愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題356 金槐和歌集  恋3首-2 鎌倉右大臣 源実朝 

2023-08-14 09:21:51 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

遠くに赴いた人に送った歌で、xxまでには帰ると約束しながら、まだ顔を見せない、と詰問している歌である。定家本では “恋”の部に収められている。“遠き国へまかれし人”とは、待ち焦がれている恋人の女性でしょうか。 

 

ooooooooooooo 

 [詞書] 遠き国へまかれし人、八月ばかりに帰りまいるべきよしを申して、

    九月まで見えざりしかば、人の許につかわし侍りし歌 

来むとしも たのめぬうはの 空だにも  

   秋風ふけば 雁は来にけり   (金槐集 恋・425)

  (大意) 来ると約束していない、あてにならぬ場合でも、上空に秋風が吹けば

  雁は来ますよ。貴君は八月には帰ると約束しておきながら なぜまだ 

  帰ってこないのですか。  

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

  責問違約人    違約せし人を責問(キツモン)す    [上平声一東韻]  

雖希来否正誰通, 希(ノゾ)むと雖も 来るか否(イナ)か 正に誰か通(ツウ)ぜん, 

空際非惟指望中。 空際(クウサイ) 惟(タダ)に指望(アテ)にしている中(ウチ)に非(アラ)ず。 

君該識雁誠実動, 君 識(シ)る該(ベキ)ならん 雁の誠実な動きを, 

無約復來共秋風。 約(ヤクソク)無くも 秋風と共に復(マ)た来る。 

 註] 〇責問:詰問する、なじり; 〇違約:約束にそむく; 〇来否:来る

  か否か; ○通:事情に通じている; 〇空際:天空; 〇指望:

  ひたすら当てにする; 〇該:…する必要がある、…すべきである。  

<現代語訳> 

  約束を違えた人を責める 

(雁が)来ることを望んではいても 来るか否かは 誰も知らない、 

天空でさえ(雁の来るのを)当てにしていない。 

だが君は 雁が誠実な行動をしていることを認識すべきである、 

約束をしていなくとも 秋風が吹けば、雁はまた来るではないか。

<簡体字およびピンイン> 

  责问违约人       Zéwèn wéiyuē rén

虽希来否正谁通, Suī xī lái fǒu zhèng shuí tōng.  

空际非惟指望中。 kōng jì fēi wéi zhǐwàng zhōng.  

君该识雁诚实动, Jūn gāi shí yàn chéngshí dòng, 

无约复来共秋风。 wú yuē fù lái gòng qiū fēng.  

ooooooooooooo 

 

掲歌の第一句について、「こむとしも」、「こむとし(年)も」、「来むとしも」および「来む年も」とその表記が 参考にした書籍により異なる。なお、定家本では「こむとしも」のようである。“来む”、“年も”と、漢字を用いることにより状況が特定されて、歌の解釈も異なってきます。 

 

漢詩化に当たっては、「来むとしも」の表記を採り、古語「……としも」(意味:くるだろうと思っていた)と解釈して進めた。少なくとも、「来む年も」は、「翌年」または「来る年も来る年も」と解釈でき、漢詩化に当たって排除した。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

秘めた熱烈な恋、打ち明けることが出来ない と悩んでいる様子で、Platonic love といった趣の歌です。ただ、歌題の「名所の恋」と歌の内容との関連について、違和感を覚えますが 如何?漢詩は すっきりと五言絶句に纏めました。

 

oooooooooo 

   歌題] 名所の恋 

神山の 山下水の わきかえり

        いはでもの思う われぞかなしき (金槐集 恋・433) 

 (大意) 心はわき返りながら口に出さず心の中で恋い悩んでいる自分が

  悲しい。  

  註] 〇神山:題「名所の恋」であるから、地名であろう、大和の雷丘を

  いうか; 〇「神山の 山下水の」は、「わきかえり」の序詞; 

  〇わきかえり:心がわき返ること、「水のわきかえる」と掛詞。 

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 隱秘熱烈恋     隱秘せし熱烈なる恋    [上平声五微― 四支通韻] 

