魚河岸女将の地球探索(勝手に専務)

地の隅々まで 旅しながら ・・・

 終の棲家を探し・・・

   生きるって・・・

今朝成田へ

2007-11-30 20:23:38 | Weblog

 


   今朝6時、成田に着きました。

マレーシアのコタキナバルは、真夏でしたから、此の寒さは・・・・

 夫と行く予定が、キャンセル・・・
    又、やられてしまいました。

       
 お陰で1人南の島での、バケーションを満喫してきました。
          

  仔細は、後日載せます。

  
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日本の秋・・・・真鶴を歩いて・・・・

2007-11-26 00:14:34 | Weblog
 


日本の秋を感じたくって、MIXI友と「真鶴」へ出掛けた。

 風も無く日差しが暖かな日和で、海も ナギで・・・
 「真鶴駅」って 東海道線でも下車した事が無く、
  国道を通っても、立ち寄った事のない、私にとっては穴場でした。

「真鶴駅」からバスで岬まで・・・
  シニアのグループ7~8人も乗っていた。
  彼らは魚市場前で下車し、船で周遊するようです。

バスは、右に駿河湾、左に湘南が見え隠れする景観の中を
 進んで、私達は終点迄行って下車です。

日本の秋を感じたくって出掛けたけど、
綺麗な美しい緑がイッパイで、紅葉してる木々はありませんでした。

 岬には、「三石」の碑があって、そこからは遊歩道となって
  木と石の階段が海岸まで250段ほど続き、
 途中に喫茶店があって、丁度、「鶴太郎の絵画展」が・・・
  此処のマスターが、「竹筆」で描く色紙も素敵です・・

 一息ついてお茶して・・・
  マスターがその中から一枚の色紙を記念にって下さった。
 《 福 》 
   縁起がいいので・・・と 言葉を添えて。
             
友は,そこで待たせて私1人、海岸へ。
 
静かな、美しい、キラキラと輝く波・・・
 遠くの荒瀬には数人の釣り人が、糸を垂れています。
 
 ここでも男女のシニアのグループのハイキング・ツアー?が
 『登りはいいけど、下りは膝が痛くなって・・・・
   下りが無いといいんだがなぁ~~』と 話しながら・・・

 しばらく歩くと、
  引き潮の時には歩いて渡れるという、「三ッ石」が見えてきた。
   しめ縄が張られています。

 まだまだ歩いていきたいけど・・・
  友を待たせてるので、戻ります。

マスターがこの「真鶴」の緑の沢山ある訳を、話してくれました。
 
350年ほど前、徳川幕府が《松》だけでなく
  それに付帯する《緑》も 沢山植えさせたそうです。
 海岸の大きな石も、「駿府城」築城に使われたとも・・・・

再び来た道をバスで戻り、途中下車し昼食です。
 活き魚料理の店が多く、
  ビールとサザエのつぼ焼き・トンビのから揚げが・・
   『 お・い・し・い~~!』
やっぱり、日本の魚は美味しいですね~~~。


楽しい時間の過ぎるのは早く、もう3時には肌寒くなり、
 午後5時には、家に着きました。


12月には、私の大好きな「枯れ葉の絨毯」を踏みしめに
 四万温泉の一番奥まで、歩きに行こうと考えています。


 
 
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ポ^ランド・バルト三国の旅 (最終回)

2007-11-25 06:42:45 | Weblog
    


      11月15日(木)
 
 古都クラフクから15km位で
「世界遺産」ビィエリチカ岩塩採掘場跡に、到着です。
 
海底が地殻変動で隆起した岩塩坑は、1950年で廃坑に、
内部は太い木で囲まれ9層にもわけられ、54の「くの字」の階段で
 地下一層までおり、2000ある部屋をつなぐ300㎞の「塩の道」

 コペルニクスも訪れたと言う。
 
深いところで採れた「塩」は、「テコの原理」を活用し、地上に送り
 海水が流れ込んでくると、パイプを通して濾過し、
 「塩」は「塩」「真水」は飲料水として活用しました。
 
1ℓの海水から320gの「塩」が採れます。
 
「ミネラル」が濃いほど、純白になります。

地下130mの所の海水の湖で、ブルーの小さなライトが灯され
 ショパンの曲が流れ・・・・
 《101回目のプロポーズで使用された曲・・・・
   題名が私は判らない???》♪ ♪

最深135mには、レストランが・・・そこで ランチです。
  美味しくない!!  ポルトガル風餃子でした。

内部の彫刻・壁・大聖堂・教会・シャンデリアも・・・
  すべてが「塩」「塩」「塩」・・・・
 何処も触ってないのになんとなく、塩っぱい!!!


