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閑話休題53 飛蓬―漢詩を詠む 4 -下手の横好き

2017-10-15 15:11:10 | 漢詩を読む
ドラマから離れて、ちょっと一服。筆者の詩作についての思いを詠った漢詩を紹介します。

まず、前回紹介した王維の詩(閑話休題 52)に今一度目を通してもらって、それから間を置かず、本稿の末尾に挙げた筆者の駄作、「思いを述べる 下手の横好き」と題した詩を読んで見て頂きたい。

形はいずれもしっかりと脚韻を踏んだ五言律詩、ある種の‘模倣作’であり、勿論、内容には雲泥の差があります。王維の詩には、先に触れたように、幽遠な内容が込められております。自作の詩は、漢詩を作るに至った筆者の顛末を、王維の詩を借りて述べたものです。

筆者は、随分若い頃から漢詩に接していて、多くの漢詩を読んできました。但し、邦人の先達たちが練り上げた‘読み下し文’についてですが。そのうちに、直接“漢語”で読んでみたいものだ と思うようになってきました。

一方、本で読んだか、あるいは先達の話を聞いたのか、定かではないが、 “外国の文化を本当に理解するには、その国の‘会話’を学ぶことが最良の道だ”との趣旨の事が、記憶の隅にありました。思いが嵩じて、漢語会話の勉強に取り掛かった次第です。

最近、‘ある漢詩の先生’に巡り合うことができ、漢詩を作ってみなさい と勧められました。先生の仰るには、「まずは先人たちの詩を‘模倣する’ことから始めるとよい。文化とは、先人たちの成した夥しい功績の上に新しいことが加わっていき進歩していくものなのだ」との趣旨でした。

「ウーン、なるほど!」と胸の奥に何かが‘ストーン’と落ちるのを感じた次第です。‘模倣’となれば、すでに‘引き出し’の中には少なからず ‘種’ となる であろう漢詩の蓄えはある。それらを活用しない手はない と。

もう一点は、先生の話を伺う直前に、毛沢東が高校時代に作って、父に送ったと言われる詩を読んでいたからです。これはまさに‘模倣’による詩作学習の第一歩の例であったのか と。

毛沢東のその詩とは、我が国の幕末の勤王僧・釈月性の詩「将に東遊せんとして壁に題す」を模倣したものでした。その話は、本稿ですでに紹介しています。閑話休題35(2017.03.20投稿)をご参照下さい。

漢詩の自作など、終ぞ夢にも思ったことはなかったが、‘物は試し’と挑戦することにした。但し、詩作は、豊かな、しかし鋭い‘感性’が要求される作業の様であり、凡人の踏み込む領域ではないと思いつつも、‘下手の横好き’と開き直ることにした。

しかし、特に、唐詩では、やれ脚韻だ、やれ平仄だ、…..と 難しいルールに縛られます。漢語の語彙に乏しい外国人にとっては、なかなか大変な作業ではあります。今回提示した詩で、筆者が、詩作に呻吟・懊悩している様子は読み取って頂けるか と。

斯くして、模倣から生まれた第一作は、本稿の閑話休題 40(2017.06.04 投稿)で紹介した「縄文杉を拝す」です。将に‘試して見るか’と取り掛かった最初の作業で、種を明かせば、杜甫の詩「岳陽楼に登る」にヒントを得た」ものです。

詩作を始めてのち、この頃、漢詩を読む際の立つ位置に少し変化を来したかな と感ずるようになりました。すなわち、詩の字面で表された状況の奥にある‘何か’を読み取ろう とより深く考えるようになったかな と。

難しいことはさておき、“下手の横好き”に徹して、その時々に経験したこと、思ったことを、詩の形に整えていくことにしようか と。孔子も仰っておられます:

子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず(『論語』雍也)と。

さて本稿の結びに、先に述べた‘ある漢詩の先生’、すなわち、詩の中で‘賢達’と表現した白雪梅先生を紹介します。ただ先生に巡り合って未だ一年にも満たない状況ですので、先生の著書から抜粋して紹介することにします。

上海の復旦大学国際政治学部卒業後来日。2000年4月より、多言語放送局FM-COCOLOの漢詩教養番組『詩境遊人』を企画、13年間パーソナィテイーとして担当。

朝日JTB交流文化塾、リッツ・カールトンホテル大阪などでの漢詩講座で講師を務める。また新聞や雑誌でコラムを執筆。その他、講演会講師、イベント司会など、多彩な分野で活躍中。中国茶にも造詣深く、高級茶芸師の中国国家資格を持っておられる。

著書には、エッセイ集『詩境悠遊』、『花様的年華』、『日本語に似ているようで似ていない漢詩』などがある。

筆者は、現在、NHKカルチャーセンター西の宮ガーデンズ教室で、先生が主宰する「漢詩サロン」に参加し、先生の処方による“茶”を楽しみながら漢詩についての講話を伺っている。また時に自作の漢詩についての講評を頂いている。

