愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題239 句題和歌 2  藤原定家/元稹

2021-11-29 09:02:28 | 漢詩を読む
大空は 梅のにほひに かすみつつ  
  曇りもはてぬ 春の夜の月  藤原定家(『新古今集』巻1 春歌上) 
<大意> 大空は梅の香りで霞んで、ぼんやりとした曇りも果てることのない、
  そんな春の夜の朧月である。 

oooooooooooo 
うすぼんやりとした春の霞に曇る朧月だが、その上、大空一杯に仄かな梅の香りも漂うているよ と。視覚に加えて、嗅覚で捉えた春の宵の情景を詠っています。やはり白楽天の「不明不暗朧朧月」に拠った、定家の句題和歌です。 

上記の表題:「藤原定家/元稹(ゲンジン)」としましたが、定家の句題和歌は、実際は前回紹介した楽天の詩句に拠っています。今回は、白楽天と元稹との交流にスポットを当てたく、元稹の漢詩をとりあげます。 

楽天がある事件をめぐり、中央に上書を提出したため、それが越権行為として咎められ、江州司馬に左遷されました。自ら左遷されたばかりの元稹が、楽天の左遷を伝え聞き、心を痛めて楽天に贈った詩です。下記ご参照ください。

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<元稹の詩> 
 聞白楽天左降江州司馬    [上平声三江韻]  
           白楽天の江州司馬に左降(サコウ)せられしを聞く 
残灯無焔影憧憧、 残灯(ザントウ) 焔(ホノオ)無くして影(カゲ)憧憧(トウトウ)、 
此夕聞君謫九江。 此の夕べに聞く君が九江(キュウコウ)に謫(タク)せられしを。 
垂死病中驚起坐、 垂死(スイシ)の病中 驚きて起坐(キザ)すれば、 
暗風吹雨入寒窓。 暗風(アンプウ) 雨を吹いて寒窓(カンソウ)に入(イ)る。 
 註] 江州:現江西省九江市; 司馬:州の刺史(長官)を補佐する次官。主として 
  軍事を司る; 左降:左遷; 残灯:光が消えかかっているともし火; 
  憧憧:揺れ動くさま。ともし火がまさに消えかかって揺らめいている; 
  謫:貶謫、左遷と同じ; 垂死:病が重く、死にそうな状態; 
  暗風:闇夜に吹いている風; 寒窓:寒々とした窓。    
<現代語訳> 
  白楽天が江州司馬に左遷されたことを聞いて  
ともし火の炎が消えかかり、影がゆらゆらと揺れている、
今宵 君が九江に左遷されたことを聞いた。
私は今にも死にそうな病に臥しているが 驚いて起き上がると、 
雨を含んだ夜風が寒々とした窓に吹き込んでくる。 
                   [石川忠久 NHK新漢詩紀行に拠る]

<簡体字およびピンイン> 
 闻白楽天左降江州司马 
          Wén Bái Lètiān zuǒ jiàng jiāng zhōu sīmǎ  
残灯无焔影憧憧、 Cán dēng wú yàn yǐng chōngchōng, 
此夕闻君谪九江。 cǐ xī wén jūn zhé jiǔjiāng.  
垂死病中惊起坐、 Chuísǐ bìng zhōng jīng qǐ zuò, 
暗风吹雨入寒窓。 àn fēng chuī yǔ rù hán chuāng. 
xxxxxxxxxxxxxxx 

藤原定家(1162~1241)は、「ヘンな歌を詠む」異端児としてデビューしたが、後鳥羽院歌壇で “新風の歌”、いわゆる“新古今調の歌”の作者として認識されるようになる(閑話休題156)。『新古今集』(1205)および『新勅撰集』(1235)、また『小倉百人一首』の編者である。

当歌は、前回読んだ大江千里(閑休238)と同じく、白楽天の詩に拠った句題和歌で、二番煎じの感がないでもない。しかし“「梅のにほひ」が霞んでいる”と優艶な、新古今調の歌風が窺い知れる歌と言えよう。