神山曲水隈, 神山 曲水の隈(クマ), 

噴出泉水奇。 噴出せる泉水(センスイ)奇なり。 

我忍思澎湃, 我 思いの澎湃(ホウハイ)せしを忍び, 

默然何可悲。 默然(モクネン)たること 何ぞ可悲(カナ)しき。 

 註] 〇曲水:曲がりくねって流れる小川; 〇隈:奥まったところ; 

  〇澎湃:水がみなぎり逆巻くさま、わきかえる; 〇默然:黙って、 

  黙然としている; 〇可悲:悲しい。  

<現代語訳>

 秘めた熱烈な恋 

神山の麓の曲がりくねった小川の奥まったところで、

激しく湧き出す泉水は驚くほどである。 

私は 泉水にも勝る、湧きかえるほどの想いを忍び、

口に出せずにいるが、何と悲しいことか。 

<簡体字およびピンイン> 

 隐秘热烈恋   Yǐnmì rèliè liàn 

神山曲水隈, Shénshān qū shuǐ wēi

喷出泉水奇。 pēn chū quánshuǐ .  

我忍思澎湃, Wǒ rěn sī péngpài, 

默然何可悲。 mòrán hé kěbēi.   

xxxxxxxxxxx 

 

実朝の歌は、下の歌を参考にした歌であるとされています。 

 

人知れず 思ふ心は あしびきの

  山下水の わきやかへらむ (読人知らず 新古今集 巻十一・恋・1015) 

 (大意) 気づかれないまま あなたのことを思っている私の心は 山の麓を

  流れる水が湧きかえるかのように激しく高まっています。

 

 [詞書] 題しらす 

風すさみ 声よわりゆく 虫よりも 

  いはでもの思ふ われぞまされる 

     (読人しらず 拾遺集 巻十二・恋二・751)  

 (大意) 風が寒く吹くので声が弱ってゆく虫、その虫よりも口出さずに

  思い悩む私の方が 辛さは勝っているのだ。  

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3  

 

恋人と離れて 旅にあるのでしょう。恋人に想いを馳せて、熱烈な恋情を抱きつゝ、この恋 この先どうなるのであろう と不安に駆られている様子である。若いのである。若い実朝の純な胸の内が推し量られて、微笑ましく感じられます。 

 

ooooooooooooo 

 詞書] 恋の歌

涙こそ 行方も知らぬ 三輪の崎 

   佐野の渡りの 雨の夕暮れ 

              (金槐集 恋・499)

 (大意) わが恋の将来もどうなることやら 行方知らぬは 佐野の渡しの

  雨の夕暮れと同じである。 

  註] 〇三輪の崎佐野の渡り:紀伊の国にある。和歌山県新宮市三輪崎あた

  りでしょうか。○渡り:渡し場、舟などで対岸に渡るための船着き場。  

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 恋情難忍     恋情(レンジョウ) 忍(シノ)び難(ガタ)し  [去声七遇韻]   

三輪崎即佐野渡, 三輪(ミワ)の崎 即(スナワチ) 佐野の渡り, 

踮而瞻望雨夕暮。 踮(ツマサキダチ) 而(シカ)して瞻望(センボウ)す 雨の夕暮。 

纏綿懷抱弥難忍, 纏綿(テンメン)たり懷抱(カイホウ) 弥(イヨ)いよ忍び難く, 

淚溢不知其所赴。 淚 溢(アフ)れて 其の赴(オモム)く所を知らず。 

 註] 〇踮:つま先で立つ、待ち望む; 〇瞻望:遠くをみる、展望する; 

  〇纏綿:まつわりつく; 〇懷抱:胸中の想い、(心に)抱く。 

<現代語訳> 

  忍び難い恋心 

三輪の崎の 佐野の渡りにあって、

雨の中 爪先立って遥か遠くを見遣っている 夕暮れ時である。

胸の想いがますます募って、堪えがたい想いに駆られて、

涙が溢れて来るが、この涙は 何処に行くのか 行方を知らない。 

<簡体字およびピンイン> 

  恋情难忍               Liànqíng nán rěn  

三轮崎即佐野渡, Sānlún qí jí zuǒyě

踮而瞻望雨夕暮。 diǎn ér zhānwàng yǔ xī.  

