Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

政治や社会の今に思うこと

2016年07月03日 22時47分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 文化と人命に不寛容の宗教と、非文化的で声高に排他性を掲げる政治が、世界中でとめどもなく人命を奪っている。日本の政治にも不寛容で他者に極めて攻撃的な政権与党が多数を占めている。
 武力を伴う不寛容な信仰という共同幻想の解体には、軍事力の行使を前面にすればするほど、報復の連鎖を止めることはできないことはわかり切っている。しかし当面の処方箋がないことに多くの人は対抗すべく軍事力の行使に期待を寄せてしまう。果たしてそれは根本的な解決なのか、当面の一時しのぎにすらならないのではないかと、疑うことから始めたい。軍事力が政治の前面に出てくることに、私は極めて大きな疑問符をつけたい。

 戦争に対して軍事力という名の抑止力は本当に抑止力なのか。もう一度1945年8月の敗戦に至った経緯と、その後の混乱した社会、敗戦後の出発となった新しい政治制度の出発の時を思い出す夏としたいのだが‥。日本国という国に生きた大半の人が過ごした敗戦後71年という時間、私たちの生きたこの71年の出発点、原点を真摯に顧みたいものである。

 政治というものは、絶えず現在に起きる事象への即座の対応が求められる。だが、その処理能力だけを求めると理念なき政治となる。現実への即時対処能力と、理念との狭間でいかに悩むか、政治的な理念と不即不離、理想からは大きく踏み外さない現実対処能力をいかに発揮するか、政権担当者の力量=政治力が問われると私は思う。
 政治の理念、近代国家ではその大きな柱は、国家という権力機構が市民を支配したり指導したりするのではなく、市民が国家をコントロールするということである。そのためのシステムがさまざまに模索され、現代の立憲主義や基本的人権や三権分立や地方自治制度などがつくられてきた。この流れを否定するのではなく、この流れの上に立って将来を見据える政治理念を見たいものである。残念ながら日本の政党はそのような力量を見せてはくれないようだ。想定する他者への攻撃、あるいはあたかも一枚岩の集団かのような「官僚層」「利権集団」などという仮想敵をつくることで自らの影響力の拡大だけをはかる政治集団ばかりが、日本だけでなく世界を覆っている。
 政治家も、政治家を選ぶ選挙権者も、現実対処ばかりに目を奪われると、理念・理想・信念を忘却する。人は忘却が得意である。しかし忘れてならないものがあるはずである。

 現在の社会の在り様を見ていると、他者の痛みに共感できない生き方、他者の痛みにさらに塩を塗るように攻撃的となる発言が、恥ずかしげもなく繰り返し行われている。これは加害者へのエールでしかない。ヘイトスピーチも表現の自由だと言い募る発言、DVやパワハラ・セクハラ・ブラック企業などでの被害者に「なぜ逃げない」「なぜ会社を辞めない」「被害者にも原因」という暴言に等しい発言は、想像力の欠如を自ら公言しているのと同じである。たぶんそれは自らがそのような加害の立場に無意識のうちに立っていることに無自覚なのである。
 私もひょっとしたらそうであるかもしれない、といつも自問自答することでしか、それは回避できない、と私は思う。またそのように生きてきたつもりだ。そのような生き方を教わってきた。それもまた敗戦後71年の手放してはいけない優れたもののひとつだと思う。


横浜でも33℃を超えた

2016年07月03日 19時31分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 11時前に横浜市から「高音注意報」のメールが届いた。気象庁のホームページで見ると、横浜市では16時45分に最高気温33.4℃を記録している。熱く感じた昨日よりも2.6℃高く、この時期の平年よりも6.5℃も高いとのこと。
 14時過ぎに歩いて20分ほどの大きなスーパーまで妻と買い出しに出かけた。あまりの暑さに途中でペットボトルのお茶を購入て、途中にある神奈川大学の敷地の木陰で軽く一休みした。帰りも重い荷物に大量の汗をかいた。
 帰宅後はベッドにうえで読書を始めた途端に昼寝となってしまった。

 ウォーキングを考えていたが、17時になっても32℃を下回らないなので断念、つい缶チューハイを飲んでしまった。この酔い方では深夜の ウォーキングも断念した方が良さそうである。減量を始めようとした初日にまず躓いてしまった。


中原中也「夏と悲運」

2016年07月03日 12時19分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 未完詩編Ⅲに死の間際の夏の作品がある。

  夏と悲運

とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

思へば小学校の頃からだ。
例へは夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかった。
 (以下11行略)
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるように感じだす。
すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、
理想派でも虚無派でもあるわけではない。
孤高を以て任ずるなどといふのぢや猶更ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

どうして笑はづゐられぬか、實以て俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、やといふほど味はつてゐる。

                          (1937.7.12)

 小学校時代は神童ともいわれ、家庭においても幸福な生活を送っている。この詩からは8歳の時の弟亜郎の死から受けたショックは現われていない。
 しかし愛情に満ちた生活と神童と云われた学校生活にも関わらず、周囲の人間関係との違和、同調できないもどかしさが伝わる。
 また、そしてこの違和は「おとなとなつた今日」は「夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く」ことで惹起され、「人生が、すつかり自然と游離してゐるように感じだす」と述べる。自然と自己の内部との中也なりの浸潤の仕方があるようだ。しかしこれは中也だけに独特の感性ではない。私もどこかで通底する親和感をもつ。多くの読者がいるということは、どこかでこの心性に共感しているのであろう。
 人間関係や社会との距離の測り方のひとつ方法として、自然というトリガーが働いている。そのトリガーの捉え方、表現の仕方にさまざまな個性が発揮される。このヴァリエーションに自覚的に独自の言語表現として成立させることか、詩の根拠でもあると思う。当たり前と云えば当たり前なのかもしれないが、そんなことを私にあらためて認識させてくれるひとりが中原中也である。