愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題369 金槐和歌集  雑3首-4 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-28 09:15:07 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

青年実朝の歌である。何と悲しいことであろう、肌には皺が寄り、頭は真っ白に……と。自然の景物・“雪”を種に白髪を連想して、自ら老人になり切って詠っている。

 

oooooooooo 

   [歌題] 雪 

我のみぞ 悲しとは思ふ 浪のよる 

  山の額(ヒタヒ)に 雪のふれれば  (金槐集 雑・578) 

 (大意) しわの寄った額に白髪の混じるのを悲しく思う。

  註] 〇:浪のよる:皺のよること; 〇山の額:山腹の頂上に近いところ、

   “ひたひ”に人の“額“を掛けている;○雪のふれれば:白髪の 

   まじる意を含めている。

 

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 山頭上雪   山頭上の雪    [上平声四支韻]   

纏綿唯是 纏綿(テンメン)たり 唯(タ)だ是(コ)れ我のみならんか、 

如此使人悲。 如此(コウモ) 人を使(シ)て悲しましむ。 

山脚浪花濺、 山脚 浪花(ロウカ) 濺(ハネト)び、 

額頭雪滋。 額頭(ヒタイ)には雪の降(フ)ること滋(シゲ)し。 

 註] 〇山頭:山頂; 〇纏綿:思いがまといつくさま; 〇如此:このよう

  に; 〇山脚:山のふもと、此処では山の岩場の波打ち際; 

  〇浪花:波しぶき; 〇濺:(液体が)跳ね上がる; 〇額頭:ひたい、

  ここでは山頂。

<現代語訳> 

 山上の雪 

私のみであろうか 纏わりついて、 

こうも悲しい思いにさせられるのは。 

波打ち際では、寄る浪が岩に砕けて波花が飛び散っており、

山頂では雪が頻りに降っている。

<簡体字およびピンイン> 

 山头上雪      Shān tóu shàng xuě  

缠绵唯是我, Chánmián wéi shì wǒ,  

如此使人悲。 rú cǐ shǐ rén bēi.    

山脚浪花溅, Shān jiǎo làng huā jiàn, 

额头降雪滋。 étóu xià xuě .    

oooooooooo  

 

先に、年取ると、時の経つのが早く感じられる、と老人の心の内を詠った歌を読みました(閑話休題357-1)。雑部で数首纏めて老人の思いを詠った歌を収めてあります。

 

実朝は、庶民、親無き幼子等々、世の弱者に慈悲の目を向けた歌を多く作っていることを、繰り返しみてきたが、老人も同様に対象の一つのようである。ただ客観的に状況を詠うことに留まらず、自ら老人になり切って、深い思いをもって詠っていることが窺えるのである。

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2  

 

箱根権現に続いて伊豆権現に詣でる行事、即ち、二所詣の対象の地、熱海・伊豆の話題である。伊豆山には“走り湯”と呼ばれる温泉がある。湧き出た湯が、迸(ホトバシ)り、海に流れていく。“走り湯”の所以であり、“伊豆”(出ず)の命名の基である。その湯の海へと流れる速さは、神の験(ゲン)が現れる速さと同じであるよ と。

 

oooooooooo  

  [歌題] 走り湯参詣の時 

伊豆の国や 山の南に 出(イズ)る湯の 

  はやきは神の しるしなりけり 

      (金塊集 雑・643; 玉葉集 巻二十・神祇・2794) 

 (大意) 伊豆の国の山の南の温泉でお湯の出る勢いは、神の効験が大きく

  速いのと同様である。  

 [註] 〇はやき:湯の湧き出る速度と神の効験の「はやき」とを掛けて 

  言っている。 

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   伊豆走湯    伊豆の走り湯    [下平声十三覃韻]

駿河伊豆国, 駿河(スルガ)は伊豆の国, 

泉水山南湧。 泉水(センスイ) 山南に湧(ワ)く。 

迸出奇滾滾, 迸出(ホウシュツ)すること奇(キ)にして滾滾(コンコン)たり, 

如神功效重。 神の功效(コウコウ)と重(カサナ)るが如(ゴト)し。 

 [註] ○走湯:温泉、特に伊豆の温泉の通称か; 〇泉水:温泉の湯; 

