愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 112 飛蓬-漢詩を詠む 29: 小倉百人一首(6) かささぎの

2019-07-26 15:59:17 | 漢詩を読む
(6) かささぎの渡せる橋におく霜の
       白きを見れば夜ぞふけにける
-中納言家持

前回(閑話休題111)記載の漢詩原文について一部改訂しました。また簡体字の表記も添えました。

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<原文と読み下し文> [簡体字]
星垂首冬一夜   星垂れる首冬(シュトウ)の一夜
(上平声十四寒韻)
牽織眽眽隔銀漢、  [牵织眽眽隔银汉、]
……牽と織 眽眽(バクバク)として 銀漢(ギンカン)に隔(ヘダ)てられてあり、
承鵲帥援如愿歓。  [承鹊帅援如愿欢。]
……鵲の帥(ソツ)な援(タスケ)を承(ウ)け、愿(ネガイ)は如(カナエ)られ歓(ヨロコ)ぶ。
星散玉階無動影、  [星散玉阶无动影、]
……星散って、玉階(ギョクカイ)に動く影は無く、
凝霜皎皎知夜蘭。  [凝霜皎皎知夜阑。]
……凝霜(ギョウソウ) 皎皎(コウコウ)として夜蘭(ヤラン)と知る。
 註]
牽織:牽牛星と織女星;
眽眽:ものを言わずに目またはそぶりで意志を伝えるさま。「古詩十九首」其十 迢迢
牽牛星(無名氏)に拠る。
銀漢:天の川
鵲;カササギ、七夕の夜、たくさんの鵲が翼を広げて橋を設えて、織姫が銀河を渡るのを
助けたという故事(中国、前漢『淮南子(エナンジ))による。わが国では北西九州に
のみ生息する鳥らしい。
帥:粋な; 如愿:願いが叶えられる;
玉階:宮中の建物をつなぐ階段(キザハシ); 凝霜:凝結した霜;
皎皎:白く光って明るい; 夜蘭:夜更け。

<現代語訳>
  星降る初冬の一夜
牽牛星と織女星は、銀河に隔てられて、話すこともできず、互いに見つめあっている、
七夕の夜、カササギの粋な計らいで両星の逢瀬の願いは叶えられ喜びあふれる。
星明かりの中 目の前に玉階はあるが その向うに動く人影は無く、
凝結した霜が白く光って見えるだけ、いつしか夜は更けているのだ。
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改定した部分は、第一句(起句)中、“同踮”を“眽眽”としたところです。前者の方が、「両者が爪先立って相手を求める」情景として、よりリアルに思いましたが。「古詩十九首 其の十」に倣い、“眽眽”に改めました。

「古詩十九首」は、後漢(前漢とも)代に無名氏(作者不詳)の作としてまとめられたものである。「其の十」に「満々と湛えた一筋の流れに隔てられて、“眽眽不得语(見つめあうだけで言葉も交わせない)」とあります。

“眽眽”は、牽牛星と織女星の哀しい恋物語を語るのに、ほぼ2,000年に亘って語り継がれてきた表現と言えます。字句を目にするだけで、無理なく詩の世界に入り込めるかな と借用・改定しました。

歴史ある日本文化のひとつ、和歌を漢訳するに当たって、やはり中国の若い年代の方々にもその中身を理解してもらいたいな との思いから、簡体字表記も添えることにしました。

和歌にはもともと“題”はありません。漢詩に“詩題”を付しましたが、適切か否か、今後の課題です。

さて、“推敲(スイコウ)”。“推敲”とは、“詩文の字句や文章を十分に吟味して練り直すこと”を意味する用語として使用されています。その由来についてちょっと。

中国唐代に、詩人の買島(カトウ)は、驢馬に跨り、何事かに集中している様子で、手真似をするかのようにしながらブツブツと言って街中を行っていた。夢中な彼は、前方から馬車一行の来るのにも気が付かず、正面衝突した。

「無礼者!権の京尹(イン)(副県知事)韓退之(カンタイシ)様をなんと心得る!!」と、怒鳴られてやっと気がついたが、後のまつり。馬車の一行は、衛兵たちに守られた韓愈(カンユ)の行列であったのです。

