あいつは完全にダメだ!いなくなればいいのに」と言う風に結晶化してしまうか、「やっぱあいつは良い奴だ」という風に嫌いの感情がゼロになってしまう。

 結晶化する、ということは、相手を不正確に判断していることの例えだ。あばたもえくぼ、とは良く言ったもんで、好きな場合にはあまり害は無いが、嫌いが結晶化してしまうと厄介で、容易にいじめに繋がる。
 本当は、この「なんとなく嫌いだなぁ」という気持ちを持続させようとすることが大事で、もちろんゼロになればそれでいいけれど、そうならなそうなときにも、相手の良い点を自分の本心から無理矢理に見出して、フィードバックをかませ続ける必要がある。

 例えば、俺のことを嫌いな人はそれなりに多いと思うが(笑)、だと思うので、俺はそれなりにトラップを用意している。俺を完全完璧に否定したい、と思った時には、俺の前からいなくなるしかないような状況を、俺はずっと作り続けている。
 それは具体的に言えば、関わっているものをとにかく増やしまくること。誰かを完全に否定したくなると、その人が関わっているものはすべて嫌いになろうとする作用が働く。着ている服から趣味や趣向、職業に至るまで、ありとあらゆる、嫌いな人間が所有しているものを嫌いになるはずなのだ。なぜなら、自分が他人を嫌いになるということを後天的に正当化したいから。
 俺は、それがやりにくいように、最初からあらゆるものに関わろうとしている。たとえば「ブログを書いているヤツなんて」と俺を嫌いになった要因を後天的に解釈して、嫌いになった自分が悪いわけじゃない!と肯定化しようとするのだろうが、俺が好きなものって他にもものすごく多いので、そのすべてを否定するのって、本当に難しいはずなのよね。で、幸か不幸か、だいたいの俺のことを嫌いになった人は、向こうから勝手にものすごい勢いで離れていってくれる。これは俺にとってとてもラクなことなのだ。

 だからといって、俺は、自分が嫌いになった人を、そのままの状態にしておき、そのなかに、俺が好きな部分を見出し続けることができる。これにはそれなりに修練が必要で、嫌いな人を、いい感じで、定常的に(振動しても良い)、嫌いでい続けるのって、ある意味テクニックなのよね。
 ということで、俺には、完璧にコイツは嫌いだ!、という人はいない。それは俺から離れていった人も含めてそうだし、そういう意味でやっぱり俺って意地悪だなぁと自分に対して思う。

 そもそも、好き嫌い、という感情を、論理的に、もしくは客観的に、解釈しようとしてはいけない。そうしたい気持ちはわかるが、感情っていうのはemergeしてしまったら、基本的には常に受け入れるしかないのだ。
 好き嫌い、というのを、論理的かつ客観的に解釈しようとするから、そこに多数決を組み合わせることで、ヒエラルキーが生まれる。自分はどの部分が好きなのか?、どの部分が嫌いなのか?ということを、めんどくさがらずに、いちいち感じることで、くだらない世間体に負けずに楽しく生きていくことができるのだ。
 なので、「年収いくら以上の男が良い」「若い女が良い」といったような客観的な論理性を解釈として導入した価値観を前提に生きていくべきではない気がする。まぁ、確かに、俺も、若くないよりは若い女のほうが良いけど(笑)、そこには、必ず、「ホンモノの愛じゃないのであれば」という前提が入るだろう。客観性を帯びた説得力のある尤もらしい価値観というのは常にこういう性質を持っている。

 だけど、この「嫌い」のコントロールをすることはデメリットもあって、それは、同時に「好き」のコントロールをするということに影響を与えてしまうので、いつまでもいつまでも、絶対に好き!、という感情には、あまりならない。結晶作用はあるのだが、それがフィーバーするときにしか、絶対に!、にならない。それ以外は、疑惑との振動。N回結晶化させてやる。

