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閑話休題28 漢詩を読む ドラマの中の漢詩14 『宮廷女官―若曦』-2

2017-01-26 14:02:14 | 漢詩を読む
前回、若曦が疾駆する馬に踏み倒されて自らの身に“衝撃”を与えようとした事件に触れた。そのすぐあとに第4皇子は、塗り薬を用意して来て、「治療に使え」と若曦に手渡す。第4皇子の心優しい一面が見られた。

また第4皇子は、「死ぬつもりか?。少なくとも2回目はそうであったろう?」と詰問する。若曦は、「生きるためです」と答える。第4皇子は、「俺が救った命だ!二度と粗末にするな!!」と念を押す。第4皇子の目線が高く、高飛車に振る舞う一面でもあった。

しばらくして宮廷の庭園で、若曦は、偶然に第4皇子に逢う。若曦は、心底逃れたい心境であったが、第4皇子は、疾駆する馬の前に立ちはだかりながら、「生きるためです」、という若曦の話に、「君の話には矛盾がある。わけを話してみよ」と迫る。

躊躇していた若曦は、意を決して、「譬えて話をします」と前置きして、次のように話した:「夢に迷い込んでしまった人が、現実に戻りたいともがいているのに、目が覚めないでいるのです。」と。2011年の現実に帰りたいという若曦の本音の表現と言えるでしょう。

第4皇子は、
「簡単だよ!“これを来せば、これを安んず”(注1)」。―若曦は、キョトン―
「“木は強ければ折れる”(注2)」。―やはり若曦は、キョトン―
「“馬の耳に念仏”(注3)か!」
と捨てセリフを残して、第4皇子は、その場を離れていきます。

禅問答のようで、難解な文句ですが、これら文句の真意を知るためには、原典に当たるほかなさそうです。注1および注2の出典は、それぞれ、孔子の『論語』、および『老子』のようです。本稿の守備範囲外の話題ですが。注3は、李白の詩と関連がありそうな慣用句と言えるでしょうか。

まず、注1の文句と、それを含む原文および読み下しと現代語訳を末尾に示しました。おおよその内容は汲み取れると思われますが、内容理解の助けとして、人物孔子およびその頃の時代背景について簡単に触れておきます。

孔子は、生誕BC552~没BC479年。同時代にインドではブッダ(BC563~BC483)が誕生、ほぼ70年間近く、両者は同じ太陽の下、また同じ月を眺めていたことになります。孔子、ブッダは、キリストを含めて思想家世界3大偉人とされるが、キリストより約500年以上前の人です。

当時、中国は春秋(BC722?~BC481)から戦国時代へと変わるころで、君主より家臣が実力を持ち、下剋上の乱れた世の中でした。孔子は、小国の魯(ろ、現山東省曲阜)に生まれ、若い頃、魯で官職についていました。のち(55歳)、弟子数人を伴って13年間の諸国巡遊に出かけています。

一方、周(現陝西省西安)の武王が殷王朝(現河南省安陽)を滅ぼし、周王朝を建国(BC1050)した折、彼の弟周公旦は、旧殷の役人や将軍・軍人に対して仁政をもって対処するよう建言して、周国の安定・繁栄に貢献しています。

その功により周公旦は、魯に封じられ、仁政を布いて堅固な魯国を築いています。世は推移して、約500年後、孔子が活躍した時代は、魯国にあっても乱れた世の中となっていました。

そこで孔子は、周公旦初期の時代を理想像として描き、仁道政治を実現し、乱れた世を糺していきたいと想いを巡らしていました。彼の教えは、儒教として‘四書・五経’に纏められていて、後世に伝えられていきます。

‘五経’の一つ『論語』は、孔子の没後、孔子と高弟たちの言行を蒐集し、512の短文からなる20編に整理され纏められた一文書です。

本題に戻って、引用した部分は、この『論語』中「季氏第十六」編の一部分です。季氏とは、当時魯国で君主を凌ぐ勢いで、最も強力な一貴族、‘季孫氏’のことです。顓臾(せんゆ)は、魯国内にあって、周以前の原住民の国で、魯の属国とのこと。