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<原文及び読み下し文>
・述懐 笨手笨脚偏爱好  述懐 笨手笨脚 偏(ヒトエ)に爱好(タシナ)む
中歳頗好詩、 中歳(チュウサイ) 頗(スコブ)る詩を好み、
晚做秋朝夕。 晚に做(ツク)る秋朝夕(チョウセキ)。
興来雖試作、 興(キョウ)来って試みに作ると雖(イエド)も、
時間空自逝。 時間は空しく自ずから逝く。
行欲窮詩意、 行きて詩意を窮(キワメ)んと欲し、
坐待開悟時。 坐して開悟(カイゴ)の時を待つ。
得時值賢達、 時得て賢達(ケンダツ)に值(ア)い、
聴話無還期。 話を聴くに 還期(カンキ)無し。
 註] 笨手笨脚:不器用である、動作がもたもたしている
   值:~に当たって
・・・賢達:才徳・声望のあるひと

<現代語訳>
 思いを述べる 下手の横好き
中年のころから漢詩に親しんで来たが、
歳とって自ら詩を作ってみようかと費やす秋の朝夕である。
興が乗ってくると作ろうと試みるのであるが、
時間は空しく過ぎ行くばかりで、満足のいく詩は一向にできない。
詩の意を深めようとして、
座って良い案が浮かぶのを待つことしきりである。
運よく、良い漢詩の先生に巡り逢い、
話を聴いていると、時間の経つのを忘れるのである。
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閑話休題52 ドラマの中の漢詩 35『宮廷女官―若曦』-23

2017-10-05 10:42:18 | 漢詩を読む
前回、ドラマの展開に“潮目が変わり”、話題の中心が第八皇子から第四皇子に変わったことを述べました。そのような折に第四皇子から、“行到水窮処、坐看雲起時”と墨書した一枚の便箋が若曦に届けられました。

これは王維(699?~761)作の詩の一部で、元の詩は末尾に再度(一部加筆修正)挙げてあります。この時点でこの詩が引用されたことは、非常に象徴的であり、ドラマの展開に重要な意味を持つものと思われます。その心は以下に述べます。

詩の作者王維については、先にちょっと触れました(参照:閑話休題35、2017-04-11投稿)。今回挙げられた詩の理解に役立つと思われる面から、もう少し王維について触れます。

母は仏教徒で、その影響を受けて成長しています。博学多芸で、17歳のころ長安に遊学して、詩によっても名声を博し、王族や高級官僚から厚く遇されていたようです。719年(21歳)に進士に合格、官僚となるが、翌年、済州(山東省)に左遷され、数年後に官を辞めています。

729年(31歳) 結婚しますが、2年後に妻は亡くなっています。その頃、長安の東南にある終南山、輞川のほとりに土地を購入して、別荘を構え隠棲します。以後、生涯妻を娶ることはなかったとのことです。

3年の喪明け後、詩人でもある宰相・張九齢の下に長安で職を得ます。王維を取り巻く環境は、必ずしも平穏ではありません。宰相・張九齢に関わる政争、また745年楊玉環が玄宗に召されて貴妃となり、寵を得るにつれて、世上不穏な空気が生まれてきます。終には“安史の乱”(755年)へと発展します。

安史の乱では、王維は、長安から逃げ遅れて、乱軍に捉えられます。一時、反乱軍が建てた燕国の都・洛陽に“拉致”され、同国の一官僚として働く憂き目に逢っています。 

750年(52歳)に母が亡くなります。この時、嘆きの余りに痩せて死にかけるほどであったらしい。759年(61歳)母と妻を弔うために輞川別荘の一部を寺に変えて清源寺として寄進しています。

前稿で触れたように、年若くして都に出て、品性の良さ、また多芸多才ゆえに、順風満帆の生涯を送ったかに見える王維ですが、時代の流れに翻弄された生涯であったようにも見えます。

高級官僚の王維は、自然の中での暮らしを愛して、宮仕えの合間には都の喧騒から離れて、郊外の輞川別荘で過ごし、命の洗濯をしていたように思える。“半官半隠”は、一見悠々自適の生活に見えるが、その実、世の荒波を避ける方便であったようにも思えます。

今回話題の詩は、晩年、王維61歳の頃、終南山の輞川別荘を訪ねた際の作のようです。この詩とドラマの展開との関りを以下読み解いていきます。

字面で読む詩の内容は、現代語訳に記した通りです。しかし詩の中で、ドラマで引用された“行きて到る 水の窮まる処,坐して看る 雲の起る時を”の2句は、字面の裏に深い含蓄を秘めているように思われます。

“仏徒の王維”という面から見れば、“水の窮まる処”は、“何か究極の核心的な事柄”を求めて、また“坐して看る雲の起る時”は、“形のはっきりしない何かが現れる時”を見定める と置き換えて読むことができるでしょうか。

“看”の字は、書物を“読む”という意味です。ボンヤリと“見る”のではなく、行間、紙背までも“読む”ことと解されます。“究極の核新的なことを求めて、それが現れる時”を座して見定める。すなわち、 “座禅を組み、無(悟り)の境地に至るのを待つ” 禅修行僧の行を想像させます。