 繰り返せば繰り返すほどに、好きの中に嫌いを、確実に見出していくことに長けていってしまう。

 だから、俺はたぶん、部分的に「好き」「嫌い」を繰り返し見出しつづけることにより、対「人」において「好き」から「嫌い」までがなだらかに連続的であり、自分では最終的には決して選ばないスタイルをとっているのだと思う。で、自分の感情は部分部分でそれなりには出すから、それが当人に言っているって勘違いしてしまう、論理性が低い人、辛抱が足りない人は、去っていく。それはそれで、しゃーない。誰も悪くない。別に残ってくれた人と楽しめばいい。超自分勝手。

 基本、受け身だなぁ、と思う。で、それって、本当にラク。
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2. 野崎の目的/『研究コントローラー』

2016-02-10 21:45:39 | ネット小説『研究コントローラー』
 以下はフィクションです。実在の人物や団体などとはいっさい関係ありませんし、サイエンティフィックな内容についても実際には正しいことではないことも含まれます。

前のお話 1. ことのはじまり/『研究コントローラー』

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2016年2月10日(水)

 「ですから、今回、この手記を彼女が発表された理由っていうのは、そもそも研究社会の閉鎖的な習慣に問題があるわけですよ」
 野崎が研究コンサルタントとしてテレビの教養バラエティ番組で喋っている。芸人出身の司会者が合いの手を入れる。
 「野崎先生!ですけども、こんな本を書いている場合じゃなく、新たに原著論文を書いて科学者として反論すべきだ、って、多くの研究者の方は仰ってますよ?」
 「まったく。研究者っていうのは、キレイゴトをそれっぽく話すのが得意ですからね。彼女が今の状況で、どうやって新しく実験しろと言うのでしょうか?実験する場を奪っておいて、自分だけでいきなり実験研究が進捗できるわけがないでしょう?おそらく論文だって、日本語英語に依らず、彼女一人じゃマトモに書けないだろうし、そんな彼女を承知で『使い勝手がいいから』と今まで雇用してきたはずなんですけどね。そんなこと、研究者はみんなわかっているはずなんですが」
 司会者が意地悪な表情になった。
 「どうして、野崎先生からみると、多くの研究者の発言がおかしく映るのでしょうか?」
 野崎は小さく鼻で笑いながら、さらりと答えた。
 「さあ。よくわからないですけど。まぁ、実験研究を実際に自分でしたことがない理論系の先生達が、研究者代表ヅラをして、自身の学生実験の記憶だけを思い出しながら、あーだこーだ言うのは勘違いのもとだからやめた方が良いと思いますし、実際に実験をしてきている実験系の先生達は、特にこの分野、権威主義で、ことなかれ主義で、物事をよく考えていない人が多いですからね」
 「いやー、だから、野崎先生のような研究コンサルタントの方が必要なわけですね?」
 「いいえ、私など、専門家でもなんでもない微妙な立場ですよ。なので、視聴者の皆さん、私の言っていることが理系代表の意見だとは決して思わないようにお願いします」
 「野崎先生の謙虚な部分がやっとでたところで、ひとまずCMです」

