愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題399 漢詩で読む『源氏物語』の歌 (十五帖 蓬生)  

2024-04-15 09:29:50 | 漢詩を読む

十五帖の要旨】源氏が須磨や明石を流浪し、都をはなれていた頃、ほぼ10年が経過し、忘れ去られた末摘花の暮らしは困窮を窮めていた。故常陸の宮邸は荒れ果て、庭は浅茅の原となり、生い茂った蓬が木にも届く高さとなっている。召使たちも次々と去っていく中、末摘花は源氏を待ち続ける。源氏は帰京後も姫を訪れる気配はなく、姫は絶望しつつ独り冬を越そうとする。 

 

今は身を落として受領・大宰の大弐(ダザイノダイニ)の妻となっている末摘花の叔母が、夫の任地大宰府への下向を機に、末摘花を自分の娘たちの養育係として同道することを持ちかけるが、末摘花は諾(ウベナ)いません。如何に荒れた邸に住もうとも、身分の低い受領の娘どもに仕えることに、自尊心が許さないのです。

 

初夏、花散里を訪ねる道すがら、源氏は、荒れた大木が森のような邸の前に来た。高い松に藤がかかって月の光に花のなびくのが見え、風と一緒にその香りが懐かしく送られてくる。見たことのある木立ちだと思うと、以前の常陸の宮の邸である事に気づいた。末摘花の事を思い出し、早速訪ねていき、長年の積もる話を交わし、歌の贈答を行う。源氏が末摘花に贈った歌:

 

  藤波の 打ち過ぎがたく みえつるは 

    まつこそ宿の しるしなりけれ (源氏) 

 

源氏は、親しい家司に命じて邸内の修理・整備の差配をさせた。邸は、見違えるほどに変わり、活気を取り戻した。末摘花は二年ほどこの家にいて、後に源氏の住む二条東院に引き取られた。

 

本帖の歌と漢詩:

ooooooooo   

藤波の 打ち過ぎがたく みえつるは   

  まつこそ宿の しるしなりけれ  (源氏) 

 [註] 〇まつ:松と待つの掛詞。 

 (大意) 松の木に藤の花がかかっていて素通りできなかったのは やはり

  その松が私の来訪を待つしるしになっていたからなのでした。  

xxxxxxxxxx  

<漢詩> 

   訪老情人     老情人を訪ねる     [上平声十灰韻] 

藤花掛松樹, 藤花 松樹に掛かりてあり, 

非訪不可哉。 非訪(タズネザル)は不可ならん哉(カナ)。 

因久無訪問, 久しく訪問無かりしに因(ヨ)り, 

知君等我来。 君 我の来るを等(マツ)と知る。 

<現代語訳> 

  昔の恋人を訪ねる 

美しい藤の花が松の木に掛かっているのが見える、

素通りするわけにはいかないよ。

久しい間 訪ねて来ていない故、

きっと私の来訪を待っているよと知らせているのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

 访老情人      Fǎng lǎo qíngrén  

藤花挂松树, Ténghuā guà sōngshù,  

非访不可哉。 fēi fǎng bù kě zāi

因久无访问, Yīn jiǔ wú fǎngwèn, 

知君等我来。 zhī jūn děng wǒ lái.   

ooooooooo   

 

「数えて見れば随分長い月日ですね。心に沁みる事柄もいろいろありました。また悲しい旅人だった時代の話も語り聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったか辛苦のことども、私より他誰に聞いてもらえることでしょう」などと源氏がいうと、末摘花は低い声で次のように切り返えした。

 

年をへて まつしるしなき わが宿を 

   花のたよりに すぎぬばかりか (末摘花)

 (大意) 長年待っていてもそのかいがなかったわが宿を、藤の花を見る  ついでに立ち寄っただけだったのでしょうか。 

 

源氏は、末摘花が以前より大人っぽくなられた と感じた。

 

【井中蛙の雑録】 

・十五帖 「蓬生」での光源氏 28~29歳。

 

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