元稹(779~831)は、唐代中期の私人・文人・宰相。字は微之(ビシ)、元九とも言われる。北魏・道武帝の祖父・代王拓跋什翼犍の子・拓跋力真の十二世孫にあたり、隋の元巌の六世孫にあたる。しかし彼の代には零落していて、幼くして父を失い、母の手一つで育てられた と。 

15歳で明経科に、28歳で進士に合格した秀才である。高級官僚となり、積極的に改革を行い、宦官や保守派官僚に疎まれ、しばしば左遷の憂き目に遭っている。楽天の7歳後輩に当たるが、同年に吏部試験に合格したこともあり、生涯を通じて親友であり続けた。 

815年、元稹は、通州(四川省達州市)の司馬に流謫され、その地に着いたばかりの頃、楽天が越権行為の咎で江州司馬として左遷されたことを聞く。その頃、元稹は重い病気で寝込んでいた時である。その時に元稹が楽天に贈った詩が上掲の詩である。 

楽天が江州に左遷されたわけは以下の通りである。13代憲宗(在位805~820)の治世下、淮南西道節度使・呉元済が反乱を起こした(814)。憲宗は、名臣の宰相・武元衡に全権を委ねてその討伐に当たらせた。その最中、呉元済派朝臣の放った刺客により武元衡が暗殺された。

長安で太子左善太夫の職にあった楽天は、“暗殺者の捕縛ばかりでなく、裏で操っている存在を明らかにすべき”との趣旨の上書を送った。それが越権行為とされたのである。なお、武元衡は、門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)(807)で、詩人であった。

順風満帆の高級官僚であった楽天が初めて味わう大きな挫折であった。元稹の詩を受けた楽天は、「この詩は、他人が聞いても切ないのに、ましてや僕の心はなおさらだ。読むたびに心が痛む」と、元稹に手紙を書いた と。 

元稹と楽天は、「元白」と併称されるほど交流を深めた。その過程で、元稹は、贈られた詩に唱和して返す詩を、次韻(ジイン)の形式で詠んで送り返すというやり方を創造している。当時、「元和体(ゲンワタイ)」または「元白体(ゲンパクタイ)」として一世を風靡したという。次韻については先稿(閑休237)をご参照ください。

後世、北宋代の蘇軾は、著書の中で「元軽白俗」 ―“元稹”は軽薄、“白楽天”は卑俗― と、元・白の詩風を批判している。因みに、楽天には次のような伝説があるようである:詩を作るたびに、文字の読めない老女に読んで聞かせ、理解できなかったところは平易な表現に改めた と。 

後年、蘇軾は、楽天に関して、「安分寡求 ―己の分に安んじ、欲求が少ないー」の人であるとして、引退閑居した楽天に対する憧憬の念を詠った詩を残している。
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閑話休題238 句題和歌 1  大江千里/白居易

2021-11-22 09:19:33 | 漢詩を読む
照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の  
  おぼろ月夜(づきよ)に しく物ぞなき (大江千里『新古今集』巻一・春上・五五) 

<意味> さやかに照るのでもなく、といって全く曇ってしまうのでもない、 
  春の夜のおぼろにかすむ月の美しさに及ぶものはない。 
   註] 朧月夜=おぼろにかすんだ月の美しさ; しく(=及く) 及ぶ、匹敵する。

oooooooooooo
内裏で催された桜の宴ですっかりご機嫌になった源氏は、その夜藤壺の宮を求めて弘徽殿(コキデン)に忍び込み、細殿(廂)を歩いていた。暗がりで「……朧月夜(オボロヅキヨ)に似るものぞなき」と口ずさみながら通り過ぎる愛らしい女(朧月夜オボロヅクヨ)と出会う。

源氏は、女の袖を取り、「お互い朧月に誘われて出て来てここで出逢った、並々ならぬ縁があったのだよ」と詠い、二人は結ばれます(源氏物語 八帖 花宴)。朧月夜(オボロヅクヨ)が口ずさんでいたのは、大江千里の当歌五句を少々改変した歌でした。 