 この野崎と今から話さなくてはいけない。あいつがこんなにもまっすぐカメラをみて流暢に喋っている様子を見ると、不自然に感じる。俺が会ったときには、もう少しナヨナヨしているヤツだったのに。
 突然1000万円を渡されてから、3日後。野崎からメールが次のように入った。
 「戸山渉さま、彼から逃げ切れたこと、誠におめでとうございます。あれは貴方の最低限の身体能力を判断させていただく試験です。ですから、ひとまずは、ご安心してください。それから、ほとんど誰にも連絡せずにいられたこと、これでもって正式に合格です。正式に集まっていただくのは3月なのですが、私が個人的にそれぞれと一度話した方がいいと思いました。きちんと説明いたしますので、2月10日水曜日16時に品川駅のカフェ・ムーンバックスにてお会いしましょう、野崎正洋」
 かなりでかい男だったが、倒された以外はただひたすら逃げただけだ。倒されたときに咄嗟にきちんと受け身をとったので、ほとんど無傷だった。怖かったが、怖すぎて、ほとんど誰にも話さなかっただけだ。村川には喋ったが、彼女の香奈には喋っていない。はじめ村川は「それ嘘だろ。どんな確率だよ」と信じなかったが、現金を見せたら顔色を変えて「今はあまり動かないほうがいい。状況を判断する材料が自然と現れるはずだ」と冷静だった。
 前回はビルの一室を借りていたようだが、カフェとは、今回はずいぶんカジュアルな場所のチョイスである。
 「承知いたしました、戸山」
 とだけ返しておいた。それにしてもあんなでかい男に襲わせて、それが試験か?いったい、何のために?「やっぱり怪しい」と俺は思い、1000万円も返そうと思って一切使わないようにした。

