たかはしけいのにっき

ミネソタ大の博士研究員が書く日記です。

PT2010

2010-12-31 05:11:18 | Weblog
 さて、今日で2010年もお終いです。今年も自分の今年を振り返ってみようと思います。

 今年は、何より、正式に、物理学から分子生物学に移った年でした。
 正直、思っていたより大変じゃなかったです(笑)。まぁ、でも、やっぱり、物理の中では、かなり生物や化学が出来るつもりだったけど、本当にそっちになっちゃうと、そうでもない、ってところも多かった。それを、こっち側に入ってきちんと確認できたし、何回か向こうに戻った時に、やっぱり俺は生物の分野が得意なんだよね、って確認もできた。
 もっと一般化して、この系に限らないとすると、「ただその世界にいるってだけで、得られる力」は割と強力だけど、勝てないわけじゃない、勝てる部分もかなり多い、ってことです。

 それから今年は、リーダーシップを取らなきゃな率が、いつもよりも高かったです。1月~3月も含めてね。
 責任が降りかかってくる中で即断即決を求められるので、ワサワサしてしまうことが多かったですが、みんな助けてくれるから、こんなもんでも良いんだなーって思います。目的からはずれちゃったり、損することも多いですが、楽しいし、いっか、ってね。
 この作業から得られたことは、許容が広がった、ってことです。最初、本気でムカついても、全体の空気を考えると、物理的な対応をしなきゃいけないので、行動と相互作用して、ムカつかなくなっていきます。こうなる前は、ちょっとでもムカつくと、バサっと関係を切ってしまいがちだったので、良い改善かなっと。って書くと性格悪そうなんで(笑)、ちょっと緩和しておくと、そういう気分になってしまった時に、一生懸命に意見をくれる人達に、めちゃくちゃ感謝してます。
 そして、総体的に、好きだから合わせられる、合わせられるからやっぱり大好き、って部分を大切にしたいな、って思いました。

 ちなみに、今年の目標を思い出してみると、『もっと具体的に問題と闘っていこうっ』だったのですが、これは、きちんと、より具体的になってきたと思います。まだまだ、抽象的で、夢見がちなところも多いですが、それも、これから改善してけると思います。
 『もう、学習面での実力アップは、そこまで頑張らない。他の部分での実力向上に力を入れたい』ってのも、OK。今年は、本当に、あんまりカリカリ勉強しなかったなー、って思いますけど、来年は、もうちょっと、マジメではなく真面目に戻ってみても良いかと思います。バランスが難しいですけどね。

 あとは、今年は、2008~2009年の自分の出来事を、今一度、解析し直してみる価値を感じるような、出来事が多かった気もします。どの系でも反省し直す点が多くて。
 そうすると、自然と、今に活かせて、今が充実していきました。
 昔話はじめたら楽しいことはわかっているけど、それはきっと…(by『AFTER ALL』)♪著しく変わっていく地元の街並みに切なくなることもあるけど、やっぱっ、この毎日で目覚ましをかけて寝たいから、そこからの活力だけを抽出して、今を楽しみ、未来が楽しそうだな、って感じるのが、大事。

 んなわけで、今年を、一言で表すと「相転移(PhaseTransition)」。そういや、ブログの名前も変えたしね。

 今年も、毎日、こんなブログを見てくださって、ありがとうございました。来年も良かったら、御覧になってください。
 では、皆様、良いお年をお迎えくださいな。
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The Fairy Tale World

2010-12-30 08:01:02 | Weblog
 現実の世界に住んでいる僕らは、さびしい時に、理想の世界を思い描く。
 その理想が、どんな毛色の教科書由来であっても、そういうひとつひとつの定式を自分の中に取り入れながら、理想の世界を、頭の中に、いや、、心の中に、介在させる。

 理想の話をしてるのに、《でも、現実はー…。》とか《それぞれじゃん?》って言われると、『そんなのわかってんの。だから、どの理想がベストかを話してるのにー。』と思う。
 望んでいる理想を想像するのは難しい。これを理解しようとすることが一番、今すぐできること、であるし、そのために、「もっとよく知らないといけない」んだと思う。

 やるべきことだけは、今日で、少し、明らかになった。
 いつも正解を持ってきてくれる彼の言葉を、きちんと自分の心のカラムに通した時に、飛躍的に前に進める。その洞察力を飲み込むことは、現実を直視する行為と同じような感覚だ。
 こんな恩を返すことが、果たして、できるのかなぁ?

