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閑話休題17 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―4

2016-09-26 15:42:48 | 漢詩を読む
本シリーズでは、「漢詩を読む」と銘打って話を進めています。此処でちょっと立ち止まって、“読む”ことについて触れておきます。

”漢詩を読む”とは、漢詩を‘声’を出して‘朗読’するというよりは、‘漢詩’の奥に潜む何事かを”読み”取る(解釈する)ということを意味しています。すなわち、作者が描き出している世界、またその中で作者が訴えたい‘メッセージ’について想像逞しくして理解しようとする作業となります。

ドラマのなかで引用されている漢詩について語ろうとすれば、話はさらに難しくなります。

まず、ドラマの中で漢詩に出会った場合は、件の漢詩をどのように”読む”か? 更に該ドラマの原作者を含めて、その作製に関わった人々が、件の漢詩を引用した意図は? ひいては物語の展開にどのように関わっているのか? 等々、それらを”読む”羽目に追い込まれることになります。

これらの高いハードルを感じつつも、それはそれ、本稿では肩の凝らない程度の話を心掛けていくつもりです。ある意味、独断と偏見、無責任の誹りは免れない話になるやも知れませんが、敢えて「ドラマの中の漢詩」を取り上げて“読む”ことに挑戦していきます。

欲どおしいことを言えば、ドラマをより楽しく視聴するのに役に立てれば幸いなことであろう と思っています。

素人にとっては、恐れ多い取り組みではあります。しかし、”読む”ことの面白さ、楽しさは捨てがたく、「下手の横好き」である趣味の一つとして漢詩に親しんでおります。

今回は、本論から少々はずれますが、‘漢詩’の奥に潜んでいると思われるメッセージが、人によっていかに自由自在に”読まれ”ているかを示す一例を取り上げてみます。

“若いときは二度とない”のであるから、“機会があったら若いうちに存分にお酒を召しあがれ”という解釈(”読み1”)と“若いうちに一生懸命勉学に励め、時は人を待ってはくれないぞ”という解釈(”読み2”)と、真逆の解釈がなされている例です。

陶淵明の「雑詩 十二首 其の一」と題する漢詩について触れます。十二句からなるやや長い詩です。その詩と邦語の読み下しおよび現代訳は末尾に示しました。本シリーズでは、漢詩そのものについての解説は、先人たちに譲って、避けて通ることとします。

話題にしようとする箇所は、この詩の最後の4句の解釈にあります。実は、この4句は、本邦では独立して「勧学」という題名がつけられております。詩吟の世界では、今日なお詠い継がれているようです。

筆者は、時期は定かではありませんが、若いころ、“盛年(セイネン) 重(カサ)ねて来(キ)たらず、一日(イチジツ)再び… 云々。”と口ずさんだ記憶があり、その詩のメッセージとしては先の“読み2”に当たると理解していました。

この4句は、「人間みな兄弟ではないか、喜びごとがあったなら、隣近所呼び寄せてうちそろい、酒樽を横に飲もうではないか」という句に続く締めの部分です。いま思えば、先の“読み1”と理解することが自然の流れであるように思われます。末尾の<現代訳>をご参照ください。

しかし、詩全体を知ったのは、恥ずかしながら、比較的最近のことであります。それまで何の疑いもなく「勧学」として“読み2”を意味するものと理解しておりました。

さて、“読み2”について、何時、誰が、なんの意図があって「勧学」という題をつけて独立した‘漢詩’として取り扱うようになったのであろうか?非常に興味がありますが、少なくともその道の専門家の提案に依るのであろうことは推察されます。

今一つ“読み3”として、作者は非常にお酒が好きな御仁であることから、自ら飲みすぎの反省の弁として、若者に向かって “読み2”の様に諭している という解釈が成り立たないわけではない。

しかし、晩年には酒を止めようか と思ったようでもありますが、百首以上もの多くの詩を残していて、それらの詩で‘全編酒在り’と言われるほどの酒好きの陶淵明です。“読み3”のような解釈は、コジツケに過ぎないでしょう。