 野崎との約束は16時。俺はその場所に向かった。15時30分、まだいないだろうと思っていたが、野崎は長身の黒服の姿で一番奥の席に座っていた。身体の割にスモールサイズのカフェラテを飲んでいる。似合わない。それから少しケチなんだな、と俺は思った。
 「野崎先生、戸山です」
 「早かったね。まぁ、こちらの予想通りだけど。なんにも頼まなくても、人も少ないし、目立たないし大丈夫だと思うけど、何か飲みたい?」
 そう言いながら千円札をひらひらさせてきた。
 「飲み物くらい自分で買えます」
 と冷たく言い放ち、「今日のコーヒー」のトールサイズを持ってきた。
 「最初に訊きたいんですが、なぜ、あんな大男を使って、僕の身体能力をチェックしたんですか?」
 「焦らない。焦らない。戸山くんが研究を遂行するのに最低限の身体神経が必要、ってだけさ」
 研究を遂行するのに身体能力を問われるって、どんな研究を俺にさせるつもりなのだろう?意味が分からない。沢山実験できるだけの体力はそれなりにあるつもりだが、それだからって、わざわざあんな男を雇って襲わせるか?、普通。
 「それから、僕が早めに来ると思ったのは何故ですか?」
 「あぁ、それは簡単なことだよ。ただのパターン」
 「パターン、ですか?でも待ち合わせするのはこれで2回目ですよ?」
 「私くらいになると、最初の1回目が偶然なのか、それともその人の性質なのか、簡単に見抜けるようになるのさ」
 そんなものか。確かに俺は前回も早めに行ったし、野崎ほど色々な人と出会うとそういうことに長けてくるのかもしれない。
 「というのは完全に嘘で、実は戸山くんが発信しているSNSの情報をすべて見ていたからなんだけどね」
 「え?僕が使っているSNSはすべて友達限定でしか見ることができないはずなんですけど」
 「そう思っているのは戸山くんだけだよ。見る方法はいくらでもある」
 なんだと?おい、こいつ、俺のことをハッキングしてたのか?
 「これからは気をつけてもらわないと困るから言うけど、戸山くんはカメラや録音機器に意識を向けなさすぎだ。戸山くんが使っているMucintoshだけど、カメラとマイクがついているのは知ってるよね?」
 「カメラは知っていますが、マイクはついていないでしょう?」
 「戸山くん、当然マイクもついているよ。パソコンで電話したことないのかな?」
 無い。おい、まさか、こいつ、実際に俺が喋ったプライベートな会話まで聴いていたんじゃないか?
 「というわけで、あくまで私が把握している範囲だけど、あの後、戸山くんは、村川晋也って友達と、綾瀬香奈っていう彼女さん以外には、この件は喋ってないよね?」
 俺は驚いて口を開けっぱなしにして目を見開いた。
 「よかった。その表情は正解みたいだ。よろしい、よろしい。これからは、パソコンやスマートフォンをすべて切ってから、プライベートなことをしたほうが良いよ」
 薄笑いを浮かべながら野崎は行った。何もよろしくない。おい待て、こいつどこまで俺の会話や声を聴いていたんだ?聴いているだけじゃない!見ている可能性すらある。
 「大丈夫、あまりにプライバシーを侵害しそうなことは、映像は切って音声だけにしていたし、さすがの私でも、得られる情報のすべてを見聞きすることはできない。それに大前提、私は君の趣味や私生活そのものに興味は無い」
 「他人のプライバシーをなんだと思ってるんですか!やっぱり、この話は断ります!」
 「と言っても、1000万円は今返してくれないんだろ?」
 「あんな金、すぐ返しますよ」
 「あれだけ、金がない、金がないって、SNSでも、現実でも、ぼやいていたくせに?」
 「そんなこと、今、貴方に関係ないじゃないですか!」
 「まぁ、待って。やっぱり話は最後まで聴くべきだと思うよ?これを聴いたら、おそらく戸山くんは喜んでミッションに参加してくれると思う」
 俺は帰ろうとした身体を全力でとどめた。「捨てることはいつでもできる。もしものときのためにとっておいたほうがいい」サンプルをさっさと捨てる習慣がついていた俺を見て、研究室の先輩が言ってくれた言葉を思い出した。
 「ミッション?」
 「そう。ミッション。それを説明するために今日は来てもらったからね。まず、前にも言ったように、RC制度の院生には共同研究をしてもらう。戸山くんの共同研究先と研究内容はすでに決まった。慶明大学の高野翔先生と一緒に、大腸菌をリポソームのなかに入れて培養する、という内容の実験研究をしてもらう。高野先生は慶明大の有機合成化学専攻、山岡忠雄教授が主宰する研究室で特任准教授をしておられる。山岡先生と、戸山くんの指導教員の渡辺先生には、私から話をつけるつもりだから、その点は心配しなくて大丈夫だ」
 「リポソームのなかに大腸菌を入れて培養するんですか?それはどういった分野で、どういった意味があるんでしょうか?」
 「待った。研究内容に関しては、いったんおいておこう。4月以降に話したとしても十分だ。それよりも重要なことがある」
 「研究内容よりも重要なことですか?」
 「そうだ。このRC制度においての重要なミッションとしては、研究内容については至極どうでもいい。もちろん、それなりに形になりうるものを私から戸山くんに提供はするが、そんなことよりも、戸山くんには、とにかく、この山岡研究室の内部を隈無く調べてほしいんだ。この山岡研究室というのはとても怪しい・・・、らしい」
 「スパイしろ、ってことですか?」
 「飲み込みが早いね。その通り。スパイとして、潜入してもらう」
 やはり、そういう内容か。野崎が研究内容そのものについてはどうでもいいと言っていた理由がよくわかった。研究はそっちのけでも構わないから、とにかく怪しい研究室の実態を掴んでくれ、ってことか。そのために俺は金を渡されているってわけか。だから、いざという時のために、身体能力もチェックされたわけか。理由はよくわかったが、むかつく。ここまでバカにされていて黙ってはいられない。
 「それなら、いくらでもハッキングできる野崎先生が自分でやればいいじゃないですか?」
 「ただの一個人である、しかもITに疎い戸山くんと、私大トップである慶明大学の内部に存在している一研究室である山岡研を調べるのは、全然違うんだよ。当然、私が調べられる範囲では調べてはいるのだが」
 「でも、何を調べれば良いんですか?」