季氏十六-1は、季氏の家臣であり、かつ孔子の弟子でもある由(子路)と求(冉有・ぜんゆう)が、孔子に主君季氏の動静を伝えて、ご意見を伺っている場面です。その概要は:

“顓臾の国は、要害堅固、(季氏の領地の)費(ひ)の近隣にあり、今攻め落としておかないと、将来必ず子孫の悩みの種になる。よって征伐する。”と、季氏がことを起こそうとしている。それに対して孔子は、“顓臾は、魯国の領域内あり、また国家代々の臣であるのに、どうして征伐するのか”、“文化的な外交政策で来朝するようにすべきだ”と諫めています。

孔子の思想の一端が窺える部分と言えるでしょうか。

さて、文化的な外交政策により招来されるであろう“これを来せば、これを安んず” なる文句 が、ドラマの進展とどのように関わっているのか?第4皇子が発したその他の一連の文句も検討した上で、改めて考えることにします。

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論語 季氏十六-1

<原文>

季氏將伐顓臾。…(略)….。
孔子曰。……(略)…..。 夫如是。故遠人不服。則脩文徳以來之。既來之。則安之。今由與求也相夫子。遠人不服。而不能來也。……(略)。

<読み下し>
季(き)氏(し) 將(まさ)に顓臾(せんゆ)を伐(う)たんとす。…(略)….。
孔子(こうし)曰(いわ)く。…(略)…。 夫(そ)れ是(か)くの如(ごと)くなるが故(ゆえ)に、遠人(えんじん) 服(ふく)せざれば、則(すなわ)ち文徳(ぶんとく)を修(おさ)めて以(もっ)て之(これ)を来(きた)す。既(す)でに之(こ)れを来(き)たせば、則(すなわ)ち之(こ)れを安(やす)んず。今(いま) 由(ゆう)と求(きゅう)や、夫子(ふうし)を相(たす)け、遠人(えんじん) 服(ふく)せずして、而(しか)も来(きた)すこと能(あた)わず也。……(略)。

<現代語訳>
季孫(きそん)氏が顓臾(せんゆ)を征服しようとした。…(略)…
孔子は言われた。…(略)…。だからこそ、遠方の者が服従しなければ、文化的な徳義をととのえて、招きよせる。招きよせたならば、これを安定させる。今、由と求は、あのかたを補佐しながら、遠方の者は服従せず、招きよせることもできない。……. (略)。
井波律子著 『完訳論語』(岩波書店、2016)から引用

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閑話休題27 漢詩を読む ドラマの中の漢詩13 『宮廷女官―若曦』-1

2017-01-11 15:56:12 | 漢詩を読む
[ 歴史好きの平凡な女性 張暁は、ある日突然タイムスリップしてしまう。そこは康熙帝が支配する18世紀の中国、『宮廷女官―若曦』として新しい人生を始めた彼女と、王位を争う美しき9人の王子、彼らの運命を知る彼女の心は大きく揺れる。歴史は変わるのか?現代に帰れるのか?]

TVドラマは、第35話に至る毎回、この前口上で始まります。

張暁(チョウショウ)は恋人が他の女性と仲良くしたことを知り、両者は激しい口ケンカとなる。口論は、工事用高圧電線が敷かれた路上に及び、ペットボトルからこぼれた水で濡れたためであろう、電線を踏んで感電・電気ショックを受けるとともに、車にはねられて気を失う。

気がついて見ると、病院の看護師にしては異様な衣装を着た人影がぼんやりと目に入る。起きて周りを見渡すと豪壮な宮廷の一室、腑に落ちない。‘ドッキリか?ドッキリカメラ’はどこに隠してあるの?と、部屋中を走り騒ぎたてる。

頭には包帯が巻かれていて、額部に赤い血痕が滲んでいる。意識は正常に働きながら、身体は、康熙帝(コウキテイ; 在位1661-1722)の清の世界にタイムスリップしていたのである。その部屋は、八賢王第八皇子の側室、馬爾泰(バジタイ)若蘭(ジャクラン)の住まいの一室でした。

