愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題87 漢詩を読む 酒に対す-12; 王翰: 涼州詞

2018-09-25 13:59:03 | 漢詩を読む
この一句:
葡萄(ブドウ)の美酒 夜光(ヤコウ)の杯

上の一句は、王翰(687?~726?)の七言絶句の詩「涼州の詞」の起句です。起・承句で、ブドウ酒、夜光の杯、琵琶、馬、….と西域の異国情緒を感じさせる言葉が出て来て、強烈な反戦の思いで結んでいる詩です。下記の詩をご鑑賞下さい。 

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涼州詞
葡萄美酒夜光杯、 葡萄(ブドウ)の美酒 夜光(ヤコウ)の杯、
欲飮琵琶馬上催。 飮まんと欲(ハッ)すれば 琵琶(ビワ) 馬上に催(モヨオ)す。
醉臥沙場君莫笑、 醉(ヨ)うて沙場(サジョウ)に臥(フ)すとも 君笑うこと莫(ナカ)れ、
古來征戦幾人回。 古來(コライ) 征戦(セイセン) 幾人か回(カエ)る。
 註]
涼州:現甘粛省武威市。
夜光杯:チベット高原の北縁で甘粛と青海に跨る祁連(キレン)山脈で採れた玉で作られた杯。砂漠の満月の下で赤ワインを注ぐと神秘的な輝きを放つという
催:急き立てるように弾く
沙場:小石だらけの地、砂漠地帯の戦場

<現代語訳>
涼州詞
美味しいブドウ酒を夜光の杯に注いで、
飲もうとすると、誰か馬上で琵琶を急き立てるように弾き始める。
酔い潰れて砂漠の砂上に倒れ伏してしまっても、笑わないでくれ、
昔からいままでに出征した人の中で幾人が帰還できたというのだ。
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中国の西域や北の方では、古来異民族との抗争が絶えず、敵を防ぐ為に砦や長城が築かれてきたのでした。このような荒涼とした砂漠地帯や国境での戦い、また辺境地帯の自然や風俗などを主題にした詩は「辺塞詩(ヘンサイシ)」と言われています。

詩題の涼州とは、現在の甘粛省武威市で、河西回廊の東側に位置し、曾てはシルクロードの要衝でした。(旧)武威郡は、前漢の武帝(BC141~BC87)が遊牧民族の匈奴との戦いを征して設けた郡で、唐代には河西節度使が置かれ、西域戦略の要地として多くの兵士が駐屯していました。

都会での日常とは異世界と言える、辺境地帯の自然や風俗、また長城の築城や広漠とした兵士が砂漠での戦争に身を晒していた情況は、詩人たちの感興を呼び起こさずには置かなかったようです。今回取り上げた詩は、代表的な「辺塞詩」の一つとされています。

「辺塞詩」は、必ずしも詩人自身が現地に赴き、実体験を通して書いた作品とは限らないようです。現地での経験がなく、都にあって、見聞を基に詩情豊かに書かれることもあり、王翰の「涼州詞」は正にそのような詩です。

“これまで出征した兵士の内で幾人が無事に帰還できたというのだ。今、幸いに一時の安寧な時、明日はどうなるか判らないのだ。存分に飲ましてくれ、酔い潰れて砂上に眠るとも、笑わないでくれ”と、戦場の兵士の心中を切々と詠っています。

なお「涼州詞」とは、“楽府(ガフ)”題、すなわち、予めあった曲の題名です。あるいは涼州で流行っていた曲名でしょうか。詩人はその曲に合わせて歌えるように作詞し、できた詩は、その曲に合わせて歌われる。また詩題はすべて“楽府”題の「涼州詞」と付けられることになる と。

作者の王翰は、現山西省太原の出身。711年(24歳?)に進士に及第し、時の宰相・張説に認められ要職を得ています。性格は豪放で、酒を好み、家では名馬と美妓を集めて、狩猟や宴会に明け暮れていたという。

張説が失脚すると汝州(河南省臨汝県)刺史として都を追われています。さらに仙州(河南省葉県)別駕に左遷されたが、職務怠慢・素行宜しからずと弾劾され、道州(湖南州道県)司馬として流され、その途中で亡くなった由。

