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静か

毎年思うのです。大晦日は一年で一番静かな日だなと。

靜かは物理的に静かというわけではなく、人混みがないというわけではなく、新しい年になる前、一年の終わり、締めくくりという意味で静かということです。

今年一年もいろいろありました。どちらかというと満足いく年ではなかったかもしれません。でもこんな自分も気に入っています。

自分にかける時間を少なくして余裕をもって一日を生きる。

何気ない毎日がとても尊く、愛おしく感じるのです。こんな自分でも必要としてくれていいる人がいることが心から嬉しく思えます。

今までの当たり前がどれだけありがたいことかがよーくわかるようになりました。

来年も一歩一歩着実に生きていこうと思います。

皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。
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適当

最近はこうでなくていけないというこだわりがなくなりました。

なんだか心に余裕ができたのか、少し適当になったのか。
 
人生、いろいろ経験すると、また悲しみ苦しみを体験したり、そんな方達をみてくるとどこか達観してしまって。

ある程度のことはどうでもよく、大切なことをしっかりつかんでおく。

今日はお正月前に幸先詣を家族でしました。
一年間、お世話になった神社にお礼と来年の家内安全のご祈願をしてきたのです。

神前にたっても何も願いごとはありませんでした。

不思議なぐらい淡々としていて。

こだわりがなくなったのは良いことなのか、そうでないのか。

分かるまでに少し時間がかかるような気がします?
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時代の終わり

昨日、私の懇意にしている方の母親が亡くなられて。私がお勤めではないのですが前回のお父様の時もディレクターとして担当していたから、やはり自分が今回も担当しなくてはと。

年明けでお葬儀がきまったのでお正月のお休みがなくなってしまいました。さすがに一日はお休みしようとおもいますが、家族ゆっくりなんてなかなか思うようにはいかないものです。

でもかえって休みがなければないで気が張るのでいいかもしれません。箱根駅伝ばかり見ていて去年は嫁に切れられましたから。

最近は家族の何気ない時間がとても愛おしく感じます。私の今の僧侶の姿は本来のものではないかもしれませんが自分の魂がもう檀家制のお寺の在り方を望んでいないのです。もう高額のお布施をおさめる時代は終わりです。

ならばどうしたらいいのか。お寺の存続問題は。

それは正直わかりません。

でも戒名でお布施の額がきまる時代はもう私には合いません。

この過度期に私は僧侶として生きることになりました。自分の存在意義を必ずのこしたいと思います。
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確信

脳トレみたいなものが好きになってから頭の回転率が上がったので仕事もスムーズに行えるようになりました。

今日、仏壇をおさめに行ったお宅。数時間後にお坊さんが読経に来て魂入れ。

それで位牌の亡くなられた日が間違っているということで。すぐにそれを持って施主さんが私のところに来ました。
間違っているよ。

でも私があずかった住職からの戒名の用紙には間違えなくその年月日が書いてあります。

じゃあ、住職が間違っていたんじゃないか。


こんなことも以前はまたやってしまったとドキッとするのですが脳が鮮明に記録できているので自分は間違っていないとすぐに思えるのです。

この確信というのは意外に大切です。司会をしている時もはっきりと脳にいれておかないとどこか言葉に勢いがなくなってしまいます。
それが今ははっきりと言えて。

クイズはいいです。間違えは間違えになるし、正解はまさしく正解ですから。

そのうやむやがない脳になるとどこか世界がクリアに見られるようになるのかもしれません。
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解放

どうなんでしょう。私的には一日のうちで一番つらいのは朝目が覚めて起きる時です。それで一番幸せなのは寝る前かもしれません。

夜、家路につくために車を走らせている時も幸せを感じます。
大まかにいえば何かを無事終えた後が一番心がリラックスできる時。

そしてこれからやることが一杯あると思う時が一番ストレスを感じる時。

そう考えるとこの世に生まれてくるときが一番の苦しみなのかもしれません。そして無事この世の修行を終えて旅立つときは解放される時かも。

このような考え方はまずできないでしょう。わかっていても。

誰も今を生きることに必死なのです。それで自分がどのようにこの世を旅立つかなど考えている暇などないのです。そんな気持ちが暗くなるようなことを誰も考えたくはありません。

でもこうしてみると神様は平等だと思います。

いっさい身分や業績、人柄や財産。地位や名誉など関係なくそれはやってくるのですから。

この世にいる時は精一杯、この世の自分を活かすのみです。

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