  〇迸出:勢いよく噴き出る; 〇滾滾:尽きることなく湧くさま; 

  〇功效:効験、神仏加護の効能; 〇重:重なる。  

<現代語訳> 

 伊豆の走り湯 

駿河の伊豆の国は、

山の南に走湯温泉があり、泉水が湧いている。

その湧き出る勢いは、尋常でなく、尽きることがなく、

その湧き出る速さは、神の効験の速さに重なるようだ。

 伊豆走汤      Yīdòu zǒu tang

骏河伊豆国, Jùnhé yīdòu guó,  

泉水山南涌。 quán shuǐ shān nán yǒng.   

迸出奇滚滚, Bèng shè qí gǔngǔn, 

如神功效重。 rú shén gōngxiào chóng.  

oooooooooo  

 

毎年詣でる伊豆権現の効験は、万代変わることはないであろう との趣旨の歌は、先に読んだ(閑話休題341-3)。

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

「東の国に居る」作者と「影となりにき」との関連を巡って、解釈に諸説ある非常に難解な歌である。本稿では、「東の国」を、“都の東方にあって”との方向に特別の意味はなく、“都から遥かに遠く離れた東国にあって”と解釈して、漢訳を進めた。

 

oooooooooo  

  [詞書] 太上天皇の御書下し預りし時の歌 

ひんがしの 国にわがをれば 朝日さす 

  はこやの山の 影となりにき   (『金槐集』 雑・662)    

 (大意) 私の身は都から遠く離れた東国にありますが、(吾が心は、)朝日が 

  射してできる藐姑射の山の影のように、常に上皇に浮き添っていきます。   

 [註] 〇はこやの山:藐姑射(はこや、上皇の御所)仙洞御所、ここでは

  後鳥羽上皇を指す; 〇影となりにき:身に添う影のように相手の身に 

  従い離れないこと。 

xxxxxxxxxxx   

<漢詩> 

 藐姑射山影  藐姑射(ハコヤ)の山影    [上平声七虞韻] 

余身在東国, 余(ヨ)が身 東国に在(ア)りて, 

渺渺隔長途。 渺渺(ビョウビョウ)として長途を隔(ヘダ)つ。 

如旭為山影, 旭(アサヒ)の為(ナ)す山影の如(ゴト)くに, 

心常與君俱。 心は常に君(キミ)與(ト)俱(トモニ)す。 

 註] 〇藐姑射:中国で不老不死の仙人が住んでいるという想像上の山、

  ここでは後鳥羽上皇の御所であり、上皇を指す; 〇渺渺:遠く遥かな 

  さま; 〇長途:長い道のり; 〇俱:一緒にいる、同じところにある。

<現代語訳> 

 藐姑射(ハコヤ)の山影 

私は東国にあって、 

都から遥かに遠く離れた所にいる。 

朝日が射して できる藐姑射の山の山影が、常に山に付き従うように、 

私の心は いつも君と共にあります。 

<簡体字およびピンイン> 

  藐姑射山影   Miǎo gūshè shān yǐng   

余身在东国, Yú shēn zài dōng guó,   

渺渺隔长途。 miǎo miǎo gé cháng .   

如旭为山影, rú xù wéi shān yǐng,  

心常与君俱。 xīn cháng yǔ jūn .   

oooooooooo   

 

 冒頭で述べたように、“影となりにき”の解釈に3説ある:  

  1. “身に添う影のように相手の身に従い離れない”ことの意。
  2. “自分が藐姑射の山に陰をつくることになってしまった」”との意。
  3. “(上皇の)庇護を受ける”との意。

   (小島・『日本古典文学大系』に拠る)。

漢訳に当たっては、1.の解釈に従った。

 

  実朝の歌の“本歌”とされる歌:

 

よるべなみ 身をこそ遠く へだてつれ 

  心は君が 影となりにき  (読人知らず 古今集 巻十三・619) 

 (大意) 近づく(きっかけ)がないので 身は遠くはなれていいますが

  心はあなたの影のようになって 傍に付き添っています。 

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閑話休題368金槐和歌集  故郷の もとあらの小萩 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-25 09:30:12 | 漢詩を読む