お酒の話題に進めます。今回はブドウ酒を取り上げました。中国とブドウ酒、両者の繫がりはどうもピン!と来ませんが、筆者だけであろうか。しかし中国でのブドウ酒造りの始まりは、意外と早く、ブドウ酒大国、フランスに先んじること約300年(後註1) と。

前漢の武帝が西域の攻略を目して外交官・張騫を西域に派遣した(BC138)。その折、名馬として名高い「汗血馬」の種馬を手に入れることができ、国内で繁殖させ“天馬”と称していた、この件は既に触れました(閑話休題34 参照)。

張騫は、今一つ貴重な情報を得て帰国しています。すなわち西アジアに原始のブドウ酒があることを知り、ブドウの種と醸造技術を持ち帰った ということです。武帝は、ブドウ酒の良さを知り、シルクロードでブドウの生産とブドウ酒造りを奨励した と。

ブドウ酒は、前漢(BC202~8)から後漢(25~220)にかけて専ら皇帝や貴族の飲み物として好まれていた。唐(581~907)や元(1271~1368)の時代になると、全国にブドウ園やブドウ酒工場が広がり、ブドウ酒の生産量は農産物として上位にあったという(後註2)。

ブドウ酒の製法は、基本的には先(閑話休題84 参照)に述べた他のお酒の作り方と同様です。ただ、ブドウ実ではすでにブドウ糖として含まれているために、行程としては酵母によるアルコール発酵の段階から始められることになります。

註]
1. http://heartland.geocities.jp/beautifulearth21/wine.htm
2. http://www.fwines.co.jp/knowledge/manufacture.html
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閑話休題86 漢詩を読む 酒に対す-11; 李白: 酒に対して賀監を憶う 其の二

2018-09-16 11:50:52 | 漢詩を読む
この二句:
念此杳如夢,凄然傷我情。

“これを思うとはるか遠い夢のようで、寂しさで胸が痛む”。李白は、賀知章の故郷を訪ねて鏡湖や知章の故宅を巡ったばかりでなく、きっと墓前にも詣でたのではないでしょうか。来し方が思いだされて、心情を吐露した句です。「酒に対して賀監を憶う二首」の其の二、下記の詩をご鑑賞下さい。

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対酒憶賀監  其二
狂客帰四明, 狂客 四明に帰るに,
山陰道士迎。 山陰の道士 迎える。
勅赐鏡湖水, 勅赐(チョクシ)さる鏡湖の水,
為君台沼栄。 君が為に 台沼(ダイショウ) 栄える。
人亡余故宅, 人 亡(ナ)くなるに 故宅(コタク) 余(ノコ)り, 
空有荷花生。 空(ムナ)しく 荷花(カカ) の生ずる有り。
念此杳如夢, 此を念(オモ)うに 杳(ヨウ)として夢の如し,
凄然傷我情。 凄然(セイゼン)として 我が情 傷(イタ)む。
 註]
山陰:賀知章の故郷、紹興
勅赐:帝の勅によって賜った
鏡湖:賀知章の故郷の宅の門前にあった湖
台沼:鏡湖の周りの高台や池
故宅:賀知章の宅
荷花:ハスの花
杳:はるかに遠いさま
凄然:非常にもの寂しい感じがするさま

<現代語訳>
酒に対して賀監を憶う 其の二
四明狂客と自ら号していた賀知章が故郷の四明に帰るに当たっては、
故郷の道士たちが迎えてくれた。
長年仕えた褒美として帝から贈られた鏡湖の水、
君のおかげで周りの高台も湖も栄えている。
君が亡くなった後に残った故宅では、
空しくハスの花が咲いている。
これを思うとはるかに遠い夢のようであり、
寂しさに我が胸が痛む。
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前回挙げた「対酒憶賀監 二首」の序で、李白が賀知章と会した場所として述べている“紫極宮”は、老子を祀る廟で、道教に関わる施設です。また賀知章が李白に対して言った“謫仙人”は、道教の世界では最高級の褒め言葉であるということのようです。