近頃、マスコミが、例えば、政治家の発言について、その中の一部を取り上げて論評して、物議を醸すことが間々あります。“読み2”については、どうしてもこのような事象を思い浮かべてしまいます。

漢詩に限らず物語文などの中の一部の語句、特に四字からなる四字熟語を、あるいは文の一部分を切り取り、喩や警句として日常に用いられている例は、枚挙に遑がありません。

しかし今話題にしている“読み2”については、一般的な意味において、たとえ若者を諭すという善意の意図が根底にあったとしても、この詩全体の流れを勘案すれば、抵抗感があります。

事程左様に、その良し悪しはさておき、個人により“読み”が非常に異なることは、多々有り得ることでしょう。今後、筆者も的外れの“読み”を行う可能性は避けられず、予め断りを入れておくべきか と。その折には、コメントを頂けることを切にお願い致します。

何はともあれ、「漢詩を読む」ことの難しさを示す一例を挙げました。難しさにかまけて、避けるのではなく、素人は素人なりの発想で、以後、ドラマに現れた漢詩について“感想”文を書くつもりで、本稿を進めていくことにします。

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雑詩 十二首       陶淵明
其の一      
人生無根蔕  人生 根蔕(コンテイ)無く、
飘如陌上塵  飘(ヒョウ)として、陌上(ハクジョウ)の塵の如(ゴト)し。
分散随風転  分散して風に随(シタガ)いて転ず、 
此已非常身  此れ已(スデ)に常の身に非(アラ)ず。
落地為兄弟  地に落ちて兄弟(ケイテイ)と為(ナ)る、
何必骨肉親  何ぞ必(カナラ)すしも骨肉(コツニク)の親(シン)ならん。
得歓当作楽  歓(ヨロコ)びを得ては当(マサ)に楽しみを作(ナ)すべし、
斗酒聚比隣  斗酒(トシュ) 比隣(ヒリン)を聚(アツ)めん。
盛年不重来  盛年(セイネン) 重(カサ)ねて来(キ)たらず、
一日難再晨  一日(イチジツ) 再び晨(アシタ)なり難(ガタ)し。
及時当勉励  時に及びて当(マサ)に勉励すべし、 
歳月不待人  歳月は人を待たず。

<現代語訳>
人の命は、つなぎとめる根もへたもなく、
風に舞い飛ぶ路上の塵のようだ。
ちりぢりに風の吹くまま転がってゆく。
人はもともと永遠の体ではない。
この世に生まれ落ちれば誰もが兄弟。
肉親だけが親しいものとは限らない。
歓楽の機会を得たならば楽しむべきである。
酒を用意して隣近所の人と、大いに飲もうではないか。
若いときは二度と来ないし、
一日に朝が二度来ることもない。
時を逃さず楽しまなくてはいけない。
月日はどんどん過ぎ去り、人を待ってはくれないのだから。
 石川忠久 監修 NHK『新漢詩紀行』ガイド 5、2010 から引用

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閑話休題16 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―3

2016-09-14 15:43:38 | 漢詩を読む
漢の武帝について、コメントを頂いています。有難うございます。コメントへのお答えと合わせて、この機に武帝周辺についていま少し補足説明をさせて頂きます。

コメント氏は、武帝の亡くなった年齢を54歳と推算されておりますが、実際は70歳まで存命でした。先のブログで示した数字は、“在位”の年代でした。前141年、16歳で即位し、生前譲位はなく、前87年に没しています。在位54年ということになります。

16歳で即位したとは言え、当時口うるさいお婆さんの竇太后(とうたいこう)が君臨しており、さらに正妻である陳皇后の母親であり、おばさんの館陶(かんとう)公主も口うるさい 等々。若い武帝は、存分に政治を行う状況になく、満を持して雌伏する他はなかった。

