愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題396 漢詩で読む『源氏物語』の歌 (十二帖 須磨-2)

2024-03-25 10:01:55 | 漢詩を読む

本帖の要旨(後半) 藤壺、朧月夜、東宮、最後に紫の上など、近しい人々との別れの挨拶を交わした源氏は須磨へ発った。須磨での生活が落ち着くと、源氏は閑居のわびしさを痛感する。語らう相手もないため、京へ手紙をおくるが、京でも源氏の不在を嘆くのである。

 

源氏は須磨で秋を迎えた。帝や春宮は源氏を恋しく思うが、弘徽殿の大后を恐れて源氏に便りを出すことをためらう。そんな中、今や宰相となった曽ての頭の中将が須磨の源氏を訪ね、久しぶりに語り合った。

 

一方、明石の入道は源氏の噂を聞き、娘を源氏に捧げようと思い詰めている。三月、禊(ミソギ)をしていた源氏を暴風雨が遅い、源氏は命からがら逃げ出した。

 

zzzzzzzzzzzzzz  須磨-3

源氏は、須磨へ出立の前夜に院のお墓へ謁するために、北山へ向かった。その途中、入道の宮(藤壺)へのお暇乞いに伺候した。聡明な男女が熱を内に包んで別れの言葉を交わしたのであるが、それには洗練された悲哀というようなものがあった。

 

宮は春宮のことを限りなく不安に思召すご様子である。源氏は、「私はどうなりましても、東宮がご無事に即位あそばせば、私は満足です」とだけ言った。真実の告白であった。宮もわかっておいでになることであったから、何ともお返事はなかった。

 

「これから御陵へ参りますが、お言伝はございませんか」と源氏は言ったが、宮のお返事はしばらくなく、躊躇しておいでになるご様子であったが:

 

ooooooooo  

見しはなく 有るは悲しき 世の果てを  

  背きしかひも なくなくぞ経る  (藤壺入道 十二帖 須磨-3)   

 (日・大意) 連れ添って来た院は已に亡くなり、生きているあなたは悲しい

  境遇にあるという世の果てを、私は出家した甲斐もなく、涙を流しつつ

  過ごしております。  

 (中・大意) 桐壶帝一直在身辺就过世了,和您生活在悲伤的境地。就这様我在

  世界的尽头。而且我出家不值得,花了很多时间流泪。 

  Tónghú dì yīzhí zài shēnbiān jiù guòshìle, hé nín shēnghuó zài bēishāng 

  de jìngdì. Jiù zhèyàng wǒ zài shìjiè de jìntóu. Érqiě wǒ chūjiā bù zhídé, 

  huāle hěnduō shíjiān liúlèi.  

xxxxxxxxxxx  

<漢詩> 

   艱苦世間    艱苦世間      [上声七麌韻] 

伴侶已亡故, 伴侶は 已(スデ)に亡故(ナクナ)り, 

君受辛万苦。 君は 辛(ツラ)い万苦を受けている。 

出家過無益, 出家して無益に過(スゴ)し, 

末世淚如雨。 末世(マツョ) 淚は雨の如し。 

 [註] 〇伴侶:連れ、ここでは桐壺院; 〇辛万苦:須磨に退去せざるを

  得ない状況。   

<現代語訳> 

 苦難の世の中 

伴侶の桐壺院は已に亡くなり、

生きている君は辛い境遇にある。

出家した私は甲斐もなく、

この末世を止めどなく涙を流して活きています。

<簡体字およびピンイン> 

  艰苦世间     Jiānkǔ shìjiān

伴侣已亡故, Bànlǚ yǐ wánggù,  

君受辛万苦。 jūn shòu xīn wàn .  

出家过無益, Chūjiā guò wúyì, 

末世泪如雨。 mòshì lèi rú .   

ooooooooo   

 

別れしに悲しきことは尽きにしにまたもこの世の憂さは勝れる (光源氏)

 (日・大意) 父院との別れで悲しみのかぎりを味わったのに、今またこの

  世の辛さが以前にも勝って感じられる。  

 (中・大意) 尽管离开父帝时我感到非常悲伤,现在我比以前更能感受到

  这个人世的严酷. 

    Jǐnguǎn líkāi fù dì shí wǒ gǎndào fēicháng bēishāng, xiànzài wǒ bǐ  

    yǐqián gèng néng gǎnshòu dào zhège rénshì de yánkù. 