 クラクフへ戻り、ワルシャワ迄EX一等車の旅です。

ワンボックスに6席、天井が高く、リグライニングにもなるので
 隣にウルサイおばさんがいなければ・・・耳栓をして・・・
     
車窓からはもう真っ暗で何も見えな~~~い。pm5時50分到着です。

ワルシャワの街はライトアップされて、クリスマスのような輝きです。

        

      11月16日(金)

最終日、昨日とうって変わった真っ青な空が広がっています。

バロック様式のビラヌフ宮殿を1時間半に亘って、巡りますが
 当時からの年代順に肖像画が並べられ、説明を聞いてるだけで
   あくびが~~~あ~~~~あ~~
 
 午後3時にはもう暗くなるので、
小学生のランドセルには、反射板が取り付けられているそうです。
 
税金は三段階で、19%,30%、40% と、いうように。
 
医療費は、全部タダ。
 術後のリハビリーすべて、滞在費用も・・・但し条件が1つ・・・
 家族が集まる正月とか、夏休みとかに行うよう指示があるが、
    其れを、もし、断ったら・・・
  そこで、すべての治療は終了となります。
 
議員制=参議院100名、 衆議院460名

自転車は交通手段ではなく、リクレーション用。
 理由は,駐車の問題・坂の上り下り・盗難などの問題で・・・

街の中心にビスワ河が、全長1000mにわたり流れてるが、
 古代には、此の河を使用して、流通が行われていたと言うほど
   重要な物だったそうです。
   

午後、
 キューリー夫人の生家、
 ショパンの心臓を祭る聖十字架教会・・・
    といってもプレートが貼ってあるのみ
 ワジェンキ公園内水上宮殿での、ピアノ・コンサート
 フィナーレは、フォルクロディナーへ。
 
フォルクロディナーと言っても、1960年代~1970年代に
 流行した曲を2人の男女が弾き語りするだけで、
  地元のカップルが踊り続けるだけで、期待はずれでした。

  
     11月127日(土)

どんよりした寒い朝、
 am10時40分、ヘルシンキへ1時間40分のフライト。
  時差プラス一時間  
「ギャーギャー」うるさい連中の中で耳栓をして眠り
                        
 目覚めた時の窓から、真っ白い氷に覆われた街が、太陽に輝き
  まるで、ガラスの世界を見るような、美しさでした。

この後 成田へ9時間40分、時差プラス7時間・・・・
 明日の午前10時頃には・・・・・・

秋のヨーロッパの旅は何か淋しく思えるのは、ポーランドだけだろうか?

  日本の秋には、風情があるのに・・・・

今年は9回の海外だけど、
やっと、家にいる時と変らない生活が出来るのようになったのは、
 ほんとうの意味で『旅慣れ』してきたのだと思う。


  *          *          *

又、明日から、海外へ出掛けますので、今月イッパイお休みです。
 寒いので風邪を引かないように、生活してください。
                   
 私は、真夏の島にいってまいりま~~~す。

            
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ポーランドとバルト三国の旅 (其の 5)

2007-11-24 01:23:35 | Weblog



    11月14日(水)
 
 『 ハイル ヒットラー!!』

 私は、何故か嫌いになれなかった人・・・・・

「世界遺産」に迄、してしまったアウシュビッツ強制収容所・・・


今日で8日目、太陽が顔をのぞかせ、
青空が広がり遠くに低い山が霞んで見えている~~
   やっと秋晴れの朝を迎えました。

「世界遺産」はポーランドに13箇所あるが
 
 第一番が、クラクフの旧市街
 第二番が、岩塩採掘場跡
 第三番が、アウシュビッツ強制収容所
 第四番が、ビルケナウ収容所跡 
  此の順番で、指定を受けたそうです。

リトアニアのユダヤ人164000人が殺され、600人が逃亡
  現ポーランドのユダヤ人は、1000人
 手を下さなかったのは、スエーデンとデンマークだけで、
  隣国は、何らかの形で手を貸していたそうです。

此処へ行く途中に、400年前に建てられた立派な教会がありましたが、
 それらは、当時どんな役に立ったのだろうか~~~?