竇太后は、前135年に亡くなっています。武帝22歳の時です。意気盛んな年齢と言えるでしょう。頭上の重しが取れて、思い切った政治改革に乗り出します。恐らく、高祖劉邦の直系という自負もあったのではないでしょうか。

人が時代をつくるのか、あるいは時代が人をつくるのか。武帝の時代、各方面で優秀な人材が輩出されています。軍関係では、先に挙げたように、李広、衛青、霍去病と続いています。

李広は、先祖が秦の時代に遡る軍事の名門の出で、文帝、景帝、武帝と3代にわたって働いた将軍です。対匈奴の戦で、多くの勲功を立て、匈奴を震え上がらせた将軍です。漢詩の中では、“飛将軍”として登場します。衛青など若い将軍の台頭により、やや不運な晩年ではあったようですが。

衛青は出自がややこしい。武帝には平陽公主というお姉さんがいて、彼女は、お婆さんやおばさん達とは異なり、武帝の味方でした。平陽公主は、陳皇后に子供がいないことから、後継者の誕生が待たれるとして、美人を集めて、武帝に好きな女性を選ばせました。

武帝が選んだ女性は、平陽公主の家にいた洗濯婆さんの娘・衛子夫で、後に衛皇后となる人です。当時衛子夫は合唱隊の一員でした。衛青は、衛子夫の弟にあたります。小さい頃は匈奴の近傍、漢・匈奴の雑居地帯に住んで、羊を飼う牧童でもありました。

成長して、平陽公主の家で馬周りの役をするようになりましたが、そこに至る間、まさにドランチックな展開があるのだが、ここでは長くなるので省略します。平たく言えば、元々衛子夫、衛青ともに奴隷の身分であったと言えます。

衛子夫が後宮に入ると、衛青も同行して、官職に着きます。ただ、衛青が小さい頃体験して得た匈奴に関する情報は、匈奴対策で頭いっぱいの武帝にとっては得難い、非常に有用なものであった。実際、匈奴との戦で生かされていくことになります。

衛子夫は三人姉妹の末っ子でした。直上の女子は、衛子夫の威光もあって、名のある霍(かく)家に嫁いでおり、そこで霍去病が誕生しています。

衛青、霍去病の活躍で、前119年に匈奴を掃討し、国の安寧を図ることができました。その5年後に、后土の祀りを執り行うことに繋がっていきます。先例、慣習を打破して、出自に拘ることなく、人材を登用した武帝の偉大さには感じ入ります。

これらの成功物語とは真逆に、生母・王太后(前120年)、李広(前119年)、館陶公主(前118年)、霍去病(前117年、24歳でした)と、縁のある人々が継いで世を去っています。「秋風の辞」の結句で、“…迫りくる老いをどうすればよかろう”と、自問することに繋がっているのではないでしょうか。

注)歴史上の記述は、主に次の著書に依っています。
陳舜臣 著『小説 十八史略』(毎日新聞社刊、1979);『中国の歴史』(平凡社刊、1981)

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閑話休題15 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―2

2016-09-13 12:08:14 | 漢詩を読む
前回、中国映画「十面埋伏」(邦題”Lovers”)で出てきた李延年の漢詩“佳人の曲”に触れました。その中で、この詩は、李延年が自分の妹を漢の武帝にPRするために作ったものであると紹介しました。

一方、漢の武帝は「秋風の辞」という詩を作っていますが、その中に“佳人を懐って忘れることができない”というくだりの句があります。[ご参考までに、武帝の詩は、末尾に挙げました。]

武帝の詩に出てくる“佳人”とは、一体何者か?李夫人を指すのか?古来、議論の対象であったようです。これまでに挙げられている“佳人”の候補は、○后土(後述)で祀った地の女神、○一般的な意味の女神、○神仙のもの、○都長安の後宮の美女たち、○長安の賢臣たち、○武帝の皇后衛夫人等々。

