サクラを見るのが趣味の妻に毎年連れられてこの関内桜通りのヤエザクラを見に来ている。ベイスターズ通りの一本桜木町よりである。
ヤエザクラというのは昔は好きになれなかった。「ポテッとしてつつましくない。そして散り際の鮮やかさが感じられない。花房ごと落ちるのは風情が無い」などと勝手に決めつけて好きになれなかった。ところが50歳に近くなったある日、職場の敷地のはずれにあるヤエザクラを昼休みに見るともなく見ていた。その年は桜の開花が遅く、4月のゴールデンウィークの直前の日だったと記憶している。
建物の壁に寄りかかって地下鉄の高架橋の手前に見えるヤエザクラがほのかな風と共に花弁をソメイヨシノのように散らした。その時に初めてヤエザクラを美しいと感じた。よくよく見れば、これほどの花弁をつけるということは、ソメイヨシノ以上に花を咲かせることに精力を使い尽くしているのではないか、その生命力の強さにビックリした。ひょっとしたらソメイヨシノ以上に春のこの一瞬に樹勢のすべてをかけているのかもしれないと思えた。
横浜公園のチューリップと同様すでに満開の時期は過ぎていた上に、昨晩の風でだいぶ散っていたが、まだまだ花弁がたくさん幹についている。
ビルの玄関の中にもたくさんの花弁が舞い込んでいた。日曜日で人の出入りの無いビルの大理石の上の花弁はなかなか見ごたえがある。残念ながら写真を撮り損ねてしまった。
ブログを検索していたら、昨年は4月17日に見に行っていた。今年と2日しか違っていない。昨年はちょうど見ごろだったと思う。しかしほとんど花は同じ時期に正確に咲いていることが分かった。
ヤエザクラというのは昔は好きになれなかった。「ポテッとしてつつましくない。そして散り際の鮮やかさが感じられない。花房ごと落ちるのは風情が無い」などと勝手に決めつけて好きになれなかった。ところが50歳に近くなったある日、職場の敷地のはずれにあるヤエザクラを昼休みに見るともなく見ていた。その年は桜の開花が遅く、4月のゴールデンウィークの直前の日だったと記憶している。
建物の壁に寄りかかって地下鉄の高架橋の手前に見えるヤエザクラがほのかな風と共に花弁をソメイヨシノのように散らした。その時に初めてヤエザクラを美しいと感じた。よくよく見れば、これほどの花弁をつけるということは、ソメイヨシノ以上に花を咲かせることに精力を使い尽くしているのではないか、その生命力の強さにビックリした。ひょっとしたらソメイヨシノ以上に春のこの一瞬に樹勢のすべてをかけているのかもしれないと思えた。
横浜公園のチューリップと同様すでに満開の時期は過ぎていた上に、昨晩の風でだいぶ散っていたが、まだまだ花弁がたくさん幹についている。
ビルの玄関の中にもたくさんの花弁が舞い込んでいた。日曜日で人の出入りの無いビルの大理石の上の花弁はなかなか見ごたえがある。残念ながら写真を撮り損ねてしまった。
ブログを検索していたら、昨年は4月17日に見に行っていた。今年と2日しか違っていない。昨年はちょうど見ごろだったと思う。しかしほとんど花は同じ時期に正確に咲いていることが分かった。