Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆幕府がペリーの黒船来航を知らなかったというのはウソ

2020-08-12 04:18:38 | Weblog

1853年、浦賀沖に突如としてやって来た4隻の黒船に日本中が大混乱に陥った。幕府は何も知らずに慌てふためき、ただただ西洋文明の技術力に腰が引けていた、このように認識している人もいることだろう。だが、実は幕府はこの黒船来航を事前に把握していた。
黒船来航の前年、長崎奉行が出島にあるオランダ商館から情報を得ており、アメリカが日本との条約を求めていること、アメリカから4隻、中国周辺から5隻の艦隊が派遣されること、その艦隊に陸戦用の兵器が搭載されているという噂があることなどが知らされていた。
老中首座の阿部正弘にも情報は伝わり対応策が練られていたが、海防警備を行う海岸防禦御用掛は条約締結に反対、長崎奉行に至っては以前オランダからの警告に誤りがあったことから情報をあまり信用していなかった。結局、浦賀周辺の海岸警備強化を川越藩・彦根藩に命じるにとどまり、情報も上層部にしか知らされなかった。浦賀の実務役人はもちろん、庶民にも知らされることはなかった為、混乱が起きて全国に黒船来航の噂が広がったわけだが、こうした幕府の消極的な姿勢が、一部の藩主や武士に徳川家への疑問を抱かせたのかも知れない。


浦賀に来航した黒船「ミシシッピ号」
ペリーは大統領フィルモアから自由裁量権が与えられ、艦隊を利用した交渉も認められていた。


黒船を率いて日本へやって来た海軍大将マシュー・C・ペリー


黒船来航に対処した老中首座阿部正弘
ペリー来航後、朝廷と連絡をとり諸大名に意見を求めたことで、各藩の政治的な発言が強まった。





                          教科書も間違っていた 歴史常識のウソ
                       政治と事件のウソ




 


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