愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 141 飛蓬-48 小倉百人一首:(猿丸太夫) 奥山に

2020-04-10 09:06:26 | 漢詩を読む
(5番) 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
      声聞くときぞ 秋は悲しき
                 猿丸太夫
<訳> 寂しい奥山で、紅葉を踏み分けながら雌鹿を求めて鳴く牡鹿の声を聴くときこそ、秋のもの悲しさが、しみじみと感じられるよ。(板野博行)

oooooooooooooooo
秋は、日射しも弱まりつつあり、なんとなく物寂しい季節です。遠く奥山で鳴く鹿の声を聴くと、一層その感を強くする という。晩秋に近いころ、紅葉が散り敷いた山奥で、雌鹿を求めて彷徨う牡鹿が信号を送っています。

作者の“猿丸太夫”とは?どうも尋常な姓名には思えません。それでも藤原公任(966~1041)が優れた歌人として撰んだ三十六歌仙の一人なのです。上の歌を読む限り、それなりの身分・教養の持ち主である事が想像されますが。

上の歌を七言絶句の漢詩に仕上げました。下記ご参照ください。

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<漢字原文および読み下し文>  [上平声四支韻]
 季秋有懐      季秋に懐(オモ)い有り
遥看深山秋色奇, 遥かに看(ミ)る深山 秋色奇(キ)なり,
蕭蕭楓景稍許衰。 蕭蕭(ショウショウ)として楓の景(アリサマ)に稍許(イササ)か衰えあり。
求雌流浪踏畳葉, 雌を求めて畳(ツミカサナッ)た葉を踏んで流浪(サマヨ)うか,
聞鹿呦呦特覚悲。 鹿の呦呦(ヨウヨウ)鳴く声を聞くと特に悲しみを覚ゆ。
 註] 
  季秋:晩秋。        蕭蕭:木の枝が風に鳴って寂しげなさま。
  稍許:少しばかり。     畳:積み重なる。
  呦呦:鹿の鳴き声。

<現代語訳>
 晩秋の懐い
遥かに遠く奥山に目をやると秋の景色に変化があり、
物寂しく風にそよぐ彩鮮やかな紅葉、その景色にやや衰えが見える。
牡鹿が雌鹿を求めて、散り敷く紅葉の葉を踏んで流浪(サマヨ)っているのであろう、
牡鹿の鳴き声を聞くと秋の悲しみが一入深く感じられる。

<簡体字およびピンイン>
 季秋有怀     Jìqiū yǒu huái
遥看深山秋色奇, Yáo kàn shēnshān qiūsè qí,
萧萧枫景稍许衰。 xiāoxiāo fēng jǐng shāoxǔ shuāi.
求雌流浪踏叠叶, Qiú cí liúlàng tà dié yè,
闻鹿呦呦特觉悲。 wén lù yōuyōu tè jué bēi.
xxxxxxxxxxxxxxx

歌中の“紅葉踏み分け”の語句は、晩秋の季節を想像させます。但しここでは全山の紅葉がすっかり散ってしまっているのではなく、山肌には、まだ色鮮やかさが残り、晩秋に差し掛かったころの景色を思い描いています。

紅葉が一部散り敷き、山肌の色鮮やかさにはやや衰えが感じられる頃、秋の寂しさをより一層感じさせてくれるように思える。漢詩の起・承句は、このような季節感の情景を表現しました。

鹿の鳴き声は、独特な悲しい響きがあり、万葉の時代から、秋の寂しさを表現する歌の定番であったという。奈良公園は幾度となく訪ねているが、鹿の鳴き声をシカと聞いたことがない。仲間と群居する環境にあるためでしょうか。

“紅葉踏み分け”については、その世界で議論があるという。散り敷かれたもみじ葉を“踏み分けて”いるのは、鹿かまたは人(作者)か と。前者の方が抵抗なく想像されて、漢詩では前者の情景を採りました。

歌の作者・猿丸大夫について。生没年不詳、“「人」としては実在した”であろうが正体不明。“猿丸”は、単なる“筆名”ではなく、敢えて正体を公にすることを憚った“仮名”であると推察されます。

元明天皇(661~721)頃の人?また天武天皇(?~686)の子(孫?)の弓削皇子では?女帝・称徳天皇(718~770)に仕えた僧・道鏡では?柿本人麻呂(7世紀後期~8世紀初)の別名では?等々、提起されていますが、確証はない。凡そ7世紀後半~8世紀初期の人物と想定されているようである。

『古今和歌集』(905年成立)の仮名序で、六歌仙の一人・大友黒主を紹介する中で、「大友黒主が歌は、古の猿丸大夫の次(ツギテ)なり」という記載があり、その頃には已に“謎の人物”とされていたようです。なおこれは猿丸大夫の存在を示す唯一の公的資料である という。

上の歌から、猿丸大夫は、都の貴族社会の感覚の持ち主であることを想像させます。何よりも藤原定家のおメガネに適った人物であることは特筆したい。因みに“大夫”は、五位以上の官位を持つ人に与えられる呼称であるという。

所で、上の歌は、『古今和歌集』では「詠み人知らず」とされている。“古の猿丸大夫”を知る紀貫之が「詠み人知らず」とした歌を、後の世の藤原定家が、百人一首(成立13世紀前半?)の中で“猿丸大夫”としたその経緯は?

謎が謎を生む話題ですが、作者が姓名を敢えて公にすることを憚った意図に留意しつゝ、名歌を読む愉しみに注意を向けることにしましょう。
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2 コメント

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Unknown (Rumi)
2021-05-10 19:37:00
この歌をやはり漢詩化している人がいて、その詩を見つけました。作者は菅原道真です。

秋山寥々葉零々  
麋鹿鳴音数処聆  
勝地尋来遊宴処   
無朋無酒意猶冷
 
秋山 寂々として 葉零々たり
麋鹿の鳴く音 数の処に 聆く(きく)
勝地 尋ね来りて遊宴する処
朋無く酒も無く意(こころ)猶 冷し  

競作ライバルとして、平安人と腕比べ。
どうでしょう??
Unknown (林淳一 アンコラ)
2023-03-04 10:46:30
猿丸大夫が道鏡か柿本人麻呂であってほしいです

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