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明るい方へ

一年とは本当に早いものです。去年の大晦日。ついこの間のように感じてなりません。

ただ一年間、いろいろと自分の中ではありましたがなんとか乗り越えてきたことには少し安心しています。
やはり人間は明日を無事にむかえられるだけ幸せだと思います。

世の中にはこの今、明日に不安を抱えて生きている人が沢山いるのです。

病気の悩み。家族の悩み。経済的な悩み。人間関係の悩み。

それぞれの悩みは自分自身の心身を疲弊させ、魂のエネルギーをなくしていきます。
そんな中でもその悩みに打ち勝ち、進んでいける精神力を持った人は沢山おられるとは思いますが何かを克服するのには想像以上の努力が必要になるのです。

よく言われること。

努力もすべき努力とそうでない努力がある。

そこが重要なのかもしれません。努力をしなくてはいけなくなった背景に自分の過失があるのなら、本来そうしないことで防げたはずなのです。
自分自身がもっとしっかりしていれば、もっと用心していれば、もっと先のことを読む力があれば。
健康に気をつけていれば、お金を浪費しなけっれば、自分の思いを無理やり通さなければと。

本当によく思うことですが後悔先に立たずです。してしまってからあの時こうしておけばと後悔します。時間を戻してほしいと。

すべき努力というのは魂の磨きに直結します。時間を戻してほしいと思ってから自分自身の過ちを直し、改善していく生き方にこそいずれ自分の未来をひらく鍵がうまっています。

私は自分自身が弱い人間であることをよく知っています。同時に愚直なまでに努力をする人間であることも。

このバランスの中で自分自身が生かされています。このバランスがくずれれば精神に不調をきたし、回復するまでにも時間を要するし、うまくバランスを整えていれば人並み以上に前進することができるのです。

自分自身の特性を知ることもこの世を生きる上で大切なことかもしれません。

誰しもその特性があり、なおかつ不完全なのですから。

皆さん、来年は良い年になるようにしましょう。皆さんの努力は必ず、魂の旅路の糧になるはずです。
そろって明るい方向に向かっていきましょう。
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断捨離

最近、あまり考えずにパッと行動するようになりました。重要なことはそうではないのですがそうでないことというか。

例えば断捨離っていうのは「これ使うかもしれない」という考えからの脱却です。もう何年も着ていない洋服。何年も使っていないもの。
思い出の品。

終活とは自分自身の生きた証の整理でしょう。もちろん高齢になれば考えるべきもの。
しかし50歳の私でもしてもおかしくないような気がするのです。たとえあと30年生きようとも明日何が起きるかわからない覚悟で生きることはある意味さとりです。

葬祭業務に携わるようになってからたくさんの人の旅立ちとその後を見てきました。
人が一人なくなるということはある意味大きなことです。遺された遺族になるべく負担がないようにすることは家族にとってはとても助かることだと思います。

生きているとパワー全開に走りきるのも一理あり。

しかし死ぬ覚悟を持って今を生きるのもそれも道理に叶っています。

いつか着るだろうと大切にしまっておいた高価な衣も死んでからは身に着けることができません。

今のうちにどんどん使おう。なんだかそんな気分がしてならないのです。
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世の立て直し

ふと空を見上げるとあの日見つめた何気ない景色と重なります。

つまり私という存在の中にはもうすでにある程度の情報量が入り込んでいて、今生活する中でその記憶の扉と目の前の事柄を繋げながら認識して生きているのだと思います。

今の時代は知りたい情報はいくらでもネットで入手できます。真言宗の宗祖、弘法大師様はその教えをしるために命がけで海を渡っているのです。
つまり外からの情報が少なくてもそれを体現することは可能ですし、情報が多くてもまるっきり身になっていないともいえるのです。

悲しいかな。世の中は手に入るものが多ければ多いいほどその逆に何が大切かがわからなくなってしまう。

今から30年前の学生の頃。ある教えを学びながら、いよいよ世の立て直しがはじまると強く思っていました。
でも実際にそれを肌に感じているのは今です。

今こそ、世の中の常識が一掃されるほど変化していく時代はないでしょう。

今まで当たり前だったことがそうでなくなっていく。

私の願いは学生時代のように世の立て直しのお手伝いをさせていただく、というような大きなものではなくなってしまいました。

ごく普通に家族の幸せ、出会って縁をもった方々へ少しでもお役に立ちたい、その方々の幸せを願う、そんな生活になりました。

でも世の中の大きな流れは誰にも止められないうねりとなってこれからの10年は振り子のように混乱が重なる日々が続いていくでしょう。

皆さん、私が知るところによると2032年ころからいよいよ新しい世界がおとずれるみたいです。

それまで健康になんとか乗り切っていきます。それが私の中の世の立て直しです。

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良い年を

もう今年も終わりに近づいています。私のとって今年は今まで背負っていたものを一度すべて清算して新しい自分になる年でした。

なかなか本当に難しいことでした。何十年も当たり前だと思っていたことを一度終わらせるというのは。

ただこれは私だけではなく皆さんにもいずれ言えることだとも思います。
ずーと続くことはないのです。


自分の命もそうであるようにすべては時代の流れとともに終わりと始まりを繰り返します。

終わることはけっして間違えではない。
またそうすることにより始まりもあります。

今の時代を生きる私の魂もいずれはあの世に帰っていくことでしょう。
今の自分が思うのはそうなった時にやっと終わったんだと、どこか安心している自分がいるの違いない、そのように思います。

神仏は生と死の両方を私たちに与えてくれました。その意味ですべて人は平等なのです。
この世の格差の中で生きていたとしても最終的には同じ。そのことを真に悟れたような気がします。

良い年を迎えましょう。
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往生したい

こうして見てみるとこの世の中は嘘と真実が入り乱れているように感じます。

おおまか世間がこうだと示していればそれが正しいみたいなことはよくあることなのです。

昔は正しくても今はそうではないなんて学校の勉強でもある。源頼朝公の人物画が実は本人でなかったり、自己紹介の英語がマイネイムイズ名前・姓ではなくアイアム姓・名前になっていたり。

私が学生の頃に秩父で貴重な土器が発見されたとニュースになっていたことがあります。ヘリコプターも飛び回って番組あげて報道していました。
しかしほどなくして発見者の捏造が判明するのです。業界でも有名な方。神の手といわれるほど今まで活躍してきた方です。

小学生でもわかるしてはいけないことを大人がしてしまうなんとも情けない行為。

でもです。もしかしたら世の中はこんなことにあふれている可能性もあるのです。有名なピアノ演奏家が実は違う人の演奏で有名になっていたり、皇室の末裔としてパーティーをひらきお金をあつめていたり。

新撰組の近藤勇の言葉

「英雄らしくない者が真の英雄」

人の同情をかうような生き方も一つの道ですが誰にも知られなくてもその本当に意味を自分自身にしっかりと落とし込んで生きられれば最後は往生できる、そのように思います。
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