10月11日〔月〕
夜半から風が強く、船が出るかと心配・・・
こんな宿での連泊だけは勘弁して欲しい。
バーちゃんの事が気になって「島」に触れるのを忘れてしまっていた。
(水門・・・・)
【伊島=いしま】
四国本土の最東端・阿南の東海上6㎞・紀伊水道に位置し
面積1,58k㎡・周囲9,5km・人口200人弱・
標高124mに、白亜の灯台が建っている。
am5時、目覚ましで飛び起き 島内を歩き始めると
港周辺では もう網の手入れする夫婦や
若い息子さんを加えた家族が 働いています。
(此の橋を渡ると、前島に渡れます・・・)
東の空が明るくなり始めると
【前島】【獅子島】の斜面が輝き始める。
――――今日と云う日の始まりです―――
灯台まで行こうと思ったら、村の青年と出会って
『迷ったら携帯で連絡くれれば探すから~~』
エッ? そんなぁ~~
7時の船で出て、昨日乗ったタクシーが港で待機しててくれたので
「阿南駅」7時50分発の特急に間に合った。
今日も青く澄んだ空が広がり、白い雲、まだ色付いてない次郎柿
彼岸花、コスモス・・刈り入れの終わった田畑からも
秋色を感じます。
「徳島駅」乗り換えて「高松駅」へ。
また再び乗り換えて「観音寺駅」へ向います。
(こんな可愛いお嬢さんが車掌さんなんですよ・・)
途中「多度津駅」で、「松山行き」の列車連結の為7分停車。
此の辺りからは、今刈り入れの真っ最中です。
後から聞いたのですが、減反とか米の値が下がるので一気に作らず
時期を少しずつ外して出荷できるように、遅植えしてるのを
此の時期に刈り入れしているんだそうです。
「観音寺駅」で下車すると、観光用の撮影をしていました。
横目で見ながら・・・またタクシーで港へ。
am11時20分発で【伊吹島=いぶきじま】へ。
伊吹島から戻って次ぎの島に向う港は、「仁王港」なのですが
日・祭日は、コミュ二テイーバスが出ていないと聞き
またタクシーかぁ~~~と
バスの時間表を眺めていたら
椅子で煙草を喫っていたお父さんが
『pm1時30分の便で戻ってくるなら、自分が駅まで送ってあげるよ』
『エッ? 本当ですか~~?うれしい~~! です』
25分の船旅、デッキの長椅子で横になり 少しの間眠る。
ひとり旅だと終点でもないとグッスリ眠れず、ウトウトなので
こんな時間が 好き!!
満ち潮なので25度くらい傾斜のデッキは 今にも滑りそうで
釣り道具を抱えてる人や 台車持参の人は大変そうです。
随分大勢の人が下船して、それぞれバイクで島内へと散ってゆく・・・
私はバックが重いので 船の待合室の隅っこに置いてから
ビールを探し求めて~~~
(民族資料館)丁度12時、サイレンは救急車?と疑うほど大きい~~
(小・中学校) 立派な講堂のある中学校・・淋しそうな二宮金次郎・・
【伊吹島】は、
面積1,05k㎡・周囲6,2km・人口1000人、
観音港から西へ約10㎞燧灘に位置し、香川県最西端の島
カタクチ鰯=イリコ(煮干)生産が、日本一。
やっとビールを見つけて・・・
だけど二十世紀の梨も美味しそうなので、包丁借りて・・・・
島のオバちゃん達の会議室??