買島は、韓愈の前に引き立てられて責められますが、弁解に努めます。「実は、詩作中で、“僧は推(オ)す月下の門」の句で、『推す』が良いか、『敲(タタ)く』が良いか決めかね、考え事に夢中であったため、ご無礼を致した。」と言って、頭をさげた。[詩については本稿末尾参照]。

韓愈は、「それは君、『敲く』とした方が良いよ!」とお答えを頂いた と。これが縁で、僧であった買島は、韓愈に引き立てられ還俗して仕官し、両人は無二の詩友となった と。

幾度となく「改訂版」を掲載する状況には、こころ苦しく思うのだが、「走り乍ら考え、走り乍ら書き、走り乍らまた考え、……」と。より良い形を求めて、“ながら族”よろしく、推敲を重ねている次第であります。

[参考]
五言律詩「李凝の幽居に題す」の前半四句
間居 隣並(リンペイ) 少(マレ)に、 (李凝が隠棲する間居は隣家が少なく)
草径(ソウケイ) 荒園(コウエン)に入る。 (草深い小道は雑草の生い茂る田園に入る)
鳥は宿る 池辺(チヘン)の樹、   (鳥は池の辺りの木に宿っている)
僧は敲(タタ)く 月下の門。    (僧は月光の下で門を敲く)
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閑話休題 111 飛蓬-漢詩を詠む 28: 小倉百人一首(6) かささぎの

2019-07-18 14:59:06 | 漢詩を読む

かささぎの渡せる橋におく霜の
      白きを見れば夜ぞふけにける

小倉百人一首から、中納言家持(718?~785)の作とされる第6番の一首です。新暦七夕の一夜は、ちょっと前に過ぎましたが、改めて思いを馳せるのも時宜に叶って、一興か と取り上げました。

大伴家持は、『万葉集』の編者とされ、その序文を書いた人であろうとされています。この序文を基に、元号“令和”が案出されたことは、まだ記憶も新しいところです。和歌の漢詩化を試みる第一号として選びました。

この歌を七言絶句の漢詩に仕立ててみました(下記ご参照)。この歌については、世上いろいろな解釈がなされています。歌を読む角度が、これまでとは少々異なるかな と。ご鑑賞、ご批判頂けるとありがたいです。

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<原文と読み下し文>
星垂首冬一夜   星垂れる首冬(シュトウ)の一夜
(上平声十四寒韻)
牽織同踮隔銀漢、
……牽と織 銀漢(ギンカン)を隔(ヘダ)てて 同(トモ)に踮(ツマサキダ)ちてあり、
承鵲帥援如愿歓。
……鵲の帥(ソツ)な援(タスケ)を承(ウ)け、愿(ネガイ)は如(カナエ)られ歓(ヨロコ)ぶ。
星散玉階無動影、
……星散って、玉階(ギョクカイ)に動く影は無く、
凝霜皎皎知夜蘭。
……凝霜(ギョウソウ) 皎皎(コウコウ)として夜蘭(ヤラン)と知る。
 註]
牽織:牽牛星と織女星; 銀漢:天の川;
鵲;カササギ、七夕の夜、たくさんの鵲が翼を広げて橋を設えて、織姫が銀河を渡るのを助けたという故事(中国、前漢『淮南子(エナンジ))による。わが国では北西九州にのみ生息する鳥らしい。
帥:粋な; 如愿:願いが叶えられる;
玉階:宮中の建物をつなぐ階段(キザハシ); 凝霜:凝結した霜;
皎皎:白く光って明るい; 夜蘭:夜更け。

<現代語訳>
 星降る初冬の一夜
牽牛星と織女星は銀河に隔てられて、互いに爪先立ちしつつ対峙している、
七夕の夜、カササギの粋な計らいで両星の逢瀬の願いは叶えられ喜びあふれる。
星明かりの中 目の前に玉階はあるが その向うに動く人影は無く、
凝結した霜が白く光って見えるだけ、いつしか夜は更けているのだ。
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百人一首の歌を“漢詩として仕立て直す”ことに挑戦しています。何故に“百人一首”? 第一に、子供の頃から“かるた遊び”で馴染みがある、からである。恥ずかしながら、どの歌についても、かつて歌の内容を深く考えたことはない。