缠绵怀抱弥难忍, Chánmián huáibào mí nán rěn, 

泪溢不知其所赴。 lèi yì bù zhī qí suǒ

ooooooooooooo 

 

実朝の掲歌は、次の歌の“本歌取り”の歌とされています。なお、第2首目・定家の歌も、第1首目・万葉集の歌を本歌とした“本歌取り”の歌である。歌調の面では、実朝の歌は、定家の歌に近いようである。 

 

苦しくも 降りくる雨か 三輪が崎 

   佐野の渡りに 家もあらなくに 

     (長忌寸奥麿(ナガノイミキオキマロ) 万葉集 巻三・265)   

 (大意) 不本意にも降ってくる雨だなあ、三輪の崎の狭野(サノ)の渡しには

  家もないというに。  

 ※ 「家」とは 雨宿りさせてくれる“家”、また妻が待つ“家”でしょうか。

 

駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 

   佐野の渡りの 雪の夕暮れ  

 (大意) 馬を止めて見渡しても 袖についた雪を払い落す物陰影すらない、

  佐渡の渡しの雪の夕暮れである。  

    (藤原定家 『正治初度百首』; 『新古今和歌集』 巻六・冬・671) 

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閑話休題355 金槐和歌集  炭を焼く人の心も 鎌倉右大臣 源実朝

2023-08-13 09:41:58 | 漢詩を読む

源実朝の歌「炭を焼く人」の漢詩化を試みた。五言絶句としました。一方、唐詩人・白楽天に長編詩「炭を売る翁」がありますので、ここで読み比べてみます。歌/漢詩の“訴えたい究極の主旨”は 両者ほぼ同じと思えますが、31文字で表現する和歌と、本質的に文字数に制限のない漢詩との違いが端的に表れているように思えます。

 

ooooooooo 

  [詞書] 深山に炭焼くを見てよめる 

炭をやく 人の心も あはれなり 

  さてもこの世を 過ぐるならいは  (『金槐集』 雑・575) 

 (大意) 炭焼き人の心にも感深い思いがする、それにしてもこの世を過ごして

  ゆく生活の道というものは。  

  註] 〇“は”:詠嘆的助詞。 

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 焼炭人    炭を焼く人      [上平声十一真 - 下平声一先通韻] 

深山焼炭人, 深山の炭を焼(ヤ)く人, 

心裏一可憐。 心の裏(ウチ)は 一(イツ)に可憐(アハレ)なり。 

却是世常理, 却(カエ)って是(コ)れ世の常理(ジョウリ)ならん, 

非無活計先。 活計(カツケイ) 先(セン) 無きに非ず。 

 註] 〇可憐:哀れむ、同情する; 〇常理:ごく当たり前の道理、社会通念;

  ○非無:……なきにあらず; 〇活計:暮らしの糧(カテ)、生活の道; 

  〇先:優先する、重視する、第一にする。  

<現代語訳> 

 炭を焼く人 

山に入って薪を伐り、炭を焼く人、 

その心情は非常に哀れである。

しかしこれは世の常の道理であり、 

生活の糧を優先しているためなのである。 

<簡体字およびピンイン> 

 焼炭人 

深山烧炭人, Shēnshān shāo tàn rén,    

心里一可怜。 xīnlǐ yī kělián.   