 理想と現実は、みんなが思っているよりも、遥かに近い。
 実際の現実の中で、望んでいる理想を発現させることは、俺の役目だと思うし、少なくとも、今は自分じゃないとできない。
 だからこそ、これからも、楽しめそうだ。

 そして、何より、前回とは違って、それをする価値がとても高いことが、すごく嬉しい。
 気持ちさえ正しければ、やり方を間違え続けても、結果は後から必ずついてくることを、信じて。
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シェーンフリース表記と国際表記

2010-12-29 02:44:24 | Weblog
 「対称性」という言葉は便利なもんだ。扱う系を何も理解してなくても、とりあえず「対称性より~」って言うと、信憑性がありそうだし、何よりも、偶然あたっている率も高い。
 この「対称性」という言葉は、本来、とっても難しい。俺は、だいたいの自然科学の表記に対して、耐性を持っているつもりだけど、対称操作を記述する群論の表記は、まだ、ただ見ただけで、うわー、ってなる。まぁ、あんまり、でてこないし、本気になってない、ってのもあるけどさ。

 というのも、この群論、表記方法が2派あるのだ。読む教科書によって、同じ意味なのに記号が違う。確かに、フーリエ変換なども、教科書によって定義が曖昧なところがあるけど、なんとなく、あーいうののレベルではなく、もう一歩、難解なんだよね。
 そもそも、回転対称性だとか回映対称性だとかの、何回対称みたいなのを利用して、そこから、周期性を持っているものを定量化しよう、って発想したヤツは、誰なんだ?ふつーに生きてたら、思いつかないだろ、そんなの。

 んなわけで、こういう「対称性」みたいな言葉を、安易に使っているのを見ると、イラーっとしたりするのです(特に必要だった時期は)。
 「対称性より」って書いてあれば良いでしょ?最初に言及してれば良いでしょ?みたいな態度とられると、もー、さらに、イライラ。割と、こういうのって、誰でもします。本当に、誰でも。

 「俺、それについて、よく知らないけどさー、」とか「コミュニケーション能力が大事」とかも同じ。それ言えば良いって思ってんじゃねーよ、ってね。
 
 もうちょっとモノを考えて、こっちのために言葉を足して欲しいなって、思うことがとても多いです。
 だいたい、そういうヤツってのは、いろんなことを対称にすることばっかり意識してんだよ。って、、これで、何かが繋がった、並進対称性がある、っと(笑)。
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情熱で報われる孤独

2010-12-28 02:23:52 | Weblog
 現実をきちんと直視することは本当に大切なことなのかもしれない。

 見たくない現実、受け入れたくない現実は、残酷な物理現象のせーで、沢山ある。キレイゴトは、ほんの少ししか残っていない。あとは、だいたい、受け入れがたい現実だ。
 だけど、確かな現実を見ようとして、それをきちんと受け入れた時に、そこで始めて、やっと、新しく正しいもう一歩を踏み出すことができる。

 その系に対する理想が、純粋であればあるほど、現実は見たくない。そこで、現実を知ってしまって、諦めてしまうかもしれない自分が怖いのと、特に時間依存性があって欲しくないことに対してだと、今は理想からかけ離れていることを知るのは、求めているモノ以外のモノな気がしてしまうからだ。

 でも、それを超えて、現実をちゃんと受け入れないといけない。これが、今の俺に、確実に、足りない部分だと思っている。
 受け入れる中で、今からでも変えられる部分を一生懸命、変えていく。そういうことが、とても、大切だと思うのです。

 んー、頭では理解できるんだけど、あまり心で納得できない。
 ただ、少なくとも、ひとつ、自分の弱さに気づけている自分に自信を持って、そこから、もう一歩、また、新しい一歩を踏み出すことをしてみようと思います。

 それが、たとえ、実質的に正しい一歩じゃなくても、自分と同じで、感情そのもののベクトル(方向性と大きさ)を評価してくれるのを、求めているんだし。
 これで、お話に自己矛盾が無いかな?
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プライドの必要性

2010-12-27 04:17:38 | Weblog
 「自分が世界で一番バカだ、って思いながら、努力しろ!」
 高校三年生のちょうど今の時期、恩師から言われた言葉だ。

 自分にとっての自信やプライドを捨てた気で頑張ることは、ある部分では、とても大事なことだ。自分から何か行動を起こすとき、その途中で、たいてい、プライドは邪魔になってしまうし、自分なんて大した奴じゃないんです、って感じで、頑張らさせてもらう気持ちは、大切なことも多い。
 注意しておくけど、自信とかプライドは、ひとつじゃない。その分野では、とか、その系では、とか、この集団では、とか、そういったモノと常に一緒に存在している。っま、総体的に、ってのは、アリだけどね。

 じゃぁ、自信は無い方が良いのか、っつったら、そんなわけがない。
 自分に自信があるから、プライドがあるから、最初に、チャレンジしよう、って思うわけで、これがなきゃ、むしろ、おわりだ。
 結論から言ってしまえば、とにかく自信が無いよりは、とにかく自信だけはある方が、良い、っと考えているし、思っている。

 さらに大事なこととして、自分から何か行動を起こす、という視点じゃなくて、自分をある環境下に置くにあたって、自信やプライドは、非常に大切になってくる。

 それは、自信についての方程式、「自信の度合い」≒「自分はこんなことをされるべきではない、という閾値」が成り立つことから、明らかだ。
 相手や環境がすごく理不尽な行動を自分に対して行ったのに、「自分はこんなことをされるべきではない」という風に考えられないということは、自分の価値を極めて低く見積もっていることに他ならない。