賀知章は、帰郷する前の年(743)の冬に病に倒れ、数日間意識を失うことがあった。意識を取り戻した際に「道教の天国を旅してきた」と述べられた というエピソードが伝えられています。賀知章は道士であったようです。

上記の詩の冒頭、賀知章の帰郷に際して、故郷の道士たちが出迎えたことが述べられています。子供たちからは「お客さんはどちらから?」と問われつつも、郷の人々から暖かく迎えられたようです。

李白も若い頃 “山中で幽人と対酌”することもあり(閑話休題68 李白:山中幽人と対酌す 参照)、また後の放浪の旅にあっても、道士を訪ねることもありました。

李白自身、道教の教えに強い関心を抱いていたようですので、“謫仙人”と称された意味も充分に理解していたことでしょう。いずれにせよ、李白と知章とは波長の合うところがあったものと思われます。

ただ、道教に関心を持つ李白に対して、杜甫からは“不老不死の妙薬も出来上がることなく、葛洪に顔向けができない”(閑話休題76 杜甫:李白に贈る 参照)と、厳しい評価(?)がなされていましたが。

賀知章が、職を辞して帰郷することを願い出た。すると玄宗皇帝はじめ多くの高官達が長楽宮に集まり、見送りの会を開いた。その折、李白を含めて多くの人々が別れの詩を作ったようです。しかし儀礼的なものであった と。ここに挙げた二首では、賀知章を思う李白の心がしみじみと伝わってきます。

追記] 前回の稿で、“賀知章の草書は、お酒に酔った上での書では?”との趣旨のコメントを頂きました。素直な感想かな と。コメントを機会に、以下のように、取り立てて触れることがないであろう話題にも触れることができます。今後とも、忌憚のないコメントを期待しています。

古の詩人たちの詩を作る現場について、例えば、自然環境の中で“清流に臨んで”とか“ある事象に遭遇して即座に”とか、よく見かけます。必ずしも机の前で坐して想いを練るとは限らないようです。

お酒が用意されている宴会の場で、詩を作って楽しむことも度々あったようです。歌手も同席されていて、詩ができるなり節をつけて歌う という。我々が今日読む詩の中にもこのようにしてできたと伝えられている詩が多くあるようです。

杜甫は、賀知章が“酔って馬に乗っている姿はまるで船に乗っているようだ”と述べています(閑話休題 69, 杜甫:飲中八仙歌 参照)。この例えは、さっぱりとした性格で、交際好きであったという賀知章に対する親しみを込めた、おどけた表現であると解していますが、如何でしょうか。

今日に至るもお酒の関りで話題にされる古人は、結構お酒に強く、“酒に飲まれるような”ことはなかったであろうと筆者は見ています。“一斗詩百篇”の李白は別格として、賀知章も同様強く、街を飲み歩きつつもシャンとした態度で筆を手にしたのではないでしょうか。
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閑話休題85 漢詩を読む 酒に対す-10; 李白: 酒に対して賀監を憶う

2018-09-08 10:38:54 | 漢詩を読む
この二句:
長安一相見,呼我謫仙人。

「長安で逢うなり、私を“謫仙人”と呼んだのでした」と。李白が、賀知章の故郷・紹興(会稽)を訪ねた折に詠んだ「酒に対して賀監を憶う 二首」'其の一'の中の句です。賀知章に対する李白のしみじみとした情が感じられる詩です。詩‘其の一’は下に示しました。 

李白は、賀知章 (659~744) が亡くなって2 (3 ?) 年後に会稽を訪ねています。きっと賀知章の墓前で“紹興酒”を酌み交わしたのではないでしょうか。

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対酒憶賀監  其一
四明有狂客, 四明に 狂客 有り,
風流賀季真。 風流なる賀(ガ)季真(キシン)。
長安一相見, 長安にて 一たび 相ひ見(マミ)えしに,
呼我謫仙人。 我を 謫(タク)仙人と呼ぶ。
昔好杯中物, 昔 杯中の物を好み,
今為松下塵。 今 松下の塵と為(ナ)る。
金亀換酒処, 金亀(キンキ) 酒に換(カ)へし処,
却憶涙沾巾。 却(カヘ)って 憶(オモ)えば涙 巾(ヌノ)を 沾(ウルオ)す。
 註]
賀監:秘書監の賀知章、字は季真
四明:浙江にある山、四明山
狂客:奇特な振る舞いをする人
謫仙人:天上界から人間世界に追放されてきた仙人、非凡な才能をもった人
杯中物:お酒
松下塵:亡くなって土に帰ったことをいう
金亀:黄金のカメの飾り、貴重な物
却憶:想うまいとするが、意志に反して想い出される