それは、
 クラクフの街から64㎞、オシフィエンチムの街にあるという・・・

富良野のような緩やかな丘の上に昨夜の雪が残り、
 葉の落ちてしまった木々にりんごの実や、真っ赤な果物が
  かろうじて付いている・・・
 太陽が輝き、のどかさが増し、何時の日にか其処も
  人々の記憶の中から忘れられてゆくのだろ~~~~

am10時、
《働けば自由になる》との、ソローガンが掲げられた門を入って
 直ぐ左側の収容所、塀には250Vの鉄条網が張り巡らされ
  逃亡は不可能だったのは、うなずける。

始めは、ドイツ政府にとって危険人物と思われる人を収容してたのが
 だんだん、ターゲットがユダヤ人に絞られていった。

ドイツ人将校は、

 『我が国にとって、危険と思われる人を解放しなければならない』
 其れは、再定政策と呼び、
  再び定住させるという建前を持って、
ロシア・ユダヤ・ポーランド・同性愛者・身体障害者を、運び込んで
 働けるか?否か?の決定は、医師が行い、25%しか残さず
 ポーランドだけでなく、ヨーロッパには他にも18箇所あり、
  多い時には、一日で100万人も殺したそうです。

現場の写真7枚が隠し撮りされされたものの内、3枚だけが残り
 戦争犯罪の証拠として、今、提供されてました。

「人間の髪」1950kgが現在も残っていますが、
当時は、加工し(絨毯・生地・網)等にして、販売されてたそうです。

「貴金属」は入れ歯に至るまで没収し、靴・眼鏡・コート・幼児の靴
生活用品(櫛・化粧品など)カバンにはネームが入ってたり、
 義足・義手など・・・山・山・山・・・・

『青い瞳と金髪なピュアな人を増やせば、平和になる!』 と言って。

 ヒットラーには種種の数が報告されていたが、
  実際には、棄てられていた物を戦後発見され、
 それらを展示してあり、見る目にもその凄さが解かります。

焼却炉を使ったガス室の天井には、ガス缶を投入する窓があり
 焼却炉は4基、 そこには生花が置かれていました。

胸には
「ユダヤの☆」を付けた子供の姿・・・・
「紫のマーク」を付けたエホバの証人、
「ピンクのマーク」は、同性愛者
  と、 判別しやすくしていたそうです。

ビルケナウ収容所跡は、
 多くの人を乗せてきた貨物列車の引込み線がそのまま・・・・
 映画『シンドラーのリスト』で撮影に使用した現場です。

   写真が そうです。

その奥は馬舎を改造して三段ベッドを入れたり、WC、洗面所など
 そのまま残っていた・・・・

 体の芯が、冷たくなってる自分が其処に・・・・

   +        +  
 
午後になって雪が降り出してきた。
 
 旧市街には1300年建造のバベル城、
 
 天井まで14mもある聖マリア教会は、
 Pm5時になると、トランペットが塔の最上階から吹き鳴らされて
  幻想的なものをかもしだしていた~~~

お腹が空いて~~~「ピザ」の店でテイクアウトしてもらい
  雪の中を歩きながら たべる~~~

 考えたら朝は、胡瓜と小さなパン一個、昼はビールとスープ位で
  何も食べずに8日間も過ごしてきたのよ、

持ち込みしてなかったら食べる物なんか、何にも無いもの。
           

 
   *         *         *

 明日は連休前なので、久し振りに魚河岸へ行きます。

  久し振りなので、朝起きれるかな~~~?
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ポーランドとバルト三国の旅 (其の 4)

2007-11-23 05:58:29 | Weblog
  


    11月12日(月)

カウナス市の人口は、30000人
 その、グリーンヒル住宅街の中に、「杉原記念館」があり、
 VTRにて説明を聞く内に、涙がこみあげてきた・・・・

   『 葦のように しなやかに
         木のように 堅くなるな  』 

 彼の辞 そもものに行動され6000人もの命を救った
  「日本のシンドラー」 杉原 千畝 氏。


ドイツとポーランドは不可侵条約、
 1936年には日本とドイツも締結してるその中で、
  彼は、リトアニアの領事として勤務していましたが、
 ポーランドに住むユダヤ人は、ナチから逃亡する為には
  シベリア~~日本を経由しアメリカへ。