巧慧(コウケイ)と呼ばれる若蘭の侍女が「お嬢さん」と呼んで親しげに話しかけ、また若蘭が傍に来て「若曦(ジャクギ; ruòxī、ルオシー)!私はあなたの姉よ」と話しかける。しかし張暁は、どうも事情が呑み込めず、話が噛み合わない。

巧慧と若蘭の話から、張暁は、“今は清の康熙帝の世で、自分は‘若曦’という名の若蘭の妹、半年後に予定されている‘妃選び’に加わるよう3か月前に宮廷に入った”ことを知らされる。

「事故に遭い、まる一日寝込んで、すっかり記憶が失われたようネ」と、若蘭は顔を曇らせる。ここでいう事故とは、‘階段から転げ落ちた’のであると説明される。以後、巧慧は、若曦の侍女であるかのように身の周りの面倒を見るとともに、良き話し相手となる。

若蘭の住まいでの食事で第八皇子、第九皇子、第十皇子と知り合う機会を得る。華やかな宮廷内の内情やしきたりを学び、経験をつんでいく。一方、胸の内では‘如何にして現代に帰るか’を絶えず模索する葛藤の日々を過ごします。

“今一度階段を転げ落ちるなら、記憶がよみがえるのでは”と思い、転げ落ちたという階段の所に来る。階段を上がり、最上段から見下ろし、徐々に歩を進めて、今にも飛び出そう としたその時、巧慧が目の前に立ちはだかる。

ある時、賑やかな大通りに出かけた。偶然、先の工事現場で見た工人と瓜二つの顔で、陣笠を被った男を見かける。人ごみの中を追っていき、取り押さえたところに2頭の馬が駆けてきた。危機一髪、馬は跳ねて頭上を飛び越していった。第四皇子と第十三皇子であると、巧慧から教わる。

“馬にはねられ、衝撃を受ければ、現代に帰れるのでは”と再び大通りに出て、馬の来るのを待つ。やがてパカパカパカと馬の蹄の音が聞こえてきた。馬が来るや、目を閉じ両手を広げて仁王立ち。馬は手綱さばきよく止まり、馬の鼻が目の前で止まっていた。やはり第四皇子と第十三皇子であった。

若曦は、本気で死ぬ気でやっているわけではなく、ショックを受けることにより、現代に帰ることができるのではないか との想いから身を挺している風であった。

日差しが明るく、温もりを感ずるような平穏なある日。若曦は、ベランダで書物『宋詩』を片手に、「梧葉(ゴヨウ)蕭蕭(ショウショウ)として寒さを伝え、江上の秋風慕情を運ぶ…」と漢詩を吟じます。やがて飽きて、書は投げ出して、石の上のアリに見入っている。

この漢詩は、南宋 (1127-1279) の詩人、葉紹翁作の「夜所見を書す」と題する詩です。漢詩については、末尾に読み下しと現代訳を挙げました。葉紹翁は、江南・銭塘の西湖のほとりに長い間隠棲していたようですが、生没年は不詳のようです。

この詩の情景を想像するに、草むらに覆われた庭の向こうに柴垣がある。旅先の旅籠か? 煌びやかな宮廷の情景とは程遠いように思える。しかし若曦の胸の内にある心象風景がピッタリと表現されているのではないでしょうか。

葉紹翁は、秋を報せるアオギリの葉音に故郷への想いしきりである。故郷を遠く離れて久しいのでしょう。夕暮れどきコオロギと遊ぶ子供、夜更けて仄明るく垣根を照らす一燈の提灯を見る。

すなわち、旅先で故郷を慕う作者・葉紹翁の心情は、タイムスリップして300年以上前の時に身を置いていて、2011年の現代に帰りたいと強く切望する若曦の心情と重なって見えます。