 

源氏は、三条の宮を出て御陵へ向かった。供は唯の五、六人だけで下の侍も親しいものばかりにして、馬で行った。今さらなことであるが、以前の源氏の外出に比べてなんと寂しい一行であろう。

 

zzzzzzzzzzzzzz  須磨-4

須磨への出発の当日、終日若紫夫人と語り合った。行く道すがら夫人の面影が目に見えて、胸を悲しみに塞がらせたまま船に乗った。順風で午後四時ごろに源氏一行は須磨に着いた。須磨の隠棲の場所は、かつて在原行平が棲んでいた所に近く、海岸からやや入った辺りで、極めて寂しい山の中である。

 

都会の家とは全く変わった趣きの茅葺の家であったが、短時日のうちにその家も上品な山荘になった。須磨と京の都との文の遣り取りは頻繁で、この帖での歌は46首を数えるほどである。

 

桜の頃、左大臣家の三位の中将(参議、曽ての頭中将)が須磨の謫居へ訪ねて来た。何かの折ごとに源氏が恋しくなり、罰を受けても悔やむことはない と決心して俄かに京を出てきたのである。久しぶりの会合に二人は先ず泣いた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産物を源氏に贈った。

 

二人は、終夜眠らずに語り、詩も作った。政府の威厳を無視したとはいえ、宰相も事を好まない風で、翌朝は別れ逝く人となった。「いつまたお逢いできるでしょう。無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」と宰相は言った。源氏は、私は一点の曇りもない潔白の身だよと: 

 

oooooooooo  

  雲近く 飛びかふ鶴(タヅ゙)も 空にみよ 

     われは春日の 曇りなき身ぞ (源氏 十二帖 須磨-4) 

  (日・大意) 雲の近くを飛びかっている鶴(→雲上人)*よ、宮人も、はっきり

   と照覧あれ、私は春の日のようにいささかも疚(ヤマ)しいところのない身

     なのだ。

 (中・大意) 云辺飞鹤(→官吏)*,您们官吏也看清楚了、我像春天一様纯真

     无辜。

  Yún biān fēi hè (→guānlì) *, nǐmen guānlì yě kàn qīngchǔle, wǒ xiàng

    chūntiān yīyàng chúnzhēn wúgū.

 *:末尾【雑録】参照。

xxxxxxxxxxx  

<漢詩> 

 訴說潔白     潔白を訴說(ソセツ)する 

雲近飛翔鶴, 雲近く飛翔する鶴よ, 

宮人応考究。 宮人(ミヤビト)も 応(マサ)に考究すべし。 

吾身如春日, 吾が身 春日(シュンジツ)の如くにして, 

潔白毫無疚。 潔白(ケッパク) 毫(ゴウ)も疚(ヤマシ)さ無し。 

  [註] ○訴說:訴える、〇宮人:官吏、雲居の宮人、雲上人; ○毫無:少し

    も……ない。  

<現代語訳> 

 潔白を訴える 

雲近くに飛び交う田鶴よ、 

雲居の宮人も しっかりと考えてみてくれよ。

我が身は 春の日の如くに曇りなく、

なんらやましいことはないのだ。

<簡体字およびピンイン> 

 訴說洁白     Sùshuō jiébái 

云近飞翔鹤, Yún jìn fēixiáng hè,     

宫人应考究。 gōng rén yīng kǎojiù

吾身如春日, Wú shēn rú chūnrì,  

洁白毫无疚。 jiébái háo wú jiù

oooooooooo   

 

三位中将は、「失礼なまで親しくさせて頂いた頃のことを勿体ないことだと後悔されることが多いのですよ」と言いつつ、次の歌を残して去った。

 

たづかなき 雲井に独り 音をぞ鳴く 翔並べし 友を恋ひつつ (三位中将) 

 (日・大意) 鶴が鳴いている雲居で わたしは独りで泣いています、 かつて

    共に翼を並べた君を恋い慕いながら。

 (中・大意) 边怀念君所曾并翼,边我在鹤鸣的云辺独自哭泣。

     Biān huáiniàn jūn suǒ céng bìng yì, biān wǒ zài hèmíng de yún biān dúzì

     kūqì.   

 

三月三日の上巳の日、「今日です、お試しなさいませ。不幸な目にあっている者がお祓いをすれば必ず効果があると言われる日でございます」と賢そうに言う者がいて、源氏は、海の近くへ一度行って見たいという思いもあって、お祓いを行うことにした。

 

ほんの幕ようの物で仮のお禊場を作り、旅の陰陽師を雇ってお禊をさせた。砂上の座に着いた源氏は、果てもない天地をながめていて、過去未来のことが色々と思われた。お禊の式が終わるころ、肘笠雨(ヒジカサアメ)というにわか雨が降り始め、やがて雷鳴と電光に襲われたので、家路に着き、やっと家にたどり着いた。

 

世が滅亡するかと皆が心細がっているとき、源氏は静かに経を読んでいた。夜明け方、源氏が少しうとうとしたかと思うと、「なぜ王様が召しているのにあちらへ来ないのか」と言いながら、人間の姿でない者が歩き回る夢を見た。覚めた時、驚き、この家にいることが耐えられなくなった。

 

【井中蛙の雑録】 

・十二帖 「須磨」での光源氏 26歳春~27歳春。

*表示について:鶴(→雲上人)*は、和歌の技法の一つ寓意で、意味の上で

  は、“鶴”が“雲上人”を示している。他の語についても同様。

 

 

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