しかし、日本VISAが無いと通過できない為、日本国に打診するが
 勿論答えは 「NO!」
 彼は,早朝から領事館に押しかける人の数が多くなるのを見て、
 独自でにっぽんのVISAを発行してゆきます。

 その数は、1600・・・
  子供は親と一緒だからいらないから・・・と。
 そして、そのVISAを渡すとき

   『 バンザイ!!! 日本!!』

  と、 言わせたそうです。
    
    写真は彼の使用してきたデスクです

大戦になり、シベリアに逃れてゆく列車が走り出すその窓からも
 書く手を休まず 書き続けていったそうです・・・・


戦後「命を救われた人達」が、日本へ問い合わせをしたが
 『あて先知れず』と、教えてくれなかったのを
 イスラエル政府の人がやってきて やっと見つけ出し
  [ 諸国民の中の 正義の人 ]と 讃えます。

 岐阜県夜八百津市出身で、平成6年「人道の丘公園」が
  此の地に建てられています。


カウナス街の中心には,937mバルト海へ注ぐネムナス河が流れ
 その流域に城・砦など旧いものが残っていますが
  木々の葉は、もう残っていません・・・

ランチは「鹿」「イノシシ」の獣肉のステーキでしたが、
 私は食べません・・と言うより、兎に角食べ物が不味くって
 12日間中、最後のディナーだけ出席しただけで
 「お部屋」で 食事をとりました。

2時間ほど走ってポーランドの国境ですが、
 EU加盟国となり、来春1月から此の国境は無くなり、
   ロシアとの国境を残すのみとなります。
 
 ここで、時差-1時間。

ワルシャワまで 384km。


面積は日本の8割、313k㎡、1918年11月11日独立、
 ロシアから1986年6月に独立し、
 1989年~~共産主義から民主主義に、
人口、3865万人

 何百年にも亘る、各国からの支配や圧迫を受けてきたのは、
 平坦な地であり、高い砦などない為、侵略しやすかったからだと・・

ポーランド人の特性は、個人主義と議論好き

* 愛国心=弾圧されてきたので、安全性にたいして
* 持て成し好き=「神様が来た~」と言って、冷蔵庫を空にする位
         『 不確実な明日より 今日を 』
* 同情心の豊かさ=弱者に対するいたわり


『 第2の日本に成りたい!!!』
     と、言った大統領の言葉に含まれたのは、

 戦後いち早く民主化し、経済発展を遂げた事、また
 のっぽんとは敵対関係になった歴史も無く、かえって
 かえって、ポーランドの将校達を優遇してきた点などがあって
 日本人には,友好的です。

未だ、高速道路が無く、一本道なので工事中と言うこともあって
 だいぶ、到着が遅れました。

    

     11月13日(火)

ワルシャワ駅鉄道は、1975年に開通し一度も修理した事が無いから
 少しガタピシしてるらしいが、15日クラフクから乗車する予定。

両替100ドルし,1ズウォッティ=50円
 共産主義を通してきた国のため『値切る・おまけ・冗談じゃない!』

1910年誕生のショパンの生家を訪問。
 『今まで一度も無いのに~~~』と、ガイドが
   停電の為、灯りも音楽も流れず~~~~
 
 15分位してパツ!と 明かりがつきましたが、
  小雪もふりだしてきました・・・

午後、クラクフ迄 349km。
 
 車窓からの眺めは、裏淋しい秋を、深深と降る雪の中を走り続け
  やっと、8時頃到着ですが、
   今回のツアー35名の8割が女性

 馬鹿ふざけするし、ギャアギャア騒ぐし、説明を聞くわけでなく
  何を得て帰えるのだろうか~~?

