(25番) 名にし負はば 逢坂山の さねかずら
人に知られで くるよしもがな
<訳> 男女が逢って寝る という名を持つ、逢坂山のさねかずら。その蔓を手繰るように、誰にも知られずにあなたを訪ねる方法があればいいのに。(板野博行)
紫式部の父方の曽祖父 藤原定方(サダカタ;873~932)の歌です。和歌の技法の掛詞(カケコトバ)など、たっぷりと味わえる歌です。言いかえれば、漢詩にする際、どのように対処するか、難題を提示している歌と言えます。
歌の本旨は、「人目を忍んで逢いたいものだ」と、求愛の歌です。としても、非常に大胆な内容ですが、“サネカズラ”というキーワードでオブラートに包んでいます。
掛詞などに対する考え方、対処など、後述しました。苦吟の末の漢詩・七言絶句を下に示しました。ご批評頂けると有難いです。
xxxxxxxxxxxxxx
<漢字原文および読み下し文>
恋慕歌 恋慕の歌 [下平声十二侵韻]
逢坂山中小寝葛、逢坂山中の小寝葛(サネカズラ)、
不負名就会同衾。名に負(ソム)かずば 就(スナワ)ち会い衾(キン)を同(トモ)にすること。
作依靠蔓捯过去、蔓(ツル)を依靠(タヨ)りと作(ナ)し捯(タグ)って行き、
但願偷偷怎么尋。但だ願うは偷偷(トウトウ)として怎么(イカデカ)寻(タズ)ねんことを。
註]
逢坂山:固有名詞、山城国(京都)と近江国(滋賀)との国境にある山。旧時、関所が置かれていた。
小寝葛:さねかずら;真葛、実葛とも。中国語では華中五味子。
不負名:名に背かない。 同衾:一緒に寝ること。
依靠:頼る。 捯:(ひも、縄などを)たぐる。
偷偷:人に知られないように。 怎么:どうしてか。何とかして。
<現代語訳>
恋慕の歌
逢坂山にある小寝葛、
その名に背かないならば、則ち会って共に寝るということだ。
小寝葛の蔓を頼りにして手繰って行き、
人に知られないよう、なんとかして君を訪ねて行き,会いたいものである。
<簡体字およびピンイン>
恋慕歌 Liànmù gē
逢坂山中小寝葛、 Féngbǎn shān zhōng xiǎo qǐn gé,
不负名就会同衾。 bú fù míng jiù huì tóngqīn.
作依靠蔓捯过去, Zuò yīkào wàn dáo guòqù,
但愿偷偷怎么寻。 dàn yuàn tōutōu zěnme xún.
xxxxxxxxxxxxx
和歌の中で駆使されている“技巧”の詳細については、その道の書を参照して頂きたいと思います。以下、和歌中の“技巧”ついて簡単に整理し、それに対した漢詩化での対応を述べます。
先ず、“技巧”について。 “逢坂山”の“逢”は、逢い引きの“逢”に、“サネカズラ”の“サネ”は、“さね(小寝、一緒に寝ること)”に、また“くるよしもがな”の“くる”は、人が“来る(行く)”と“サネカズラ”の蔓を“繰る”に それぞれ掛詞(カケコトバ)の関係にあります。
また“逢う”と“小寝”、および蔓性の“カズラ”と“繰る”は、それぞれ、“縁語(エンゴ)”の関係。さらに「名にしおはば逢坂山のさねかずら」までの上の句は、「くる(繰る)」を導きだす“序詞(ジョコトバ)”という次第である。
一方、「サネカズラ」は、“技巧”を凝らす上でも、また歌の本旨を述べる上でも、キーワードとなっていることが読み取れます。したがって、「サネカズラ」に対応する用語、出来得れば漢語、は、最も重要なことと言えます。
さて、掛詞については、一漢字または一漢単語で裏表の意味を表す表現法は、筆者の力の及ぶところではありません。漢詩では、オブラートを除き、“裏の意味”も表出することにより、曲がりなりにも歌の作者の意図は生かせたように思います。
「サネカズラ」の対応用語について。「サネカズラ」の日本名は南五味子(ナンゴミシ)ですが、多くの表記・別名を持っています。実葛、真葛、小寝葛、狭根葛、美男葛(ビナンカズラ)、美女葛(大阪)、等々。中国名は「華中五味子」のようである。
