Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「若冲と蕪村」の後期展示めざして

2015年04月24日 21時57分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今週は本日の講座以外に特に予定が無く、2月以降では久しぶりに仕事に追われる日ではなかった。親に頼まれたさまざまな雑用はあったが、あわただしくこなさなくてはいけないものではなかった。29日を除いて2日までは特に予定は入っていない。
 「若冲と蕪村」は5月10日までだったので、この期間に行くことにした。連休間際でしかも会期末なので混雑が予想されるが、それでも是非見に行きたい。
 若冲の「隠元・玉蜀黍図」「鳥禽図」「旭日白鶴図」「花鳥蔬菜図」、蕪村の「夜色楼台図」「晩秋遊鹿図」「峨眉露頂図」「富嶽列松図」などが後期展示となっている。
 再度1300円+交通費というのは厳しいものがあるが、許してもらうしかない。
 
 さて、昨日ズボンを二本購入した。この時期から梅雨明けまでに穿くズボンがきつくなって捌けなくなった。また薄い生地のジーパンがすり切れてしまって廃棄処分とせざるを得なくなった。今回購入したのは木綿地のズボンである。10月以降も着用できる。梅雨が明ければ9月いっぱいはほとんど半ズボンで過ごすことが出来る。
 できれば夏の間に多少は減量して、購入したズボンが緩々になるくらいにしたいものである。
 そして頭には昨日から再び野球帽をかぶることにした。一昨日理容室に行って髪を短くしたら、直射日光が皮膚に直に強く当たるように感じた。そして頭のてっぺんが日焼けしそうに思われた。寂しい気もするが、取りあえずやむを得ない。髪の毛が今の状況になってから、何とか現状維持を貫いているとは思っている。他人がどう判断するかはわからないが‥。

生き方の折り合いということ

2015年04月24日 20時15分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日も本日も、朝から汗ばむような気温であった。午前中は源平盛衰記の講座を受講。講座終了後組合の会館まで歩き、昼食と所用を済ませてから今度は自宅まで歩いて帰った。途中15時過ぎからは雲が多くなり風も強まり、いつの間にか強風注意報が発令されていた。現在も外で風が唸っている。
 一昨年から関わった団地の管理組合の業務のお手伝い、同じく一昨年からの退職者会の業務など、年が明けてから何かと慌ただしくなり、いつの間にか年度末を越え、もうゴールデンウィークを迎えてしまった。
 年度末だったから、また統一地方選挙だったから、慌ただしかったというだけのあわただしさならば、そろそろ落ち着いてくるころかもしれない。だが、はたしてそのようになるのだろうか。ちょっと心配である。
 少なくとも労働組合の退職者会の活動は5月の以降、これまで以上に忙しくなることが確定している。私の人生の選択と40年の経過からは逃れることのできないことではある。毎月6千円を超える組合費を払っていた現役の頃の8千人の活動量と、年間3千円の退職者会の1500人の活動量では、金額と組織人数から言えば128分の1以下のはずである。そうでなければ退職者会そのものが赤字で立ち行かなくなる。ところがどっこい、みんな元気が溢れており、到底そのようなおとなしい活動量ではない。
 さまざまな取り組みに対して想定よりも多くの参加者があり(現役の組合員よりも多い!)、その分組織として負担する交通費などの実費や広報活動など配布文書の質も量も多くなり、活動費はどんどん膨らむ。組織としては願ったりかなったりという活気あふれる組織であるが、経営する執行部の側はひやひやものである。かといって執行部が手抜きをするとすぐに叱られる。
 現役時代にそれだけ密度の濃い付き合いをしてきたことの反映であるから、嬉しい限りである。
四半世紀前の労働組合の組織戦争、分裂・再建という苦労を経て、ごく普通の組合員が図らずも鍛えられて培った意地は、中田宏というトンでも市長と最後まで非和解的に対決し続けて職域を最大限守ったという自負にまでつながっている。だから職場に違いがあり、お互いに顔を知らなくても、同じ時間を過ごし同じ空気を吸ったという連帯感は、そう簡単には切れることはないといえる。
多分私にとっては忘れ去り、捨て去ることは出来ない組織である。
 今自分がやりたいことと、やらざるを得ないことの折り合い、けじめのつけ方は結局のところ悩みながらこなすしかないようだ。