 騒ぐだけ大騒ぎして、ガイドの説明が始まると、
  { あれ~~? 寝てる~~~}

 
ポーランドの教育は
 6・3・3制、小学校からパソコンルームがあり、2人に1台、
 幼稚園から英語が入っており、1クラス20人の2クラス、
 学校自体は小さいが、特殊な授業、例えば、プール、運動場などは
 町営の施設を活用するそうです。
 
 高校卒業後2年間の職業訓練を受けると、5年制の大学入学資格が
 与えられ、進学率は26%。

 1999年から教育改革が行われ大卒者7%、農村では1,5%と低い。

宗教は、カソリック。

食事は、1日4回。

挨拶は、手の甲に男女の関係なく キス をする。

週休2日制。


   * * *

 いよいよ次回はアウシュビッツ強制収容所です。

長いブログで読むのも疲れるでしょう・・・・・
 出掛ける日が近いので、又、しばらくお休みになりますから
急いで載せたいと まとめて記載してるので、御免なさい。



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ポーランドとバルト三国の旅 (其の3)

2007-11-22 00:08:57 | Weblog
    

       11月10日(土)


此の国の産業は、家具・繊維・EC・電力も隣国へ売却している。
 失業率は、4%

雨も止んでどんよりとした灰色の思い雲の合間に、青空が見えている。

バルト三国最後の国、リトアニアの首都・ビリニュスまで
 途中立ち寄りながら 380kmの移動です。

此処でも一日だけなので、20ドルだけ両替=1リタス@53円。

途中、ミニ?ベルサイユ宮殿と称される敷地六十㌶のルンダーレ宮殿へ

 ベルサイユ宮殿の《戦争と平和の間》に似せた「金の間」「白の間」
 その他 赤・黄・青・グリーン・ピンク・モスグリーン・クリームで
 分けられた各部屋が幾つもありますが、大戦ですべて破壊されたのを
  莫大な財をかけて修復したものだそうですが、
    別段、此れってゆうような事はありません。

国境に到着したのは、pm1時40分、

 ユーロ、ドルのレードはいいが、日本円はまだまだ・・・・

此の国の面積、63500キロ㎡、北海道の8割、人口370万人、
 丘陵地帯で東が高く、西が低く、四分の三が平原で
 一番高い山で293m、森林27%、湖4000、川722本、
 ナムナャス河は、450kmロシアから流れてきています。

1990年3月、ロシアから独立。

 pm3時、

平原の中に突然現れた十字架の丘・・・・・(写真)

 ものすご~~い数の十字架が・・・山のように重なり合って
  絡み合っている・・・・

1800年代、
「自分の病気を治してもらえたら、此の地に十字架を立てます」
    と、願いを架けたのが始まりで、
 ソ連時代にも撤去したが、再び立てられ、現在に至っては、
 [宗教抵抗シンボルの丘]として、広まっているそうです。

pm4時、
 トイレ休憩で立ち寄ったザリアの町では、大粒の雪で歓迎される。
                       
 
ネムナス河・ビリナス河二つの流域で、
  標高150mの丘陵地帯にある首都・ビリナス。

 産業は森林・EC・金属加工

 多種民族が住み着いている為、宗教も多い。

 走行中の窓からの景色は、牧草・耕地が続き
  家は点在するぐらいで、、集落としては見当たらないし、
   行き交う車も・・・○○台・・・・?

『あつ! やっと遠くの家の明かりが見えました~~』

寒々しい景色の中、小さな灯りが「ホッ!」 と、させます。

[マッチ売りの少女]の 
一本のマッチの灯りが 私の思いの中に登場しました。

pm6時半近く、首都・ビリニュスに入ってきた頃から景観が変り
 「いすゞ」「マツダ」「キャノン」「ミノルタ」「フジフイルム」等の
   看板が目に入ってきたり、
  幾層にも縦横する高速道路も走って、
 窓が5つもある真っ白なリムジンも、其処を走っていました。


    11月11日(日)

夜中降った雪が、少しだけ屋根に残ってたが、
 am7時頃から再び降り始め、雲もどんよりと低いので、
   このまま降り続くかも~~~~

 雨よりましだけど、滑り止めにスパイクをつける準備をする。

高い建物が無く、レンガタイルや漆黒にツタがからまり、
 暖炉の煙突のある風景に、雪はとっても似合っています。


年金支給額は150ユーロ@24000円位、
 給料も安いので3つ位職業を持ってる人が多いそうです。

気候は、夏は30度、冬は-40度、
 今年は雪が早いそうです。 今の気温は3度です。

人気スポーツはバスケット、サッカーは興味ないようです。
              
 バチカンのローマ法王の出身した、「聖パウロ教会」
 私は興味ない・・・

大聖堂と鐘楼との間に『踏み絵』が・・・・
 そこから、あの『唄う大革命』の一歩が始まり、
 pm5時~7時の間に200万人の手がつなぎ、最終的には
 三国間で600万人が鎖となって、広がっていった。
 