曽て大事に育て、愛でていた故郷の小萩、故郷を離れてこの方、見る人もなく 空しく咲き、また空しく散っているのでしょう と。手入れが行き届かなくなった故郷の様子に思い遣っています。

 

ooooooooo 

  [歌題] 故郷萩 

故郷の もとあらの小萩 いたづらに 

  見る人もなしみ さきか散るらむ  

       (『金槐集』秋・182; 『新勅撰集』巻四・秋上・237)       

 (大意) 故郷の小萩は、根ぎわの葉が疎らになっている、見る人もなくて

  空しく咲き、空しく散っているのであろう。 

 [註] 〇もとあらの:草木の根ぎわの葉がまばらなこと、本荒、本疎; 

  〇いたづらに:むなしく、無駄に。 

xxxxxxxxxx 

<漢詩>

  懷鄉胡枝子       [上平声五微韻]  

  鄉(フルサト)の胡枝子(ハギ)を懷(オモ)う      

故鄉庭上樹, 故鄉の庭上の樹, 

根柢葉稀稀。 根柢(コンテイ)の葉 稀稀(キキ)なり。 

紫葩無人見, 紫の葩(ハナ) 見る人も無く, 

徒開復衰微。 徒(イタズラ)に開き 復(マタ)衰微(スイビ)すらん。                                                                                                                                                                                                                                               

 [註] ○胡枝子:萩; 〇根柢:根っこ; 〇稀稀:まれである、

  まばらな; 〇紫葩:赤紫色の萩の花; 〇徒:むなしく、いたずらに、 

  〇衰微:衰え、散っていく。 

<現代語訳> 

 故郷の萩を懐う 

故郷の庭にある萩の木、

根っこの葉は疎らに。

赤紫の花は、見る人もなく、

むなしく咲き、またむなしく散っているのであろう。

<簡体字およびピンイン> 

 怀乡胡枝子   Huái xiāng húzhīzǐ 

故乡庭上树,  Gùxiāng tíng shàng shù,   

根柢叶稀稀。  gēn dǐ yè xī xi.    

紫葩无人见,  Zǐ pā wú rén jiàn, 

徒开复衰微。 tú kāi fù shuāiwéi.      

ooooooooo  

 

“もとあらの”について:“疎らに生えている”または“根ぎわの葉がまばら”と、異なる解釈があるようである。本稿では、後者の解釈に依った。すなわち、歌中、対象の“萩”が、故郷で“長年育てて、愛着のある”萩であろうと想像されるからである。

 

  実朝の歌の“本歌”として挙げられている歌:

 

故郷の もとあらの小萩 咲しより 

  夜な夜な庭の 月ぞうつろふ (藤原良経 『新古今集』巻四上・393) 

 (大意) この古里のもとあらの萩が咲いてからというもの、夜ごと夜ごと 

  庭の萩の花に映る月影が移ろうてゆく。 

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閑話休題367 金槐和歌集  秋3首-4 鎌倉右大臣 源実朝 

2023-09-21 09:56:06 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

紅葉の落ち葉を鹿がふみつける情景を詠ったのは、猿丸大夫である。実朝は、毎朝降りる露の重みで折れ伏した萩の花が鹿に踏みしだかれる情景を想像しています。いずれにせよ、鹿の鳴き声から、想いを馳せて、秋の侘しさを詠っています。

ooooooooo  

朝な朝な 露にをれふす 秋萩の 

  花ふみしだき 鹿ぞ鳴くなる (秋・192; 『続後撰集』秋上・297) 

 (大意) 毎朝 降りる露の重みに耐えられず、花をつけた秋萩の枝は折れ伏す

  ほどである。鹿は、落ちた花を踏みしだいて彷徨い鳴いている。  

xxxxxxxxxxxx  

<漢詩> 

  胡枝子花期聞鹿鳴         [下平声八庚韻]