 一般的な系で成り立つような理不尽サンプルを用意してみよう。自分と相手との、相対的な自分の自信の度合いがわかる。どこまで大丈夫かで、あなたの相対的な自信の無さが判定できる。
 「話かけてくる」(その相手と話さなきゃいけないなんて理不尽、という風に考えている。)
 「くだらない内容で、ある時間を拘束される」
 「意見を否定される」(←俺は、だいたいは、この辺です。意見の否定までOK。)
 「自分の所有物を故意に壊される」
 「人格を否定される(貶される)」(お前が生きてる価値は無い!、みたいなことね。)
 「暴力をふるわれる」(スキンシップとは違います)
 「重症を負わされる」
 「殺される」(究極だけど)

 例えば、どうしても就職したくて、自分に自信が無かったら、「人格を否定され」ても大丈夫。自分の能力じゃぁ仕方ないと思ってるから、圧迫面接なんかされても「どこまで耐えられるか、を、人事部は見てるんだ!」なんてバカなこと言えるんでしょ?単純に「俺に対して失礼だなー」って思えない。
 「暴力をふるわれ」ても「彼は優しい」なんて言うのも、同じ。「好きだから許せる」んじゃない、自分に自信がないからです。

 でも、自分の価値は、なかなか明るみにならない、曖昧なモノだ。
 それを少しでも映しだそうとするから、着る服を選ぶ意味があるし、資格をとる意味がある。
 そういうひとつひとつの証について、結局は、くだらない、って、きちんと気がついてる人は、そこも、ちゃっかりゲットしながら、本当の意味での内面も磨こうとする。
 そして、自分の志向、思考、試行に、自信を持てるようになっていくのだ。

 冒頭の言葉には続きがあって、、
 「そして、試験当日は、自分はこの中で、一番、頑張ってきたヤツだ、って思うんだ。そうなるように、今、頑張りなさい。」
 最後には、自分に自信を持て、と、おっしゃっていた。自分が努力してきたことそのものに、きちんとプライドを持てっ、と。

 ただし、これよりも先にある関係の存在も、きちんと知っておかなきゃいけない。
 超レアケース。

 俺はすごくプライドが高いほうだけど、例えば、家族の誰かに殺されても、たぶん、最終的には、っま、しょうがないかなー、って思うだろうと思う。
 自然科学は近似「≒」があるから成り立っている。近似が成り立たないときの物理現象の定性的理解も大事です。
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これだけは使わせないでね

2010-12-26 03:58:37 | Weblog
 常に自分がアクセルになる利点はいくつかある。

 まず、自分が動きたい時に動けること。相手由来じゃなくて、自分由来だと、ある程度、思い通りに時間を設定することができる。
 そして、これをいくつかの集団でやってると、暇だなーって、時間を空けることも少なくて済む。もちろん、暇にしたいときは、暇にできるわけだし、最高じゃないか。

 さらに、内容も自分が多くの部分で決めることが出来る。
 どんな人を呼ぶか、どんなことで楽しむか、そういうことを、自分が思うがままに、ある程度はできる。あんまり勝手なことをすると、すべてがダメになってしまうけど、割と、みんな、アクセル側のわがままをきいてくれるもんで、それが当たり前になってるから、ちょっとでも他人の意見を聞こうとすると、簡単に好かれたりもする。

 こんなにメリットだらけなのに、みんながフォロワーシップになりたがるのは、リーダーは大変だって勘違いしているのと(実際に大変ではあるが、多くの人が想像する大変さとは別のところの大変さである)、フォロワーシップはイイとこどりだから。
 だから、王様よりも側近になりたがるし、そっちのほうが、悪いことしても目立たないから安心、って思ってる。

 それは、集団においては、正しいと考えている。

 「だからさぁ、もうちょっと、褒める、みたいな感じで伝えたら良いんじゃないの?」
 『うーん、、なんとなく、それはイヤなんだよね。それじゃぁ、対等じゃないじゃん。』

 対等な関係、もしくは、対等でありたい関係において、無理して褒めたりなんてできない。無理矢理良いところを探して褒めることは、僕は得意なつもりです。でも、そういうのは、対等じゃない関係にやるから価値があるものであって、対等な関係は、真実を言い合いたいもんだと思う。真実の中に、褒める、みたいなことがあれば、それは一番素敵なことだけど、無理するのはイヤだ。
 それが、大きく言っちゃえば、愛情表現だと思う。その、実質的な素晴らしさの尺度の向こう側にある、感情を、求め合うべきなんだから。
 方向性はどうでもイイ。だけど、努力しようとも思ってない感情に対して、どこか褒めろ、ってこっちに無茶ぶりするのか?

 具現化され続けることが精神的に無理で、薄っぺらい言葉をかけて欲しいなら、俺じゃない。俺の役目じゃない。
 それで繋がる関係なんて、所詮、一過性のモノだし、くだらないって、味わっているから。

 こうなってしまうと、終了のカードを。。
 常に自分がアクセルになる、最後の利点、それは、『いつでも、いきなり、辞められる』ってことだ。

 今残っているすべての関係において、この利点だけは行使したくないと思っている。
 誰かに対して、意識的に、いっさいのインタラクションをしようとしないで、いきなりバイバイする、っていうのは、相対的な死を意味しちゃうから、それじゃぁ、もったいないよね。

 たとえ、最低な関係でも、何超分の1の確率で、出会った関係なんだし。
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Making Spirits Bright