 東京~明石間に相当するそうですが、
もしも日本で起きたら・・? と 言う質問が交わされましたが、
 『自分たちも同じようにするだろう~~』
 確信を持って答えられるとも・・・・


レンが造りの『聖アンナ教会』をナポレオンは大好きで
 『出来れば、パリに持って帰りたい!!』
   とまで、言わせたそうな。

此処は主食がジャガイモで、豚肉・りんご・牛乳・チーズも
 アメリカへ輸出、建築材料・化学肥料・・・
 8月になると{松茸}も輸出するそうです。

所得税27%、社会保険31%、消費税18%

 : :
途中立ち寄ったトラカイの街の人口10000人、
 湖上に浮かぶレンガ造りのトラカイ城は、
 鎖で上げ下げする橋を渡って入場する、コミック漫画に出てくる
  古城そのもので、中庭には断頭台や個人牢が、置いてあった。

カウナス迄、まだ80km

 雪国は夕暮れが近くなると、肌にピリピリと冷たさが感じられる。

ホテルで鍵を貰って急いで部屋に上がったのに・・
 幾ら探しても『部屋が無い!!』
 トランクを持ってエレベーターを上がったり下がったり・・・
                    
フロントで案内してくれて・・・
 VIPルームでした!!!
   運動会が出来そう~~~~


 *         *         *
       
 今日は、友と「真鶴半島」を 歩きます。

 少し寒いでしょうが、日本の秋を楽しんできます・
           

































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ポ^ランド・バルト三国の旅 (其の2)

2007-11-21 19:24:22 | Weblog
      


     11月9日(金)


エストニアの面積の1割がし島々、4割が森林、ロシア最北の地域
  ゴルゴ族が基となって形成されてきた人達で、
  北海道の6割ぐらいの大きさで、
  東西に350km、南北220km、真夏でも最高気温22度、
    寒いので、ゴルフ場は、たった1つしかない。

今日一日は一路東へ向い、途中から南下し370km移動して
 ラトビアの首都、リガ へ向います。

リガの気温は4度、窓の外は細かい雨が降っています
 平地なので、バスの座席から遠くまで見渡す事ができ、
  ところどころ草地に雪が残ってるのが見えます。

 ストリート・チルドレンも10000人、
 回し針から感染したエイズ患者、
 性意識を持たないロシアの若人達が増えているそうです。

 ジャガイモの種は150種に及び、
  美味しい理由は寒冷地によるものだろうと言われてます。
 
 勤勉な若者が多く、
 食糧・木材・EC・繊維など、EU各地へ輸出されていますが、
 600年前もデンマークの当時統治下に在ったが、
  今は、資本主義に変ってはいるものの、
    まだ、20年も遅れているようです。

am11時国境に到着。
  パスポートを渡し、ラトビア入国です。

人口230万人の三分の一がリガに住み、
 面積646000平方メートル、インド人が基となり
シベリア移住してきて13世紀に形成され、種種の国の支配下になり
 1919年ロシアからの開放があったにもかかわらず
   ナチから逃れ、再びロシアの配下となったり・・・

1991年8月21日、
  やっと独立をバルト三国の中でトップで勝ち取った。

 リガは、近隣の都市を合わせると100万都市となり、
   バルト三国の中では、最大の都市です。


右手にバルト海が見え始めた~~~
 
 最深460m、浅い所で50m、415000キロ㎡、
 普通の海水の塩分は3%なのに、
 バルト海は1,6%と薄いのは、海面のみ塩分があって、 
 海底は水となって、バクテリアが生存しない為
 硫化水素が増えてゆくからだそうで、支笏湖と同じらしい。

東西470km、南北300㎞、平坦な地で森林が40パーセント、
 湿地帯10%、農地40%、道路4%、沼2300と、とても多い。

ポーランド・ロシア・スエーデンと支配が変ってきたが
 ドイツの影響が大きい。

ランチ後、小雨煙る世界遺「リガ」の街を徒歩で著名な場所
 作曲家・わーグナーの生家
 リガ城
 革命で亡くなった人達を供養する為、民間人の寄付で建造したペテロ教会
    などなど・・・・
 とりたたて「これ!」って言ったことも無いところを、寒い中
 ゾロゾロと傘を差して・・・お猪口になったり・とばされたりしてたし
 買ってる人もいたけど、差していないのは私だけ。

pm4時半、

 もうすっかり暗くなり、何処の家も明かりが灯されている。

此処も一日だけなので両替は@1000円、1ラッツいくらだっけ~~~?