 「うーん、そう言われると困るんだよなぁ。調べる内容というよりも、まずは今、日本の多くの研究室で起こっている事件を説明しようと思う」
 研究室で起こっている事件?論文不正か何かか?
 「ここ最近、行方不明になる大学院生や若手研究者が、僅かながら増加傾向にある」
 「でも、昔から一定数、大学に来なくなってしまう大学院生はいたんじゃないですか?」
 「もちろん、その通りだ。だが、もっとマクロスコピックに物事を見てみると、局所的なバランスが乱れている」
 「と言いますと?」
 「仕組まれている、ように思える。昔は、この分野にはこれくらいの割合で一定数やめてしまう人がいるであろう、という、ある種の因果関係が言えた。だが、ここ最近、特にこの一年、一部で分野別の離脱者の期待値に依存せずに、やめてしまう人の割合がほんの僅かに増えているんだ」
 「仰っている意味がわかりません。どんな分野でも、あらゆる分野で平等に研究室を辞める人が増えた、という意味ですか?」
 「まぁ、そう言い換えてもいいか。そうそう、つまり、一見すると、研究室を途中でやめてしまう人の率はそんなに変わらないように見えるんだけど、分野別でみたときに、目立たないようにバランスが少しずつ崩れていて、実際その数は僅かなんだが明らかに増えているんだ。おそらく、目立たないように、そこまで考えて、誰かが消しているんだと思う」
 消している?って、それはどういう意味だ?思った疑問をそのまま野崎に言ってみる。
 「それは、どういう意味ですか?」
 「おそらくは、実際に誰かが危害を加えているのだと予想される」
 「ということは、殺人って意味ですか?」
 「いや、遺体はでていないから、殺人とは呼べないよ」
 「じゃあ、誰かが誘拐している、ってことですか?」
 「・・・正直、わからない。とにかく不可解な行方知れずが、ここ最近多いのは事実だ。私はこの件について調査依頼を受けた。いや、正確に言うと、ある資産家から、ある大学院生の捜索を頼まれた。研究室関連の依頼を他にもいくつか受けていて、とりあえず調べやすそうなところからあたってみていたんだが、よくよく調べてみたら、この事実にたどり着いた」
 確かに大学院にいると、人はよくいなくなる。でも、いなくなってしまう人たちがどこにいくのか、実はよく知らない。指導教員の先生がきちんと別の道を確認しているケースが多いとは思うが、なかには研究室にいつまでも所属しながら徐々に来なくなってしまい、放ったらかしになってしまうケースもある。それ自体はよくあることだ。そして、この「よくあることだ」という思考停止は、実は大学院では往々にして行われている。その来なくなってしまう人たちが実は殺されているのだとしたら?誘拐されているのだとしたら?いったい何の目的で?それは確かに解決しなくてはいけない問題だ。あれ?でも親が気がつくんじゃないか?
 「で、戸山くん、やるでしょ?」
 野崎が俺の思考の途中で割って入ってきた。だが、野崎からの質問で初めて即答できる質問だった。
 「やります」
 「それでこそ私の知っている戸山くんだ。無駄に正義感の強い戸山くんなら、引き受けてくれるはずだと思ったんだ」
 無駄に、って、野崎はいつも、こういう一言が余計だと思う。こういう言葉さえ無ければ俺は野崎のことが好きになれるし、それは俺だけじゃなく、他の人だってそうなはずだ。
 「戸山くんの共同研究先である慶明大学の山岡研では、現在D4の井川英治くんが、おそらく昨年の10月頃から行方不明になっている。実際、今も在籍はしているし、もともと研究室は休みがちだったようだ。はじめ、10月からだから、博士論文の題目決めがあるはずで、それで現実逃避のために休んでいるのか?、と思っていたんだけど、私の依頼人が、それはおかしい、と言ってきてね・・・」
 「僕は、その井川さんって人の情報を集めればいいんですか?」
 「いや。というよりは、学生である戸山くんからの視点として、山岡研内のおかしな点をあげてもらえればいい」
 「でも、来年D1の僕と教授とじゃ、あんまり接点がないんじゃないでしょうか」
 「そうだね。でも、逆に言うと、山岡教授は戸山くんなんかに気をつけないから、都合がいいっちゃいいんだよ」
 本当はスパイをする目的で、大義名分として共同研究を持ちかけようとしている野崎は、ものすごく平然としている。そんなこと当然だろ?と言わんばかりに。とんでもない事実を目の前にして、俺は緊張してきた。俺はふと、自分がカフェにいることを意識した。この会話、聴かれていたらまずいだろ。と思ったが、周囲は閑散としている。これも計算済みなのだろうか?
 「戸山くんに特にお願いしたいのは、ゼミだ。ゼミは研究室の空気の8割以上を作る。そして、これはこないだの面接でわかったことだが、そのゼミにおいて、戸山くんは全然何についてもついてこられないほど、頭が悪い」
 俺はムッとした。
 「なので、スマートグラスを使ってもらう。これで私とこっそり電話をしながらゼミに参加してもらう」
 スマートグラス。あのgogleが出したヤツか。
 「使い方の練習をしなくちゃいけないな。3月になったら渡すよ。あと、今後の私との連絡用に、このスマートフォンを持っておいてくれ」
 業務用のスマホか。まぁ、便利だろう。と思って受け取ると、チャット形式のSMSのアプリしか入っていない。
 「これは?」
 「ああ、それは、通常のインターネットの回線ではなく、まったく別の回線を利用するスマホなんだ。原理はほとんど同じなんだけどね。だからアプリがSMS一個しか入ってない。普通のインターネットにも繋げない。そのかわり、ハッキングされる心配も無い。いわばパラレルインターネットだね。だからそれは、パラレルスマホってわけ。私との連絡に最適だろ?」
 「え?誰にハッキングされる、っていうんですか?」
 「戸山くん、少しは自分の頭で考えましょうよ。犯人に決まってるじゃん」
 「そこまで能力が抱負な人っていますか?」
 野崎は立ち上がった。どうやら帰るつもりらしい。座っているときの姿勢が悪いせいか、立ち上がると余計に長身に感じる。
 「というか、相手はかなり大人数なんじゃないかなぁ。あ、そうそう、当たり前だけど、この件は内密に。まぁ、村川くんと香奈さんに話すかどうかは、戸山くんに一任するけどね。今後はそのパラレルスマホに連絡するから、よろしく。じゃあ、私は次の約束があるから、これで失礼するよ。くれぐれも、カメラとマイクに気をつけてね」