“佳人の曲”中の“佳人”と同一漢字であることから、自然と李夫人を想像しますが、李夫人を挙げている例はありません。何故でしょうか?秋の夜長、菊の香りが漂い始めるこの季節、謎解きにはぴったりの時節と言えようか。以下、私見を述べます。

武帝は、初代皇帝劉邦の血を引く直系4代目の皇帝(在位:前141~前87年)にあたります。思い切った政治改革に取り組んだ独裁的な皇帝であり、今日の中国の形を作り上げた皇帝と言えるでしょう。

国の安寧を第一義として改革を進める中、各面で多くの優秀な人物が排出しています。軍中枢では、李広(りこう)、衛青(えいせい)、霍去病(かくきょへい)という優れた将軍を得て、北方匈奴の脅威を除くことができ、国内の安寧が達成されました。

そこで武帝は、泰山に登って天を祀ること(封禅:ほうぜん)を企画しました。封禅に先立って、汾陰の地(黄河の支流汾河のほとり)に祠を建てて、地の神を祀る行事(后土:こうど)を執り行っています。武帝44歳の時でした。

后土の祀りの後、随行員一同汾河に楼船を浮かべて、盛大な宴を催しています。その折に武帝が作った、と言われているのが「秋風の辞」です。少壮44歳で、“迫りくる老いをどうすればよかろう”と、嘆息しています。

古代中国では、天子は、‘巡狩(じゅんしゅ)’といって、諸国をめぐり民情を視察するという慣わしがあった と。汾陰の地を訪れるのもその‘巡狩’の一環で、武帝は、その頃から積極的に‘巡狩’を行うようになったようです。

“佳人”の話に戻ります。先に挙げたように、“佳人”の候補者として、李夫人は挙げられていません。

李夫人は、武帝に仕えるようになってから間もなく身籠って、男児を出生しています。しかし生来身体が弱く、出産後早々に亡くなりました。臨終に際しては、武帝自ら、見舞いに訪れています。通常、このようなことはありえないことのようですが。

李夫人が亡くなると、武帝は、彼女を皇后の礼によって葬ったとのことです。また霊魂を招く秘術を持つ方士がいると聞くと、李夫人の霊を呼ぶよう命じたとも言われています。

こと程左様に、李夫人に対する武帝の思い入れが非常に強かったことは明らかです。それにも拘わらず、李夫人が“佳人”の候補として挙がっていないことは腑に落ちません。

“佳人”を‘ある人’と仮定した時、詞中の句“佳人を懐いて忘るる能わず”という表現には、その‘ある人’はすでに‘亡くなった人’であろうことを想像させます。李夫人が存命中であれば、李夫人と採ることは状況にそぐわないようにも思える。残念ながら李夫人の亡くなった時期は不明です。

しかし、存命中であったとしても、武帝が巡狩中であったことを勘案すればどうであろう。当時、飛行機や自動車があった時代ではない。タカタカと馬車に揺られていく諸国巡狩です。長安から汾河の辺りまででも一週間や2週間の旅ではなく、月単位の長旅と思われます。

“少壮いくときぞ”とやや気が滅入る中、何か月も寵愛する李夫人と離れて旅の空にある。‘想い焦がれて’、強く本音が現れたとしても頷けるように思われます。むしろ武帝の‘人間性’が現れた句と見ておかしくないのではなかろうか。

“佳人”とは、李夫人であると筆者は読みたい。

漢詩の書物では、大体、詞の中の“佳人”は、后土で祀った‘地の(女)神’とされていると理解しています。末尾に挙げた詞の現代訳では一般的な女神となっています。

陳舜臣の歴史書では、特に“佳人”の候補を議論しているわけではないが、「衛皇后は春風にふさわしい佳人、…秋風に立つ佳人は…李夫人です。」という記載があります。[陳舜臣:『中国の歴史』4 平凡社 1981]。