2010-12-25 03:37:51 | Weblog
 さて、サンタクロースが来るから、さっさと寝ないとっ。

 12月25日。楽しそうで、あったかそうで、どこか悲しくもあるクリスマスは、別世界へ入っていけそうな雰囲気を持っている。
 きっと今も、あのクリスマスの、最悪の現実を受け入れながら、まだ前進し続けている。俺だって、自分の身に起きたわけではないのに、後から考えると、今もとてもヒトゴトには思えないし、逆にそれが無かったら、今、こんなに元気じゃないのかもしれない。誰と話すのも怖くなかったり、ぶっちゃけた後に、俺よくこんなこと言えたな、って思うことはよくあるけど、、だって、それに比べると、全部大したことじゃないんだもん。

 そこから、毎年、クリスマスが、本当の意味で悲しさを帯びてきた。だから、サンタクロースのような、おとぎ話が必要で、あーいうのは、子どものためにあるんじゃなくて、現実を知らされすぎている、大人のためにある。
 確かじゃないモノを信じる、って言ったら大げさだけど、そういう気持ちを忘れちゃいけないよね。

 楽しめる活力が無い人も、、今日くらいは、
 どうか、ささやかなクリスマスを楽しんで欲しいと思う(Have Yourself A Merry Little Christmas♪)。



 なんとなく今年も、クリスマスソングは「Have Yourself A Merry Little Christmas」が一番好きです。
 この↑、Christina AguileraとBrian McKnightがデュエットしてるバージョンがヤバい。俺、この2人、この曲歌ってる以外は、よく知らないですけど。「Hang a shining star upon the highest bough」の「star」んとこの熱の入れ具合が、ぐっときます。

 っま、あとは、やっぱり、アリーmyラブが好きなので、Vonda Shepardが歌うバージョンも好きです↓。



 2つともクリスマス以外でも聞いちゃってます(笑)。
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結果ゼロでも楽しめるぜ?

2010-12-24 02:27:19 | Weblog
 ~軍重カのほうそく が あるから 重たいじゅんになる。~

 『(軍重力の法則、って、なんだろう??…あっ、そういう事かっ。)これ、しんにょうが抜けてるんじゃないかなー?』
 【えー?ホント??】《おまえ、これじゃー、ぐん、じゃん!》【ホントだ。うわー、オレ、バカーっ。】
 『あと、ここ、もうちょっとくっつけて書こうよー。』【はーい。】
 『おしっ、これで、運動のほうそく、になった!偉い偉い。』

 中学生以上では当たり前のことでも、小3には難しいことは沢山ある。ちなみに、この子、おそらく、これを読んでる大半の人の小3時代より、遥かに賢いと思う(少なくとも俺よりは)。
 大人は、こういうことは、時間が経てば、できることだと勘違いしてる。そうじゃない。子どもたちは、恥ずかしい想いをしながら、ちゃんと努力して、大人達にとっての、ありえない漢字の間違いを減らしていっているのだ。
 やっぱり、大人の世界と子どもの世界は別空間であって、じきに大人の世界に入って行かなきゃいけない子どもたちは、不安でいっぱいだし、そこでやっていくためには、って思って、漢字が書けるようになる。

 今の状態から変わろうと、一生懸命、努力しているのだ。

 何故だかよくわからないけど、世間では、高校を卒業してから「変わろう」とすることは難しいように思われている。(これは、遠回しに、大人は努力不足だ、って言ってるかもな。。)
 あながち、間違ってなくはない。変わる、ってのは、並大抵のことではないし、何かor誰かを変えようとするのも、それと同じくらい難しい。遊んでばっかの生活から毎日勉強するようになるのも、逆に真面目な部分を捨ててチャラチャラするのも、自分のスタイルを変えて努力するのも、物理学から生物学に専攻を移すのも、そりゃー、なんだって、変えるのは、大変。

 でも、子ども時代に、あんなに、継続して頑張る、ってことを自然にやってきたはずなのに、やってみようともしないのは、アホなんじゃないかなーって思う。
 そう考えてみると、非常に当たり前のことだけど、何か一個のキッカケさえあれば俺は変わる、なんて、ありえない。変われても、徐々に変わるのが常だし、そうじゃない劇的な変化はありえない。

 そうすると、努力する価値がないみたいに思うかもしれないけど、そんなことはない。あなたが、変わるまでに3ヶ月かかると思うモノはきっと1ヶ月、1年なら3ヶ月、3年かかりそうなら1年くらいで、たいていは、結果がでてくる気がする。
 それに、もし結果がゼロだとしても、、

 【すごいでしょー?びぶん、知ってるよー。】
 『すごーい。俺、計算とか苦手だからなー。』
 【えへへ。】

 『おー、その問題、よくできたね。マジで。』
 [うん(笑)。なんか、できた。]

 って、笑顔を見ると、、自分のことに系を移しても、、『っま、いっか。』って思えるのだ。与えてるつもりが、与えられている。
 こうなって初めて、実質的なことはどうでも良いと実感できる。別に、その子が微分をきちんと理解できてなくても、その問題は偶然、前の日にそのまま教わってたんだとしても、どうでもイイ。そんなことよりも、大切なことが沢山ある、って、教えられているのだ。

 例えば、
 教育実習の時、実験をやってもらう時間に、あるクラスで、その次の時間が漢字テストらしく、クラスの半分が漢字テストの対策勉強を隠れてやっているのに気がついたことがあった。
 俺は、一瞬、どっちに倒れ込んでいこうか、迷った。一理科教員として注意すべきか、生徒たちのテスト対策にノっかるか?