『何処から来たの~~~?』
『昭和19年生まれ~~~?』
『オシャレだね~~~ぇ』
『幾つになってもオシャレしてるのはいいなぁ~~~』
話の途切れる間を見つけるのが難しいほど 会話が続きます。
《島の言葉》は平安朝の京都アクセントに一番近く、
日本語学会でも発表されたそうですが、オバちゃん達に言わせると
一般的には素朴で、荒っぽく聞こえる~~~?って。
例えば: 貴方=お前とか 御前様とか・・・
お公卿さま口調のようです。
オバちゃん達、又 観光で関東へも行ってみたいなあ~って言ってました。
帰ろうとすると、お土産にってジャコもふりかけを下さる。
お礼を言って歩き始めると、別の家から~~
港で会ったお父さんが顔を覗かせ、『 あら~~~?!』
『島に居る時はこんな生活をしとんじゃあ~~マア入ってヶ~~』
財団法人離島センターの 何か役をしていたらしく
小冊子も送られてきていたのを 未開封のまま私に下さった。
其の中には あの加藤氏の随筆も載ってて・・・
pm1時半、満潮に近いのだろう~~陸まで30㎝程しかなく
下船時より梯子の傾斜が もっと きつくなっている。
30分の船旅ですが、潮流や天候が悪いと 1ト月に欠航になるって、
『御まんは イイ時来たよ~~~』と。
約束通り 港からお父さんの家族の車で送っていただき
タクシーに乗り換えて 仁王港へ。
夜半から風が強く、船が出るかと心配・・・
こんな宿での連泊だけは勘弁して欲しい。
バーちゃんの事が気になって「島」に触れるのを忘れてしまっていた。
(水門・・・・)
【伊島=いしま】
四国本土の最東端・阿南の東海上6㎞・紀伊水道に位置し
面積1,58k㎡・周囲9,5km・人口200人弱・
標高124mに、白亜の灯台が建っている。
am5時、目覚ましで飛び起き 島内を歩き始めると
港周辺では もう網の手入れする夫婦や
若い息子さんを加えた家族が 働いています。
(此の橋を渡ると、前島に渡れます・・・)
東の空が明るくなり始めると
【前島】【獅子島】の斜面が輝き始める。
――――今日と云う日の始まりです―――
灯台まで行こうと思ったら、村の青年と出会って
『迷ったら携帯で連絡くれれば探すから~~』
エッ? そんなぁ~~
7時の船で出て、昨日乗ったタクシーが港で待機しててくれたので
「阿南駅」7時50分発の特急に間に合った。
今日も青く澄んだ空が広がり、白い雲、まだ色付いてない次郎柿
彼岸花、コスモス・・刈り入れの終わった田畑からも
秋色を感じます。
「徳島駅」乗り換えて「高松駅」へ。
また再び乗り換えて「観音寺駅」へ向います。
(こんな可愛いお嬢さんが車掌さんなんですよ・・)
途中「多度津駅」で、「松山行き」の列車連結の為7分停車。
此の辺りからは、今刈り入れの真っ最中です。
後から聞いたのですが、減反とか米の値が下がるので一気に作らず
時期を少しずつ外して出荷できるように、遅植えしてるのを
此の時期に刈り入れしているんだそうです。
「観音寺駅」で下車すると、観光用の撮影をしていました。
横目で見ながら・・・またタクシーで港へ。
am11時20分発で【伊吹島=いぶきじま】へ。
伊吹島から戻って次ぎの島に向う港は、「仁王港」なのですが
日・祭日は、コミュ二テイーバスが出ていないと聞き
またタクシーかぁ~~~と
バスの時間表を眺めていたら
椅子で煙草を喫っていたお父さんが
『pm1時30分の便で戻ってくるなら、自分が駅まで送ってあげるよ』
『エッ? 本当ですか~~?うれしい~~! です』
25分の船旅、デッキの長椅子で横になり 少しの間眠る。
ひとり旅だと終点でもないとグッスリ眠れず、ウトウトなので
こんな時間が 好き!!
満ち潮なので25度くらい傾斜のデッキは 今にも滑りそうで
釣り道具を抱えてる人や 台車持参の人は大変そうです。
随分大勢の人が下船して、それぞれバイクで島内へと散ってゆく・・・
私はバックが重いので 船の待合室の隅っこに置いてから
ビールを探し求めて~~~
(民族資料館)丁度12時、サイレンは救急車?と疑うほど大きい~~
(小・中学校) 立派な講堂のある中学校・・淋しそうな二宮金次郎・・
【伊吹島】は、
面積1,05k㎡・周囲6,2km・人口1000人、
観音港から西へ約10㎞燧灘に位置し、香川県最西端の島
カタクチ鰯=イリコ(煮干)生産が、日本一。
やっとビールを見つけて・・・
だけど二十世紀の梨も美味しそうなので、包丁借りて・・・・
島のオバちゃん達の会議室??
『何処から来たの~~~?』
『昭和19年生まれ~~~?』
『オシャレだね~~~ぇ』
『幾つになってもオシャレしてるのはいいなぁ~~~』
話の途切れる間を見つけるのが難しいほど 会話が続きます。
《島の言葉》は平安朝の京都アクセントに一番近く、
日本語学会でも発表されたそうですが、オバちゃん達に言わせると
一般的には素朴で、荒っぽく聞こえる~~~?って。
例えば: 貴方=お前とか 御前様とか・・・
お公卿さま口調のようです。
オバちゃん達、又 観光で関東へも行ってみたいなあ~って言ってました。
帰ろうとすると、お土産にってジャコもふりかけを下さる。
お礼を言って歩き始めると、別の家から~~
港で会ったお父さんが顔を覗かせ、『 あら~~~?!』
『島に居る時はこんな生活をしとんじゃあ~~マア入ってヶ~~』
財団法人離島センターの 何か役をしていたらしく
小冊子も送られてきていたのを 未開封のまま私に下さった。
其の中には あの加藤氏の随筆も載ってて・・・
pm1時半、満潮に近いのだろう~~陸まで30㎝程しかなく
下船時より梯子の傾斜が もっと きつくなっている。
30分の船旅ですが、潮流や天候が悪いと 1ト月に欠航になるって、
『御まんは イイ時来たよ~~~』と。
約束通り 港からお父さんの家族の車で送っていただき
タクシーに乗り換えて 仁王港へ。