  夜、スーパーへ出掛けてビール500ml缶@80円位だった。 


     *          *          *
   
    眠くって~~~寝てるんだけど~~~













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ポーランドとバルト三国の旅 (其の 1)

2007-11-20 19:55:08 | Weblog
  


   平成19年11月7日(水)~18日(日)
ポーランドとバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の旅

 一ヶ月ぶりの海外旅行、久しく出かけてなかったような気がする。

 成田空港は、ガラガラです。

定刻通りの出発・到着。
 フィンランドの首都ヘルシンキの気温2度、
  此の国を訪れたのは、孫娘みな海の希望で
サンタクロースに逢いに来たのが、もう、5年も前になるんだね~

再び、エストリアの首都・タリンへ、約30分のフライト
 雪が降っており、気温1度と、とても寒い。

1991年、ソ連から独立し、ユーロはまだ未使用だが、
 人口140万人の三分の一が、此の街に住んでおり、
  旧・新市街をトロリーバスが走ってて、30分もあれば
     横断してしまう。

インターネットが盛んで、バスのチケットさえ購入するほどです。

学校に通いながら社会人として生きる・・・
 独立後から、学ぶ・教育の精神がとても強くなったそうです。

空港から20分ほどでホテルに到着しましたが
 20段以上の階段を、24㎏もあるトランクを自分で運ぶなんて~
「安いからって~~~」そんな言葉も、あちらこちらから~~

お部屋に入った時、此の「ホッ!」とした空気はナンだったんでしょう

 
  夫と過ごさざるを得ない老後の夫婦(?)

  出来れば・・・ひとりで・・の 私にとって
   ホテルの此の大きなベッドと、静かな空間・・・
    何にも惑わされる事のない、私だけの時間・・・・

   今回も思いました。

 私が海外へ行く大きな理由は、これだ!!って。

チューハイ2缶とつまみと共に空け・・・もうそろそろ眠りに・・・

 今、 気がついた!!
こうしてる刻が、普段過ごす其の刻と、チットモ変っていない事に~

外国に来てる~~今私はひとり~~
 それが、普段と全く変っていない事に、今、気がついた。

  やっと、《旅》が本物になってきたんだね。

 傍に(陸)が居れば~~~もう~~~~

  
     11月8日(木)

am8時にやっと明るくなるが、日毎に日が短くなってる為、
 寒さも厳しくなってゆく。

今朝の気温1度、 青空も見えています。

本・CDも、近頃は英語に翻訳されて入るが、一冊が@1000円以上と
 高いので、同じ本を破けるまで、何度も何度も読んでるとの事。
それに比べ、国立劇場(エストニア)でのオペラやバレーの切符は
 SS席でも@3000円、年金生活者や学生は 3割引き、
  日本人のバレーリーナが1人加わって、
   とても踊りが上手だと、評判が高いようです。

タクシーの流しは、ありません。

家屋の窓は二重になっているのを、
ソ連時代は、其処を冷蔵庫として活用していたが、今は、電化に変り

収入が入ると先ず、家庭に使い、次が車、そして旅行==
 北欧や東南アジアは巡り終わってるが、日本は物価が高いので
  敬遠されているようです。

走行中の車は、必ずライト点灯が条件です。

カジノは、25歳以上から出入り自由です。

僅か、一日しか滞在しないので両替は、@1000円=1クローン@110円

 今年の5月天皇両陛下も来訪しています。

国旗は、上段が青==空・草
    中段が黒==農民の土
    下段が白==希望・将来   を、表現するようで
此の色が国の基調となっており、建造物・トロリーバスなども
 すべて国旗の色を 使用しています。

マロニエの街路樹には、数枚の葉がしがみ付いてる位で
  霜柱が草の間にしっかり立っています。

バルト海も凍ると歩いて渡れるようで、海抜50mしかない地区なので
小高い丘に雪が降り積もると、子供達のソリの絶好の遊び場になります
 
此の野外音楽堂の観客席や、ステージに、
革命時には150万人の人が集い、歌って、人の心を鼓舞し、
 ソ連からの独立を願い、
  いつも、《 唄う革命 》と 言われているそうです。

