愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題353 金槐和歌集  冬3首-2 鎌倉右大臣 源実朝

2023-08-03 09:22:47 | 漢詩を読む

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実朝は、よく屏風絵を見て歌を詠んでおり、中でも春の絵を対象にしたものが多いが、ここで冬の部を取り上げます。奈良・桜井市にある三輪山の冬景色の屏風絵を見て詠った歌である。三輪山は、すっかり雪化粧していて、その姿をそれと定めができないほどである と。

 

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  [詞書] 屏風の絵に三輪の山に雪の降れる気色を見侍りて 

冬ごもり それとも見えず 三輪の山、 

   杉の葉白く 雪の降れれば      (『金槐集』 冬・311) 

 (大意) 冬籠居していて、仰ぎ見ても三輪の山はそれとはっきり姿が見えない。

  杉の葉は真っ白に雪化粧されている。 

  註] 〇冬ごもり:冬の籠居の意; 〇三輪の山:大和の国にある、杉の名所;

  〇それとも見えず:三輪の山がはっきりとそれとわからない。   

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<漢詩> 

  三輪山雪景    三輪山の雪景(ユキゲシキ)  [上平声四支韻]

望三輪山過冬時, 三輪山を望む 過冬(カトウ)せし時, 

杳杳模糊不别斯。 杳杳(ヨウヨウ) 模糊(モコ)として斯(カ)くは别(ベツ)しえず。 

杉葉輝輝銀装様, 杉の葉 輝輝(キキ)として銀装の様(サマ), 

天花慢慢飄落滋。 天花(テンカ) 慢慢(マンマン)として 飄落(ヒョウラク)滋(シゲ)し。 

 註] 〇三輪山:奈良県桜井市北西部にあるやま、古来信仰の山; 〇過冬:

  冬ごもり; 〇杳杳:遠くかすかなさま; ○别:識別する; 〇模糊:

  はっきりしないさま; 〇輝輝:まばゆいばかりに; 〇銀装:雪化粧; 

  〇天花:雪; ○慢慢:ひらひらと; 〇飄落:舞い落ちる; 〇滋:い

  っそう、ますます。   

<現代語訳> 

  三輪山の雪景色 

冬ごもりしている折、遠く三輪の山を望み見たが、 

雪が積もり遠くぼんやりとして それだと 輪郭がはっきりとは識別できない。 

杉の葉はまばゆいばかりに雪化粧の様子であり、 

雪はひらひらといっそう舞い落ちているのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  三轮山雪景   

望三轮山过冬时, Wàng sānlún shān guòdōng shí. 

杳杳模糊不别斯。 yǎo yǎo móhú bù bié . 

杉叶辉辉银装样, Shān yè huī huī yínzhuāng yàng,   

天花慢慢飘落滋。 tiānhuā màn màn piāo luò .  

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三輪山は、古来信仰の山で、山自体が大神(オオミワ)神社の神体で、一木一草に至るまで神が宿るものとして尊ばれている。山には松・杉・檜等の大樹が茂り、特に杉は『万葉集』など多くの歌集の歌に詠われ「三輪の神杉」として神聖視されている。 

 

余談ながら、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒屋の軒先に飾られるようになり、酒造りのシンボルとして、今日なお、酒屋の軒先に目にすることができる。 

 

実朝の歌は、下の歌を参考にした歌とされている。

 

あしびきの 山路もしらず 白かしの 

   枝にもはにも 雪のふれれば 

       (柿本人麻呂 『柿本人麻呂歌集』巻十・2315)  

 (大意) 白樫の木の枝にも葉にも雪が降り積もっており、雪で山道も分から

  なくなっている。 

 

梅の花 それとも見えず ひさかたの 

   天霧(アマギ)る雪の なべてふれれば (柿本人麻呂 『古今集』・334) 

 (大意) 梅の花が そうだとはっきりと見定めることができないほどだ、

  空を霧のようにかき曇らせる雪が一面にふっているので。 

 

我背子に 見せむと思いし 梅の花 

   それとも見えず 雪のふれれば  (山部赤人 『万葉集』 巻八・1426) 

 (大意) 愛しい人に見せたいと思っていた梅の花は どれなのか分からなく

  なってしまった、一面に雪が降っているので。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

信楽焼の地、雪が降り続いている、山中の道はきっと雪で埋まっているでしょう。薪を採る杣人(ソマビト)たちは、往来に難渋するのではないか、と案じています。実朝の視線は 信楽焼の作製に従事する庶民に向けられています。 

 

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  [詠題] 雪 

深山には 白雪ふれり しがらきの 

  まきの杣人 道たどるらし  

     (『金塊集』 冬・323; 風雅集 巻八・冬・823)  

 (大意) 山では雪が降っていて、道が雪に埋もれているので、信楽の真木の

  木こりたちは途方に暮れるのではないか。 

 註] 〇しがらき:近江の国(滋賀県南部)の地名; 〇まきの杣人:まきを伐

  る木こり、まきは檜杉の類、薪の意も含むか; 〇たどる:判断に迷う、 

  途方に暮れる。  

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<漢詩> 

  信楽樵夫憂   信楽(シガラキ) 樵夫(キコリ)の憂(ウレ)い    [上声七麌韻]

