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『追悼 戸塚洋二先生 かくて伝統はつくられた』を読んで

『日経サイエンス』2008年10月号に、「追悼 戸塚洋二先生 かくて伝統はつくられた」というコラムが掲載されている。このコラムは、特にカミオカンデのプロジェクトに関わった諸先生方の追悼文を挟みつつ、戸塚先生の研究史とプロジェクトの動向についてのべるという構成をとっている。戸塚先生のプロジェクトをリードしていくエピソードは壮絶である。
しかし、その中の裕子夫人の手記もまた、心うたれた。もちろん、戸塚先生とのやり取りももちろんではあるのだが、先生が末期ガンとの闘病のために過去のデータが欲しいといっても、治療に関わるデータベースが存在しないこと、さらには、そうしたデータベースを構築する必要を訴えておられることも、心うたれたことのひとつである。

先日(といって、7月)は、『文藝春秋』2008年8月号の「ノーベル賞に最も近い物理学者が闘う生と死のドラマ がん宣告 「余命十九カ月」の記録 戸塚洋二/立花 隆」を読んで、死の直前まで、自然科学者として抗がん剤投与の経過について、自分自身の身体の諸データをつかいつつ、データベース化していて、グラフ化して表示されている。このときも、医療面のデータベースがないことの不思議を思ったのであった。

末期がんでなくとも、闘病の支えとなるのは、医師の言葉や家族の支えだけでなく、裏付けとなるデータがあれば、どれほど、心強いであろうか。さらに、自分自身の記録もまたデータベース化されていて行くとすれば、あとに続く「戦友」たちへの支援ができると思えてきて、ますます、心確かに闘病生活がおくれるように思われる。
医療関係、とくに、治癒記録過程のデータベース化は、困難なのだろうか。どうすれば、できるのだろうか。外国の事情はどうなのだろうか。

闘病の記録は、「A Few More Months」(http://fewmonths.exblog.jp/)というブログにご自身が残されている。
また、東大の立花隆ゼミの学生たちの戸塚先生へのインタビューが「見聞伝」というウェブページ(http://kenbunden.net/totsuka/index.html)で読むことができる。

2008-09-15 17:12:39 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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