当歌は、白居易(楽天)の漢詩「嘉陵夜有懷 其二」(下記)の起句にヒントを得た歌です。このように漢詩中の“句”を元に詠われた歌を「句題和歌」と言い、千里はその草分けとされています。向後、勅撰和歌集に入集された「句題和歌」の秀歌とその元の漢詩を取りあげて鑑賞していくことにします。

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<白居易の詩>  
 嘉陵夜有懷二首 其二  嘉陵(カリョウ)の夜 懷(オモイ)有り [上平声一東韻]  
不明不暗朧朧月、  明ならず暗ならず朧朧(ロウロウ)たる月、 
不暖不寒慢慢風。  暖ならず寒ならず慢慢(マンマン)たる風。 
独臥空床好天氣、  独り空床(クウショウ)に臥して天気 好(ヨ)し、 
平明閒事到心中。  平明 閒事(カンジ) 心中(シンチュウ)に到る。
 註]  平明:明け方;  閒事:余計な事。 
 
<現代語訳> 
明るくもなく、暗くもない、おぼろな月。 
暑くもなく、寒くもない、ゆるやなか風。 
私は独り寝床に臥して、天気は穏やか。 
明け方、つまらぬ事ばかり心に浮かんで来る。 
           [千人万首 資料編(和歌に影響を与えた漢詩文)に拠る])

<簡体字およびピンイン> 
 嘉陵夜有懷二首 其二   
不明不暗胧胧月、 Bù míng bù àn lóng long yuè,  
不暖不寒慢慢风。 bù nuǎn bù hán màn man fēng. 
独卧空床好天气、 Dú wò kōng chuáng hǎo tiānqì, 
平明闲事到心中。 píngmíng xiánshì dào xīnzhōng. 
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大江千里については、すでに触れた(百人一首-23番、閑話休題176)。漢学者の父の影響を受け、父の跡を継いで学者になった。その生没年は不詳である。宇多帝(在位887~897)の頃に活躍した歌人、学者である。父・音人(オトンド)は阿保(アボ)親王の落胤ではないかとされており、ならば在原行平(百-16番、閑休189)・業平(百-17番、閑休135)の甥に当たる。

宇多帝の命を受けて、句題和歌を集めた『大江千里集』(一名『句題和歌』とも)を編纂して献上している(897)。同集の全126首中116首が漢詩を翻案した歌であり、その多くが唐詩人・白居易(楽天)の漢詩に依るという。 

白楽天(772~846)は、中唐期の詩人、平易流暢な詩で内容が分かりやすく、平安期に『白氏文集(モンジュウ)』として日本に伝わり、『文集(モンジュウ)』と称されて愛読された。なお白楽天の詩については、本blogで4回ほど紹介済である(閑休-62、-66、-104、-125)。

当漢詩は、809年3月、友人の元稹(ゲンジン)が監察御史として蜀の嘉陵に派遣(左遷)された際、贈答された詩の一首である。すなわち、出発に当たって、元稹が自らの心情を32首の詩に詠み白居易に贈った。それに対し白居易は十二首に和して酬い、答えた と。その2首構成のうちの“其二”が当漢詩である。

“其二”だけでは詩の真意が掴めないが、次の“其一”の転・結句(3,4句)を含めて読むと、通い合う二人の心情が汲み取れます。

憐君独臥無言語、 悲しく思う、君が独り言葉も無く床に臥していることを、 
唯我知君此夜心。 君の今夜の心を知っているのは ただ私だけである。 

翻って、千里の歌は、長閑な春の夜の“朧に霞む月”、それに勝るものはないよ と季節感を主張しています。 
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閑話休題 237 飛蓬-141 桂花(キンモクセイ)を詠む 次韻蘇軾「贈刘景文」 

