【十七帖の要旨】かねて造営中であった二条の東院が落成して、源氏は西の対に花散里を迎え入れました。東の対に明石の上をと思っていたが、明石の上は自分の身の程を思い、明石を離れて上京することをためらう。そこで明石入道は、都の北の外れ、大堰川のほとりで尼君の所領*であった邸を修築させ、明石の上と姫君、尼君を住まわせるようにした。(*雑録参照)
源氏は明石の君を訪ねたいが、紫の上に気兼ねして、言い出せず幾日か経った。逢い難い苦しさを切に感じる源氏は、嵯峨野の御堂の仏様への挨拶に寄るなどの所用ありと、女房を使いにして紫の上へ言わせて、前駆に親しい者だけを伴い、大堰を訪れた。
源氏は今更のように明石の君に深い愛を覚えながら、二人の仲に生まれた子供・明石の姫君を見て、また感動した。真の美人になる要素の備わった子であると思い、無邪気な笑顔の愛嬌の多いのを、源氏は非常に可愛く思った。
源氏は、昼間に自ら造営した御堂を訪ね、法会のことや堂の装飾・武具の製作などを人々に指図してから、月明かりの路を川沿いの山荘へ帰ってきた。明石の君が明石での別離の夜の形見の琴を差し出すと、源氏は受けて弾き始めた。弦の音は変わっていないことを確かめ、調弦し直す前に再会できましたねと:
契りしに 変わらぬ琴の しらべにて
絶えぬ心の ほどは知りきや (光源氏)
と言うと、明石の君も心変わりのないことを頼りにして、松風の音に琴の音を響かせつゝ泣いて待っていましたと、歌を返すのであった。
三日目、京へ帰るはずであったが、源氏が桂の院に来ていることを聞き知った人々が寄り集まってきており、「もう一日桂の院で遊ぶことにしよう」と、宴会ということに相なった。約束より遅れて二条院に戻った源氏は、紫の上に明石の姫君を二条院に引き取って育てることを持ち掛ける。子供が好きな紫の上は満更でもない様子だった。
本帖の歌と漢詩:
ooooooooo
契りしに 変わらぬ琴の しらべにて
絶えぬ心の ほどは知りきや (光源氏)
(大意) 約束したとおりに 今も変わらぬ琴の調べのように、変わること
なくあなたを思い続けた私の心のほどお分り頂けたことでしょう。
xxxxxxxxxxx
<漢詩>
吐露心思 心思(オモイ)を吐露(ノベ)る [下平声十二侵韻]
許久弾古琴, 許久(ヒサシブリ)に古琴を弾ずるに,
無松響亮音。 弦の松(ユルミ)は無く 音は響亮(ヒビキワタ)る。
君識無違約, 君識(シ)らん 違約(イヤク)無く,
思君我熱心。 君を思う我が熱(アツ)き心を。
[註] ○心思:考え、おもい; 〇許久:久しぶりに; 〇松:(弦が)緩む; 〇響亮:よく響く。
<現代語訳>
思いを述べる
お別れ以来久しぶりに昔のままの琴を弾ずるに、
弦の緩みはなく、しっかりした音で響き渡る。
君は知ったであろう 契りに違うことなく、
君を思う我が熱きこころを。
<簡体字およびピンイン>
吐露心思 Tǔlù xīnsī
许久弹古琴, Xǔjiǔ tán gǔqín,
无松响亮音。 Wú sōng xiǎngliàng yīn.
君识无违约, Jūn shí wú wéiyuē,
思君我热心。 sī jūn wǒ rèxīn.
ooooooooo
源氏の、約束通り調弦の緩む前に再会できたことで、絶えずあなたのことを思っていた私の心がわかったでしょう という歌に対して、明石の上の返歌:
変わらじと契りしことを頼みにして松の響きに音を添えしかな
[註] 〇音:松風の音、琴の音、さらに不安のうちに暮らす心根の“音”の
掛詞。
(大意) 心変わりはせぬとお約束なさったことを頼みにして、不安な中でも
松風の音に琴の音を響かせて過ごしていました。
【井中蛙の雑録】
○ 十八帖 松風の光源氏 31歳の秋。
○ 嵯峨野の大堰川そばの別荘について:明石入道夫人の祖父・中務卿親王が
昔持っていた別荘で、当時は他人に預けていた。そこを明け渡してもらう
に当たって、やはり預かり人と“所有権”/”利用権“と、一悶着はあった
ようです。
○ 大堰川は、嵐山・渡月橋の下流、松尾辺りまでを言い、その上流は保津
川、下流は桂川。