一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
自分のため
よく自分の思い通りにいかないとすぐ他人を責めがちです。
あの人はあーしてくれない。こうしてくれない。
でもすべては自分のためと思えばどうでもいいことなのです。
もくもくとお掃除をするのも自分のため。もくもくと仕事をこなすのも自分のため。
自分が他人に要求することも切羽詰まったこと以外はたいしたことがないことなのです。
それはどうにでもなること。そんなことだからきまって文句もいいたくなります。
本当にお願いしたいことなら文句の前に言葉に出ているからです。
私は人は完璧ではないことを重々わかっています。
同時に自分自身も。
だからすべてはそんな自分のためだと思えばたいていのことはどうってことないことなのです。
あの人はあーしてくれない。こうしてくれない。
でもすべては自分のためと思えばどうでもいいことなのです。
もくもくとお掃除をするのも自分のため。もくもくと仕事をこなすのも自分のため。
自分が他人に要求することも切羽詰まったこと以外はたいしたことがないことなのです。
それはどうにでもなること。そんなことだからきまって文句もいいたくなります。
本当にお願いしたいことなら文句の前に言葉に出ているからです。
私は人は完璧ではないことを重々わかっています。
同時に自分自身も。
だからすべてはそんな自分のためだと思えばたいていのことはどうってことないことなのです。
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これでいい
私は仕事とプライベートがどうもうまく垣根がつくれないみたいです。
どちらかというと仕事の方にだいぶ比重がいっている、そのように感じます。だから働きながら「疲れたー、頑張った」と思う瞬間は喜びなのです。
またどこか手抜きをして頑張っていない自分がいるとするとそれはまさしく苦しみになります。
なんだかおかしい話ではないでしょうか。
いつも疲れた寝たい、休みたいと心の中で思っているのにいざ寝なさいといわれたら、嫌ですになってしまう。
最近はうたた寝をすると必ず夜眠りが浅くなるのでどうせなら睡眠時間が短くてぐっすり眠れる方がどんなにいいことか。
そんなことでいつも頑張って生きています。
思えば今の僧侶としての自分のポジションも「これでいいんだ」と働きながらかみしめられるようになりました。
古くからの伝統や習慣はもちろん次に受け継がれることはだいじですが自分は一瞬の花火でもいいから今の世にきれいに輝けたらあとは何にも後悔がないと思えるのです。
たった一度の人生。自分らしくいきなければ絶対に後悔します。
「こんなんでいいのか」ではなくて「これでいい」と思えるようになったことは成長だと思います。
どちらかというと仕事の方にだいぶ比重がいっている、そのように感じます。だから働きながら「疲れたー、頑張った」と思う瞬間は喜びなのです。
またどこか手抜きをして頑張っていない自分がいるとするとそれはまさしく苦しみになります。
なんだかおかしい話ではないでしょうか。
いつも疲れた寝たい、休みたいと心の中で思っているのにいざ寝なさいといわれたら、嫌ですになってしまう。
最近はうたた寝をすると必ず夜眠りが浅くなるのでどうせなら睡眠時間が短くてぐっすり眠れる方がどんなにいいことか。
そんなことでいつも頑張って生きています。
思えば今の僧侶としての自分のポジションも「これでいいんだ」と働きながらかみしめられるようになりました。
古くからの伝統や習慣はもちろん次に受け継がれることはだいじですが自分は一瞬の花火でもいいから今の世にきれいに輝けたらあとは何にも後悔がないと思えるのです。
たった一度の人生。自分らしくいきなければ絶対に後悔します。
「こんなんでいいのか」ではなくて「これでいい」と思えるようになったことは成長だと思います。
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個性を活かす
昨日の話ではないですが個性は活かしてこそうまくいくというもの。
よく自分はダメだ。と考えがちな人がいますがそれは比べるからです。
仏教のたとえで象の身体のどの部分が一番優れているかという話があります。
長ーい鼻が一番優れているというもの。大きな耳が。太い足が。それともハエをはらうしっぽが。
でもどの一部分をぬかしても本来の象ではなくなってしまうのです。皆がそろってこそ、本来の力が発揮される。
チームワークとはお互いを尊重してうまくまわすことだとは思います。
しかし尊重しあって縮こまってしまうのもどこか面白みにかけるところです。
お互いが生き生きしてこそ、一番調子がいいというもの。
そう考えると誰かと比べて自分はと思っている人はとても損をしていることになります。
そんな人生はつまらない。
一番の幸せは「生きているんだ」と実感できる瞬間です。
お金があっても地位や名誉があってもこれには到底かなわないのです。
これからの社会の価値基準はこちらの方に移行していくものと思います。
よく自分はダメだ。と考えがちな人がいますがそれは比べるからです。
仏教のたとえで象の身体のどの部分が一番優れているかという話があります。