2021-11-15 15:31:24 | 漢詩を読む
 残暑が厳しい折、芳ばしい香りがどこからともなく漂ってくると、あの黄金色の花が枝一杯にぎっしりと付いた金木犀が脳裏に浮かぶ。案の定、遥か彼方に目を遣ると、その樹姿を目撃することができるのである。

 此処北摂では、例年、太陽暦9月下旬から10月初旬ごろが、金木犀の盛開期である。今年は違った。ヤキモキしていたが、11月半ばを迎えようとする頃、やや芳香を放つのが弱い感じであるが、やっと本来の姿に逢えた。暫くぶりに旧友に逢ったような気分である。

2021/11/11撮影

最も好きな詩人は?と問われれば、蘇軾(東坡)と即座に答えるだろう。否、はるかに遠い存在で尊敬の対象である。敬意を表して、同氏の「刘景文に贈る」の詩に、次韻する形で、金木犀の詩を書いてみました。

次韻とは、他人の詩と同じ韻字を同じ順序で用いて詩作すること、またその詩を言います。次韻対象の元の詩を鑑賞しつゝ、試しに作った詩を紹介します。

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 詠桂花 次韻蘇軾「贈刘景文」     [上平声四支韻] 
          桂花を詠む 蘇軾「刘景文に贈る」に次韻(ジイン)す            
馥郁芳香満庭院、 馥郁(フクイク)たる芳香 庭院に満つ、 
金黄丽朵茁総枝。 金黄の麗(レイ)朵(ダ) 総枝に茁(サツ)す。 
共盈天地君須識, 共に盈(ミ)つる天と地 君 須(スベカラ)く識(シ)るべし,
天阙八桂望月時。 天阙(テンケツ)に 八桂(ハツケイ) 望月(モチヅキ)の時を。
 註]  馥郁:よい香りがただよっているさま; 朵:花を数える量詞、此処では 
  金木犀の花; 茁:芽を出す;  天阙:天宮の門; 八桂:月には八本の桂花の 
  木(金木犀)が森を成しており、望月の黄金色は盛開の桂花によるとされる。 
 ※ 蘇軾「贈刘景文」は、[参考]として末尾に添えた。  

<現代語訳> 
 金木犀の花を詠む 
  蘇軾「刘景文に贈る」に次韻する 
金木犀の花の芳ばしい香りが庭いっぱいに満ちて、
黄金色の麗しい花が木の全枝に着いて盛開である。
芳ばしい香りは天地ともに盈ちていることを忘れてはならない、
望月の頃には天宮でも 月八桂の満開になった花の香りで満ちているのだ。

<簡体字およびピンイン> 
 詠桂花      Yǒng guìhuā 
  次韵苏轼「赠刘景文」 Cìyùn Sū Shì “Zèng Liú Jǐngwén”   
馥郁芳香満庭院、 Fùyù fāngxiāng mǎn tíngyuàn,
金黄丽朵茁总枝。 jīnhuáng lì duǒ zhuó zǒng zhī.
共盈天地君须识, Gòng yíng tiāndì jūn xū zhì,  
天阙八桂望月时。 Tiānquè bāguì wàngyuè shí.
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普段なら金木犀は、残暑が未だ厳しいころに盛開の期を迎え、燦燦と注ぐ光と熱に促されるように、強烈な芳香を四方・遠方に放つ。結果、樹姿は目視されなくとも、その存在を強烈に訴えているのである。

今年は違った。いつもの時期、9月半ば頃に、確かに金木犀のほんの数枝で、チラホラと開花しているのを確認でき、顔を近づけて申し訳程度に感受される芳香があった。周囲からは、「剪定の遣り過ぎだ」と責められたが、「余所の金木犀も同様だ!」と やっと納得してもらった。

ところが、涼しい日々が続く11月に入って、再び開花し始めたのだ!! 上の写真は11月11日撮影である。盛期でも心なしか芳香が弱かったように思う。今年は天候不順であった。9月半ばには小雨や曇りがちとなり、清涼な日が多かった。蕾を噴き出すタイミングを失したのであろう。

