一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
自分の価値
何故かいつも私は何かとても追い詰められた時に誰かに助けられます。運がいいのです。あの人があの時にあの場所にいなかったらと思うとぞっとします。
でもすべては無意識的です。とにかくただ夢中でもがいていたらそうなってくれてよかったという流れなのです。
思えば自分がだれかに何かをしたよりもしてもらった方が多かった人生だった気がします。
なんだか申し訳ないくらいです。
また自分なりに多くの人に愛されてきたと思います。どうしてだろう。放っておけないのかもしれません。
ただ自分なんかと卑下するのではなく正確に自分という存在をみつめることも必要なのかもしれません。
おのれでおのれの価値を認める
私という存在はどのようにこれから社会に人様に貢献していけばいいのか。今まで多くの人に助けられてきたぶん社会に恩返しをしなくてはなりません。
そうしなければあの世に旅立った時にそこの部分を閻魔大王様に指摘されてしまいます。
やってもらってばかりではないかと。
身を粉にしてのこりの人生がんばる所存です。
でもすべては無意識的です。とにかくただ夢中でもがいていたらそうなってくれてよかったという流れなのです。
思えば自分がだれかに何かをしたよりもしてもらった方が多かった人生だった気がします。
なんだか申し訳ないくらいです。
また自分なりに多くの人に愛されてきたと思います。どうしてだろう。放っておけないのかもしれません。
ただ自分なんかと卑下するのではなく正確に自分という存在をみつめることも必要なのかもしれません。
おのれでおのれの価値を認める
私という存在はどのようにこれから社会に人様に貢献していけばいいのか。今まで多くの人に助けられてきたぶん社会に恩返しをしなくてはなりません。
そうしなければあの世に旅立った時にそこの部分を閻魔大王様に指摘されてしまいます。
やってもらってばかりではないかと。
身を粉にしてのこりの人生がんばる所存です。
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