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魅力

よく自分にないものをもっている人に魅力を感じます。

 

手先が器用な人。大工さんみたいに自分で応用してなんでも作ったり、修理したりできる。

 

重機を動かせたり、大型車にのれる人。器用にショベルカーを運転できる人、いいなーと思います。

 

パソコンが得意な人。パソコンのなんたるかを理解していていくらでも問題解決してしまう。うらやましいです。

 

機械を器用にあつかう人もあこがれます。最新機器などを駆使して快適に日常を送っている人。

スマホで家の空調やお風呂、はたまた防犯までなんでもあつかってしまう。

 

若い頃は腕っぷしの強い男にあこがれました。喧嘩上等、度胸がありなんでもこいみたいな。

 

まあ、すべてないものねだりかもしれません。

人は自分にないものを持っている人に魅力を感じるものです。

 

でも本当はそんな自分も誰かに憧れられている可能性もあります。

他人の田んぼは良く見える。

 

最近は人は皆、似たり寄ったりに思えてなりません。本当はあまり差がない、意外です。

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食べたい

松重豊さんが主演する「孤独のグルメ」を嫁と娘がはまっていて昨日見ました。

 

それにしても美味しそうに食べます。とんかつの回でした。娘と食べたくて仕方ないと嫁にねだりました。

嫁はあげるのが面倒みたいでかつやですめませるこんたんです。

 

エビフライも食べたい。タルタルソースいっぱいで。クリームコロッケも食べたい。

夕飯を食べたばかりなのに何故かお腹がすいてきました。

 

そういえば本山での修行中で皆の一番もりあがる話がどこどこのオムライスとかラーメンの話でした。

おかゆばかりを食べていたので想像するだけでどこか満足していたのを思い出します。

 

「孤独のグルメ」も「おししい給食」もただ食べることに特化した番組ですが意外に人間の本性をついているのかもしれません。

 

花より団子、食い物の恨みはおそろしいはまんざらでもないみたいです。

ちなみにかの食通の魯山人は究極の美食はお腹をすかして食べることだそうです。

なるほど、結局人間は誰もにたりよったりなのが分かります。

 

皆、幸せになりたいようにおいしいものが食べたいのです。

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落ち葉で学ぶ

足が痛い。落ち葉掃除の季節なので合間に掃除をするのですが身体がきつくなってきました。

でもよーく考えると毎年落ちる落ち葉の量は一定なのです。ですから絶対量はきまっています。

 

掃く中で次々と落ちてくる落ち葉。でも続けて掃除をしていればいずれは終わるのです。だから今はとにかく落ち葉を掃除しまくるのみ。

 

人の幸せ、不幸せも絶対量がもしかしたら決まっているのかもしれません。

だから今苦しみの最中であってもそれはいつかは尽きるものだし、幸せもいつかは枯渇する。

 

だからどんな状況でもすべては最初からきまっていると腹をくくっていればいいのです。

それで普通の日々を楽しめればそれが一番のもうけものかもしれません。

 

落ち葉が全て落ちてしまって汚れなくなってくるとかえって手持無沙汰に淋しく感じるものです。

人生もそのようなものかもしれません。

 

皆に幸せがあらんことを。

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オフの自分

時々思うのです。

オンとオフの別々の人格のような自分。

どちらが本当の自分なのかって。

 

朝起きると今日一日、無事に終えられるかとふと不安になります?

 

でもそんな不安も動き出せば、まるっきり問題がなかったかのようにあっという間に一日が過ぎ去って行くのです。

 

それで一番好きな時間は帰りの車の中。

今日一日頑張った自分を振り返りながら帰途につきます。

家に帰れば夕飯を食べて寝るだけです。

 

あるアイドルが武道館でコンサートした日に家で洗濯機に洗剤をいれて洗う瞬間に

俺、さっきまで大勢のファンに囲まれて天上にぶら下がっていたのになんだか同じ人間に思えない

 

と感じるそうです。

私も静かな部屋で何もしないボーとした時間を過ごすと同じように感じます。少し不安に成ったりとか。

 

だから仕事をしている方が精神的に楽な時もあるのです。実際は。

 

人間、最後は一人ぼっち。

本当の自分はオフの時の自分ではないか

そのように思います。

 

 

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ふり幅と度量

ちょっと油断すれば真っ逆さまに落とされる。まさにこの世は生きづらい。本当に思うようにいかない。

 

今日、ふとテレビを観ていると久本雅美さんがビートたけしさんにこうたずねたそうです。

 

女芸人をする上で何を心掛ければいいか。

 

たけしさんは女性としてそして女の芸人としての振り子のふり幅が大切だと述べたそうです。

そのふり幅が広ければ広いほど度量が大きくなると。

 

確かに、これは自分にもあてはまるような気がしました。

 

人間としての自分と聖職者としての自分。

少なからず私もずーとこの振り子のような離れた立場に苦労してきました。

 

聖職者としての自分は清らかでなくてはいけない。しかし人間としての自分はけっしてそうではない。ごくごくありふれた男であるということ。

 

もう一人の自分がいつも自分を監視して何かあればこう言い出す。

「お前は僧侶なのにそれでいいのか」と。

 

久本さんはこのふり幅が芸人としても魅力になると言っていました。

 

ならば私もこのジレンマといえるふり幅を大いに楽しんでみては。そのように勝手に解釈しました。

多分、それでもまるっきりうまくはいかないだろうがまあ、心に置いておくことにしよう。

そう思います。

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