[参考] 
 贈劉景文  蘇軾 「劉景文に贈る」   [上平声四支韻]  
荷尽已無擎雨蓋, 荷(ハス)は尽きて已に雨を擎(ササ)ぐる蓋(カサ)無く、
菊残猶有傲霜枝。 菊は残(ソコナ)われて猶(ナ)お霜に傲(オゴ)る枝有り。
一年好景君須記, 一年の好景 君 須(スベカ)らく記すべし、
最是橙黃橘綠時。 最も是れ橙(ダイダイ)は黃に 橘(ミカン)は緑なる時。

<現代語訳> 
 劉景文に贈る 
荷の花は散り果て、雨を受けていた傘のような葉もすでにない、
菊の花も盛りが過ぎて、枝のみが霜にめげず傲然(ゴウゼン)と張っている。
君よ、是非とも心にとどめておいてほしい、
一年のうち、最も素晴らしい景色は、まさにだいだいが黄色に熟れ、
 みかんの緑が映えるこの季節だ。
                        [白 雪梅『詩境悠遊』に拠る] 
<簡体字およびピンイン> 
 赠刘景文 苏轼 Zèng Liú Jǐngwén. Sū Shì 
荷尽已无擎雨盖, Hé jìn yǐ wú qíng yǔ gài,
菊残犹有傲霜枝。 jú cán yóu yǒu ào shuāng zhī.
一年好景君须记, Yī nián hǎojǐng jūn xū jì,
最是橙黄橘绿时。 zuì shì chéng huáng jú lǜ shí. 


<解説> 蘇軾(1036~1101)、字は子瞻(シセン)、号は東坡(トウバ)。北宋随一の文学者。官界では新法党の王安石と対立して、度々左遷される憂き目に遭っている。厳しい逆境にありながらも、楽天的で、かつユウーモアを忘れない。詩文のほか、書画もよくした。

当詩は、蘇軾(1090、55歳)が知事として杭州にいた時の作。刘景文は、兵馬都督として杭州にいた親しい友人。人が気づかない初冬の季節の美を詠っている。蘇軾は、絵画にも優れ、自然の美を詠った詩は多い。

蘇軾で忘れてならないことの一つは、配流・蟄居中の貧しい身にあって、“富者は敢えて見向きもしない、貧者は料理法を知らない安価な豚肉”を美味しく頂けるよう工夫して、“東坡肉(トンポーロウ)”なる料理を考案したことである。もっちりとした食感で非常に美味な料理です。

なお、閑話休題のblogは、2015年以来、その第1,2,3報と蘇軾の紹介で始まり、“東坡肉(トンポーロウ)”料理に纏わる話題は、閑話休題45で触れました。興味のある方は、それらをご参照ください。
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閑話休題236 菅原道真 3 新撰万葉集 3

2021-11-08 09:44:28 | 漢詩を読む
上秋4 
秋風に 鳴く雁が声(ネ)ぞ ひびくなる
  誰が玉づさ かけて来つらむ  紀友則 (古今集 ・207) 

<大意> 秋風が吹いて南に渡る雁の鳴く声が聞こえて来たが、誰への便りを首に懸けて 
    きたのであろうか 

<万葉仮名表記>

秋風丹(ニ) 鳴(ナク)雁(カリ)歟(カ)声(子)曾(ソ )響(ヒビク)成(ナル) 
  誰(タ)歟(カ)玉梓(タマヅサ)緒(ヲ)懸(カケ)手(テ)来(キ)都(ツ)濫(ラム) 

oooooooooooo
爽やかな秋風が頬を撫ぜる夕暮れ時、どこからともなく初雁の鳴く声が耳に届いた。“お便りですよ“とのお報せだ。見上げると、澄み切った西の空に、一羽を先頭にして、後ろ両側にそれぞれ整列をなして南に向かう群れ。誰への”便り“を携えているのであろう。