 時計の針は16時30分をさしていた。そう言い残すと、野崎はカフェラテを一気に飲み干し、店を後にした。なんだか話が大事になってきたが、とりあえず、ここで少し修士論文の修正作業でもするか。そのほうが心を落ち着かせることができる。そう思い、ノートパソコンを広げた。


 18時、俺は都内の、先ほどとはまったく別のカフェにいた。
 「貴方の言った条件はクリアしたわ」
 「そうかもしれないが、やはり危険だ。どんな方法でやっているのか、まだ何もわからないんだぞ」
 そう言いながら、俺は次の言葉を探していた。
 「私は京阪大学に行く。私は彼女を信じているから」
 「だが、それだとテーマが思いつかない。何よりも君をあのような環境に身を置かせるわけにはいかないんだ」
 「女だからって、バカにしているわけ?」
 「そうではない。ただ、何かがあったときに、危険すぎると言っているんだ。ただでさえ、あの研究室はネットで良い噂は聴かない」
 「わかったわ。それなら倍だす。だから、テーマを考えて」
 まったく、バカとハサミは使い用、と言うが、あの2人のほうが、遥かに使いやすい。これだから高圧的な女は嫌いなんだ。
 「それで、あの2人、潜入してくれそうなの?」
 「ああ。私の適切な人選と、君の演技力の賜物だよ」
 俺はうんざりしながら、自分の腕時計のベルトをいじって会話を止めた。

******************************************************

3. スマートグラスの威力/『研究コントローラー』につづく

ただ、この2. の話のアクセス数によっては、つづきません笑。
ちなみに、現在、4. のタイトルまで決まっていて、「4. RCの意味/『研究コントローラー』」です。お話の骨格としては、最初から全部決まっています。
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心をゼロにして