実際に取り掛かってみると、難事業である。歌を“読み”、その“感想”を述べる、では終わらない。枢要な点は、当然ながら、作者が「何を訴えたいのか?」を“読み解く”ことにある。「志や大なり!」。その難しさに腰が砕けそうではある。

実は、「令和」―『万葉集』と、世の話題に上がったのを機に、改めて和歌を“読んで”みよう、その結果を漢詩に再構築したら、どうであろうか と愚考した次第です。勉強をし直し、また漢詩を書く腕を磨く機会にならないか と。

古今無数の和歌を対象としては難儀である。数が有限で、また長い歴史の篩を通りぬけてきた優れた歌、やはり『百人一首』を置いて他にはない と。第二の理由です。以後、肩を張らずに進めるつもりです。ご鞭撻のほどを!

件の歌については、世上いろいろな解釈がなされていて、一層難しくしていま
す。整理すると、大きく次の2点に分けられそうです。もっとも、筆者は、あらゆる書類を読破したわけではなく、通説を参考にしているに過ぎませんが。

[1] 歌の“カササギの橋におく霜”の表現から、冴え冴えとした冬の夜空の星を白い霜に見立てて、天の川、そしてカササギが渡した橋を想像します。その美しく輝く星群を見つつ、“夜が更けたのだな!”と感じ入る。

[2]宮中の玉階(キザハシ)に霜が積もり、星明かりの下、きらきらと白く輝いているのを目にする。その輝きに天の川の星群を想像して、「もう夜更けなのだ」と感じる。

[1]では、歌を、天上界の情景として捉えています。冬の幻想的な雰囲気の世界に遊び、風雅な気分に浸れます。しかし冬空に夏の星群を想像する不自然さ、また星空を見上げていて、「何で“夜更けなの”」と、疑問が湧きます。

一方、[2]では、歌の内容を現実世界の出来事と捉えています。実際に玉階(キザハシ)に降りている霜の輝きを目にして、それに触発されて、天上界の星群を想像しています。この場合でも、「何で“夜更けなの”」と。

これらの解釈はさて置き、虚心に、この歌を読み直してみます。

この歌を、繰り返し繰り返し、声を出して読むと、結句の“夜ぞ更けにける”が、非常に重く感じられてなりません。単なる“感慨”ではなく、“慨嘆”・“嘆息”に近い状態のように読めます。「こんなにも夜は更けていたのか」と。

胸に蟠る“何事か”に囚われて、なかなか寝付かれずに懊悩していて、いたたまれず部屋の外に出てみる。気が付くと、「あゝ 夜は更けたな!」と。歌を詠んだ折の作者の胸の内を率直に表現しているのではないか と想像したくなります。

「カササギの 渡せる橋に…」は、読む人の想像を、天上界の情景=天の川に掛かる橋と、地上界の情景=宮中の玉階(キザハシ)とに向けさせます。読む人をして三次元の広い世界に誘い込む重要な部分と言えるでしょうか。

しかし「カササギの 橋」は、故事が語るように、牽牛星と織女星(恋人同士)の‘逢いたい’という願いを叶えた“喜び”につながる“橋”と言えます。一方、作者の眼前の玉階(キザハシ)には霜が積もっています。寒々とした情景に思えてなりません。

このように“読んで”いくと、この歌は、“恋の歌”に思えます。その“読み”に基づいて書いたのが上掲の七言絶句でした。如何でしょうか。「ハシにも棒にも掛からん? そう無下に仰らんと…」。

大伴家持について簡単に触れておきます。大伴氏は大和朝廷以来武門の家で、家持は、奈良時代末の武人、公卿、歌人である。平安時代に、優れた歌人として選ばれた36人(36歌仙)のうちの一人です。