遥かな遠方より届けられた“お便り”。胸踊り、震える手を抑えつゝ、封を切って読み進めていくうちに、こころの籠った美しい文、行ごとに涙が零れて止まない。と当歌の問いに対し、漢詩で答えてくれました。胸が熱くなるお便りであったのでした。

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<『新撰万葉集』漢詩および読み下し文>  [下平声八庚韻] 
聴得帰鴻雲裏声、 聴き得たり帰鴻(キコウ) 雲裏(ウンリ)の声、 
千般珍重遠方情。 千般珍重す 遠方の情。 
繋書入手開緘処、 書を繋け入手して緘(カン)を開く処、 
錦字一行涙数行。 錦字(キンジ)一行 涙 数行。 
 註]  鴻:大型の雁;  緘:手紙の封。 

<漢詩の現代語訳> 
はるか雲の向こうから雁の鳴く声が聞こえてきたが、
内容が何事であれ、遠方から届けられた大切な思いなのだ。
掛けられた書を手にして開封するや、
煌びやかな文字の一行を読むごとに 数行の涙が溢れてきた。

<簡体字およびピンイン> 
听得帰鸿云里声、 Tīng dé guī hóng yún lǐ shēng,
千般珍重远方情。 qiān bān zhēnzhòng yuǎnfāng qíng.
系书入手开缄处、 Xì shū rùshǒu kāi jiān chù,
锦字一行涙数行。 Jǐn zì yī háng lèi shù háng.
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当歌の作者・紀友則(?~905)は、百人一首に撰ばれた素晴らしい歌を残している(百33番、閑話休題144)。満開の桜花の下、ひらひらと舞い散る花に対して、何故にこんなに散り急ぐのか?と。当歌は、「是貞親王家歌合」に出詠された歌である。 

友則(?~905)は、紀貫之(百35番、閑話休題140)のいとこで、平安時代前期に活躍した。歌人として高く評価されながら、40歳過ぎまで無官・不遇であった。彼の才能を認め、取り立てたのは時の権力者・藤原時平ではなかったか、と、歌集に残る贈答歌から想像される。

すなわち:偶々、友則が時平と会った折、「その歳まで何故に花も咲かず、実も結ばなかったのか」と時平に問われて、「春は、毎年来るのに、花の咲かない木をなぜ植えたのか」と返歌したと。その後、友則は職を得た。三十六歌仙の一人である。貫之らと『古今和歌集』の編纂に携わっていたが、完成を見ないで病没した。
 
雁と便りとの関係は、中国の故事に拠る。漢武帝の頃、蘇武は、捕虜交換の使いとして北國・匈奴に赴いたが、捉えられ、北海の辺りに追いやられた。次代・昭帝の時、狩で仕留めた雁の足につけられた帛(キヌ)に「蘇武は健在」とあったと、蘇武の返還を要求、蘇武は無事に帰還できた(『漢書』蘇武伝)。雁書、雁の玉梓、等々の故事である。

『新撰万葉集』漢詩について:前述の如く、当歌を元にした“本歌取り”の詩であると言えよう。しかし歌では疑問を投げかけ、読者にあれこれと想像する機会を与えているのに対し、漢詩では回答が出て、“味”が無くなったかな と。但し漢詩では、便りの内容に大きな感動を覚えて、訴えています。

この漢詩については、以下、作詩規則上気になる点があります。
1) 結句中脚韻の“行”について。“行”には意味の違いにより、大きく発音、したがって“韻”が異なる:・行く、行為:“xíng”、下平声八庚韻; ・(1行2行の)行:“háng”、下平声七陽韻。本詩では、後者に当たり、起・承句の下平声八庚韻とは合わない。(上記ピンイン表示中、青色表示)。
2) 結句中4番目の字(“4字”)が孤平:平字“行”が、仄字“一”と“涙”に挟まれている。七言絶句では、「“4字”の孤平は厳禁」とされている。“x一行y数行”の“対”表現では許される か? 
3) 結句中の冒韻:結句の韻字“行”が、句の最後・脚部以外の場所で出ている。絶対的な規則ではなさそうですが、「詩の韻字と同じ韻目に属する字は、脚韻部以外の場所では避ける」ことになっている。本詩の場合のように、““x一行y数行”と“対”となる場合は赦される か?