2016-02-09 01:17:25 | Weblog
 「そんなんでわかるわけないだろ!」とゆびを指して言い放ちながら1人に責任を押し付けて、後ろをチラチラ気にしながら自分の言葉が(この場所での)マジョリティであることを確認する卑劣さを実際に享受しながら、自分自身の行いを省みてみる。

 俺はこのような理不尽さに、常に『それでも!』と都合のいい言葉を自分の心に振りかけて、受け入れようとしてきたのではないか?と。今はまだ良いかもしれない。どんな人間にも迷惑として作用していないのだから。でも、それは、未来に対して、どのような作用を及ぼすかを、一度めちゃくちゃ冷酷に見つめてみなくてはいけないのかもしれない。
 確かに、それすらも俺が変えてやる、という気概の持ち方を俺は宿している。だけど、前にも何度も言っているけど、俺の想いの容量は無限大ではない。確実にリミットがあるものだし、それは時間にも依存している。これ以上、あらゆることに対して、付かず離れずを繰り返していても意味がない気がしている。

 何も自分に責任を課さずに人生を生きている気分に浸るのは、恐ろしく心地いい。自分が本来的にすべきことをいったんすべて投げ捨て、くだらない作業と文章作成に齷齪することで、自分の立場と大義名分ばかりを考えている、ありきたりな研究者の仕事に従事しながら、本当の本当は何がやりたいのか、俺個人として、たった一人の自己認識として、何をしたいか?と問われると、その問いはすでにあらゆる面で叶っているからだ。

 今、久しぶりに、ある種の心からの晴れやかな気分でいれるのは、原理的に無理なことを達成しようとして得られた能力と言葉のぶん、そもそもの俺の願いとして、十分に満足に達しているからだと思う。
 っま、そのような気持ちを抱いてしまうほど、ひどく疲れているだけなんだ、、とも言えるけどね。

 "The most glorious moments in your life are not the so-called days of success, but rather those days when out of dejection and despair you feel rise in you a challenge to life, and the promise of future accomplishment"

 またここから始まる?でも、少なくとも、それが尊いのだ。
 一度心をゼロにして、すべてをオーディションしなおしてみよう。
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チョコレート系論理2016

2016-02-07 02:10:14 | Weblog
 「チョコ食べる?」
 『え?』
 「チョコ。うちのクラスの男子、恥ずかしがって誰も食べないの」

 バレンタインデーには、ばらまき系女子が蔓延る。

 甘酸っぱい気持ちを抱えながら、思い切って本命チョコを憧れの男子に渡すような渡し方は流行らない。バレンタインデーは、告白の機会ではなく、「私って料理的なことしちゃう女の子なんです!」「私ってこういうちょっとしたお菓子を買うのが好きな女子なんです!」と主張する日である、という認識は、それなりに正しいと思う。
 だからって、俺みたいに、『っけ、溶かして固めてるだけだろ』『デパートで売ってるばらまき用のチョコレート買ってるだけだろ』と言っていたら、女子の気持ちがわかってない認定されますから、男性のみなさん、気をつけてください。(…と俺の声を聞いた、それでも誰かに対して料理アピしたい女は、チョコレートケーキ的なものを自作するのだろうが、、自作はやめい!)

 期待すると傷つくし、期待しなさすぎるのもダサい気がする。だから大人になると負け試合をしなくなるのだ。そして、俺の時代でも、中学生の頃には、もう、ばらまいてる女子が何人かいた。
 確実に勝つ試合しかしなくなれば、自分に対して驕りが出てくる。その驕りのなかでも、上手く皆に拡散するようにチョコを配布していき、かつ本命の男の子だけにはそれとなく特別感を出すことを欠かさないような、器用なばらまき方ができる女の子がいる一方で、ばらまき方があまりに不器用で、「食べる?食べたい?」と個人個人に聞いていってしまうから「別に食わねーよー」と各々から言われてしまい、せっかく用意してきたチョコが余ってしまう女の子がいる。