胡枝子(ヤマハギ)の花期に鹿の鸣くを闻く   

朝朝露盈盈, 朝朝(チョウチョウ) 露 盈盈(インイン)たりて,

秋樹枝折傾。 秋樹 枝 折れ傾く。

雄鹿花踐踏, 雄鹿(オジカ) 花 踐踏(フミシダ)き,

彷徨山奧鳴。 彷徨(サマヨ)い 山奧に鳴く。

 [註] 〇盈盈:満ち溢れるさま; 〇秋樹:秋を迎え花を付けた樹、此処

  では萩; 〇踐踏:踏みしだく、踏みつける; 〇彷徨:さまよう。  

<現代語訳> 

 萩の花期に鹿の鳴くを聞く 

朝な朝な 草木の枝には露が満ちて、

秋の花木萩の枝も撓(シナ)っている。

牡鹿(オジカ)は花を踏みしだき、

山奥を彷徨い 牝鹿(メジカ)を求めて啼いている。

<簡体字およびピンイン> 

 胡枝子花期闻鹿鸣    Húzhīzi huā qí wén lù míng

朝朝露盈盈, Zhāo zhāo lù yíng yíng,  

秋树枝折倾。 qiū shù zhī zhé qīng

雄鹿花践踏, Xióng lù huā jiàntà, 

彷徨山奥鸣。 páng huáng shān ào míng

ooooooooo  

 

次は、猿丸大夫の一首です。

 

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 

  声聞くときぞ、秋はかなしき (猿丸大夫 『古今集』秋上・215) 

 

この歌は、百人一首にも撰されており、先にその漢詩訳を試みました(『こころの詩(ウタ) 漢詩で詠む百人一首』 文芸社)。ご参考までにその漢詩訳を次に示します。

 

  季秋有懐     [上平声四支韻] 

   季秋に懐(オモ)い有り  

遥看深山秋色奇,

 遥かに看(ミ)る深山 秋色奇(キ)なり, 

蕭蕭楓景稍許衰。

 蕭蕭(ショウショウ)として楓の景(アリサマ)に稍許(イササ)か衰えあり。 

呦呦流浪踏畳葉,

 呦呦(ヨウヨウ)鳴きつつ畳(チリシイ)た葉を踏んで流浪(サマヨ)うか, 

聞声此刻特覚悲。

 鹿の鳴き声を聞くその時こそ 特に秋の悲しさを覚える。 

<現代語訳> 

 晩秋の懐い 

遥かに遠く奥山に目をやると鮮やかな秋の彩である、 

物寂しく風にそよぐ紅葉、しかしその景色にやや衰えが見える。 

雌を求めて鳴き鳴き散り敷く紅葉の葉を踏んで流浪っているのであろう、 

鹿の鳴き声を聞くその時こそ 秋の悲しみが一入深く感じられる。

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2  

 

姿は見えないが、遠く山奥に牝鹿を求めて彷徨っている牡鹿の鳴き声が聞こえて来る。山の中腹には雲がかかり、木々の梢の向こうには霧がかかっている。すっぽりと山が雲や霧に覆われている、陰鬱な秋の情景に思える。

 

oooooooooo 

  [歌題] 鹿をよめる 

雲のいる 梢はるかに 霧こめて 

  たかしの山に 鹿ぞ鳴くなる      (秋・237; 『新勅撰集』 秋・303)

 (大意) 雲の掛かっている梢を 見渡す限り遥かに霧が籠めて、高師山に鹿

  が鳴いている。 

  [註] ○たかしの山 高師山、三河の国と遠江の国との国境にある山。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   聞鹿     鹿を聞く     [入声一屋韻]

峨峨高師岫, 峨峨(ガガ)たり高師(タカシ)の岫(ヤマ),

雲翳罩山腹。 雲翳(ウンエイ) 山腹に罩(カカ)る。

梢外霧弥漫, 梢外(ショウガイ)に霧 弥漫(ビマン)し,

呦呦鳴叫鹿。 呦呦(ヨウヨウ)と鹿 鳴叫(ナ)く。

 註] 〇峨峨:高く聳え立つさま; 〇岫:山; 〇雲翳:雲、曇り; 

  〇罩:掛かる、覆う; 〇弥漫:立ち込める; 〇呦呦:鹿の鳴き声;

  〇鳴叫:鳴く。  

<現代語訳> 

  鹿の鳴くのを聞く 

高く聳える高師の山、

中腹に雲が掛かってあり。

樹々の梢の向こうでは霧が一面に立ちこめていて、

山では鹿が鳴いている。

<簡体字およびピンイン> 

  闻鹿         Wén lù

峨峨高师岫, É é gāoshī xiù,

云翳罩山腹。 yúnyì zhào shān .  

