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限界はある!

御筆先という言葉を知っていますか。手が自分の意思とは関係なくすらすらと文章を書いていく。まるで何かに書かされているようにすらすらと。

私のブログはもちろん御筆先ではありません。試行錯誤して書いています。というより頭の中に浮かんできたものをどんどんと書いていく感じです。
だからそのパイプがつながるとあっという間におわるのですがそうでないといつまでたってもはじまりません。

最近は自分も思うような生活ができずに納得のいくようなものが書けません。ただ理解してほしいのは私のような宗教者でも悩み、挫折し、夜も眠れないこともあるということです。

最近は毎晩、初盆の発注漏れでうなされます。もう終わったことなのにいまだにです。そう考えると今年はきつかったみたいです。数件ミスがあり、初盆の責任者をさせてもらっている自分のせいなので何か所か謝りに伺いましたが応えました。

やはり誰かに喜んでもらおうと一生懸命やってきた自分が次から次へお客さんに迷惑をかけるのはどうしても納得いかないみたいです。ただ逆を考えると毎年のように顧客が増えていく葬祭業務において今までの自分の立ち位置に限界がきているみたいなのです。

このままだと人をいやすどころか自分がダメになってしまいます。幅を狭めて自分が僧侶としてお勤めさせていただいた方々に力を注がせていただき、そうでないお宅は他のスタッフになるべく任せようと思います。

なんでもかんでも頑張り過ぎなのです。首をつっこみすぎなのです。それは自分がみたいな自我欲の部分もありすますが悲しんでいる方を救いたいという慈悲心の強さがそうさせたのもあるのです。
だから一概に自分を責めてはいけないような気もします。

とにかく働き方を変えます。本来の姿に戻すまでです。そういいながら葬祭ディレクタ―の試験が数日後にせまっています。
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戦士のよう

夏の終わり、秋の始まりのこの季節は私にとっていつも転換になる時期です。

高校時代に精神を患って脳がパニックになってしまったのも、大学時代に再び人間関係に悩み引きこもったのも、僧侶になれると決心して修士論文を3か月で終わらせたのもこの時期です。
また妻に結婚を申し込んだのも9月のはじめ。母親の誕生日もあるこの時期に私は大きく転換していくみたいです。

夏は季節がら何もかもが最盛期を迎えます。いいものもわるいものも最高潮という感じがします。出しつくしたそのエネルギーを整理し、構築して次につなげていく作業。それがこの9月からのようです。

ようやく落ち着いて物事に向き合える。人は変化していきます。私達の肉体も6か月で細胞がすべて入れ替わるように魂も常にエネルギーを循環させ入れ替えていかなくてはなりません。過去は大切ですが今に適合しなくてはいけないのです。
残念ながらいつまでも同じ場所には自分も周りをとどまってられないのです。

「なんだか。変わった」

そう言われてしまうのがいい意味なのか悪い意味なのか。それでもどんなふうに思われようが懸命に生きている自分がいます。決して逃げてはいません。少ない武器で戦っている戦士のようです。

そう思っているのなら他人にどう思われようが納得ができるはずです。
人間はどんな状態であろうと努力という意味ではエネルギーの循環は進んでいくのです。
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山場

私にはやらなくてはいけないことがあります。それは何なのか。以前はよーく分っていたような気がするが今はなんだか霞んでうまく見えません。

20代から30代ととにかくがむしゃらにこの道にまい進してきました。その間は「やってやるぞ。日本一のお坊さんになってやるぞ」とギラギラしていたような気がします。もちろんそこまですごい人間ではないけれどそんな感じでした。

それが40代、「あれー。自分はどうなっていくのだろう」。挫折でしょうか。僧侶の私が言うのはなんですが頑張って信仰して人のお役にたっていれば仏様が食わしてくれる。そう信じていた自分とそんなあまいものではないという思いとの葛藤でした。

今の状態を考えればやはり仏様のおかげと思えるのですがそのぶん、心身が相当に傷んでしまったような気がします。
この仕事に就く前にある修行者に新しい場所でも今までとは違うきつい修行が待っているといわれましたがまさしくそのように思えます。

とにかくなんとか持たせて新しいステージに自分をあげなくてはなりません。50になれば大きく変われるともいわれました。
あと数年です。山場だと思います。
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願わくば青い空の下 そして清風

驚くほどパソコンが調子悪くいよいよかもしれません。8年使ったから仕方ないでしょう。

無性に本山に籠りたくてたまりません。前世では修行と称して世間の煩わしさから逃げていたのでしょう。しかし今世ではそれは赦されないみたいです。どっぷりこの世の行に勤しんでいます。

自分が死ぬときのことをよーく考えます。できれば青い空を見上げて旅立ちたいと無責任に思っています。でもそう思うようにはいきません。すべきことがたくさんあるからです。

願わくばありがたい翁になってこの世の行末をみとどけたい、そう思います。

身体がかゆくて気分もすぐれないのでおもいっきり走ってやりました。そうしたら汗と一緒に不快感が消えました。負けたくません。吹き飛ばしてやります。
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騙されるな!

いいですか。皆さん気付いてください。この世の中はあくまでも仮の世界だということを。

よーく確認してください。数年前の真実が今はそうでなくなっている事実を。
人は思い出の中で何もかもはかり、計算して現在を位置付けています。もしその思い出がなくなってしまったら、もしかしたら

「私は誰。ここはどこ」

というように何をすべきかわからなくなってしまうかもしれません。
朝、起きて「私はだれだっけ。何でここにいるんだっけ」
と一瞬、考えることはありませんか。すぐにすべきことが頭に浮かんできて思い出しますが、もし思い出すことができなかったら、自分はしかとこの世に存在するのに昨日までの自分と今の自分はまるっきり別人になってしまうかもしれません。

ただ悲観することはないのです。仮の世。自分もいていないようなものと思ってもその自分を現世的にうまくコントロールすればいいのです。

良いこともあるが悪いことの方が多いのがこの世の中です。悪いことも仮の姿と思えばなんだか勇気がわいてきませんか。
だったら騙されずに思いっきりこの世を謳歌しようとは思いませんか。

私には最近、そう思えてならないのです。
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