 学問をとるか?生徒をとるか?

 テスト対策をするってことは、努力しようって思っているってことだ。どんな系でも、俺は、気持ちそのものに投資するスタイル。だから、ここは、きつく注意すべきではない。なーんて、崇高な解釈をその瞬時にしたわけではなく、ただ『下手なこと言って、せっかく無難な関係なのに、嫌われたくないなー。それに、まだ、教員じゃないんだし。』って思って、『これ、書けっか?結構、大人だと書けるんだぜー?』って言ってる自分がいつの間にかいた。
 それは、感情的にも理論的にも正しかったと思う。

 『…っていうかー、実験もやってよー(笑)。』
 《しょーがないなー、グラフ作りまーす!》〈はーい。わかったわかった、やってやるよ。〉
 『ほらー、さっさと作って、この23ページの「読み」も確認しないとっ!笑』

 努力の仕方が悪いだけで、実験したくないわけじゃない。テストでイイ点が欲しいから、頑張る。不器用なだけで、正しい気持ちじゃねーか。まずはそれを認めてあげなきゃね。
 それに反して『今は実験する時間だろ!』って教科書通りの正解を言うだけだと、機械的で、むしろ仕事してない。ちゃんとあなたのことも考えてます、って、心を奪ってから、お願いする。すると、本当の意味で、改善していく。

 小中高の学生たちから一番勉強させてもらっていることは、とにかく教科書的に正しいことを言ったり、とりあえず機械的にしたりして、すぐに実質的な結果を期待しない方がイイってことだ。
 時間をかけて、着実なところから、ゆっくり努力すると、良い方向へ変わっていく、っと彼ら彼女らは示唆してくれる。

 そして、感情が暖かくなっていくから、楽しくなっていくのだ、と。
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風邪を治す究極の方法

2010-12-22 01:51:14 | Weblog
 風邪、うぜーーっ!
 今、もーぉ、声ガラガラで一言も喋れないので、イライラして、うぎゃーー、って、騒ぎたいんですけど、残念ながら一言も喋れないので、それもできませんでした。
 もーーー、どうにかしてー。

 急に高熱。熱下がって喉がガラガラし始めて、今日、喋るお仕事ばっかだった(というか、俺、喋る種類のバイトしかしてない(笑))から、もう今日の声のエネルギーは残ってません。普段、めちゃめちゃうるさい僕が、この6時間くらい、一声も発してません。うおーーー、声を出してー!!
 そして、予備校のほーのバイトでは一番年上なので、皆さんに、ガチで気を使わせてしまいました。すいませーん、こんな先輩でー。早く風邪治しますので、許して下さい。

 ちなみに、究極的に風邪を治す方法ならいくつか思いつく。
 上気道感染症を引き起こすのはコロナウィルスなどで、70℃以上何分間かの環境下でほぼ死滅するはずだから、70℃以上の風呂に3分くらい入る。これくらいで、一気に風邪が治るなら、試してみても良いかもしれない。っま、無理だけど。
 あと、X線当てるとか、どうかな?やろうと思えば、誰かX線結晶学の実験研究をやってる友だちに頼めば。。って、マジ、シャレにならんけどね。
 そして、環境下(俺の身体)から水をすべて取り除く、って方法もある。

 温度、X線、水。。あと、何があるかなー??
 どれも、僕の身体がもたないですけど。

 っていうか、書いてて思ったけど、こういうの全部大丈夫な、クマムシ、って、マジ最強だなっ。。
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秩序があると変な状態

2010-12-21 02:29:53 | Weblog
 最近よく思うんだけど、卒研(物性理論物理)でやってた光学格子中の超流動と、今(分子生物)のリポソーム内遺伝子発現って、案外、ちょっと似てるなーって思う。
 こんなの思うの、どーせ僕だけなんですけどね。生物の人にも物理の人にも、たぶん、世界中の誰にも、理解されない。

 どのあたりが?というと、、まぁ、割と長いんですけど、、、何かを解析しようと思ったら、その世界を細かく分けて、それぞれの成分を観察してみれば良い、ってのが、普通の発想じゃないですか。
 でも、物性の世界って、そうじゃなくて、色んな成分が、統計的にどう振る舞うか、ってのが大事で、そこに焦点を当てて考えるんです。例えば、統計的な観点から定義される生成・消滅演算子で記述されるペアポテンシャルの値が正であれば、全体として超伝導状態、みたいなー(もし気になったらTilley&Tilleyなどの超伝導理論の本を読んでね(笑))。
 っで、光学格子ってのは、On-SiteInteraction(部屋の中での影響関係)だけじゃなく、HoppingInteraction(お隣さん同士の影響関係)も考えるんだけど、ある種、1つのコンパートメント(閉じた空間)を形成していると解釈できる。リポソームも、人工の細胞みたいなもんだから、1つのコンパートメントを形成しているけど、隣接リポソーム同士の影響関係がないとは言えない。

 よーするに、

 理系用『コンパートメントを形成しながらも、隣接項での相互作用は扱いながら、それらの統計的な振る舞いに着目したい』 
 一般用『各部屋の振る舞いを考える上で、近場の部屋同士でのやりとりはあることも考えつつ、だいたいの事情を調べたい』

 ってところが、光学格子とリポソームで、似てるなーって思うんです。俺がそういう風に研究室を選んでるわけじゃなくて、本当に、超偶然なんだけどね。
 なんとなく、伝わった?