長ーい鼻が一番優れているというもの。大きな耳が。太い足が。それともハエをはらうしっぽが。
でもどの一部分をぬかしても本来の象ではなくなってしまうのです。皆がそろってこそ、本来の力が発揮される。
チームワークとはお互いを尊重してうまくまわすことだとは思います。
しかし尊重しあって縮こまってしまうのもどこか面白みにかけるところです。
お互いが生き生きしてこそ、一番調子がいいというもの。
そう考えると誰かと比べて自分はと思っている人はとても損をしていることになります。
そんな人生はつまらない。
一番の幸せは「生きているんだ」と実感できる瞬間です。
お金があっても地位や名誉があってもこれには到底かなわないのです。
これからの社会の価値基準はこちらの方に移行していくものと思います。
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別に仲良しじゃねえし
私、漫画のスラムダンクをちゃんと読んだわけではないのですがどうしてだかはまっています。
「オレたちゃ別に仲良しじゃねえし お前らには腹が立ってばかりだ だが…(このチームは…最高だ……)」
不器用なキャプテンの赤木が王者山王工業との試合中、タイムアウトの円陣でチームメイトに語った言葉です。
なんだか良くありませんか。大人になると人とは仲良くしなければいけないなんて固定観念がうまれがちです。でもそれがうわべだけなんてこともしばしば。
仲良くなくても最高のプレーをすればいい。
言葉でなくても態度でなくても相手を信頼できるということは気持ちがつながりあっているという証拠だと思います。
その後ぼそっと「ありがとよ」と口にする赤木。そしてチームメイトから「自分のためにやってんだ!」、「まだ勝ってもいないのに…」と袋叩きに(笑)。
たしかに仲良しチームではないですが、素晴らしいチームということがわかる名シーンです。
この漫画の良いところは5人の選手の個性が融合するところです。
一人一人が卓越した能力をもっていてそれを最大限にいかせば大きなことがなしとげられるとことを教えてくれています。
一人ではどうしようもなく不完全なのです。
仲良しでなくても、我儘なままでもそれでいいなら・・・。
「オレたちゃ別に仲良しじゃねえし お前らには腹が立ってばかりだ だが…(このチームは…最高だ……)」
不器用なキャプテンの赤木が王者山王工業との試合中、タイムアウトの円陣でチームメイトに語った言葉です。
なんだか良くありませんか。大人になると人とは仲良くしなければいけないなんて固定観念がうまれがちです。でもそれがうわべだけなんてこともしばしば。
仲良くなくても最高のプレーをすればいい。
言葉でなくても態度でなくても相手を信頼できるということは気持ちがつながりあっているという証拠だと思います。
その後ぼそっと「ありがとよ」と口にする赤木。そしてチームメイトから「自分のためにやってんだ!」、「まだ勝ってもいないのに…」と袋叩きに(笑)。
たしかに仲良しチームではないですが、素晴らしいチームということがわかる名シーンです。
この漫画の良いところは5人の選手の個性が融合するところです。
一人一人が卓越した能力をもっていてそれを最大限にいかせば大きなことがなしとげられるとことを教えてくれています。
一人ではどうしようもなく不完全なのです。
仲良しでなくても、我儘なままでもそれでいいなら・・・。
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まとめる
箱根駅伝で二区などのきつい区間をそれなりのタイムでのりきりことを「まとめる」という言葉で表現します。
意味は区間賞ほどは速くない。でも区間賞からもそれほど離されないタイムでなんとか乗り切っている。
という意味です。わかりますか。
無難。それなり。最低限の役割。悪ければ悪いなりにうまくまとめる。
スポーツにかぎらずこういった能力は処世術としてはとても重要なことのように思います。
つまり調子が悪い。うまくいかない。なんだかいつものと違う。自分らしくない。
そんな中でもそれなりにうまくまとめる。
思うのですが最低限、それだけはまずいということ以外ならふり幅はいくらでもある、そのように思うのです。
つまりそのふり幅の中で右往左往する必要はないということ。
人間にはバイオリズムがあるから良い時も悪い時もあります。
そんな中で淡々と生きられればそれにこしたことはありません。
意味は区間賞ほどは速くない。でも区間賞からもそれほど離されないタイムでなんとか乗り切っている。
という意味です。わかりますか。
無難。それなり。最低限の役割。悪ければ悪いなりにうまくまとめる。
スポーツにかぎらずこういった能力は処世術としてはとても重要なことのように思います。
つまり調子が悪い。うまくいかない。なんだかいつものと違う。自分らしくない。
そんな中でもそれなりにうまくまとめる。
思うのですが最低限、それだけはまずいということ以外ならふり幅はいくらでもある、そのように思うのです。
つまりそのふり幅の中で右往左往する必要はないということ。
人間にはバイオリズムがあるから良い時も悪い時もあります。
そんな中で淡々と生きられればそれにこしたことはありません。
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