愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題360 金槐和歌集  みちのくに ここにやいづく 鎌倉右大臣 源実朝

2023-08-28 09:07:37 | 漢詩を読む

記紀で第16代天皇とされる仁徳天皇の善政を讃えた歌に感じて 実朝が詠った歌である。民家のある辺りで煙が上がっているのに気づき、“陸奥か、否、塩焼きで知られる塩釜か、否、そうでもない、……“と、民の竈からの煙であることを暗示している。面白い歌である。

 

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  詞書] 民のかまどより煙(ケブリ)の立つを見てよめる 

みちのくに ここにやいづく 塩釜の 

   浦とはなしに けぶり立つみゆ  (『金槐集』雑・637) 

 (大意) 此処は陸奥の国であろうか、さもなくば何処であろう。塩釜の浦

  でもないのに 煙の立つのが見える。  

  註]○みちのくに:陸奥の国; ○ここにやいづく:みちのくにが あるいは

  ここにあるのであろうか。そうでないとすれば、ここはいづこか; 

  〇塩釜の浦とはなしに:塩釜の浦というのでないのに。塩釜の浦は塩やく 

  名所。  

  ※ 詞書の句調は 『新古今集』賀の部 巻頭の 仁徳天皇の歌の故事を思わ

  せる。  

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 見民灶煙     民の灶(カマド)の煙を見る          [上平声十灰韻]

奚是陸奧国, 奚(イズ)くんぞ是(コ)れ 陸奧(ムツ)の国ならんか, 

不然何処哉。 不然(シカラズン)ば 何処(イズコ)なる哉(ヤ)。 

非復塩釜浦, 復(マ)た塩釜(シオガマ)の浦にも非(アラ)ざるに, 

飄搖煙起来。 飄搖(ユラユラ)と煙(ケムリ)起来(タチノボ)る。 

 註] 〇生民:庶民; ○飄搖:ゆらゆらと揺れ漂う; 〇灶:かまど。

<現代語訳> 

  庶民の竈から上がる煙を見る 

ここは陸奥の国であろうか、否、

さもなければ どこであろうか。 

また塩を焼く塩釜の浦でもなく、 

ゆらゆらと煙が上がるのが見える。

<簡体字およびピンイン> 

 见民灶烟   Jiàn mín zào yān 

奚是陆奥国, Xī shì lùào guó, 

不然何处哉。 bù rán hé chù zāi.      

非复盐釜浦, Fēi fù yánfǔ pǔ, 

飘摇烟起来。 piāoyáo yán qǐlái.   

ooooooooo  

 

『新古今集』 (巻七:賀)の巻頭歌には 仁徳天皇の次の歌が撰されている:

 

  [詞書] みつぎもの ゆるされて 国とめるを御らんじて 仁徳天皇御哥 

たかきやに のぼりて見れば けむりたつ

  たみのかまどは にぎわいにけり 

     (仁徳天皇 『新古今集』 巻七:賀・707)     

 (大意) 高殿に登ってみると民家の辺りで煙の立つのが見える、竈で炊事

  できるほどに民の生活に賑わいが戻ったのだ。 

 

高殿とは、難波高津宮である。仁徳天皇が、高津宮から遠くを見遣って、人々の家から少しも煙が上がっていないことに気づいた。「民のかまどから煙が上がらないのは 貧しくて炊く物がないからではないか」と考えられた。

 

そこで、3年間免税処置を講じた。その結果、煙が見えるようになり、大いに喜ばれた。その喜びを天皇自ら詠われたのが、掲歌であると。『古事記』に記載された仁徳天皇の逸話である。

 

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