旧・新街には、2,25kmに渡って城壁と塔があり、
 バルト三国の中で一番多く現存している。

 タリン=デンマーク人の要塞 

国会議員は、101席、 権限は首相にあります。

山の手~下の街へと石畳が放射線状に広がって、
静かではありますが、
 BAR・ブティック・宝石商・靴屋などが
ところどころ点在していて、中心の広場も1300年代の建造物を
  今は、ミュージアムとして使用したりして、
 昔=いにしえ の物を、現代に上手に生かす工夫が 
    所々に見られます。

スーパーマーケットも、
 フインランドが資本提携するチェーン店として出店しており
 ソ連の影など残す所などなく、
 資本流通の力を見せ付けられる程、商材も豊富で安いです。

だから、フインランドの人達が、フエリーを利用し
  此方で買い物をし、車のトランクに満載にして
     国境を越えていく~~~

海上での税関などのチェックがないからですって。

それに、フインランドは福祉国家で、TAXが27%と非常に高いので。


 秋の終わりの世界遺産《タリン》の街を散策後、
  の~~んびり、ホテルライフを楽しむ。


   *         *         *


昨夜は寝ずに紀行文を作成し、今日は「あかすり」で汗を流す・・

 
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   発つ朝・・・・

2007-11-07 02:58:12 | Weblog


               
 今日12時の便で ポーランドへ発ちます。

たった今、旅の友人「池口さん」からメールで、予備知識をいただき、
  楽しみが 増しました。
 
 彼とは、メキシコで知り合ってから、年に何回か逢って、
  食事しながら、旅の話題で時間が過ぎてゆきます。

 いいですよ~~

 こうゆう友人がいると、共通の話題があって 楽しいです。


発つにあたって、心残りは・・・
   
  ワンコの「陸」と 孫娘の「千穂」。

 散歩してもらえるかな~~~?
 
 一人ぼっちで、又 障子を破くんじゃないのかな~~~?

 (餌)を鼻で散らかして 部屋中にバラマクのではないのかな~~?
 
  夜は、誰と寝るのかな~~~?
 
  寒くないかな~~~?


*みみちゃん 
  「陸」の事 頼みましたよ。     


「千穂」は、専さんが居ないから ママのお背中で結わえられて
  窮屈でしょうが 泣かないで待っていて下さい。

 帰ってきたら、イッパイ遊んであげますから。

戻ったら、一番先に抱きしめるのは、「千穂」ではなく「陸」。

 人間のように、泣いて泣いて・・・・

    その次は、「千穂」です。

 では、行ってまいります。


     安心・お任せスタイルの 「陸」
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 紀行文? パソコンでのブログ?

2007-11-06 01:09:56 | Weblog



 新潟と長野の県境の、深い谷間に点在する、《秋山郷》は、

「見玉」「穴藤」「逆巻」「見倉」「清水河原」「結束」「前倉」「大赤沢」
  の8集落が、新潟越後で、
 
「小赤沢」「屋敷」「上野原」「和山」「切明」が 信州長野で、
 13の集落の総称だという事を、行って見て知りました。

昨年の秋「ローカル線の旅」で知ってから、今年の1月にも
 「松之山温泉」を 訪れましたが、
 
  もっと、山深く入って歩いてみたい気持ちに駆られて
 資料・バスの時刻表を取り寄せて、計画していたのですが、
  
 一泊二日では、廻り切れず延ばしていたところ、
  「日帰りバスの旅」があったので、
  お嫁さんと其の友人と 三人で、出掛けたました。

 
 連休でもあり、混みましたが、紅葉が最高な季節で、
  気分を一新してきました。 


 今までなら、旅の記録をレポートに書いてから、

  パソコンに入れていたのですが、

 此の所書くのが面倒になって、そのまま入れてる為、
   
    記録に残せなくなって・・・

 其の内、パソコンに入れることも面倒になってくるかも・・・
             

      
 明後日から、「ポーランド」へ 出掛けますが、
    此の旅は キチンと記録して載せますので、


 随分、寒いようですので、
 
  「アウシュビッツ」収容所が、どんなに寒かったか・・

    肌で、感じて来たいと思っています。




     写真は 秋山郷・見倉橋で
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