梢外雾弥漫, Shāo wài wù mímàn, 

呦呦鸣叫鹿。 yōuyōu míngjiào .

oooooooooo 

 

参考歌として 次の歌が挙げられている。

 

音羽山 けさこえくれば 郭公

  梢はるかに今ぞ鳴くなる   (紀友則  古今集 巻三 142) 

 (大意)  今朝 音羽山を越えた時 ちょうど梢の高みでホトトギスが鳴いた 。

東路や 今朝立ちくれば 蝉の声

  たかしの山に 今ぞ鳴くなる  (藤原仲実「永久百首」)  

 (大意) 今朝 東路を通ってくると、ちょうど高師の山で蝉の鳴く声に

  出逢った。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3  

 

菊の香りに誘われたのでしょう、つい手を差し伸べ花を手折ったところ、露がこぼれて袖を濡らした。袖の露に映っている月影から夜更けていることを知らされた。

 

ooooooooooooo 

  [詞書] 月夜菊花をたをるとて

濡れて折る 袖の月影 ふけにけり

  籬(マガキ)の菊の 花の上の露  

      (秋・256; 『新勅撰集』 巻五 秋下・316)    

 (大意) 籬に植えた菊を折り取った袖に、花の上の露が滴る。その袖の露に

  映る月影から、夜更けであることを知った。  

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 月夜折采菊花  月夜菊花を折采(タオ)る   [上平声四支韻]

芳馨秋菊在垣籬, 芳しい馨(カオリ)の秋菊 垣籬(エンリ)に在り,

泫泫露華盈万枝。 泫泫(ゲンゲン)として露華(ロカ) 万枝に盈(ミ)つ。

不覚折葩沾衣袖, 不覚(オボエズ) 葩(ハナ)を折るに衣袖(ソデ)を沾(ヌ)らし,

知袖月影夜深時。 袖の月影に夜深(フケ)し時を知る。

 註] ○折采:手折る; 〇垣籬:まがき; 〇泫泫:滴り落ちるさま;

  ○露華:つゆ; 〇葩:花; 〇沾:ぬれる、湿る;○露華:つゆ;

  〇葩:花; 〇沾:ぬれる、湿る; 

  〇袖月影:露に濡れた袖にうつる月影。       

<現代語訳> 

  月夜に菊花を折采(タオ)る 

菊が芳ばしい香りを発して垣籬にあり、

枝々には露を一杯に置いている。

つい 花を摘んだところ 袖が露に濡れて、

濡れた袖にうつる月影から 夜も更けていることを知った。

<簡体字およびピンイン> 

 月夜折采菊花   Yuè yè zhé cǎi júhuā     

芳馨秋菊在垣籬, Fāng xīn qiū jú zài yuán ,   

泫泫露华盈万枝。 xuàn xuàn lù huá yíng wàn zhī.   

不觉折葩沾衣袖, Bù jué zhé pā zhān yī xiù,  

知袖月影夜深时。  zhī xiù yuèyǐng lòu shēng shí.  

ooooooooooooo 

 

菊の香りの漂う中、我を忘れさせるほどの何事かに、時を忘れて没頭していたのでしょうか。そのような悠揚迫らぬ雰囲気が感じられます。前の二首とは異なった趣きの歌である。

 

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閑話休題366 金槐和歌集  虫の音も ほのかになりぬ 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-18 10:27:08 | 漢詩を読む

爽やかな秋も末の頃、何時しか風が肌に寒く感ずるようになった。虫の音も心なしか弱くなってきたようである。過ぎ行く好季節に一抹のわびしさを覚える、その心が感じられる実朝の歌である。

 

oooooooooo  

  [詞書] 九月霜降秋早寒といふ心を  

虫の音も ほのかになりぬ 花薄(ハナススキ) 