さて、ドラマの俗の世界に戻って。 “究極の核新的なこと”を“帝位”と、また“何かが現れる時”を“皇帝の崩御の時”と読み替えたらどうでしょう。この2句は、慎重居士の第四皇子の胸の奥に秘めた大きな望みを言い表していると言えます。

現皇太子が“帝”となる器でないことは、周りの誰しもが感じていることである。かと言って、積極的に策を弄して、事を起こすということは、“徒党を組む”ことにつながり、皇帝の最も忌み嫌うことである。“時の熟れるのを待つ”ことが最善の策と心得た姿勢と言えるでしょう。

ドラマの中で随分前に、若曦が、第四皇子の趣味や好きな事を聞く場面がありました。「好きな木は?」、「好きな花は?」、…..。その折の問答で、若曦:「好きな詩人は?」、皇子:「王維!」と即答します。続いて、若曦:「好きな詩は?」、皇子:「mn mn」と答えを濁したことがありました。

帝位を狙っていることについては、軽々しく口にできる事柄ではない。第四皇子の唯一の理解者である第十三皇子に対してさへ 胸の内を口にしたことはない。ましてや新参者の若曦に対してをや である。

しかし、前回に見たように、第四皇子は、若曦に対して、互いに心の壁をなくして、真実を語る、そのような間柄であることを要求し、若曦も納得しました。第四皇子は、若曦を、第十三皇子と同様、自分を理解してくれる人、仲間の一人、心を許すことのできる一人であると確信したと解されます。

若曦は、第四皇子の手のひらに、「“帝位”を望みますか?」と問いました。第四皇子は、今や若曦を信頼のおける自分の理解者と見て、胸の内を“行到水窮処,坐看雲起時」の2句に託して、その問いに対する回答としたと読めます。

さらに、詩の最後の2句、“偶然 林叟に値い,談笑して還期無し” の中で、“林叟”を“若曦”に置き変えてみます。“偶然、心を許せる若曦に巡り合い、話が弾み、時の経つのを忘れる”と読むこともできます。

ドラマは、主人公が第八皇子から第四皇子に変わるという潮目にあることは既に述べました。加えて、第四皇子が、“帝位”を狙っていることを明らかにしたことで、ドラマの展開に新しい流れが生まれるであろうことを示唆しています。

蛇足]
・李白は“詩仙”、杜甫は“詩聖”。一方、王維は“詩仏” と称されています。宣なるかな と頷けるように思えます。
・件の2句“行到水窮処,坐看雲起時」は、仏教、特に禅の世界で、禅の境地を表すものとして、茶室の床に掛ける軸物の書として用いられている と聞く。但し、筆者は、このような‘茶掛け’を未だ実際に目にしたことはない。

話は変って。皇太子が「若曦を側室にしたい」と皇帝に申し出たことに関連して、第四・八皇子が手を組んで、その破局に向けて動き出したことについて。

塞外遠征の機会が増すにつれて、若曦と敏敏の友情関係は一層強固になっています。蒙古では、蒙古王の娘、敏敏と、友好関係にある部族の皇子との婚約が整ったようです。

それを知った皇太子は、将来即位後、若曦―敏敏の繋がりを活かして、蒙古との関係を強固、且つ安定に保つことができる、ひいては自分の政権が安定する との思いを持って、「若曦を側室に」と願い出たように思われます。

“帝位”を狙う第四・八皇子にとっては一大事です。そこでそれぞれの思惑は胸の奥に仕舞い、恩讐を越えて手を組み、皇太子と若曦との婚儀を阻止する方向に動いた ということである。

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<原文と読み下し文>
・入山寄城中故人  入山して城中の故人に寄す   王維
中歳頗好道,  中歳(チュウサイ) 頗(スコブ)る道(ドウ)を好み,
晩家南山陲。  晩に家(イエ)す南山の陲(ホトリ)。
興來毎独往,  興(キョウ)來たりては独り往く毎に、
勝事空自知。  勝事(ショウジ)空しく自(オノ)ずから知る。
行到水窮処,  行きて到る 水の窮(キワ)まる処,
坐看雲起時。  坐して看る 雲の起る時を。
偶然値林叟,  偶然 林叟(リンソウ)に値(ア)い,
談笑無還期。  談笑して還期(カンキ)無し。
・註] 中歳:中年の頃
・・・・道:仏道、仏教
・・・・勝事:素晴らしい風光
・・・・雲起時:昔、雲は岫(シュウ=山にある洞穴)から湧き出ると考えられていたらしい
・・・・林叟:きこりの老人
・・・・還期:帰るとき

< 現代語訳>
・終南山麓の別荘に入って、城中の友人に詩を送る
中年の頃から少々仏道に興味をもっていたが、
晩年になって終南山麓に設けてある別荘に籠ることにした。
興趣が湧いてくるとよく独りで出かけていき、
素晴らしい風光に自然に溶け込んでいく。
水の湧き出る処まで上っていき、
座って雲が起こってくるのに見入るのである。
時には偶然にお年寄りの木こりに逢うことがあり、
つい話し込んで帰る時を忘れてしまうのだ。
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