 そして、どちらも、キーになってくる単語は、『秩序』です。
 どっちの研究テーマでも、『秩序』があると、それは同時に変なことが起きていることなのです。出てくる蛍光が2色染めなのにどのリポソーム内でも同じ程度の色であったり(各リポソーム内に個性(IntrinsicNoise)が無いということ)、みんな基底状態に落ち着いたり(ペアポテンシャルが正ということ)、本当に色々な意味ですが、それがあるかないかで、状態が決まってきます。

 日常でも、こういう考え方は、とても役に立って、

 『うーん、それじゃぁ、ダメなんじゃないの??結局、周りとカワラナイじゃん。』
 「えー、マジっすか。俺は、自分の心、あったかいと思うんですけどー(笑)」
 『いや、気持ちの絶対量そのものは、他の人よりも多いと思う。だけど、気持ちの種類が少なすぎる。やっぱりダメだよ、「助けたい!」の感情だけに束縛されちゃ。』

 みたいな喩えがすぐに出てきて、それがまた上手く伝わったりするから、こういうことを考えるのは、面白いなぁって思うのだ。
 だって、種類が少なくなると外部要因が強い、なんて発想、普通じゃあんまりしないでしょ?

 そう考えてみると、、自分が何から逃げてきているのか、わかる気がする。
 独占状態に収束され、たった1つだけの感情になってしまい、外的要因が大きくなるのを恐れて、常にそこから逃げてきているんだなーって思ったり。

 そのために、相手の切り札を出させるようにしむける環境作りだってする。相手にExtrinsicEffectを沢山かけて、自分のIntrinsicを取り戻すために。
 ほら、どこにも属さない俺(ジョーカー)が直々に出てきてやってんだから、その「スペードの3」さっさと出せよ!、ってね。

 っま、そんなことしてるから、今だに、言い訳カードが2枚以上無いと、何も発言できないんですけどねー。
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俺の思考力以上の解析力に期待して

2010-12-20 04:12:33 | Weblog
 難しい問題でも、所詮は、基礎問題の重ね合わせだ。
 俺が受け持つ子は、例外無くみんな優秀なので、入試の標準~発展的な内容の問題も、粗く解説をすると、勝手に理解しようとしてくれる。ひとつの問題から、いろいろなモノが積みとれるようにしていかないとね。

 これは問題が解き終わった後の話で、解いてる最中の思考力を養わなきゃな時も間々ある。だから、なるべく、答えを言わなかったり、見ないようにしてもらったり。
 基本的には答えを見ないで突き進むのが大事なんだけど、そこで詰まってると時間がもったいない時もある。まったく、困ったもんだ。
 なるべく答えは見て欲しくない、自分で考えてみて欲しいんだけど、時間をかけても仕方ないところで悩んで欲しくもない。これは、教える側の力量が試されている瞬間かもしれない。

 ポイントは、ヒントをいかに出すか?、だ。頻度もそうだし、どこにヒントを出すかもそうだし、どうやって伝えるかもそうだ。
 この、ヒントの出し方が、一番厄介だなって思う。
 頻度を間違えれば、ヒント出し過ぎ、ヒント出さな過ぎ、って怒られる。わかりきってる部分にヒントを出すと、バカにしてるって思われちゃうし、ヒントを出すべき部分にヒントを出さないと、理不尽だって思われる。そして、伝え方を間違えると、混乱させる要因にしかならない。
 ホント、難しい。

 例えば、ある極限を求めなきゃ先に進まない問題で、平均値の定理を思い出させるのに、どういう伝え方をしたら良いだろう?
 『ほら、求める極限の式をよーく見てみて。何かに似てない??』
 似てるかもって思いだして欲しいモノ=微分の定義、微分の定義使う手法=平均値の定理。おおー。ってなるのが狙いだけど、これだと、式を見たら似てるのを見いだせ、と言ってるのとカワラナイ。正しいんだけど、1つの問題に対して、ちょっと一過性に考えすぎてるかも。
 『極限求めるんだから、手法は限られている。はさみうちを使うとか、ネイピア数の定義を使うとか。あとは??』
 これのが良いかなぁ。でも、平均値の定理使って極限求めるってことは、はさみうち必ず使うから、あんま意味無いかな。単元違うから、高校生的には違うことなんだろうけど、根本的には同じだよね。
 すると、もっとぼかし路線で、『みんながちょっと嫌いな分野の、ある方法を使って、その極限を求めて~』みたいなんは?ぼかし過ぎかな?