深山天花舞, 深山 天花舞い,

白雪蒙広土。 白雪 広土を蒙(オオイカク)す。

只恐樵夫惑, 只(タ)だ恐(オソ)る 樵夫(キコリ)は惑(トマド)い,

山中迷路苦。 山中 路に迷い苦(ク)ならん。

 註] 〇天花:雪; 〇蒙:覆い隠す、かぶせる; 〇

<現代語訳> 

 信楽の木こりの憂い 

山では雪が降っており、

広い範囲が積もった白雪で覆われている。 

心配するのは 木こりが戸惑い、

道に迷って苦労することになるのではないか と。

<簡体字およびピンイン> 

 信楽樵夫忧   Xìnlè qiáo fū yōu 

深山天花舞, Shēn shān tiān huā

白雪蒙広土。 bái xuě méng guǎng

只恐樵夫惑, Zhǐ kǒng qiáo fū huò, 

山中迷路苦。 shān zhōng mí lù

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信楽焼は、天平時代(710~794)に生まれた日本六古窯の一つであり、第45代聖武天皇(在位724~749)が紫香楽宮(シガラキノミヤ)を作る時に 瓦を焼いたのが始まりと言われている。今日、信楽焼と言えば、まずタヌキを想像しますが、実朝の時代ではどうでしょう。

 

鎌倉時代中期には主に水甕などが作られた。安土桃山時代頃(1568~)以来、茶の湯の発達に伴い、茶器などの茶道具の名品が生まれ、信楽焼のわび・さびの味わいが珍重され、以後、時代に合わせた発達を遂げ、現代に生き続けている。

 

なお、“タヌキ”の焼き物は、明治初期のころ創出されたもので、比較的に新しい商品のようです。“他抜き”の語呂合わせから、“他人より抜きん出る”という願いが籠められていて、縁起物として人々に愛されている と。 

 

実朝の掲歌は 下記の歌を参考に着想されたとされている。

 

都だに 雪ふりぬれば しがらきの 

  まきの杣山 道たえぬらむ  

    (隆源法師 『金葉集』 冬・巻四; 『堀河百首』)。 

 (大意) 都でも か程に雪が降り積もっている、信楽の真木を採る杣山では、

  道が塞がってしまっているのではないか。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3  

 

遥かに見渡すと、曙の空の雲間に雪を頂いた富士の高嶺が目に入ったよ と感動を覚えた歌いぶりである。東国の象徴である富士を見遣る先に、自ら東国の王であることの自覚が伺えるように思える。思いすぎであろうか。 

 

ooooooooo 

    [詠題] 雪 

見わたせば 雲居はるかに 雪白し 

  富士の高嶺の あけぼのの空  (『金槐集』 冬・334) 

 (大意) 遠く見渡してみると雲のある曙の大空に雪の白いのが見える、

  富士の高嶺である。  

  註] 〇雲居:雲のある大空、または雲; 〇あけぼのの空:朝焼けの曙の空。

 ※ 元来“あけぼのの空”は、春の場合に用いるのであるが、ここでは冬に

  用いている。 

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<漢詩> 

  銀裝富士      銀裝の富士     [上平声十五刪韻]  

瞭望曙大空, 曙の大空を瞭望(リョウボウ)するに、

婉婉彩雲閒。 婉婉(エンエン)たり彩雲の閒(カン)。

雪白雲縫隙, 雲の縫隙(スキマ)に雪の白きあり,

翹翹富士山。 翹翹(ギョウギョウ)たり 富士の山。

 註] 〇銀裝:雪化粧; 〇瞭望:遠く見渡す; 〇婉婉:ゆったりと落ち

  着いたさま; 〇彩雲:彩られた朝焼けの雲; 〇閒:間、中間; 

  〇縫隙:切れめ; 〇翹翹:高く抜きんでるさま。 

<現代語訳> 

 雪化粧した富士 

曙の大空を遥かに見渡すと、

朝焼けの雲がゆったりと浮いている。

雲の隙間から雪の白さが目に止まる、

一際高く聳えた富士の高嶺である。 

<簡体字およびピンイン> 

  银装富士     Yín zhuāng fùshì

瞭望曙大空, Liàowàng shǔ dàkōng,

婉婉彩云闲。 wǎn wǎn cǎiyún xián.  

雪白云缝隙, Xuě bái yún fèngxì,

翘翘富士山。 qiáo qiáo fùshì shān.  

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実朝の歌は、下記の歌を参考にした本歌取りの歌であろうとされている。当時、富士山では煙が噴出していたことが伺い知れます。

 

 [詞書] 百首歌たてまつりし時 

天の原 富士の煙の 春の色の 

  霞になびく あけぼのの空 (前大僧正慈円 『新古今集』 巻一・33) 

 (大意) 大空に立ち上る富士の煙が 曙の空に春の色合いの霞となって 

  棚引いている。 

コメント
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