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なんとかなる

不思議です。この数年いろいろと人生の転換期と新しいことに挑戦してきたおかげでなんだかわからにけど変な度胸みたいなものがついてきました。

「なんとかなる」

この言葉は単なるいい加減なのかそれともけっして諦めていない証なのか。

人は誰しも不幸になることを怖れます。しかもなった後もあることを考えない傾向にあるのです。この逆もしかり。一時的なかりそめの幸福に固執して不幸がその先にまっていることを知ろうとしない傾向も。

なってしまったこと。なってしまうことは仕方ないのです。それは避けようのない現実として自分自身の人生に組み込まれています。
でもそれで終わりではないのです。
この仕事をしていて悲しみを背負うご家族の心中を思うと自分が悩んでいることがなんだかとても小さいもののようにも思えてきます。

そう考えると永遠の別れをもし避けることができるのならこの世的な生活の上での過酷な苦しみは乗り越えられるに値するようにも思えてくるのです。

今日は知り合いに火葬場で会いました。その方は50代の働き盛りの娘さんをガンで亡くしたそうです。本当に憔悴されていました。
親よりも先に子供が逝くのはやはり一番の苦しみではないでしょうか。

私は今、誰かを失うこともなく一日一日を生きています。いつ何が起きるかわからない人生ですが今日を無事終えられることに感謝したいと思います。
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自分の中の区切り

私は毎月、二回一日と十五日の前に神棚と仏壇を掃除します。それが月たった二回なのですがけっこうプレッシャーなのです。
自分の中で決めたことをきっちりやる難しさ。

例えば今月は明日で終わりですが毎日のように遅くまで仕事をしています。その中で家に帰って食事をしてお風呂に入ってからの30分間掃除はいがいにきついというか難しいのです。もうお風呂で寝るくらいくたくたなので早く寝たいのはやまやまです。それが眠さを我慢して掃除をする。昨日も掃除したのですが終わったのが12過ぎになってしまいました。

でも何故か終わった後にすっきりします。まるで自分の心の穢れを洗い流すようです。している最中にけっこういろいろなことを考えます。
「あの時はああだった。もっとあーすればよかった。そういえば」

人間はこの神棚と仏壇の掃除のように定期的にリセットしなくてはならないと思います。リセット、つまり区切りをいれることによって生活に張りが出ます。竹の節目と同じです。

自分を生かすのもこの区切りでしょう。自らがきめたことはやはりやり通してほしいものです。しかしやっていてどこかスーとする瞬間がないとダメです。単なる我慢比べではないのです。人生は。

自分を生かす。自分に息吹を吹き込む。自分を輝かせる。明るい方。もっともっと。

進むべき道がなんだかわからないけど明るく感じられるのならば間違いではありません。しかしそう感じられないのであれば一歩踏みとどまって違う道を探すのも一つの手です。ようは何をもって区切りとして自分を成長させるかなのですから。

この世は惰性でなんとなく生きるのにはもったいないような気がします。自分の中の区切りを大切にしましょう。
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インパクト

もう気が付けば年末です。早いものです。一年なんて。

まだ一か月のこっていますから悔いのない一年にしたいと思います。
そういえばハリーポッターの映画の中で楽しい時間になるとゆっくり時間が進む砂時計がありました。そう考えると年々時間のスピードが加速するのは楽しいと思える時間が減ってきた証のようにも感じます。

12月にはクリスマスプレゼントとして娘をディズニーランドに連れていかなくてはなりません。私としてはあまり興味もないのですが父親らしく頑張ります。嫁がいうのには娘が
「ディズニーランドのことを考えると楽しみでしょうがない」
のだそうです。でも心配しないで。授業中は考えていないからと言っているみたいでそうなると多分、授業中もかんがえているはずだと言っていました。

子供というのは楽しみを見つける天才かもしれません。そういえば私も子供の時に遠足の前の晩は興奮して眠れなかった思い出があります。今かんがえるとそんなに面白い内容でもないのに好奇心旺盛の少年時代は普段とは違う環境に全身で喜べる心をもっていたのでしょう。

今の自分の楽しみは、しつこいようですが今度のマラソン大会で入賞することです。いつものように5キロ。フルマラソンの後にしてはかなり短いですがスピード勝負です。自分に勝てたら、入賞できたらと思うとなんだかドキドキします。
フルマラソンから5日たちましたがよーく考えるとなかなかな走りだったようにも思えてきました。あんなにへばりながら走り切った自分はたいしたものです。おかげでまだまともにスピードを出して走れません。上半身は妙に疲れます。もものはりは肩から上の異常な疲労感につながるみたいです。

同じ時を過ごすのならインパクトのある時を刻みたいです。楽しいかどうかは別として「生きている」、そう実感したいのです。

明日も頑張ります。お休みなさい。
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悲しみの底

最近は僧侶の仕事よりも葬祭デェレクター的な仕事の方が多く感じます。
搬送から打ち合わせ、そしてグリーフケア。

もともと宗教家として法を広めることに悦びを感じて生きてきました。この葬祭業務は実践的な頻度がお寺にいる時とまた違って多いために自分にはぴったりかもしれません。
震災の時にもう少し葬儀に関してもう少し入り込んだ仕事がしたいと思っていました。僧侶だけでは何か物足りなく感じたからです。
もちろん慣れみたいなものではなく、もっとこの世界でがんばりたいという向上心からです。

いつかお寺をひらいた時に今の経験が大きくいきてくることでしょう。葬祭業に関してこれだけのことが出来るようになってきたかぎりは
マラソンではないですが自信をもって全国でもなかなかいないニュータイプな僧侶だと確信しています。

しかし少しでも練習を怠るとタイムがおちてくるように日々気はぬけません。
これからも親族とよりそって学ばせていただきたいと思います。
人の死、親族の繋がり、そして悲しみの底が抜ければ再び未来がまっていることを。
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一人ではない

よく映画やドラマであの世に旅立った人がこの世の大切な人のために奮闘するようなストーリーを見かけます。
私が学生時代はちょうど「ゴースト」という映画が流行りました。恋人をなんとか守ろうとする主人公に感動したものです。

霊の言葉を降ろせる友達がいました。その友達から自分が知らなかった先祖の思いを伝えてもらった時に「私は先祖から愛されているんだ」と心から思ったものです。もちろんご先祖様にもいろいろな思いがあってこちらから仏様のエネルギーを送ってあげることで「ありがとう」と本当に喜んでくれました。

霊験あらたかなパワースポットばかりに人は魅かれがちですが自らの先祖のお墓やルーツをたどるだけでよほど功徳を与えてもらえるような気がします。
「見ている。いつでも心配したり一緒によろこんだり」
もちろんもともと人間だから霊になったとしても神仏ほどの力があるわけではありません。しかしそれでも私のことを知っていてくれて愛おしく思ってくれている思いがつたわると身体がジーンと熱くなるのです。

そう私達は一人ではありません。目に見えないだけで多くの魂につながってお互いを高めあっているのです。
けっして上へ上へ目指すのが信仰ではありません。最後はご先祖様につれられてあの世に旅立つのですから。
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