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素直で純粋な人々

今日は障害者施設で読経、法話のお仕事をさせていただきました。
そこの施設では障害者の方々がクッキーなどを手作りして販売しています。とても美味しいものです。

皆さんに出会ったときの印象はとても心の奇麗な方々だということです。普段出会う健常者とは違うオーラを発しています。
もちろん、じっとしていられないとか理解が得意ではないとかあるのですが同じ人間としてあるべき姿の一面だと私は感じました。

素直で純粋

とても皆さん、目が奇麗でした。私の法話をしっかりと聞いてくれました。どこまで自分が期待にそえるか心配でしたが思ったよりも私の調子も良かったように思えます。

それは多分、聞いてくれる人の波動がそうさせたのかも。

人は普通ではない、障害がある人をどこか下にみがちです。
でも仏の世界からすると彼ら方が魂的には上なのではないかと感じました。

この世は穢れた世界です。その中で障害がありながら生きることを約束された人たちはこの世の知らなくていい部分を知らずになおかつ、この世に産まれて良かったと思い生涯を全うしてほしいと思います。

いずれ、あの世に旅立った時に本当の意味で自由になり魂の光の強度が倍増するに違いありません。
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コントロール

今日、あるテレビ番組で役者は演じることによってその場面を先に体験することができ、いざその場面に遭遇した時にあらためてこういうことだったのかと実体験をする。だから実生活をどこか俯瞰してみるようになりいい意味でも悪い意味でも職業病だ、という発言が耳にとまりました。

確かに役になり切ればほぼそのような気持ちになってしまう。役で大泣きすることもできれば実生活で泣く場面を泣かないでいられることも。

私の仕事もどこかそれに似ているようにも感じます。

常に人が一生で体験する大きな悲しみによりそっている。気持ちは自然とその状態を維持することになり、同じように俯瞰してみることも。

何度も何度も経験することによって悲しみの中でも冷静になっている自分を感じるし、冷静の中でも深く悲しみに寄り添っている自分もいることも感じる。

だから実生活で「自分こんなに疲れていたんだ」と思うことも。思いを強くむければなんとか役に立ちたいと思えば思うほど無事終えた後にはどんと疲れがのこるものです。

それを何度も繰り返しながらどこかうまくコントロールしてこの仕事に全力を尽くしている自分がいます。
正直、完璧ではまるでないけれど。

役者なんてセリフがなければただの人と有名俳優が述べていたけれど僧侶も衣を脱げばただの人です。
その中でも魅力的な人間でありたい。

役者であれ僧侶であれ仕事を精一杯こなす意味ではほぼ同じような気がします。
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好きだから

身体が再び動くようになってきました。やはり過度に忙しかったのは身体に応えたみたいです。

走っているからわかることです。スピードが徐々に出るようになりました。風をきって走る自分が好きです。心臓がバクバクいいながら、顔をしかめて息をハアハアといいながら。

50過ぎの男性にはきついかもしれませんが好きなものは仕方ありません。

もう今の自分ではフルマラソンは三時間半がいいところでしょう。もしかしたらもっと遅いかもしれないし、足がもたないかもしれない。

でもいいのです。今の自分が頑張っていればそれでいいのです。今よりも少しよくなっていく。多少の衰えを感じながらもそれをみとめつつ楽しいから、好きだから走る。

100か0でなくてもいいのです。50でもいや30でも。

さすがに明らかにさぼるのはブーですがもう辞めただけはしたくはありません。

自分のそんなところをうまく折り合いがつけれれば人生は楽しく生きられると思います。
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人通力

昨日あるドッキリで驚かす番組を見ていたら久しぶりに笑ってしまいました。それはその驚かすタレントの天然さにです。最終的に驚かす方が実は騙されていたというオチなのですが見ていて心がいやされました。

人柄なのか、天然さなのか。

人はつくらないでそのままで人を喜ばせたり、笑わせたりできることに勝るものはないと思います。そのままでいくらでも大丈夫。
見ていて安心感があるし、ストレートに笑うことができる。

天性ですね。どの世界でももしかしたら最終的には人柄かもしれません。

私は最近、よく霊の話をする機会が多いいのだけど実際はどんな人も霊の影響を受けているし、逆に何でも霊のせいにすること自体もどうかなとも思うのです。

霊能力=神通力です。でもこの神通力は実は人通力だと教えられたことがあります。

人に通じる力、それこそが人柄の良さではないでしょうか。

特別な能力がなくても人柄が良ければその人は神通力を持っているといえます。

最後は霊もその人柄に影響されて浄化していく。

最近はそのように思えて仕方ないのです。
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久しぶりに霊山を走りました。山の中はやはり気持ちがいいです。

私、一人で山の中にポツンといると懐かしいというか、生きているということが実感出来るのです。

多くの人がいる場所では実感できない。熊でも出てきそうな場所ほどそう感じます。

でもそこで住めばいいとなると不便で無理だと思います。
キャンプが趣味な人の気持ちがわかります。
ずっとではないから楽しいのでしょう。

良寛さんの住まわれた庵に行ったことがありますが本当に小さくて寒そうな家でした。
山の上にあり、海に面していることを考えると半端なかったと思います。 

本当のお坊さんは良寛さんみたいな方をいうのでしょう。
貞心尼さんとの関係も素晴らしく思えるのは生き方がそうであったから。

暖かい部屋でゆっくりしていられる時間に幸せを感じます。
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