Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

関内桜通りのヤエザクラ

2015年04月19日 20時33分25秒 | 山行・旅行・散策
 サクラを見るのが趣味の妻に毎年連れられてこの関内桜通りのヤエザクラを見に来ている。ベイスターズ通りの一本桜木町よりである。
 ヤエザクラというのは昔は好きになれなかった。「ポテッとしてつつましくない。そして散り際の鮮やかさが感じられない。花房ごと落ちるのは風情が無い」などと勝手に決めつけて好きになれなかった。ところが50歳に近くなったある日、職場の敷地のはずれにあるヤエザクラを昼休みに見るともなく見ていた。その年は桜の開花が遅く、4月のゴールデンウィークの直前の日だったと記憶している。
 建物の壁に寄りかかって地下鉄の高架橋の手前に見えるヤエザクラがほのかな風と共に花弁をソメイヨシノのように散らした。その時に初めてヤエザクラを美しいと感じた。よくよく見れば、これほどの花弁をつけるということは、ソメイヨシノ以上に花を咲かせることに精力を使い尽くしているのではないか、その生命力の強さにビックリした。ひょっとしたらソメイヨシノ以上に春のこの一瞬に樹勢のすべてをかけているのかもしれないと思えた。

   

 横浜公園のチューリップと同様すでに満開の時期は過ぎていた上に、昨晩の風でだいぶ散っていたが、まだまだ花弁がたくさん幹についている。
 ビルの玄関の中にもたくさんの花弁が舞い込んでいた。日曜日で人の出入りの無いビルの大理石の上の花弁はなかなか見ごたえがある。残念ながら写真を撮り損ねてしまった。




 ブログを検索していたら、昨年は4月17日に見に行っていた。今年と2日しか違っていない。昨年はちょうど見ごろだったと思う。しかしほとんど花は同じ時期に正確に咲いていることが分かった。

横浜公園のチューリップ

2015年04月19日 19時50分04秒 | 山行・旅行・散策
 例年妻に連れられて見に行く横浜公園のチューリップと関内桜通りのヤエザクラを、日程的には少し遅めだったが本日見てきた。
 チューリップはすでに散っていたり、花が萎れているものも多かったが、盛りのものもあり、多くの見物者で賑わっていた。不思議なもので毎年目にして惹かれる種類は同じものではないことが多い。今年になってあらためて美しいと感じることが多いのだと思う。毎年好みが変わるというのが正しいのか、移り気というのか、執着心がないというのか、いい加減なのか。どれもがあたっているような気もする。

            

 園内でチューリップの花を真上から撮影していたら、カメラをもった初老のたぶん私よりは10歳は年上の方から、「チューリップはそんな角度からとっても面白くないんだ」と云われた。チューリップというのは撮る角度や視点が決まっているといわんばかりである。私はまったく無視を決め込んで、無言でやり過ごした。私の撮り方が優れて芸術的で独特の視点だとは思えないが、たぶんこの方は、決まった事柄以外の冒険や、自分なりの視点ということは理解できない方なのかな、と思わざるをえなかった。

         

 園内では数は少ないもののシャクナゲが見ごろであった。また不思議なバラの花を見つけた。朝の満員でギュウギュウ詰めの通勤電車を思い出させる花に、びっくり。これはとてもかわいそうな花である。蜜蜂も見つけたが、あわてて取った所為もあるがピントが合わなかった。

      

 私の腕とセンスを差し引いてもこのミラーレス一眼カメラはピントが甘い。しかも画面が粗いので画面上でピント合わせが出来ない。自動で合わせるしかないのが難点である。後継機の画面はきれいなのでそこは改良はされているようだが、後継機に買い替える金銭的ゆとりは残念ながらどこにもない。



横浜公園のチューリップを見に行く

2015年04月19日 12時33分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝は起きてすぐに、蒸し牡蠣の美味しさの記憶が戻ってきた。普段は牡蠣フライか、たまに牡蠣鍋程度しか食べないが、牡蠣の味だけを満喫する機会があまりない。オイスターバーにでも行けば堪能できるだろうが、チョイと高価なので足は向かない。

 本日はこれから関内の横浜公園にチューリップを見に行くことになった。たぶんベイスターズ通りの横の通り(通りの名が出てこない(>_<))のヤエザクラも例年のとおりに見に行く予定。
天気は曇り空で、弱い雨が降るかもしれないとのこと。