却是世常理, Què shì shì chánglǐ, 

非无活计先。 fēi wú huójì xiān.  

ooooooooo  

 

白楽天の漢詩・売炭翁は、下に示した。実朝の歌・白楽天の漢詩ともに 詠まれている対象は 庶民の姿である。一方は、詠者の“想い・心”が詠われ、対象の庶民の実像は 読者の想像に委ねられている。他方では、庶民の姿の“実況・実情”が淡々と綴られており、それに対する“想い”は読者に委ねられている。 

 

使用字数の違いが端的に示された例と言えるでしょうか。全ての歌/漢詩がその範疇に当てはまるわけではないが、使用可能字数の枠から推して、自然の成り行きかとも思える。

 

翻って、歌を漢詩に翻訳するに当たって、詠者の“想い・心”を如何に表現し、伝えるか、難題であるが、答えを見出し得ずに進めている。最大の試練である。

 

oooooooooooooo 

  売炭翁      炭を売る翁(オキナ) 

  苦宮市也      宮市(キュウシ)に苦しむ也  白居易  

売炭翁、     炭売りの翁 

伐薪焼炭南山中。 薪(タキギ)を伐(キ)り炭を焼く 南山の中(ウチ)。 

満面塵灰煙火色、 満面の塵灰(ジンカイ) 煙火(エンカ)の色、 

両鬢蒼蒼十指黑。  両鬢(リョウビン) 蒼蒼(ソウソウ) 十指(ジッシ)黑く。 

売炭得銭何所営、  炭を売り銭を得て 何の営(イトナ)む所ぞ、 

身上衣裳口中食。 身上(シンジョウ)の衣裳 口中(コウチュウ)の食。 

可憐身上衣正単、 憐(アハ)れむ可(ベ)し身上(シンジョウ) 衣(イ)正(マサ)に単(ヒトエ)、 

心憂炭賤願天寒。  心に炭の賤(ヤス)きを憂(ウレ)え天の寒からんことを願う。 

……(中8句略) 

一車炭重千余斤、 一車(イッシャ)の炭の重さ千余斤(キン)、 

宮使駆将惜不得。 宮使(キュウシ)駆(カ)り将(モ)ちて惜(オ)しみ得ず。 

半疋紅綃一丈綾、  半疋(ハンビキ)の紅綃(コウショウ) 一丈(イチジョウ)の綾(アヤ)、

繋向牛頭充炭直。 牛頭に繋(カ)けて炭の直(アタイ)に充(ア)てる。 

<現代語訳> 

炭売りの翁、 

長安の南の山の中で薪を伐ったり、炭を焼いたり。 

顔中煙をかぶってすすけた色になり、 

両鬢はゴマ塩色 十指は真っ黒。 

炭を焼いて金を稼ぐのは、一体何のためか、 

もちろん着物と食べ物を手に入れるためである。

気の毒にも、この寒空に身に纏うは単衣もの一枚、 

だが炭の値の安いのを心配して、もっと寒くと願う。 

……(中8句略) 

車一杯の炭の重さは千斤あまり、 

宮使いに持っていかれては 惜しんでもどうにもならない。 

わずかばかりの赤い絹と綾衣とを、

牛の頭にくくりつけて 炭の代金という。

  (石川忠久 監修『新漢詩紀行ガイド』6 NHK出版、2010に依る) 

oooooooooooooo 

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閑話休題354 金槐和歌集  天の戸を 明け方空に 鎌倉右大臣 源実朝

2023-08-07 09:17:11 | 漢詩を読む

夕月夜に月影と雁の群れ、秋の定番でしょうか。此処では明け方の月です。“天の戸”に引っ張られて、“明け方”になったのでしょう。時を問わず、群れを為す雁の翼に置く露に月影が映る情景は、想像上の情景ながら、印象的である。

 

oooooooooo 

  [歌題] 月前の雁 

天の戸を 明け方空に 啼く雁の 

  翼の露に 宿る月影   (金塊集 秋・221) 

 (大意) 天の戸が開く明け方の空に 鳴きつゝ群れをなして北に帰る雁の群れ、

  翼に置いた露に月影が美しい球のようにきらきらと輝いている。 

  註] 〇明け方空に: “明け”は、天の戸を「開け」と夜の「明け」との掛詞;

  〇翼の露:露にぬれたつばさの上に月が光っているのである。 

xxxxxxxxxxx 

<漢詩>

 月前雁    月前雁    [上平声一東韻]