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秋風辞        秋風の辞 漢の武帝
秋風起兮白雲飛   秋風 起こりて白雲飛び
草木黄落兮雁南帰  草木黄落(コウラク)して雁(カリ)南に帰る
蘭有秀兮菊有芳   蘭に秀(ハナ)有り 菊に芳(カオ)り有り
懐佳人兮不能忘   佳人を懐(オモ)いて忘るる能(アタ)わず
汎楼船兮済汾河   楼船を汎(ウカ)べて汾河(フンガ)を済(ワタ)り
横中流兮揚素波   中流に横たわりて素波(ソハ)を揚(ア)ぐ
簫鼓鳴兮発棹歌   簫鼓(ショウコ)鳴りて棹歌(トウカ)を発す
歓楽極兮哀情多   歓楽極(キワ)まりて哀情(アイジョウ)多し
少壮幾時兮奈老何  少壮 幾時(イクトキ)ぞ 老を奈何(イカン)せん

<現代訳>
秋風が立って白い雲が飛び、
草木の葉は黄ばみ枯れ落ちて、雁が南に渡っていく。
蘭は愛らしい花を咲かせ、菊は馥郁(フクイク)と香る、
それらの花にも似た美しい女神のことが思われ、忘れられない。
今、こうして屋形船を浮かべて汾河を渡り、
流れに横たわりつつ白波を揚げる。
笛や鼓が華やかに鳴り響き、舟歌が威勢よく沸き起こる。
しかしこの喜びが極まるところ、不意に物悲しい気分が広がるのだ。
若く元気の良いときはいつまで続くのか、迫りくる老いをどうすればよかろう。
  NHK『新漢詩紀行』ガイド 石川忠久監修 (2010) から引用
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閑話休題14 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―1

2016-09-03 11:25:20 | 漢詩
「アローン操体法」について区切りがついたところで、読者の方から “体操法のビデオがあれば….”との複数のコメントを頂いています。

コメント氏の仰る通りで、からだの動きを記述するのも難題ですが、ましてや記述を基に体現することもなお大変です。実際にビデオ映像をアップできるよう工夫したいと考えております。しばらく時間を頂戴したく思います。

話を本題に戻します。

中国などのTVドラマや映画を観ていると、時に漢詩に出くわすことがあります。最近目にとまった例を思いつくまま紹介します。

此処ではドラマの解説はさておき、引用された漢詩(全体またはその一部)が、ドラマの展開にどのような効果をもたらしているか、垣間見ることができればとの思いで、筆を進めていきます。

筆者は、特にTVを好んで観るほうではなく、TVドラマなどについても周りの人々の“面白いぞ”とのお薦めで観ているのが実情です。ですからその守備範囲は自ずと狭くなります。大体再放送を観ている場合が多い。

最近、BSで中国(香港)映画、『十面埋伏』を観ました。邦題は“Lovers”で、日本では2004年に公開されたもののようで、十年以上前の作品です。でも古さは感じられませんでした。

この映画で最も印象深かったのは、画面の色彩が鮮やかなことです。特に映画が始まって間もなく現れる、遊郭・牡丹坊のシーンです。豪華な建物の大広間に華やかな大道具小道具が揃えられていました。

盲目の美女が、周りの華やかさに、さらに彩を添えて、嫋やかなからだで妖艶に踊ります。二胡が奏でるメロデイーも耳に残ります。その踊りの歌詞の部分が今回話題にしようとする漢詩です。その歌詞は、

北方に佳人あり  
絶世にして独り立つ
一たび顧みれば人の城を傾け
再び顧みれば人の国を傾く
…….