以後、若曦は、美しき皇子たちとの交友や恋、また皇子たちの王位争いとの関わりなど、清時代の“現実”の中で、楽しみ、喜び、悲しみ、苦しみ……、あらゆる“人生経験”を積んでいきます。

ドラマの導入部で現れたこの詩は、以後全編にわたって、“2011年に帰りたい”という強い想いを持った“張暁”が、“現実”清時代に身を置く“若曦”に影絵として寄添っていくであろうことを暗に示しているように思われます。(以上、ドラマ第1話および第2話)

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夜書所見       夜 所見を書す   葉紹翁
蕭蕭梧葉送寒声, 蕭蕭(ショウショウ)として梧葉(ゴヨウ) 寒声(カンセイ)を送る,
江上秋風動客情。 江上の秋風 客情(カクジョウ)を動かす。
知有児童挑促織, 知る有り 児童 促織(ソクシキ)に挑(イド)む,
夜深籬落一灯明。 夜深かくして籬落(リラク)に一灯明。

<語釈> 蕭蕭:もの寂しく感じられるさま; 梧葉:アヲギリの葉; 客情:旅行中故郷を想う情; 促織:コオロギ、秋に鳴く声が、冬着の機織りを促すように聞こえるところから; 挑:捉える; 籬落:竹または柴などで編んだ垣

<現代訳>
蕭蕭としてアオギリの葉音が秋の到来を報せる、
江上を渡ってきた秋風に故郷が思い出されてならない。
(夕暮れて)子供はコオロギを捉えて遊んでいるようだ、
夜更けて、一燈の提灯が籬に影をおとしている。
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閑話休題26 漢詩を読む 賀正

2017-01-01 10:25:41 | 漢詩を読む
神戸市南京街 撮影 2015.2.20 春節

賀正 平成29 (2017) 年元旦

昨'16 (平成28) 年末、日本のお祭り(33件)‘山、鉾、屋台行事’が無形文化財としてユネスコに登録されました。

秋の収穫に感謝、無病息災の祈願、御先祖を祀る等々、各地にはなお多くの伝統行事があります。お祭りに接する度に、歌い、踊りまた跳ね、遊んだ子供の頃が思い出され心豊かになります。

 次の漢詩は、約1,000年前、王安石作の『元日』と題する詩です。お隣中国の元日の様子を詠っています。爆竹を鳴らして新年を祝う風習は今に生きています。ただ屠蘇を頂く風習は無くなっていると聞いていますが。

桃符は、魔よけの力があるとされる桃の木の板にめでたい意味の語句を書いた赤い紙をはって、門の両側に下げるもので、春聯と呼ばれているようです。我が国の門松に相当するものでしょう。ただ、門松は、年神を迎えるという意味を込めている様なので、その趣旨は少し異なるようですが。

 何はともあれ、伝統行事は大事に育み、続く世代へと伝えていきたいものです。

元日  王安石 (1021~1085)

爆竹聲中一歳除  爆竹(バクチク)声中(セイチュウ) 一歳除(ジョ)す
春風送暖入屠蘇  春風 暖(ダン)を送って 屠蘇(トソ)に入る
千門萬戸曈曈日  千門萬戸(センモンバンコ) 曈曈(トウトウ)たる日
争挿新桃換舊符  争って挿す新桃(シントウ) 旧符(キュウフ)に換(カ)えて
 注:聲=声;萬=万;舊=旧

現代訳
爆竹の音が賑やかに鳴り響く中一年が終わり、
暖かい春風が屠蘇の中に吹き込む。
多くの家々では 初日を迎える頃、
古い守札を取り去り、新しい桃の木の守札に取り換える。

[註]
曈曈(トウトウ): 見慣れない漢字です。蛇足ながらちょっと解説(?)します。
旁の“童”の意は、子供、児童。偏に、
“日”では、通常“曈曈”として用いて、‘太陽が出てだんだん明るくなるさま。
“月”では、(当方PCの辞書にはない)やはり重ねて、‘薄暗いさま’。
“目”では、‘ひとみ’。
漢字の成り立ちを想像させて面白いので追記しました。

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