月西拂曉空, 月は西に 拂曉(フツギョウ)の空,

邕邕雁如弓。 邕邕(ヨウヨウ)と啼きつつ雁の群れ弓の如し。

翅膀降珠露, 翅膀(ツバサ)に降(オ)く珠(タマ)の露,

輝輝月影籠。 輝輝(キキ)として月影 籠(コ)む。

 註] 〇拂曉:明け方; 〇邕邕:雁の鳴き交わす声; ○弓:群れて飛ぶ

  雁の隊形を言う; 〇翅膀:翼、羽; 〇珠露:真珠のような玉の露; 

  〇輝輝:きらきら輝くさま。 

<現代語訳> 

 月前の雁 

月が西の空に傾いている明け方、

雁の群れが鳴き交わしつゝ 弓のような隊形をつくって飛んで行く。 

翼には珠のような露が降りて、

月影を映してきらきらと輝かしている。 

<簡体字およびピンイン>  

 月前雁    Yuè qián yàn  

月西拂晓空, Yuè xī fúxiǎo kōng,   

邕邕雁如弓。 yōng yōng yàn rú gōng.  

翅膀降珠露, chìbǎng jiàng zhū lù,  

辉辉月影籠。 huī huī yuèyǐng lóng

oooooooooo  

 

藤原良経(1169~1206)は関白九条兼実の子、『新古今集』の編集に関与した。同集の“序”を書き、またその巻頭歌の作者でもある。良経のその歌を本歌とした本歌取りの歌を、実朝は『金槐集』で巻頭歌にしている(閑話休題308)。

 

下に挙げる歌は 良経の歌である。実朝はこの歌にも注意を惹かれたのではないでしょうか。実朝の歌の出だしにその影響が窺えます。 

 

    [詞書] 春日社歌合に曉月のこころを  

天の戸を おし明方の くもまより

  神代の月の かげぞのこれる 

    (摂政太政大臣 藤原良経 『新古今集』巻第十六 雜・上・1547)  

 (大意) 天の戸を押し開けると、明け方の雲間から神代のまゝの月影が

  なお残り輝いている。 

 

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閑話休題353 金槐和歌集  冬3首-2 鎌倉右大臣 源実朝

2023-08-03 09:22:47 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

実朝は、よく屏風絵を見て歌を詠んでおり、中でも春の絵を対象にしたものが多いが、ここで冬の部を取り上げます。奈良・桜井市にある三輪山の冬景色の屏風絵を見て詠った歌である。三輪山は、すっかり雪化粧していて、その姿をそれと定めができないほどである と。

 

ooooooooooooo 

  [詞書] 屏風の絵に三輪の山に雪の降れる気色を見侍りて 

冬ごもり それとも見えず 三輪の山、 

   杉の葉白く 雪の降れれば      (『金槐集』 冬・311) 

 (大意) 冬籠居していて、仰ぎ見ても三輪の山はそれとはっきり姿が見えない。

  杉の葉は真っ白に雪化粧されている。 

  註] 〇冬ごもり:冬の籠居の意; 〇三輪の山:大和の国にある、杉の名所;

  〇それとも見えず:三輪の山がはっきりとそれとわからない。   

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

  三輪山雪景    三輪山の雪景(ユキゲシキ)  [上平声四支韻]

望三輪山過冬時, 三輪山を望む 過冬(カトウ)せし時, 

杳杳模糊不别斯。 杳杳(ヨウヨウ) 模糊(モコ)として斯(カ)くは别(ベツ)しえず。 

杉葉輝輝銀装様, 杉の葉 輝輝(キキ)として銀装の様(サマ), 

天花慢慢飄落滋。 天花(テンカ) 慢慢(マンマン)として 飄落(ヒョウラク)滋(シゲ)し。 

 註] 〇三輪山:奈良県桜井市北西部にあるやま、古来信仰の山; 〇過冬:

  冬ごもり; 〇杳杳:遠くかすかなさま; ○别:識別する; 〇模糊:

  はっきりしないさま; 〇輝輝:まばゆいばかりに; 〇銀装:雪化粧; 

  〇天花:雪; ○慢慢:ひらひらと; 〇飄落:舞い落ちる; 〇滋:い

  っそう、ますます。   

<現代語訳> 

  三輪山の雪景色 

冬ごもりしている折、遠く三輪の山を望み見たが、 

雪が積もり遠くぼんやりとして それだと 輪郭がはっきりとは識別できない。 

杉の葉はまばゆいばかりに雪化粧の様子であり、 

雪はひらひらといっそう舞い落ちているのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  三轮山雪景   

望三轮山过冬时, Wàng sānlún shān guòdōng shí. 