詩文を目にした際の第一印象、読んだ時の響き、また掛詞の関係を活かす為に敢えて“小寝葛”を当て、承句の“同衾”に対応させました。しかし“小寝葛”は、“一般用語(俗語?)”であろうから、少々抵抗感がないわけではありませんが。
以上、ご勘案の上、漢詩を読んで頂けると有難いです。
作者・三条院右大臣(藤原定方)について触れます。同母の姉は、第59代宇多天皇(在位887~897)の皇后、その皇子が第60代醍醐天皇(在位897~930)である。外戚・側近として右大臣まで出世、京都三条に邸宅を構えた。
醍醐天皇時代には、和歌の中心的存在で、いとこの兼輔とともに、紀貫之や凡河内(オオコウチノ)躬恒(ミツネ)など、『古今和歌集』編者の後援者であった。『古今和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に13首が入っている と。紫式部の曽祖父に当たる。
[追記] 閑話休題123 & 127に頂いたコメントについて
※ 紫式部と清少納言、両者を現代に持ってくると、……。
---紫式部:『源氏物語』=少女漫画系統 / 清少納言:『枕草子』=エッセイスト系統。
貴着眼点 頷けます。1,000余年が経ち、時代は変わり、素材は変わっても、本質的な文化の様態は不変 ということでしょうか。大げさに言えば、遺伝・民族性?
※ 和歌中の掛詞 / 同様の用法 漢語にもありや?
---浅学菲才の身、その有無は不明です。“同音同字で異意”の文字は多くありますが。例:道 ・道路、・道理、・話す、……など。ただ、“掛詞”的に用いられた例は気づいたことがありません。
貴コメント 今後も期待しております。励みになります。よろしくご指導くさい。
人に知られで くるよしもがな
<訳> 男女が逢って寝る という名を持つ、逢坂山のさねかずら。その蔓を手繰るように、誰にも知られずにあなたを訪ねる方法があればいいのに。(板野博行)
紫式部の父方の曽祖父 藤原定方(サダカタ;873~932)の歌です。和歌の技法の掛詞(カケコトバ)など、たっぷりと味わえる歌です。言いかえれば、漢詩にする際、どのように対処するか、難題を提示している歌と言えます。
歌の本旨は、「人目を忍んで逢いたいものだ」と、求愛の歌です。としても、非常に大胆な内容ですが、“サネカズラ”というキーワードでオブラートに包んでいます。
掛詞などに対する考え方、対処など、後述しました。苦吟の末の漢詩・七言絶句を下に示しました。ご批評頂けると有難いです。
xxxxxxxxxxxxxx
<漢字原文および読み下し文>
恋慕歌 恋慕の歌 [下平声十二侵韻]
逢坂山中小寝葛、逢坂山中の小寝葛(サネカズラ)、
不負名就会同衾。名に負(ソム)かずば 就(スナワ)ち会い衾(キン)を同(トモ)にすること。
作依靠蔓捯过去、蔓(ツル)を依靠(タヨ)りと作(ナ)し捯(タグ)って行き、
但願偷偷怎么尋。但だ願うは偷偷(トウトウ)として怎么(イカデカ)寻(タズ)ねんことを。
註]
逢坂山:固有名詞、山城国(京都)と近江国(滋賀)との国境にある山。旧時、関所が置かれていた。
小寝葛:さねかずら;真葛、実葛とも。中国語では華中五味子。
不負名:名に背かない。 同衾:一緒に寝ること。
依靠:頼る。 捯:(ひも、縄などを)たぐる。
偷偷:人に知られないように。 怎么:どうしてか。何とかして。
<現代語訳>
恋慕の歌
逢坂山にある小寝葛、
その名に背かないならば、則ち会って共に寝るということだ。
小寝葛の蔓を頼りにして手繰って行き、
人に知られないよう、なんとかして君を訪ねて行き,会いたいものである。
<簡体字およびピンイン>
恋慕歌 Liànmù gē
逢坂山中小寝葛、 Féngbǎn shān zhōng xiǎo qǐn gé,
不负名就会同衾。 bú fù míng jiù huì tóngqīn.
