一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
説明不足
あの~たまに思うのですが勘違いみたいなもので損をするようなことがあるのではないかと。
相手が間違って物事をうけとめてそのまま一方的にそうなってしまうことが。
後から言い訳したくてももうつけ入る隙もなくなってしまっている。
これって自分は悪くないのにと思うはず。勘違いした相手が悪いんだと。
はたしてそうだろうか。要はこのくらいのことは言わなくても大丈夫みたいな説明不足みたいなものはなかっただろうか。
いちいち説明するのが面倒くさい。特に男の人は黙ってもくもく仕事をしたがる節があります。
そこをこれはこういうことがあるから。実はこうだから。一言加えることで相手も安心するものです。
え、言わなかったっけ。それでは済まされなくなる可能性もあります。
説明しないのは相手をリスペクトしていないから。
そう思われても仕方ありません。
何でも自分一人でできることなんて一つもないのですから。
相手が間違って物事をうけとめてそのまま一方的にそうなってしまうことが。
後から言い訳したくてももうつけ入る隙もなくなってしまっている。
これって自分は悪くないのにと思うはず。勘違いした相手が悪いんだと。
はたしてそうだろうか。要はこのくらいのことは言わなくても大丈夫みたいな説明不足みたいなものはなかっただろうか。
いちいち説明するのが面倒くさい。特に男の人は黙ってもくもく仕事をしたがる節があります。
そこをこれはこういうことがあるから。実はこうだから。一言加えることで相手も安心するものです。
え、言わなかったっけ。それでは済まされなくなる可能性もあります。
説明しないのは相手をリスペクトしていないから。
そう思われても仕方ありません。
何でも自分一人でできることなんて一つもないのですから。
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迷ったら
人生はすんなりいくこともあればそうでないこともある。まるで先の読めないストーリーをその時その時で演じていくように。
すべてが終われば、あーこういうことだったんだと思うのがこの世の世界。
たぶん無駄なことなど何一つないのでしょう。
私は真剣に生きている時の自分が好きです。一生懸命、汗をかいてそれでもがきながらも進んでいく自分が。
だけどそんな時ばかりでないのがつらいところ。
頑張りたくても頑張れない。頑張っても空回り。それに何をしたらいいのか頑張ることさえも見つからない。
まるで迷路です。この迷路に迷い込んだ時は一番つらいのかもしれません。
マラソンもゴールがあるから走れる。でもゴールがなくただ走れといわれてももうメンタルが続かない。
下山の時に山で迷ったら再び頂上を目指せといいます。
またやみくもに動かないでじっとそこにとどまれとも。
また自分自身を見失った時に最初に見失った場所を憶えておいてあとは流れに身をまかせろともいいます。
またそこの場所に戻ればいいからです。
溺れた時は手を上に上げずに自分の浮力のみに頼れば鼻だけは水面から出るといいます。
焦らなければ助かると。
迷った時はそう考えると慌てて答えをみつけずにその場にとどまり、時間の経過にできるだけ身をまかせるのも解決のひとつだと考えられます。
今の自分に迷っている方は参考にしてください。
すべてが終われば、あーこういうことだったんだと思うのがこの世の世界。
たぶん無駄なことなど何一つないのでしょう。
私は真剣に生きている時の自分が好きです。一生懸命、汗をかいてそれでもがきながらも進んでいく自分が。
だけどそんな時ばかりでないのがつらいところ。
頑張りたくても頑張れない。頑張っても空回り。それに何をしたらいいのか頑張ることさえも見つからない。
まるで迷路です。この迷路に迷い込んだ時は一番つらいのかもしれません。
マラソンもゴールがあるから走れる。でもゴールがなくただ走れといわれてももうメンタルが続かない。
下山の時に山で迷ったら再び頂上を目指せといいます。
またやみくもに動かないでじっとそこにとどまれとも。
また自分自身を見失った時に最初に見失った場所を憶えておいてあとは流れに身をまかせろともいいます。
またそこの場所に戻ればいいからです。
溺れた時は手を上に上げずに自分の浮力のみに頼れば鼻だけは水面から出るといいます。
焦らなければ助かると。
迷った時はそう考えると慌てて答えをみつけずにその場にとどまり、時間の経過にできるだけ身をまかせるのも解決のひとつだと考えられます。
今の自分に迷っている方は参考にしてください。
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裏表
私、思うのです。清廉潔白な人なんか本当に存在するのかなって。
だいたい、人間は似たり寄ったりだと思うのです。あー、あの人はいい人だなと思うとその通りだし、あの人はクセがあるなと思うとやはりそうです。
でもいい人にもクセがあるし、クセがある人にもいいところがあるのです。少し勘違いしていたと思い直すこともしばしば。
割と面白くていい人
私、最初からいい人で売っているので時々プレッシャーになります。
むしろ、期待に応えようと寄せていっている節も。
まあ、基本普通だと思っているのでいいです。
なにかウソのない人が好きです。いい人でもわるい人でもウソがなければ親近感がわきます。
いい人がコロッと変わるのが一番怖いです。
だいたい、人間は似たり寄ったりだと思うのです。あー、あの人はいい人だなと思うとその通りだし、あの人はクセがあるなと思うとやはりそうです。