  秋の末葉(スエバ)に 霜や置くらむ 

       (『金槐集』秋・259; 『続古今集』巻五・秋下・485)       

 (大意) 晩秋の頃、虫の音もやゝ弱まってきたようだ、ススキの末葉には霜が

  降りてきているのでしょう。  

 [註] 〇花薄:穂薄; 〇秋の末葉:“秋の末”と“末葉”と掛詞

xxxxxxxxxxx  

<漢詩>

  暮秋景    暮の秋景    [下平声七陽韻] 

晚風万頃涼, 晚風(バンフウ) 万頃(バンケイ)涼しく, 

芒穗映斜陽。 芒穗(ボウスイ) 斜陽に映ず。 

虫鳴弥孱弱, 虫 鳴くこと弥(イヨ)いよ 孱弱(センジャク)たり, 

末葉飽秋霜。 末葉(スエバ) 秋霜に飽(ア)くか。 

 [註] 〇晚風:秋風; 〇万頃:地面または水面が広々としていること; 

  〇芒穗:ススキの穂; 〇斜陽:夕陽; 〇弥:ますます;  

  〇孱弱:軟弱である; 〇末葉:草木の先の方にある葉、うらば; 

  〇飽:豊かである、いっぱいに。  

<現代語訳

 晩秋の景色 

晩秋の風が吹き、至る所涼しくなってきて、

ススキの穂が 夕日に映えている。

虫の鳴き声は弱まってきた、

末葉には 霜がいっぱい降りているのでしょうか。

<簡体字およびピンイン>  

 暮秋景       Mù qiū jǐng

晚风万顷凉, Wǎn fēng wàn qǐng liáng,  

芒穗映斜阳。 máng suì yìng xié yáng.  

虫鸣弥孱弱, Chóng míng mí chánruò,

末叶饱秋霜。 mò yè bǎo qiū shuāng.   

oooooooooo  

 

“花すすき秋の末葉”、“秋の末葉に 霜置く”、いずれも新古今集やその時代の歌に用例があるという。実朝は、特定の歌を”本歌“とすることなく、これら多くの歌を参考にされ、想いを歌にしたものと想像される。 

 

晩秋を詠った歌とは、ややそぐわない話の展開ですが、“月にススキ”は、秋季の歌の常套アイテムと言えよう。『中秋の名月』の期を迎えている今日、整理する意もあり、此の機を借りて“薄(ススキ)”についてちょっと触れます。

 

ススキは、万葉の時代から身近に感じられ、秋野の風景には欠かせない風物で、多くの歌にも登場しています。秋の七草の一つで、一般には“尾花(オバナ)”と称されている。ススキの穂が “獣、例えば馬の尾に似ている”ことに由来する という。

 

掲歌では、“花薄(ハナススキ)”が詠いこまれています。ここでちょっと一服、後々の理解の助けにもなると思われるので、“薄(ススキ)”の名称に絡めて、「花(薄穂)の生涯」(?)を点描しておきたいと思います。

 

高さ1~2mの主軸の先端部で多数の枝をわけ、各枝には基部から先まで多数の小さな穂(小穂)をつける。いわゆる“薄の穂”と称される部分である。穂が出た頃は、若穂がシャンと直立した状態にあり、黄褐色を呈している(A)。用語“尾花”の由来に当たる時期と言えよう。

 

やがて小穂が花開くと、薄穂は弓状に撓み、全体的に白みを帯びて、秋空の下、風に靡いて揺れ、恰も旗がはためいているように見える(B)。この時期を少し過ぎると、和名“尾花色”と称される、薄の枯れかかった色となる(C)。さらにその期を過ぎると、“枯れすすき”(D)に至る。

 

さて、歌中によく出る“ススキ”の表現として、“オバナ(尾花)”の他、“ハナススキ(花薄)”、“ハダススキ(膚薄)”および“ハタススキ(旗薄)”がある。単純に考えると、それらの表現は、それぞれ、“花の生涯”(A~D)のいずれかのステージを象徴しているように思われる。

 

