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地味

この世の中は一見派手に生きている人が得をしているように見えてそうではありません。
実際は地味にコツコツ生きている人ほど幸せに暮らしているのです。

すべてはないものねだりです。あーしたい。こーしたい。あれがほしい。これがほしい。

その願いをかなえている人ほど幸せかというとそうではありません。
どうでしょう。何でも手に入れるだけのお金があってその通りになったとしても本人はそれだけ幸せか。
人が羨むような暮らしをしている家庭ほど中が円満にいっていないと探偵をしている方に聞いたけど何故そうなるのか。

ほとんどほしいものが手に入れることが出来ない人。いつもいつかそうなったらと願いながら毎日を一生懸命生きてそれで月日ばかりが経過していく。

でもそんな人ほどどこか幸せそうなのはどうしてだろう。

他人は良く見えるのです。他の田んぼが良く見えるのと同じ。
けっして変わりがないのに。本当は自分の方がいいのに、それに気づかないだけなのに。

やはり比べることが一番よくないのかもしれません。すべては自分の中にある。自分がどう思うか、どう感じるか。どう生きるか。

幸せとは地味なものなのかもしれません。
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挑戦

人は頑張ればそれだけ見返りがあるというのが正論だけどそんなにうまくはいきません。

その頑張るってことが難しいのです。一口に頑張るといってもいろいろな頑張りがあるし、的を獲たものもあれば必要のないものもある。自分よがりのものもあれば他に迷惑をかけることだって。

先日だってマラソン大会。これもっと速く走ろうと思えば時間を費やさなくてはいけないし、時間を費やせばそれだけ自由な時間がなくなるわけで。
家族も走ってばかりと批判が出てきます。

でも思うのです。もう一度フルマラソンは知りたい。あの感覚を味わいたいと。

フルを走るとなれな長い距離をふまなくてはいけません。毎日10キロではとうてい足りないわけです。
4年前に3時間15分で走ってからほとんどそんな練習をしてきませんでした。実際コロナになりテンションが下がりに下がって。

でも楽しかったのを思い出してしまって。この前の5キロを走った時にこのギリギリのところが楽しいって。

そうですね。自分の限界に挑むのは正直嫌なのだけど私と同じくらいの成績の人が今は自分よりも速く走っていて。フルを走らないと言ったらどうしてとはっぱかけられて。

3時間11分で走った年は休みのたびに長い距離を走ることになんのためらいや違和感がありませんでした。
やはり思うのです。短い距離で頑張る練習とは的を獲ていない。長い距離を走るから短い距離も踏ん張りがきくのだと。

さてどうしよう。また挑戦しようか。
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そうです。それも自分なのです。

これが自分だと思ってもまるっきり予想外の自分も存在します。
でもそんな自分もやはり自分なのです。

これが結構面倒くさい部分でしてすんなり生きたいのにそんな自分の邪魔をします。

うまくそんな自分の折り合いをつけなくてはいけません。

こんな自分は自分ではない。いやだ。

そう言ってもどうにもなりません。

そうです。そんな自分も自分なのです。

私はいつももっとすっきりさっぱりわかりやすく生きたいと思っています。

しかし現実はなんとも、いまいち。

そんな自分でもいいと思えるまでにあと何年頑張らなくてはならないのか。
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マラソン大会へ

今日は久しぶりに地元のマラソン大会のでました。一応、全国からランナーが集まる人気の大会です。
5キロ、50歳~59歳の部。66人中5位。入賞です。タイムは19分30秒。

まあ、タイム的にはいまいちですが4年ぶりに走る大会。それに練習量も落とし、もうたいして走れないと思いながらの入賞はそこそこ嬉しかったです。まだ走れる。そんな気持ちになりました。

そもそも毎朝の10キロの日課は怠ったことはありません。走りながら意外に足はできていると感じました。何故なら一人また一人と抜かせたからです。自分が誰かに抜かれながらの走りではなかったので気持ちはよかったです。

また言い訳のきかないこういう競技はすごく気持ちがいいものだと思いました。あとからでもとか本当はとか言い訳無用。実力のみは日々の鍛錬しか有効にならないのです。そこがいい。結局、練習したもの勝ちです。

欲をいえば4年前が18分47秒だから、もう少し走りたかったというのが本音です。

そのまま法事とお葬儀があったので会社に戻りました。妻から電話があったので報告しようとしたら「洗濯物の汚い作業着を別にしといてと言ったでしょ」と超怒られました。

せっかくの上機嫌が台無しになりました。
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見守ってくれる

今日、あるご家族の法事をお勤めました。その法事に故人は40代前半で亡くなった男性の七回忌です。がんで旅立たれました。

お経をあげていて思ったのはまったく迷いがないしっかりとした状態だということです。完全に向こうの世界で自分の役目をはたしている、そのように思いました。
そのことをご家族につげると昨日夢で故人が赤い囲いの中で元気で笑っている姿を見たそうです。確かに三回忌の時と違ってどこか悟っているよう感じます。

故人の母親であるご婦人がこう話してくれました。
私は生きている時はなかなか話す機会も少なかったから、こうして旅立ってからは離さないでいるのです。

毎朝、お経をあげてお供えものをし、命日にはお墓参りをかかさない。とにかくまるで一緒に暮らしているようにご供養されていました。

二年前、ご主人が庭の枝を電動チェーンソーで切っていたら梯子から落ちて、首の上にチェーンソーがのっかってしまいあと一センチで即死だったところを助かったそうです。
私に不死身で生命力が強いご主人がその時のことを語ってくれました。

でも助かったのは息子さんがギリギリのところを助けてくれたんだと私には思えました。40代でこの世を去った息子さんは今でもご両親のことをあの世から守っているように思えます。

不思議です。生きている頃はお互い別々の場所でなかなか会話すらできない日常を送っていたのに。

私も旅立った父とはよく心の中で会話をしています。なんとなくその会話が成り立っているようにも思えます。
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