『新撰万葉集』について:『萬葉集』に継ぐ新しい和歌の撰集として、宇多帝が企図した『新撰万葉集』の編纂は、時宜を得た企画であったと思われます。実際は、次帝・醍醐朝で、最初の勅撰和歌集として『古今和歌集』の結実を見た。

『新撰万葉集』を紐解き始めて、諸々の疑問がモヤモヤとして、脳内に蟠っていて、整理ができないでいる。・和歌の撰集を目指しながら、何故に漢詩を添えたのか? ・添えられた漢詩は、道真の作であろうか? 等々。

先に百人一首シリーズで、百人一首5番・猿丸太夫:「奥山に 紅葉踏みわけ……」に関する『新撰万葉集』漢詩に触れました(閑話休題141)。本稿シリーズを含めて、計4首の漢詩を振り返って見たとき、同集中の漢詩は、筆者の如き初学生にとって手に負える資料ではない との判断に至った。ここでこのシリーズは置くことにする。
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閑話休題235 菅原道真2 『新撰万葉集』2

2021-11-01 09:21:13 | 漢詩を読む
<上巻秋2> 
白露に 風の吹きしく 秋の野は 
    つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける 
         文屋朝康(アサヤス) (後撰集 巻6 19) 
 <大意>草の上に降りた白露に、風がしきりに吹きつける秋の野では、貫きとめた
   紐から解き放たれた白玉が乱れ飛び散っているように見えることだ。

<万葉仮名表記> 
 白露(しらつゆ)丹(に) 風之(かぜの)吹敷(ふきしく) 秋之(あきの)野者(のは) 貫(つらぬき)不駐(とめ)沼(ぬ) 玉(たま)曾(そ)散(ちり)藝留(ける) 
  
ooooooooooooo 
秋の野分きがサッと吹き抜けると、草に降りた露が飛び散り、朝日を反射してキラキラと輝きながら宙を舞う。あたかも首飾りの紐が切れて、輝く真珠が一面に舞い散っているような、何とも美しい動的な秋の一情景。筆者は、当歌を以上のように読んだのだが。

当歌は、『新撰万葉集』上巻秋の部で第2番目に取り上げられた歌である。その漢詩(下記)では、歌とはかなり趣きの異なった展開となっている。夜に益した潤いが、翌朝、風に乱れ散る玉となる見事な情景が、昼間には乾き、その情景が見えなくなるので、嫌である と。

xxxxxxxxxxxxxxx  
<漢詩>    [上平声四支、上平声五微韻] 
秋風扇処物皆奇、 秋風が扇(アオ)ぐ処 物 皆(ミナ)奇なり、 
白露繽紛乱玉飛。 白露 繽紛(ヒンプン)たり乱玉(ランギョク)飛ぶ。 
好夜月来添助潤、 夜月(ヤゲツ)来り添え潤(ウルオイ)を助くるは 好(ヨ)し、 
嫌朝日徃望為晞。 朝日 徃(ユ)きて為に晞(カワ)くを望(ノゾ)むを嫌(イト)う。 
 註] 
  繽紛:いろいろな物が入り乱れているさま; 晞:乾く。
<漢詩の現代語訳> 
秋の野分が吹き抜けた処では あらゆる物が人目を引く景色となり、
草に降りた白露は、風に吹かれて玉となって入り乱れて飛び散る。
夜には、月も明るく照り輝き、潤いが益し、好ましいことであるが、
朝日があがり、時が過ぎていくにつれ 露の乾くのを見ることになり、厭わしい。