 うーん、やっぱり難しい。

 自分がヒントを解読することのほうが慣れているから、ヒント出すほうのが遥かに難しい事に気がつかなかった。
 こんなにあからさまなヒントを出しているのに、気がつかれないこともあるし、軽いヒント過ぎて、見抜かれすぎてしまうこともある。
 ヒントを出して、アピールしてくれることに対して、

 「絶対、もっと早くして欲しかったんだと思うけどなー。」
 『鈍感なんじゃねーよ。俺は遅くしたいから、ワザと気がつかないフリして、先延ばしにしてるに決まってるじゃん。』
 「うわー、めっちゃ、Sっ!笑」

 とかってことし過ぎて、罰があたってるのかもね。

 っさぁ、ヒントを出し抜いて、一過性の部分に騙されず、本質的なことを読み取ってみて。
 いつだって、自分の思考力が負けること≒ホンモノが得られること、だから。
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時間に負けない

2010-12-19 05:48:37 | Weblog
 「歳を重ねるだけで、当然、乗り越えられるような悩みを、わざわざ若いうちから、深刻に悩む必要はない。」

 時間が解決する、って言葉は、どうも好かない。そんなことよりも、今、ちゃんとした力が欲しいことのが多いし、いつか勝ってしまうだろう、っという期待ではなく、今すでに勝てているって証が欲しかったりする。
 時間は相手の強力な味方で、ただそこにいるだけで、かなりの力を保有させることになる。だから、相手が半分の力で、こっちが本気でやったとしても勝てないことが多いし、諦めかける。

 でも、このリスクを背負う価値は大きい。ここを超えられた時に、ものすごく大きいベネフィットが得られる。
 ある意味、博打。自分でどうにもできないような博打じゃないから、不思議さに賭けてみたい。

 一か八か。いつだってオーディション。次に提出するカードが創造していく。
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決めつけないで 2

2010-12-18 02:11:37 | Weblog
 研究と勉強は、みんなが言うほどは違わない。ただし、決定的に違うのが一点だけあって、それは、どこまでいっても、その解析結果が正しいかどうか、確実にはわからないということだ。

 「学部生の頃みたいにさぁ、答えがわかってるほーのが、自分に合ってたのかもなー、って。」
 『あー、わからなくはないです。』

 でも、勉強が特殊な例なだけで、世の中のほとんどの事象では、研究と同じ、自分の解析結果が正しいかどうかは、確実にはわからない。
 実験してみれば、値は出る。だけど、大切なのは、値ではなくて、そこからの考察だ。直接その物理的意味を自然現象に求めることはできない。相手は、ずる賢い物理現象。果たして、本当に、そんなミスするのか??相手の力量を計算に入れて解析しなきゃ。
 っま、最大限の思考を使ったとしても、相手のはぐらかす力量は常に上だから、いつまでも、確実な正解は求められない。

 そんなとき、割と正確な考察ができる手法としては、想像してみることだ。
 ありえそうか、ありえなそうか、考えるのではなく想像して、心に映しだしてみることが大切だ。

 すると、どうでもイイ即物的なことは最低限で、可能性があるかないかを判断できる。
 理詰めを介在させない、こんなところで働きたいとか、こんなもんで終われない、とかって理想は、かなり現実に近いことが多い。

 想像できるってことは、近い将来、現実になる可能性が高いってことだと思う。
 だから、理詰めで考えて、決めつけないで。諦めないで。

 感情の方向性じゃなくintensityだけを実験結果に選んで、そこから解析するようにしたら、第一段階クリア。それだけじゃ、真実はわからない。目指している系や扱っている系は、賢い分、複雑すぎるから、その基礎からさらに、解析に踊らされ過ぎず、想像力も使って。
 この解析手法は初めてだけど、失敗を踏まえると、正しいはずだ。
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バレバレな振る舞い

2010-12-17 01:29:26 | Weblog
 そろそろ、新しい風が吹き始める。
 勝手にそうなることもあるし、俺が意識してそうすることもあるだろう。

 何かの変換点や危機的状態は、誰かの本性を浮き彫りにさせる。だから、俺は最初っから、ガチの助けを求めたりしない。本当に悩んでいる内容の事で、でも、まだ時間的に大丈夫なことを利用して、相手の器を観たりする。
 「試すのがいけないんだよー。」『そんなに、簡単に、信用できないんだもん。』

 それが、勝手な物理現象として起こってくれるってのは、ありがたいことだ。自分の手を汚さずに、実験できるんだから。。
 …この、自分の手を汚さない、ってのが、最近、多くなってきてしまった気がする。

 『ってしたらさ、…、って言われてー。』
 「だから、バレバレなんだよ(笑)。K君は、普段、ほとんど、無駄なことをしないんだから、ちょっとでも感情由来の行動すれば、そりゃ、わかるでしょ。」

 だからっつって、普段の無駄なことまで教科書通りで、無難に対応し過ぎるのも良くないのかも。揺らぎの中で、ノイズに埋もれてしまって、判断がつかないから。
 あの時すでに、、

 『マジか。どーしよ。』
 「別に、悪いことじゃないですよ。」

 って、注意されてたのにね。

 少し、本来のスタイルを戻していこうと思います。新しい風も吹くことだし。
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自分のことなのに、どこか他人事

