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私は太陽。

私は愛と光と太陽ですと毎日何度でも唱えれば元気が出ます。
実際にその通りだから遠慮することはありません。

私達は神の子。宇宙の根源神から別れた存在です。私達を動かすエネルギーも神からいただいているものです。
それを

「俺はダメだ。俺は馬鹿なやつだ。ダメなやつだ。許せない」

としたらどうでしょう。確かに人間だから間違いはあるし、いたらない部分もあります。そして自分中心で他人を押しのけてしまうことも。

でもやはり真実は私は愛に満ちて、光に満ちて、忍耐強く、誠で、宇宙のエネルギーである母なる太陽なのです。

唱えてみてください。元気が出てきます。自分を責めているだけでは何も生まれません。それは正しい生き方ではないのです。たとえ自分が赦せなくても。

いつか本当に自分が愛と光と太陽と思えた時に必ず誰かを本当に幸せにできるようになるでしょう。
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軌道修正

昨日、母の姉のお通夜にとんぼ返りで帰省しました。思いもよらない田舎への帰省は不思議な感覚になりました。

それは最近の自分はいろいろなことに少し行き詰っていたからです。このままだと自分が嫌いになってしまう、そう思えました。
お通夜までにまだ時間があったのでお墓詣りをしました。連休中にあげた高野槇はまだ大丈夫です。しかしあたりはだいぶ草がはえてしまって時間があれば草刈りしたいくらいでした。

ご先祖様に尋ねました。まだ自分は大丈夫か。まだやれるのか。
もともと人助けがしたくてこの道に入りました。とにかく自分の身体をつかってほしい一心だったのです。
でも知らず知らずの間に日々の生活に追われていったい何がしたかったのか。自分は何なのかがわからなくなる始末。このままだと本末転倒のようにまるっきり目指すものが違ってきてしまいます。

私は良くも悪くも普通の人とは違うのです。普通の人と一緒になってはいけないのです。
僧侶らしいとは形ではなく生き方で証明しなくてはなりません。

お寺にいる頃はある意味それは完璧でした。とにかく仏様に純真に一途に向かい、いろいろなお参りに来られる方のお役にたとうという思いの気に充ちていたのです。
今はどうでしょう。葬祭業に携わりながら布教をする。そのことは誰でも出来ることではないので誇りに思っていました。
しかし知らず知らずのうちに純真さがなくなってきてしまったのです。こちらも良くも悪くも普通の人と変わらなくなってしまったと言えます。

そうなるとやはり限界がきます。自分のやっていることと目指すことにズレが生じてなんだかいったい何がしたかったのかがわからなくなってしまいました。

昨日は何となくですがご先祖様によって軌道が修正されたような感覚になりました。

まだやれる。

そう思えました。

お通夜は久しぶりに会う親戚だらけでした。そこでも再びはりつめていた気がやすまりました。
なんだか今回はおばさんのお通夜で帰省したのですが自分にとってとても意味深い時間をえられたような気がします。
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自分を信じる

人はそんなに強くはありません。でも歯を食いしばって生きていくのです。

そういえば今思い出すとやはりそんな時期は何度もありました。その時その時で本人は真剣です。まさに生きるか死ぬか。大げさかもしれませんがそこまで追いつめて、追いつめられてようやく花がひらきます。

やはり自分の生き方が曲がっていたらそんなに自由には生きられなくなります。私はいつもそうでした。私の中の軌道修正装置がはたらくのです。

「それはダメ。正しくない。それ以上は赦さない」

だから悪いことをしないのではなくてできないのです。それ以上続けることは私の生の否定にもつながります。

まさしく、生きるとは人類にとって大きなテーマです。

ただ必ずそれを乗り越えることができれば新しい世界が自分に待っています。いままでの曇りがウソみたいに心に青空が広があるのです。


とにかくあきらめずに精一杯生ききることです。結果は後から必ずついてきます。自分を信じるのみです。
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変われる

いつか楽になれる日が来たら温泉にでもつかってゆっくりしたいと思っていました。しかしいざ時間に余裕が出来たとしても実際はそうしようとは思わないものです。
つまり人間は頭の中で考えていたことと今必要としていることに差異が出てくるのだと思います。

生きていくことは常に流動的です。これが自分だと思っていてもそれはもうその時には見合わないものがあるのです。

「あれ、今まで通りではダメなのか」

そう慌てふためきます。ただ変われるのも人間です。常に変わっていこうとする精神は必要です。

そういえばよく自分は「変われる。自分は変われる。変われるんだ」

と唱えていた時がありました。

今の自分に固執するあまりにその先が見えなくなって今に停滞してしまいます。

ただちょうど車輪を回転させるように動かせば水が循環するように心のよどみがなくなってくるのです。

人間は変われる生き物です。そして幸せになる義務があります。

進んでいこうと思います。
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空を見上げて

なんだか最近はしきりに空を見上げます。かぐや姫ではないですがこの地球にいることが辛く感じているからかもしれません。

もちろんそれは自分自身に原因もあります。このままではいけない。このままではダメになる。なんとかしなくては・・・。

でも打つ手がありません。じわりじわりと心身が疲弊していきます。
頭ではわかっているのです。これは本当の世界ではない。もっと神仏と一体になればすべてうまくいくということを。

しかし現実をみるとそうはいきません。否応なしに襲ってきます。まったなしです。

さてどうしたものか。そうすればいいのか。

何にも考えずに頑張っていられることがどんなに幸せな事かと思います。
とにかく頭と実際が違いすぎます。

ただ空を見上げて風を感じると多少すきっとします。まだ私は生きています。大げさなと思うかもしれませんがそんな感覚です。

まだやれるはずです。きっと。
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