 俺は中学でも今でも、C上グループ(ノリが一番よくないグループだけど、そのなかでは一番明るい人たち)の女子からの圧倒的な支持と、Aグループ(ノリが一番いいグループ)の一部の女子にそれなりに支持されていることで、生きている。冒頭の会話の子はAグループで(この子はさすがに俺のブログは見ていないだろう、、と信じている笑。もし見てたら、ネタにしてごめん)、放課後、「お前なら食うだろ?Cグループなんだから!」的な扱いで、チョコがぎっしり入ったボックスを渡されました。
 こりゃ、義理チョコならぬ、義理食いだろ、っという本音は、まだ純粋だった俺は、必死に呑み込みました。

 『おーい、チョコあるみたいだぞー』
 《食べる食べる。どれどれ、うん、これ美味しいよ》
 「そう?ありがとう」
 『じゃ、俺もひとつ』

 そのとき食べた手作りの義理食いのチョコの味は、いまだに覚えている。(こういうと失礼だが)別にその子のことが特別好きだったわけではないのだけど、今となってはイイ思い出だから、バレンタインデーとはなんとも不思議である。

 義理食いではどうかわからないが、、「義理チョコだから」と渡してきた女の子の20-50パーセントくらいは、こちらに何かしらの好意を持ってのことだと思う。与えられた表現型だけに結論を急がず、その裏にある気持ちの揺らぎと、チョコレートを手渡したという行為が気持ちにフィードバックすることによる効果を掌握することが、この特異的な日の男の役割なのかもしれない。切り開いてみるまでは、本当のカタチはわからん。

 っま、皆さん、バレンタインデーを、楽しんでくれたまえ。
 …ただ、今年のバレンタインデーは日曜日ですか。ふふふ、ちょっと残念。

A Valentine from Möbius || Radcliffe Institute
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今できることを考える意味

2016-02-01 23:21:24 | Weblog
 人生、たいていのことはやり直せる。
 時間は余計にかかるかもしれない。めんどくさい思いをしなくてはいけないこともあるだろう。でも、だいたいのことなら、最初っからやり直せばいい。その事実を直視しまくることは人を行動的にさせる。

 世の中には、この、たいていのことならやり直せる、に当てはまらないことが、ほんの僅かだが、いくつかある。絶対に失敗してはいけない瞬間、絶対に間違えてはいけない瞬間、思考力をフルで働かせ、どの出力が正解かを慎重に選び出していく。
 こういう経験は非常に貴重で、自分の能力がものすごい勢いで高まっていく。そして、やり直せないことの恐怖に押し潰されそうになりながら、それを乗り越えられたという経験があるからこそ、、そうではない、いくらでもやり直しがきく、どうでも良い事柄、例えば、何かの試験を受けることや、何かの主張をすることや、何かの交渉を行うことに対して、自分の好きなように大胆に楽しくできる。

 だけど、僕は、こういう経験を、もういっさいしたくはない。なるべくこういうことが起きないような方向性に向かって歩いていきたいと思う。
 確かに、絶対に失敗してはいけないことを、解決できたときは良いかもしれない。めんどくさいけれど自分が必要とされているって思えて、それなりの自信もつく。だけど、そんなくだらないことよりも、それが失敗に転じてしまった場合が遥かに遥かに恐ろしく、絶対にあのような気持ちになりたくない、という気持ちが先に立つ。

 「だから、この部分については、僕は慎重になりたいんだ」
 『…わかった。お前の言うとおり、もっと慎重になろう。だけど、最終的に、どんな状況であったとしても、その判断を下してしまうことは、まったくの間違いだ、というふうに、俺は思う。その事実からも、目をそむけてはいけないと思う』

 バカヤロー。あの時のあの気持ちを一生忘れてはいけない。
 だからこそ、今、この瞬間に、できることだけを集中して考え、それを実行していくしか、できないのだ。
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