杳杳模糊不别斯。 yǎo yǎo móhú bù bié . 

杉叶辉辉银装样, Shān yè huī huī yínzhuāng yàng,   

天花慢慢飘落滋。 tiānhuā màn màn piāo luò .  

ooooooooooooo 

 

三輪山は、古来信仰の山で、山自体が大神(オオミワ)神社の神体で、一木一草に至るまで神が宿るものとして尊ばれている。山には松・杉・檜等の大樹が茂り、特に杉は『万葉集』など多くの歌集の歌に詠われ「三輪の神杉」として神聖視されている。 

 

余談ながら、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒屋の軒先に飾られるようになり、酒造りのシンボルとして、今日なお、酒屋の軒先に目にすることができる。 

 

実朝の歌は、下の歌を参考にした歌とされている。

 

あしびきの 山路もしらず 白かしの 

   枝にもはにも 雪のふれれば 

       (柿本人麻呂 『柿本人麻呂歌集』巻十・2315)  

 (大意) 白樫の木の枝にも葉にも雪が降り積もっており、雪で山道も分から

  なくなっている。 

 

梅の花 それとも見えず ひさかたの 

   天霧(アマギ)る雪の なべてふれれば (柿本人麻呂 『古今集』・334) 

 (大意) 梅の花が そうだとはっきりと見定めることができないほどだ、

  空を霧のようにかき曇らせる雪が一面にふっているので。 

 

我背子に 見せむと思いし 梅の花 

   それとも見えず 雪のふれれば  (山部赤人 『万葉集』 巻八・1426) 

 (大意) 愛しい人に見せたいと思っていた梅の花は どれなのか分からなく

  なってしまった、一面に雪が降っているので。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

信楽焼の地、雪が降り続いている、山中の道はきっと雪で埋まっているでしょう。薪を採る杣人(ソマビト)たちは、往来に難渋するのではないか、と案じています。実朝の視線は 信楽焼の作製に従事する庶民に向けられています。 

 

ooooooooo  

  [詠題] 雪 

深山には 白雪ふれり しがらきの 

  まきの杣人 道たどるらし  

     (『金塊集』 冬・323; 風雅集 巻八・冬・823)  

 (大意) 山では雪が降っていて、道が雪に埋もれているので、信楽の真木の

  木こりたちは途方に暮れるのではないか。 

 註] 〇しがらき:近江の国(滋賀県南部)の地名; 〇まきの杣人:まきを伐

  る木こり、まきは檜杉の類、薪の意も含むか; 〇たどる:判断に迷う、 

  途方に暮れる。  

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

  信楽樵夫憂   信楽(シガラキ) 樵夫(キコリ)の憂(ウレ)い    [上声七麌韻]

深山天花舞, 深山 天花舞い,

白雪蒙広土。 白雪 広土を蒙(オオイカク)す。

只恐樵夫惑, 只(タ)だ恐(オソ)る 樵夫(キコリ)は惑(トマド)い,

山中迷路苦。 山中 路に迷い苦(ク)ならん。

 註] 〇天花:雪; 〇蒙:覆い隠す、かぶせる; 〇

<現代語訳> 

 信楽の木こりの憂い 

山では雪が降っており、

広い範囲が積もった白雪で覆われている。 

心配するのは 木こりが戸惑い、

道に迷って苦労することになるのではないか と。

<簡体字およびピンイン> 

 信楽樵夫忧   Xìnlè qiáo fū yōu 

深山天花舞, Shēn shān tiān huā

白雪蒙広土。 bái xuě méng guǎng

只恐樵夫惑, Zhǐ kǒng qiáo fū huò, 

山中迷路苦。 shān zhōng mí lù

ooooooooo 

 