<簡体字およびピンイン>  
秋风扇处物皆奇、Qiū fēng shān chǔ wù jiē , 
白露缤紛乱玉飞。báilù bīn fēn luàn yù fēi. 
好夜月来添助润、Hǎo yè yuè lái tiān zhù rùn, 
嫌朝日徃望为晞。xián zhāorì wǎng wàng wéi. 
xxxxxxxxxxxxxxxx  

文屋朝康の当歌は、百人一首(37番)にも挙げられた名歌であり、「寛平御時后宮歌合(カンピョウオントキキサイノミヤウタアワセ)」(893年以前)に出詠された歌である。朝康は、文屋康秀(百-22番)の子息で、生没年・伝記・経歴ともに不詳、宇多-醍醐朝の官人、歌人である。

筆者は、当歌について漢詩への翻訳を試みており、すでに当blogで紹介した(閑休131)。参考までに漢詩部を本稿末尾に再掲しました。

『新選万葉集』漢詩について: 起・承句で白露の飛び散る玉に触れ、転・結句で「夜は露が益し、好ましいが、昼は露が乾くので、厭わしい」と詠っている。総じて、朝康和歌を元にした“本歌取り”の漢詩と言えよう。

さりながら、歌では“秋風に散る玉のさま”の美しい情景を主題として、それに対する感動を詠っている。しかし漢詩では、これは風に因る“数多の情景変化のひとつ”であるとして、露が乾いてそれが見られなくなる昼は厭わしい と。

この漢詩から、何らかの感動・感興が湧き起こることがないのだが、筆者の理解不足または誤解によるのであろうか?なお<簡体字およびピンイン>の項で示したように、七言絶句としてのルールは、しっかりと満たされております。

『新撰万葉集』について:勅撰和歌集の編纂を企図していた宇多帝が、その試行としての『新撰万葉集』編纂を念頭に、撰歌の手段として「寛平御時后宮歌合」および「是貞親王家歌合 (コレサダシンノウケウタアワセ) 」を企画、実施した。後に醍醐朝に『古今和歌集』として結実していく。

「寛平御時后宮歌合」は、光孝帝の皇后・班子女王が主催、その后宮において開催、一方、『是貞親王家歌合』は、宇多帝の兄・是貞親王の家で行われた歌合である。いずれも宇多帝の企画・後援の下で行われた大規模な歌合せであった。

両歌合の”左“側の歌が『新撰万葉集』上巻に、”右“側の歌が同下巻に採られている と。歌人としての評価が、”左“側が上位に当たるとのことである。相撲の取り組み番付において、”東“が”西“より評価が勝っていることを想像すれば、容易に理解できる。

以後、上/下巻の歌を織り交ぜて拾い読みしていくことにします。

[参考] 
 季秋的風物詩   季秋(キシュウ)の風物詩  [入声九屑韻]  
遥望錦山風凛冽, 遥かに望む錦の山,風 凛冽(リンレツ)たりて、
秋原百草露凝結。 秋の原の百草 露を凝結(ギョウケツ)しあり。
每陣疾風吹跑露, 陣(ヒトシキリ)の疾風ある每(ゴト)に露を吹跑(フキトバ)し,
解縄散玉耀何潔。 解縄(ヒモト)け散りし玉 耀(カガヤ)くこと何ぞ潔(キヨラカ)なる。 
 註]  風物:眺めとして目に入るもの、風景; 凛冽:寒気のきびしいさま; 
  疾風:秋に吹く野分(ノワキ)のこと; 吹跑:風で吹き飛ばす; 解縄:紐をほどく; 
  玉:白玉、真珠; 耀:光り輝く; 
<現代語訳> 
 晩秋の風物の詩  
遥かに望む紅葉に染まった山から吹き下ろす風は肌に刺すような寒気だ、
野原の草々の葉には白露が結ばれるようになった。
秋の野分が吹くごとに白露は吹き飛ばされ、
紐を解かれ飛び散る真珠のごとく、輝き飛び散るさまは何と清らかなことか。
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