そうです、美人、中でも城や国を衰亡させる原因となる美女のことを言い表す“傾城・傾国”の出典となる漢詩「佳人の曲」でした。その詞全体を、その読みと現代訳を添えて末尾に示しました。参考にしながら、以下、読み進めて下さい。

この詩の作者は、李延年(り えんねん)という人で、漢の武帝(前156-前87、第7代皇帝)の頃の人です。若い頃、悪事を働いたらしく宮刑を受け、宦官の歌手として武帝に仕えていた。

作詞・作曲、さらに踊りをよくして、武帝のお気に入りのようでした。実は、延年には美しい妹がいて、武帝の前で踊りながら、この詩と曲を作ったという。つまり妹を武帝に薦める目的の詩でした。

李延年は、現在の河北省定州市、昔中山国と呼ばれていた北國の出身でした。詞の中の“北方”とは、この出身地を指しているのでしょう。

武帝は、詩を聞いて、「こんなに美しい女性がいるのか?」と興味を示し、後に一目見るなり、「ウーン、かんな美人がいたか!!」と唸ったとのことです。武帝は、本妻の衛皇后との関係が疎遠になるころでした。直ちに、李延年の妹を後宮にいれ、李夫人として寵愛した と。

李延年もとんとん拍子に出世していき、その兄を含めて厚遇された由。李夫人が亡くなると、武帝の思し召しも薄れていったようです。また末年になると、何かのお咎めがあったらしく、李延年ばかりでなく、家族ともども誅殺されたとのことです。

ところで映画『十面埋伏』の背景は、859年の唐の時代と紹介されていました。唐の玄宗皇帝(第9代)が楊貴妃を寵愛していたころの話です。政治中枢の腐敗が甚だしく、世が乱れて、多くの反乱分子が徒党を組んで各地で騒いでいたようです。

映画で「佳人の曲」を挿入した裏には、観客に対して、踊り子“小妹”(チャン・ツイイー 章子怡) と傾城・傾国の美女楊貴妃とを重ねて見るよう仕向ける意図もあったのでしょうか。現代の感覚では“小妹”の方が、写真で見る西安近郊の楊貴妃像よりはるかに麗しいように思われますが。

映画では、朝廷が“飛刀門”という最も強い反乱勢力の一派を撲滅するよう図る。お互い内偵者を忍び込ませて争いが進む。それに“小妹”、実は、“飛刀門”の一味 を巡って、内偵者の男性同志(金城武とアンデイ ラウ)の命を懸けた恋の鞘当てが始まる。

因みに、漢詩「佳人の曲」の最後の2句では、“このような傾城・傾国の美女は、二度と現れませんよ”との趣旨で武帝に薦めています。しかし、映画の字幕では、“たとえ城を傾け国を傾けても、手に入れずにはいられない”と強い調子で邦訳されていました。

頭初に、この映画の主題が命を懸けた恋の鞘当てであることを暗示しているようです。邦題を『Lovers』とした意図が読み取れます。

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佳人曲        佳人の曲   李 延年
北方有佳人     北方に佳人有り
绝世而独立     绝世にして独立す
一顧倾人城     一たび顧みれば人の城を倾け
再顧倾人国     再び顧みれば人の国を倾く
寧不知倾城興倾国  寧(なん)ぞ倾城と倾国を知らざらんや
佳人難再得     佳人 再びは得難し
  
現代語訳
北の方の麗しい人
世にならびなく独り際立つ
流し目一つで町は傾き
流し目二つで国も傾く
町じゅう、国じゅうが夢中になる人を知らずにおられようか、
かくも麗しいひとは二度と見つからない
 新編『中国名詞選』(上) 川合康三 編訳 2015 岩波文庫 から転載
(注)本書中、漢詩の題は「李延年の歌」です。

[蛇足]
題名考:中国、日本、米国の三国三様、目の付け所が異なっていって、面白いので記しました。

○元の題名「十面埋伏」とは、“待機させた十隊の伏兵の中に、囮の兵を繰り出して敵兵をおびきよせて戦う”という計略のこと。『三国志演義』中、曹操と袁紹の戦で、曹操軍が用いたとされていますが、史実ではないようです。

○米国での題名は「House of Flying Daggers」。Daggersとは、短刀、懐剣の意ですから、“飛刀門”の英訳です。

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