信楽焼は、天平時代(710~794)に生まれた日本六古窯の一つであり、第45代聖武天皇(在位724~749)が紫香楽宮(シガラキノミヤ)を作る時に 瓦を焼いたのが始まりと言われている。今日、信楽焼と言えば、まずタヌキを想像しますが、実朝の時代ではどうでしょう。

 

鎌倉時代中期には主に水甕などが作られた。安土桃山時代頃(1568~)以来、茶の湯の発達に伴い、茶器などの茶道具の名品が生まれ、信楽焼のわび・さびの味わいが珍重され、以後、時代に合わせた発達を遂げ、現代に生き続けている。

 

なお、“タヌキ”の焼き物は、明治初期のころ創出されたもので、比較的に新しい商品のようです。“他抜き”の語呂合わせから、“他人より抜きん出る”という願いが籠められていて、縁起物として人々に愛されている と。 

 

実朝の掲歌は 下記の歌を参考に着想されたとされている。

 

都だに 雪ふりぬれば しがらきの 

  まきの杣山 道たえぬらむ  

    (隆源法師 『金葉集』 冬・巻四; 『堀河百首』)。 

 (大意) 都でも か程に雪が降り積もっている、信楽の真木を採る杣山では、

  道が塞がってしまっているのではないか。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3  

 

遥かに見渡すと、曙の空の雲間に雪を頂いた富士の高嶺が目に入ったよ と感動を覚えた歌いぶりである。東国の象徴である富士を見遣る先に、自ら東国の王であることの自覚が伺えるように思える。思いすぎであろうか。 

 

ooooooooo 

    [詠題] 雪 

見わたせば 雲居はるかに 雪白し 

  富士の高嶺の あけぼのの空  (『金槐集』 冬・334) 

 (大意) 遠く見渡してみると雲のある曙の大空に雪の白いのが見える、

  富士の高嶺である。  

  註] 〇雲居:雲のある大空、または雲; 〇あけぼのの空:朝焼けの曙の空。

 ※ 元来“あけぼのの空”は、春の場合に用いるのであるが、ここでは冬に

  用いている。 

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

  銀裝富士      銀裝の富士     [上平声十五刪韻]  

瞭望曙大空, 曙の大空を瞭望(リョウボウ)するに、

婉婉彩雲閒。 婉婉(エンエン)たり彩雲の閒(カン)。

雪白雲縫隙, 雲の縫隙(スキマ)に雪の白きあり,

翹翹富士山。 翹翹(ギョウギョウ)たり 富士の山。

 註] 〇銀裝:雪化粧; 〇瞭望:遠く見渡す; 〇婉婉:ゆったりと落ち

  着いたさま; 〇彩雲:彩られた朝焼けの雲; 〇閒:間、中間; 

  〇縫隙:切れめ; 〇翹翹:高く抜きんでるさま。 

<現代語訳> 

 雪化粧した富士 

曙の大空を遥かに見渡すと、

朝焼けの雲がゆったりと浮いている。

雲の隙間から雪の白さが目に止まる、

一際高く聳えた富士の高嶺である。 

<簡体字およびピンイン> 

  银装富士     Yín zhuāng fùshì

瞭望曙大空, Liàowàng shǔ dàkōng,

婉婉彩云闲。 wǎn wǎn cǎiyún xián.  

雪白云缝隙, Xuě bái yún fèngxì,

翘翘富士山。 qiáo qiáo fùshì shān.  

oooooooo

 

実朝の歌は、下記の歌を参考にした本歌取りの歌であろうとされている。当時、富士山では煙が噴出していたことが伺い知れます。

 

 [詞書] 百首歌たてまつりし時 

天の原 富士の煙の 春の色の 

  霞になびく あけぼのの空 (前大僧正慈円 『新古今集』 巻一・33) 

 (大意) 大空に立ち上る富士の煙が 曙の空に春の色合いの霞となって 

  棚引いている。 

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