でもいい人にもクセがあるし、クセがある人にもいいところがあるのです。少し勘違いしていたと思い直すこともしばしば。
割と面白くていい人
私、最初からいい人で売っているので時々プレッシャーになります。
むしろ、期待に応えようと寄せていっている節も。
まあ、基本普通だと思っているのでいいです。
なにかウソのない人が好きです。いい人でもわるい人でもウソがなければ親近感がわきます。
いい人がコロッと変わるのが一番怖いです。
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もう一人の自分
自分のことを好きになるのは簡単なようで難しいです。
昨日まで大好きだった自分が今日は嫌いになることがあるし、もちろんその逆も。
自分を否定しがちな人はたいてい自分という裁判官に容赦なく裁かれています。弁護人がいないのが苦しいのです。
よーく考えるとたいしたことでもないのにまるで犯罪者のように自分をさばく自分。
自分なんか大っ嫌いだ。本当にダメな奴だ。いなくなればいい。死にたい。
たいていは他の人よりも真面目に考えすぎることがこのような思考回路に結びつきます。
ほとんどの人が気にしないこともまるでわざわざ問題を探し出すかのように自分が自分のあら捜しをする。
自分を裁けば自分は苦しくなり、苦しくなれば生きる力を失い。生きる力がなければ何をしてもうまく行かなくなる。
悪循環です。
同じ状況でも笑顔で暮らす人もいればまるで針の筵の上にいるかのようにもがいている人もいる。
少し裁くのをやめて優しくなりましょう。もう一人の自分さん。
あなたも私。私がダメになればあなたもダメになるのですよ。
本当は誰かにもういいんだといってほしいのかもしれません。
はりつめた思考をほぐすのももう一人の自分なのです。
昨日まで大好きだった自分が今日は嫌いになることがあるし、もちろんその逆も。
自分を否定しがちな人はたいてい自分という裁判官に容赦なく裁かれています。弁護人がいないのが苦しいのです。
よーく考えるとたいしたことでもないのにまるで犯罪者のように自分をさばく自分。
自分なんか大っ嫌いだ。本当にダメな奴だ。いなくなればいい。死にたい。
たいていは他の人よりも真面目に考えすぎることがこのような思考回路に結びつきます。
ほとんどの人が気にしないこともまるでわざわざ問題を探し出すかのように自分が自分のあら捜しをする。
自分を裁けば自分は苦しくなり、苦しくなれば生きる力を失い。生きる力がなければ何をしてもうまく行かなくなる。
悪循環です。
同じ状況でも笑顔で暮らす人もいればまるで針の筵の上にいるかのようにもがいている人もいる。
少し裁くのをやめて優しくなりましょう。もう一人の自分さん。
あなたも私。私がダメになればあなたもダメになるのですよ。
本当は誰かにもういいんだといってほしいのかもしれません。
はりつめた思考をほぐすのももう一人の自分なのです。
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つなげる何か
私はこの仕事をしているので一回出会った人の家族構成や職業や親戚関係などを記憶します。そうするとネットサーフィンみたいに関連ワードをつなげればいろいろな縁がどんどん広がっていくのを頭の中でめぐらし会話をはずませるのです。
あれ、あの人知らない
え、どうして知っているの
そんな話になります。それで最後に必ず世間は狭いみたいなことに。
この世の中は正直、そういえば皆が親戚、知り合いみたいなものです。よくテレビ番組で芸能人の先祖を調べてみたら何代かさかのぼればつながっていたみたいな話をしています。
それはあながち自分たちにも十分いえることです。
そこで何がいいたいかというと縁とは不思議なものだということ。どうしてこれだけ多くの人がいるのに夫婦、家族、親友になるのでしょう。そこには見えない「つなげる」みたいな作用があると思わずにはいられません。
あの時、どうしてあの時間にそこにいたのか。
私と妻もそう。どうしてあの時間に偶然に出会えたのか。まるで見えない何かが導いているように。
この世の中の縁には何ひとつ無駄なものはないと思います。それが良縁であろうとそうでなかろうとやはりありがたいものなのかもしれません。
それを考えると自分にとってマイナスだと思える存在も尊く思えてきます。
そこから縁が良縁へと変わるのかもしれません。
あれ、あの人知らない
え、どうして知っているの
そんな話になります。それで最後に必ず世間は狭いみたいなことに。
この世の中は正直、そういえば皆が親戚、知り合いみたいなものです。よくテレビ番組で芸能人の先祖を調べてみたら何代かさかのぼればつながっていたみたいな話をしています。
それはあながち自分たちにも十分いえることです。
そこで何がいいたいかというと縁とは不思議なものだということ。どうしてこれだけ多くの人がいるのに夫婦、家族、親友になるのでしょう。そこには見えない「つなげる」みたいな作用があると思わずにはいられません。
あの時、どうしてあの時間にそこにいたのか。
私と妻もそう。どうしてあの時間に偶然に出会えたのか。まるで見えない何かが導いているように。
この世の中の縁には何ひとつ無駄なものはないと思います。それが良縁であろうとそうでなかろうとやはりありがたいものなのかもしれません。
それを考えると自分にとってマイナスだと思える存在も尊く思えてきます。
そこから縁が良縁へと変わるのかもしれません。
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