Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「弱者」を排除する組織こそ、最も弱い組織

2016年07月31日 23時13分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近はドリップコーヒーを淹れてくれる喫茶店がめっきり少なくなってしまった。本当はストレートコーヒー(私は酸味のないマンデリンが好きである)を飲ませてくれるところはさらに少ない。そういう店は大体がゆったりと設えてあり、気分も落ち着く。
 個人経営の喫茶店はとても厳しい経営を強いられているようだ。コーヒー1杯で2時間も3時間も居座られたらつらいのは十分理解できる。昔はコロラドなどというチェーン店があり、今も時々見かけるが町の中心から離れたところにしか見かけなくなった。
 現在ではチェーン店の喫茶店が最盛期、セルフサービスを前提に200円から300円前後の値段でコーヒーを飲ませるのだが、ドリップコーヒーではないので、私の効かない鼻ではコーヒーの香りを楽しむことはできない。またストレートコーヒーなどはもとから想定していない。わたしなりのゆったりとした時間を過ごすことはできない。とてもそのようなゆったりとした時間を喫茶店に求めるのは無理なようである。
 話は大きく飛躍するのだが、最近の企業は、成果主義とか実力主義といったことが当たり前になっている。だが、人間の集団というのはそれが当然の組織体なのだろうか。人間が他の動物と大きく違うこととして「社会性」がある。「強者」だけの社会は、常にその組織内の最弱者を常に排除する。あるものが最弱者として排除されれば、その次に最弱者になったものが排除される。常に排除の論理で成り立っている。差別の拡大再生産構造を容認する組織は、柔軟な組織とは言えない。
 人間の社会性によってもたらされた組織の強み、それは「弱者」を抱え込むことだといつになったら気がつくのであろうか。「強者」だけの組織は始めにその組織を作った世代が成績順に交代すれば、構成員は100%入れ替わる。組織を構成している人間のための組織ではなく、組織のための人間という逆転現象が現出する。「そして誰も居なくなった‥」というパロディーを常に拡大再産しているだけなのである。
 進化にともなう生存競争を組織の発展になぞらえる悪しき組織論がある。だが、適者生存は弱肉強食でも強者のみの生き残りでもない。将来生き延びるための「適性」とは何か、誰もわからない。外的環境の変化は予測不能である。現在隠れていて、ひょっとしたら現在は「弱」である性質が何時「より適者」になるかわからない。「弱」を含めて抱え込む組織の方が将来に対する適応能力があるといえる。「弱者」を抱え込むノウハウが組織の柔軟性を担保すると考えるべきである。組織や社会の柔軟構造を捨てては、逞しい生存はあり得ない。
 ゆとりをもった組織、それは多分ゆとりをもった時間を構成員が共有している組織だと私は信じている。

シンポジウム「印象派の広がり」(横浜美術館)

2016年07月31日 19時56分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は横浜美術館でシンポジウム「印象派の広がり」を聴いてきた。
 私は普段絵画の展覧会の印象を私の感覚だけを頼りに、好き放題、誤解と曲解と勝手な思い込みだけで記しているので、このように「コレクター」の存在だとか、文化受容の解析などは勉強していない。それでも「文化需要」という視点はとても惹かれるものがある。私の視点の大きな柱にしたいとは思っているが、如何せん不勉強の極みである。
 本日はアメリカという社会が印象派をどのように受け入れたか、という視点でアメリカのナンシー・モウル・マシューズ氏の基調講演、京都国立近代美術館主任研究員の池田祐子氏、神奈川県立美術館主任研究員の籾山昌夫氏、東京大学教授の三浦篤氏の講演とシンポジウムを聴くことが出来た。
 基調講演は通訳を入れて1時間20分余、3名の講演が20分ずつで1時間余、パネルディスカッションとシンポジウムが40分余と、合計4時間近くの中身の濃いものであった。
 参加者は240名の募集には届かなかったが、220名を超えていたと思う。
 アメリカ、ドイツ、ロシア、日本という受容の仕方をコレクターという存在を媒介にした1890年代から20世紀初頭にかけてのそれぞれの国の社会状況、政治状況と搦めていろいろと示唆に富む講演であったと思う。如何せん基本的知識や歴史的に知識が限られている私には相対的な評価をしきることは無理でも、今後の考える上での基礎にはなったと思う。
 私の視点は、当初二つあった。ドイツやロシアがフランスとの対抗意識旺盛な中でフランスの絵画の新しい潮流を受け入れたのか、ということと、印象派とは密接なジャポニズムをどのように受け入れたのか、という点であった。
 前者の問題意識については乏しい知識ながらいろいろ示唆を受けたと思う。フランスでもそうであったが、ロシアもドイツも国家や宗教的な視点ではなく新興ブルジョアジー主導であったこと、表現上の革新として受容していったことなどが離されたと思う。アメリカでは色彩論や電気の発見・照明器具の発明による契機などアメリカの文化水準に応じた受容という視点を教えてもらったと思う。
 後者の問題意識については三浦氏が少しだけ指摘されたが、この視点についてはまた別の機会に講演があるとうれしいと思った。

みなとみらい地区はどしゃ降り

2016年07月31日 12時34分18秒 | 天気と自然災害
横浜美術館でシンポジウムの整理券をもらって、外を5分歩いたところの喫茶店で昼食中。どしゃ降りの雨にびっくり。美術館に戻るのが一苦労になった。
いま小降りになったが、レインアイよこはまを見たが、一旦上がったあとまた強い雨の領域が発達しながら南下している。いまは大田区の海沿いにある。
早めに美術館に戻った方が良いようだ。