2010-12-16 02:51:03 | Weblog
 言葉では、なんとでも言えてしまう。
 ひとつひとつの言葉が意味を持って繋がっていくと、やっと言葉に価値が生まれてくる。だから、理路整然としてなきゃいけないし、『さっきは、こうやって、おっしゃってませんでした?今の発言はそれと矛盾するんじゃないですか??』なんて、言わせないようにしないとね。

 っで、言葉を使う上で、注意点がこれだけなわけが無くって、もうひとつ、重要なことがある。それは、ひとつひとつ、そして全体としても、一度、自分の言葉を自分の心に飲み込む、ってことだ。
 仮にもし、あなたが、ある団体の代表者として喋っているのだとしても、自分が作成した言葉をその団体の平均的な空気のカラムに通すよりも前に、自分の心のカラムに通す方が先決なのだと思う。

 この2つ、①頭での理路整然性、②言葉を心に通すこと、ができれば、言葉ユーザーとしては、だいたい、OK。この2つがきちんとできるようになってれば、『口は災いのもと』じゃなくなっていく。
 なのに、、①のみを完璧にこなせば、それで、言葉を巧みに使える側の人間になれる、って思っている人は、本当に多いな、って最近思う。確かに、①が完璧で、『口は災いのもと』から脱している人は、何人か知っている。でも、そういうのは、本当の天才レベルで、俺は片手で数えられるくらいしか知らないし、彼ら彼女らが、それで満足できているか?、より楽しいのか?、と言ったら、それはまた話が別だ。

 言葉を心に通すだけで、割と、世界は変わってくる。世間体ばかり気にして、教科書通りのキレイゴトばかり言ってたら、自分が何者なのか、わからなくなってきちまうぜ?
 だって、気持ちがまったく逆でも、口に出すと、その言葉が自分にフィードバックしてきて、自分の心に影響を及ぼしまくってくるから。いつのまにか、自分のことなのに、どこか他人事みたいになってない??

 【…ですね。だから、変わりたいなーって思って。】
 『ふーん。。うん、ごめんね、、本当にそう思ってる??単純にさぁ、より上の世界に行きたいって気持ちは無いの?』
 【ありますね。あります。】
 『さっきの理由と、何割くらい?』
 【4割くらいは、単純に上に行きたいなぁ、って。】
 『4割~?笑、本当に?(←ちょっと誘導尋問クサイ。笑)』
 【いや、もっとです。。】
 『うん、だってさ、さっきの理由だったら、……、だから、いくらなんでも、薄っぺらいじゃん。どこだって同じはずだもん。』

 俺が、教科書的な考え方を誰かに求めることなんて、ほとんど無い。(例外は、研究の内容に関することと恋愛くらいじゃん?笑)
 考え方を訊きたいのでは無い。聞きたいのは、その人の気持ちであって、だから、俺の口癖は、『本当にそう考えているか?』ではなく『本当にそう思っているか?』なのだ。

 【確かに。。】
 『最初っから、本音のほーを出した方が、少なくとも俺は応援したくなるし、結局のところ、みんなも、そうなんじゃないかなー。』
 【マジっすか?!】

 だって、どんなに世間ウケしない気持ちだって、気持ちなんだから、悪ってわけじゃないんだからさ。

 こういう、本当の気持ちをもっと表現しましょうよ、ってのは、年下には伝えやすいけど、年配の人には伝えにくい。後輩だから出来たり、先輩でもほぼ同等の関係だから出来たり、そういうことが多い。なかなか、10や20も年が離れてる人の気持ちを聞きだすのは、簡単なことじゃない。
 だから、言葉を心に通さないで喋くる薄っぺらい大人と話している時に、『(ほら、どーせ、その教科書にさらに上乗せした教科書を喋るんだろ?無駄な時間だなぁ、さっさと喋れよ。)』って思ったり、『(飽きてきたなぁ、さぁっ、そろそろ、)確かにそうですねー。でも、そう、おっしゃってる割には、あなた、いつも、こうやって、やってるじゃないですか?(って言うと、次はどんなキレイゴトを吐いてくるんだぁ?)』『(うわぁ、予想通りすぎる教科書解答。こいつ、マジウケルー。)』なんて、思っていたり。

 『っで、最後には、「それは前例の無いことだから」って言われるんですよねー、いつも。理由になってないけど、その名言で負けちゃうって言うか。』
 「いやいや、むしろ、相手の負けだろー。それ言わせたら、高橋君の勝ちだよ。」

 そっかぁ。特に、世界で誰もやったこと無いことをやり続けなきゃならない、研究者に言わせたら、勝ち中の勝ちかも。
 でも、年上過ぎるからって、こんなにもチャンスをあげないのはダメだよね。もうちょっと何か方法があるはずだな、って想いながら、矛盾点を明示することでしか、凍った心を溶かそうとしてなくて。

 もっともっと、俺が素直になる必要があるんだと思います。
 凍りきった心を溶かすことができるのは、それよりも遥かに温度が高い、素直な心の露呈しかないだろうし。

 難しいけど、難しいからこそ、楽しい。
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