作依靠蔓捯过去, Zuò yīkào wàn dáo guòqù,
但愿偷偷怎么寻。 dàn yuàn tōutōu zěnme xún.
xxxxxxxxxxxxx
和歌の中で駆使されている“技巧”の詳細については、その道の書を参照して頂きたいと思います。以下、和歌中の“技巧”ついて簡単に整理し、それに対した漢詩化での対応を述べます。
先ず、“技巧”について。 “逢坂山”の“逢”は、逢い引きの“逢”に、“サネカズラ”の“サネ”は、“さね(小寝、一緒に寝ること)”に、また“くるよしもがな”の“くる”は、人が“来る(行く)”と“サネカズラ”の蔓を“繰る”に それぞれ掛詞(カケコトバ)の関係にあります。
また“逢う”と“小寝”、および蔓性の“カズラ”と“繰る”は、それぞれ、“縁語(エンゴ)”の関係。さらに「名にしおはば逢坂山のさねかずら」までの上の句は、「くる(繰る)」を導きだす“序詞(ジョコトバ)”という次第である。
一方、「サネカズラ」は、“技巧”を凝らす上でも、また歌の本旨を述べる上でも、キーワードとなっていることが読み取れます。したがって、「サネカズラ」に対応する用語、出来得れば漢語、は、最も重要なことと言えます。
さて、掛詞については、一漢字または一漢単語で裏表の意味を表す表現法は、筆者の力の及ぶところではありません。漢詩では、オブラートを除き、“裏の意味”も表出することにより、曲がりなりにも歌の作者の意図は生かせたように思います。
「サネカズラ」の対応用語について。「サネカズラ」の日本名は南五味子(ナンゴミシ)ですが、多くの表記・別名を持っています。実葛、真葛、小寝葛、狭根葛、美男葛(ビナンカズラ)、美女葛(大阪)、等々。中国名は「華中五味子」のようである。
詩文を目にした際の第一印象、読んだ時の響き、また掛詞の関係を活かす為に敢えて“小寝葛”を当て、承句の“同衾”に対応させました。しかし“小寝葛”は、“一般用語(俗語?)”であろうから、少々抵抗感がないわけではありませんが。
以上、ご勘案の上、漢詩を読んで頂けると有難いです。
作者・三条院右大臣(藤原定方)について触れます。同母の姉は、第59代宇多天皇(在位887~897)の皇后、その皇子が第60代醍醐天皇(在位897~930)である。外戚・側近として右大臣まで出世、京都三条に邸宅を構えた。
醍醐天皇時代には、和歌の中心的存在で、いとこの兼輔とともに、紀貫之や凡河内(オオコウチノ)躬恒(ミツネ)など、『古今和歌集』編者の後援者であった。『古今和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に13首が入っている と。紫式部の曽祖父に当たる。
[追記] 閑話休題123 & 127に頂いたコメントについて
※ 紫式部と清少納言、両者を現代に持ってくると、……。
---紫式部:『源氏物語』=少女漫画系統 / 清少納言:『枕草子』=エッセイスト系統。
貴着眼点 頷けます。1,000余年が経ち、時代は変わり、素材は変わっても、本質的な文化の様態は不変 ということでしょうか。大げさに言えば、遺伝・民族性?
※ 和歌中の掛詞 / 同様の用法 漢語にもありや?
---浅学菲才の身、その有無は不明です。“同音同字で異意”の文字は多くありますが。例:道 ・道路、・道理、・話す、……など。ただ、“掛詞”的に用いられた例は気づいたことがありません。
貴コメント 今後も期待しております。励みになります。よろしくご指導くさい。