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読了・クジラの島の少女

ウィティ・イヒマエラ、2003、『クジラの島の少女』、角川書店
映画『クジラの島の少女』の原作である。著者のウィティ・イヒマエラはニュージーランドの先住民マオリの出身で、最初のマオリ作家でもあるという。本書はニュージーランドのカルチュラル・アタッシェとして在アメリカ大使館に在任中の1986年に書かれたという。
本書の主人公はカフティア・ティ・ランギという名の少女(通称カフと呼ばれる)である。彼女はハワイキからクジラの背中に乗ってやってきたというかれらの部族の祖先パイケアの名を継いでいる。
マオリの置かれている現状、世代間ギャップや伝統と変容という重要な現代的課題という背景の中で、コロ・アピラナという族長(カフの祖父)とナニー・フラワーズというその妻(カフの祖母)、ポロウランギという父、語り手であるラウィリという叔父とカフからなる一族(ほかにカフの母や妹がいるが、小説の中での役割は小さい)の物語である。カフが生まれたとき、跡継ぎのほしかった族長のコロは女であったので非常に落胆する。そして、ポロウランギの二番目の子どもも女だった。
コロ以外の誰もが、女で良いではないかと考えるが、コロはそうではない。次第に崩れゆく部族の現状に悲観的な彼は、次世代の救世主を待ち望んでいるのだ。しかも、その人物は、伝統に従って男の子でなくてはならない。従って、カフが女であることは許せないし、加えて祖先の名を取ってカフティア・ティ・ランギと名付けられたこと自体反対であったのだ。
カフに対して冷たくあたるコロではあるが、カフは祖父のコロが大好きである。そして、カフは、マオリとしての自覚を持ちつつ成長していく。叔父のラウィリは、語り手として温かい目でこの成長を見守っている。
本書のもう一つの主人公は老クジラにひきいられたクジラの一族である。パイケアを背中に乗せることのなくなった(人間とクジラの離反を指すのか)彼は、パイケアを求めて一族を率い太平洋を旅して回る。しかし、その姿はなく、かえって原水爆実験や海洋汚染という事態に直面することになる。そして、老クジラはその生を陸上へのランディングによって終えようと、パイケアの子孫達が暮らす海岸に乗り上げる。ほかの海岸でもクジラたちは海岸に乗り上げていく。
人々はクジラたちを海に帰そうと必死に働くが、死を企図するクジラたちはそれに反して、海に帰っていかなかった。
カフは海岸に乗り上げている老クジラの背中に乗り、話しかける。「わたしは、カフティア・ティ・ランギ、パイケアである」、と。その声を聞いたクジラは、生きる希望を取り戻し、海へと戻っていこうとする。
カフを乗せたまま深海に潜ろうとしたとき、老クジラの妻が、その認識の誤りを指摘する。あなたの背中に乗っているのはパイケアそのものではなく、その子孫であり、彼女を帰すことで部族の未来を継がさなければならないと。このことばによって、老クジラはカフを陸に返すことを決意する。
海に数日間浮かび、さらに数日間病院で過ごしたあと、カフは意識を取り戻し、伝説的な英雄パイケアの生まれ変わりとして再生するのである。その後の部族の姿は描かれていないが、繰り返し本書の中で繰り返される以下のフレーズが、その未来を暗示するのである。
「ハウミ エ フイ エ、タイキ エ(共に集い、ひとつになれば、ことは成せり)」
クジラの島の少女

角川書店

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2004-12-05 13:17:54 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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