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占い師

「占ってみました」という番組が好きです。

芸能人から一般人に対して天才的な占い師らが悩み解決やこれからの進むべき道を占います。

 

観ているとまるで自分がお世話になった先生に導かれたのと同じ。

的確に占い、当人の心の扉を開かせ、生きる力を与えるのです。

 

私は観ていて逆にあの占い師さんらはどんな生活をし、己を律しているのかが気になりました。

 

私の先生はよく言っていたものです。

人のことはよく分かり、導けるけど自分のことは分からないと。

 

これは私自身の悩みでもあります。

先生はこうも述べてみました。

霊性は高くなればなる程、魔も逆に同じくらい強くなると。

 

人を導くとはそういうことです。

数年後の自分がもっと強く、優しくあることを願い今を生きます!

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優しそうな人

優しい人ほど怖い。知っていますか。すごくいい人そうな人ほど後で恐ろしい思いにさせられるものです。

 

第一、そういう人はまず良いことばかりを述べます。ただそれがふとした瞬間に「あれ」と思うことになるのです。

 

人はそういう人に騙されやすいもの。裏も表も持ち合わせていて一見、聖者に思えるのだが中身は違う。

中身はまるっきりのド人間。それも普通とは違う。

 

自分の範囲に収まっている間はすごく面倒見がよく、優しい。しかし一歩テリトリー以外に移動しようものなら急に冷たくなる。まるであの時の優しさが嘘のように。

 

私も気をつけた方がいいかもしれません。そうにならないように。皆、潜在的にそのような優しさを持ち合わせているので。

 

波長があえば人はお互いがひかれあうものです。波長さえあわせなければ逆に影響を受けることはありません。

 

私は形だけの優しさをふりかざす人間にはなりたくはありません。また優しいのはいいですが弱い人間にも。

 

 

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本心

人は心の本心(純粋な泉)のような部分から出た思いに心を動かされます。それは雑念のない真心だからです。

 

その本心はどんな時にでるか。

 

本当に自らを懺悔し、心から間違っていた。

そのようにまるで純粋無垢の赤子のようになった時にはじめて表にあらわれてきます。逆にいうとまだそれが現われないのであれば残念ながら足りないということです。自分の対する自省の念が。

 

プロレスラーのような大男であろうが、大会社の社長であろうが、大物政治家であろうが、大霊能者であろうが、ここの部分はみんな一律かわりません。小学生や幼稚園児の「ごめんなさい」と同じなのです。

 

本当は謝ったものがちなのがこの世界です。自分は悪くないと意地を張っているままではいつまでたっても先に進めません。

 

落ちるだけ落ちた時にようやく人の心の本心を知るのです。そのような人に人は心を動かされます。

 

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心をつく

私はいいことばかり言う人はあまり信用していないのです。逆に自分にとって苦手だと思う人には何かしらヒントがあるのではないかと、そのように思っています。

人は知らず知らずにうちにイエスマンを自分のまわりにおきたがります。会社の社長がトップに上り詰めた後に孤独になるのはそのせいです。

誰も立ち場を考えて意見しなくなります。そうなると心をつく意見が届かなくなり、逆に人が離れていってしまうのです。

そばにいる人も、本当に意味で近い存在ではなくなってしまう。

 

物事には見方が幾通りもあります。二極で考えてもいいでしょう。

これが「正しい」という答えはないのです。しかし心をつく答えはやはり正しい答えだといえます。

 

私は今まで物事を判断するときにこの「心をつく」という基準できめてきました。

なんとなくだがこちらの方が正しいような気がする。その気持ちを利害関係ぬきに判断してきたのです。

私としては間違っていなかったと思っています。

 

ただすべてが正しいと言い切れないのがこの世の中です。

100対0はありえない。だからお互いで仕方ないと思いながら進むしかありません。

 

これからも心の声に耳をかたむけ生きようと思います。

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ささやき

魔物は「俺は魔物だ」というような恰好はしていません。

とても知的で紳士的で好感の持てる雰囲気をかもしだしているのです。

だから人は騙されます。信じていいのだと。

 

でも少しづつ本性をあらわすのです。気づかないくらいの静かさで少しづつ。

気づいた時には手遅れになっています。人の心の弱みに付け込むから、まるで麻薬のように抜け出られなくなってしまう。

 

昨日、鬼滅の刃の無限列車という映画で主人公が夢の中に閉じ込められてでれなくなるというシーンがありました。

その夢は自分が一番のぞんでいたことを鬼の術で見せられてぬけでれなくなるというもの。

そこで主人公がとった行動は自分の剣で自らの命を絶つ、それにより目が覚めるという強い意志力によるものでした。

 

人はもし道を踏み間違えたとしても心から懺悔し、命がけで反省すればある程度の修正がきくものだと私は思います。

もちろん、ならなんでもしてもかまわないと言っているのではありません。

一生懸命生きたすえの結果、そうなってしまったの話です。

 

私は悪人正機説はあまり好きではないのです。それは自分にピッタリの説だから認めてしまうと自らのタガがゆるんでしまうからです。

 

何でもそう。まずは努力ありきだと思います。

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