掲歌にあっては、敢えて想像を逞しくするなら、歌中の“花薄”は、晩秋、B期に当てられようか。但し、それらの表現は一種の美称として、“薄”一般を表す場合が比較的多いようである。

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閑話休題365 金槐和歌集  雑3首-3 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-14 09:39:05 | 漢詩を読む

zzzzzzzzzzzzz -1 

 

初春、冬の名残の雪が朽(ク)ちた木の枝に融け残っている。遥かに見ると花と見間違えるよ と。敢えて“朽ちた木”としたのは、地名・“朽木(クツキ)”との掛詞を活かした“遊び心”であろう。更には、“朽ち木”と“白雪(梅の花)”の組み合わせの妙味も感じられます。

 

ooooooooo 

  [歌題] 残雪 

春きては 花とかみらむ おのずから 

  朽木(クツキ)の杣(ソマ)に ふれる白雪 

       (『金槐集』 雑・538; 『新勅撰集』巻十九・雑四・1306) 

 (大意) 朽木の山に 春が来た今、朽ちた木には白雪が残り、自然に花と見間

  違うことだ。 

  [註] 〇おのずから:自然に、たまたま; 〇朽木の杣:近江にある地名、

  固有名詞の朽木を普通名詞の朽木(クチタ キ)に引きかけている。 

xxxxxxxxxx  

<漢詩> 

  残雪         残雪    [下平声六麻韻] 

宛転冬春謝、 宛転(エンテン)として冬春に謝(シャ)し、 

淒淒朽木霞。 淒淒(セイセイ)たりて朽木(クツキ)霞む。 

雪斑留腐木, 雪の斑(ハン) 腐木(クチキ)に留まり, 

看錯自此花。 自(オノ)ずから此を花と看錯(ミアヤマ)らん。 

 註] 〇宛転:転々とする、声などがよどみなく発せられるさま; 〇謝:入

  れ替わる; 〇淒淒:うすら寒いさま、風が冷たく吹くさま;

  〇朽木:山の名、または地名、地図上“クツキ”とある; 〇腐木:朽ちた

  木、歌での“山の名”との掛詞に当たる; 〇看錯:見誤る。 

<現代語訳> 

  残雪 

何時しか 時は冬から春へと移り替わり、

うすら寒さを覚える中、朽木(クツキ)の山には春霞が掛かる。 

朽ちた樹々には斑状に白雪が残り、 

自ずと残雪を花と見間違えることだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  残雪     Cánxuě 

宛転冬春謝、 Wǎn zhuǎn dōng chūn xiè, 

凄凄朽木霞。 qī qī xiǔmù xiá.    

雪斑留腐木,  Xuě bān liú fǔ mù  

看错自此花。  kàn cuò zì cǐ huā.   

ooooooooo  

 

実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。

 

  [詞書] 雪の木に降りかかれるをよめる 

春立てば 花とや見らむ 白雪の 

  かかれる枝に 鶯の鳴く (素性法師 『古今集』 巻一・春上・6) 

 (大意) 立春を迎えて 白雪が降りかかった木の枝で鶯が鳴いている、

  白雪を花と見間違えているのであろう。  

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

昔を思い出しつゝ、懐かしがっていたが、袖の露に映る“月影”が昔と異なっている と。物事に対する見かたは、見る方の“心”の有りようによって変わるものである。作者は、思い人に心無い仕打ちを受けたのであろうか、と想像しつゝ、漢詩にしてみました。

 

ooooooooo 

思い出(イデ)て 昔を忍ぶ 袖の上に 

  ありしにもあらぬ 月ぞやどれる 

       (『金槐集』雑・561; 『新勅撰集』巻十六・雑一・1077) 

 (大意) 思い出にひたり 昔を偲んでいるが、袖に置かれた露には昔の月影

  とは似つかぬ影が映っている。  

  註] 〇昔を忍ぶ:昔を懐かしがっている; 〇ありしにもあらぬ:昔に似

  ない; 〇月ぞやどれる:思いでの涙にぬれた袖に月が映るのである。

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   被辜負想      被辜負(ウラギラレ)た想い  [入声四質韻]

