夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

甥っ子 M君との告別

2016年05月10日 | いろいろな事
甥っ子Masahiko君が7日早朝に亡くなり
昨夜は通夜、お通夜は雨の中でした。

甥のMasahiko君は現役の社会人。
休日には少年サッカーチームのコーチなども
やっていたので、会社関係の人やサッカー仲間等
たくさんの方々が来てくれました。

今日は告別式に息子、大ちゃんのお母さん
私たち4人で参列。

曇り空でしたが、田圃は田植えが終わり
新緑真っ盛りの中、車を走らせました。


今日の告別式にも大勢の参列の方々。
告別の挨拶に息子のtubasa君は父の遺影に
語りかけ、娘のarisaちゃんは父への手紙を
読み上げ、奥様のyosikoさんはお礼の挨拶を
述べ、皆さん涙しました。


その後、火葬場にて荼毘にふしました。
みんなで思い出話をしました。ガッチリしていた身体が
このように小さな姿になってさまったのが悲しい。


Masahiko君は昨年膵臓癌が見つかり闘病1年余、
自宅で抗がん剤治療を行いながら闘病していましたが
今年に入って入院、5月7日帰らぬ人となりました。
お棺に横たわるMasahiko君は闘病中の苦しそうな
顔と違って、頬がこけているものの安らかな顔で
眠っていました。亡くなった父親(私の兄)に
そっくりな顔していました。
「きれいにエンバーミングしてくれてるね」と
息子がいった。本当にきれいな顔でサッカーチームの
シャツを着て納棺されていました。

毎年年始の挨拶に来てくれるのにここ2年ほど
姿を見せてくれなかったので
元気にしているものとばかり思っていたら
正月明けに義姉から「膵臓癌」と聞かされ
ただただ驚きでした。
バリバリと仕事をして、地元のサッカーチームに
所属して、ちびっ子達にもサッカーを教えていた。
ガッチリとした体つきの彼が癌になるとは思いも
よりませんでした。
亡くなる1ヶ月ほど前にお見舞いに行った時は
痛みが激しく辛そうにしていました。
私の兄に向かって
「守り刀を作ってください」と言ってましたが
辛い頼みに兄は返事をしませんでした。

次に行った時も苦しそうでしたが、帰る時
「来てくれてありがとう」と半身を起こして
手を合わせていました。涙、涙でした。

5日に4人で見舞った時、意識はしっかり
していて、みんなで握手をしました。
声はほとんど出なく、息子のtubasa君が
耳を近づけ話を聞きとり
「氷を食べたい」との事で氷の塊を口に
入れるとガリガリ力強く噛み砕いて
美味しそうに食べていました。
「今日は5月5日toruの誕生日だよ」と
いったら、言葉が通じないもどかしさから
紙と鉛筆を所望、書いた文字
「5/5 ミ・・・」
左腕につけていたミサンガを見せて、取ろうと
したので
「取らないでいいよ」と大ちゃんのお母さん。
お守りのミサンガは妹の子供、keitoちゃんが
作ったそうで嬉しそうに笑っていた。
帰る間際に手を握り
「握り返してみて」と無理な事いったら、
力強く握り返してくれた。
それがMasahiko 君との最後の別れとなりました。

膵臓癌は見つけづらい癌で、痛み(背中、腰、お腹)
が現れた時は すでにかなり進行している厄介な癌
との事で、私の掛かりつけの医者に聞いたら
「痛みが来て見つかった時はすでに手遅れの
 事が多く、余命3ヶ月から半年、手術は
 難しく、抗がん剤治療となります。かなりの
 痛みを伴います」といっていた。
「少しでも長く永らえるのはどうしたら
 いいのですか」と聞いたら
「痛みを和らげる治療と食事をしっかり
 とって体力をつける事です」と先生。
Masahiko君約1年間の自宅療養は痛みとの
戦いでした。
49歳、子育ても終わり、まだこれから楽しい事を
たくさん作っていけたでしょうに、残念です。



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