<現代語訳>
酒に対して賀監を憶う
浙江の四明には“四明狂客”と号する奇特な人がいた、 
世俗から離れた賀季真である。
長安で逢うなり、
私を“謫仙人”と呼んだのでした。
昔はお酒が大好きであったが、
今は松下の塵土で静かに眠っている。
貴重な金亀をお酒に換えてご馳走してくれた、
想うまいとすればなお想い出されて涙が零れてくる。
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李白は、この詩の序で、『皇太子の賓客であった賀公は、長安の紫極宮で私の詩を読むなり、私を“謫仙人”と呼んだ。それを機に、金亀を解いて酒に換えて、ご馳走してくれた。賀公が亡くなってからは、お酒に向かうと悲しみがこみ上げてくるのである。そこでこの詩を作った』 と述べています。

賀知章については前に触れました。玄宗皇帝の頃、長年官界で働き、秘書監の位まで昇りつめ、80歳過ぎて故郷の紹興に帰った。ところが、故郷の子供らから、「お客さんはどちらから来たの?」と声をかけられた、と(「郷に回りて偶々書す二首 其の一」;閑話休題 12、’15-08-16)。

久々に帰って来た故郷では、周りの事情はすっかり変わっていて、胸の奥に大きな空洞を感じている。しかし長年のお勤めに対する褒美として帝から贈られた門前の湖・鏡湖だけは、昔と変わらず春風にさざ波を立てている(「同上 其の二」;閑話休題 13、’15-09-04)。

晩年、賀知章は、酒に浸り、自ら“四明狂客”とか“秘書外監”などと号して、放縦な生活を送っていたようです。杜甫は、「飲中八仙歌」の中で賀知章を筆頭に挙げています:“知章が酒に酔って馬に騎(ノ)る様子はまるで船に乗っているようだ” と(閑話休題 69, ‘18-03-13)。

賀知章は、酔って街を遊び歩く際には、書を書いて道行く人々に上げたという。書の面では、東晋の書家・王義之 (オウギシ、307~365) に喩えられるほどであると評されており、草書、隷書が得意であったという。

“酒に対して賀監を憶う”は、本稿で読んでみたい と、兼がね温めていた話題でした。 “人と人との心の繫がりとお酒の関り”を深く考えさせてくれる詩のように思われるからです。

「酒に対す」稿での目下の目標は、漢詩に現れた‘美酒’を取り上げ、‘味わって’いくことにあります。前回“白酒”を話題にした関係上、ここで“黄酒”を取り上げるべく思いを巡らせていました。 “蘭陵の美酒”の如く“紹興の美酒”と詠った詩はないものか と。

“紹興”の酒を直接詩中に詠み込んだ漢詩は見当たりませんでした。知る人ぞ知る、“紹興酒”は、世界的にも最も古く、数千年以上(7,000年とも)前から造られていた、いわゆる“黄酒”の代表と言われているお酒であるにも拘わらず です。

賀知章の生まれ故郷で飲まれるお酒は“紹興酒”に違いないであろう。そこで“黄酒・紹興酒”に関わる話題として、“紹興の酒”と直接関わる用語は含まれていませんが、“酒に対して賀監を憶う”を読む機会とした次第です。

“黄酒”とは、前回触れたお酒の作り方の中で、最終発酵の段階を経た“もろみ”から蒸留して得られる“白酒”に対して、“もろみ”を搾って得られた液です。本質的には、日本の清酒と同じく醸造酒です。ただ、原料は異なっており、色は黄色~赤みを帯びた黄色である。

続けて、次回「酒に対して賀監を憶う 二首」'其の二'を読みます。
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