默默以回憶,  默默(モクモク)として以(モッ)て回憶(カイオク)し,

綿綿懷昔日。  綿綿(メンメン)として 昔日を懷(シノ)ぶ。

月影宿余袖,  月影 余が袖に宿(ヨド)すも,

何図見殊実。  何ぞ図(ハカ)らん 実(ジツ)と殊(コト)なるを見る。

 註] ○辜負:裏切る; 〇默默:黙って一つのことを続けるさま; 

  〇回憶:思い出す、追憶する; 〇綿綿:長く続いて絶えないさま; 

  〇余:私; 〇何図:事物、事態が意外だという気持ちを表す; 

  〇実:これまでの記憶に残る実際の昔の様子。   

<現代語訳> 

 裏切られた想い 

黙黙として思い出に耽っており、

絶えず過ぎ越し日々を偲んでいる。

袖の露に映る月影に目を遣って見ると、

何と曽て見た月影とは似つかわぬものであった。

<簡体字およびピンイン> 

 被辜负想      Bèi gūfù xiǎng

默默以回忆, Mòmò yǐ huíyì,

绵绵怀昔日。 miánmián huái xī.  

月影宿余袖, Yuèyǐng sù yú xiù,   

何図见殊实。 hé tú jiàn shū shí.  

ooooooooo  

 

実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。この歌では、“露”自体が昔と変わったということである。あるいは紅に染まっているのでしょうか? 実朝が、私歌集にも目を通していて、しっかりと咀嚼していることは、驚きである。

 

ふきむすぶ 風は昔の あきながら  

  ありしにもあらぬ 袖の露かな  (小野小町 『小町集』) 

 (大意) 吹いて露を結ぶ風は昔と変わらないが、私の袖の露(涙)は昔と 

  変わってしまった。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

実朝は、三浦半島の三崎にはしばしば訪ねており、この歌は、建歴二年(実朝21歳)三月九日 三浦三崎の御所に行かれた折の作。磯辺で目にした老松に感動して詠った歌である。

 

ooooooooo  

  [詞書] 三崎という所へまかれりし道に、磯べの松年ふりにけるを見て

   よめる  

磯の松 幾久さにか なりぬらむ 

  いたく木高き 風の音哉 

     (『金槐集』雑・586; 『玉葉集』巻十六・雑三・2191) 

 (大意) 三崎の磯の老松は、如何ほど時を経たであろうか、随分と高く聳え、

  また松籟の音も高いことだ。 

  註] 〇三崎:相模の三浦半島の三崎; ○幾久さにか:幾久さになった

  のであろうか; 〇木高き風の音:木高き松の風の音の意; 〇高き:掛

  詞、松の木の高いのと、松風の音の高いのと両方の意を掛けている。 

xxxxxxxxxx   

<漢詩> 

 磯辺聞松籟  磯辺に松籟を聞く     [下平声七陽韻]   

三崎磯老松、 三崎は磯の老松、 

経歴幾星霜。 幾星霜 経歴(ケイレキ)せしか。 

聳立一峨峨, 聳(ソビ)え立つこと 一(イツ)に峨峨(ガガ)たり, 

松籟也高翔。 松籟(ショウライ) 也(トモ)に 高く翔(カ)ける。 

 註] 〇松籟:松の梢を渡る風、またその音; 〇経歴:年月を経る; 

  〇幾星霜:幾年月; 〇峨峨:高く聳え立つさま。 

<現代語訳> 

  磯辺で松籟を聞く 

三崎の磯辺の老松は、

幾歳月 経たであろうか。

高々と聳え立っており、

松籟もまた音高く、天空高く渡っていくことだ。

<簡体字およびピンイン> 

  磯边闻松籁   Jī biān wén sōnglài

三崎磯老松、 Sānqí jī lǎo sōng,          

経历幾星霜。  jīng lì jǐ xīngshuāng.  

耸立一峨峨,  Sǒnglì yī é é

松籁也高翔。  sōnglài yě gāo xiáng

ooooooooo   

 

三浦の御所とは、頼朝が建てた3ケ所の別荘で、それらは今日、それぞれお寺として残っているようである。その折、尼御台所(政子)、御台所(正室)、北条義時や大江広元等々同道し、船中舞楽を愉しんだとある。

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