『万葉集』(成立759年?)には家持の歌473首が収められていて、全数の一割を占めている と。そこで『万葉集』の編者であろうとされています。但し、「カササギの……」の歌は、『万葉集』には収められていない ということです。
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閑話休題 110 飛蓬-漢詩を詠む 27: 縄文の女神が做(ミ)た夢

2019-07-05 10:28:50 | 漢詩を読む
八頭身で、美尻(?)の麗人のため息:

   “国宝”と言われても……。
     起こしてほしくなかったワ!“ (写真参照)


写真:縄文の女神

・「土偶の“縄文の女神”です。よろしく、お見知り置きください。」
-東京かパリのファッションショウでお目に掛かったような気がしますが?」
・「約5,000~4,500年前に山形で生まれ、土中で寝(ヤス)んでおりましたの。寝んでいる間に とても明るく楽しい夢をみていたのヨ!
この青い星、夢いっぱいの明るい星となるよう願っているワ!」

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<原文 と 読み下し文>  
縄文女神做的夢  縄文の女神が做(ミ)た夢 [上平声 四支韻]
打碎砂中悠遠時, 打ち砕かれ 砂中に 悠遠(ハルカトオイ)時(ムカシ)のこと,
黏合片片整斉姿。 片片 黏合(ハリアワ)されて 整斉(トトノエ)し姿。
摩登姿態動揺魂, 摩登(モダン)な姿態(シタイ)は人の魂を動揺(ユサブ)り,
古代麗人懐往時。 古代の麗人は往時(オウジ)を懐(オモ)う。
前望舒陪月亮玩, 前には望舒(ボウジョ)が御し 月亮(ゲツリョウ)と陪(トモ)に玩(アソ)ぶ,
後飛廉繞昊天馳。 後(ウシロ)には飛廉(ヒレン)が昊天(コウテン)を繞(メグ)って馳せる。
離開吵閙人間界, 吵閙(ソウゾウ)しい人間界から離開(リカイ)し,
天上無争仙境怡。 天上 争い無く仙境(センキョウ)に怡(タノシ)む。
 註] 黏合:接合する;  摩登:モダンな;
   望舒:月の車をひく御者。月は馬車に乗って夜空を回るという(屈原・離騒より);
   飛廉:風の神(屈原・離騒);  昊天:おおいなる空;
   吵閙:騒々しい

<現代語訳>
 縄文の女神が見た夢
打ち砕かれて土砂に埋まったのは遥かに遠い昔のこと、
掘り起こされて片々を貼り合わされて、均整の取れた美しい姿`となった。
モダンな姿は見る人の魂を揺さぶるも、
古代の麗人は夢に在りし日のことを思い懐かしんでいる。
望舒が御する馬車に乗ってお月さまと一緒に遊び、
風の神 飛廉は後ろから風を送って、大いなる天空を巡るのを援ける。
騒々しい人間界から離れて、
天上界はなんら争いのない、和やかな別天地であった。
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“縄文の女神が做(ミ)た夢”については、すでに投稿済みです(閑話休題55、2017.11.03投稿)。実は当時、漢詩作成のルールを十分に理解していない状態で、女神に接した感激が大きく、その“想い”だけに頼って書いたものでした。

現在やっと漢詩作成の“ルール”を理解し、作品に反映させることができた次第です。少なくとも形式の上では、鑑賞に耐えうる作品になったか と。縄文の女神をはじめ、本詩をめぐる諸々のことは、先に詳述しましたので、前稿をご参照ください。

要点を簡単に紹介しますと。山形県西ノ前縄文遺跡から、破片として発掘されたもので、張り合わせの結果、高さ45㎝の土偶となった。’17年10月、京都国立博物館の開館150年記念 国宝展で出品されていました。

縄文の土偶としては、まず相撲取りが二回りも三回りも大きく、太ったような像を想像します。件の像は“異質”さを感ずるほどに、モダンな姿態で、何度見ても見飽きない“現代”感覚を感じます。その思いを詩にしたものです。

その作製や破片に砕かれた などの事情が解ると面白いですネ。特に、東北の日本海側の遺跡で発掘された ということで、一層興味が湧きます。研究が待たれます。

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