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ありがとうございました。

自分にとって恩人であり、とても大切な方が他界されました。やはりこの世は別れは必然ですがさすがに悲しいものです。

これからその方の魂を背負いながら必死に生きていこうと思います。

懐が深く、本当に温かい方でした。自分という存在のよき理解者であり応援者でもありました。

私はその方の喜ぶ顔がとても好きでした。それなので頑張ろうと思う大きな何かを無くしてしまった無力感もあります。

ただまだ自分がその意思を受け継ぎ頑張らなくてはいけない使命がのこっています。

この世の修行を終えてあの世に旅立った時に

「〇〇さん、頑張ったな。よーく見てたぞ。お帰り」

そう言われたい。今はそう思います。

私は一生忘れません。ありがとうございました。
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痛いところ

人は本当の意味で誰かのことを理解することなどできないのでしょう。それにしても自分の実力のなさにはなかなか痛いところです。

一つのことをやると次のことが見えなくなってしまう。本当に痛い。これがもう少しうまくいっていれば苦労しないのですが難しいです。

ただ同時に自分の個性を無くしたくないのも事実です。それぞれ皆が皆、特性をもってこの世に存在しています。それぞれが良いところもあれば悪いところもある。

まあ、自分は自分で精一杯やっているのですからそれで良しとしましょう。

すべきことをしていればそのうち良いことがあるはずです。

すべては自分自身の中にあり。
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突き詰める

人はそんなにすんなりとうまく生きれないものです。どんなに辻褄を合わせたところでたかが知れています。必ずボロが出るのです。

芸人の闇営業問題。これはほんの一部だと思います。それでもやはり間違ったことをした報いは受けなくてはならないのです。本人たちはこのくらい大丈夫だろうと。そう思っていたでしょう。多少芸能界にはブラックな部分はつきものですから。

しかし、振り込め詐欺グループから一定の金銭を受け取って嘘の供述をし、そのお金を未だ自分の懐に入れてしまっているなんて。

なんだかテレビを見て素直に笑えなくなってしまいました。

先日、志村けんさんのバカ殿をテレビで観ました。なんだかオチが読める笑いには吉本芸人にはない安心感があります。うちの娘も大笑いで大好きみたいです。

志村さんはお笑いはお茶の間に勇気や元気を届ける大切な仕事だと話されていました。

お笑いは冗談でどこか緩く、たかがお笑いという甘いものではなく極めるものだと志村さんの生き方から感じることができます。

今回、謹慎処分を受けた芸人さんも自分と真摯に向き合いお笑いを突き詰めてほしいと思います。
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因陀羅網


因陀羅網

帝釈天(たいしゃくてん)の宮殿を飾る網を言います。その無数の結び目一つ一つに珠玉があり、互いに映じあうことから、一切のものが互いに障害とならずに関連しあうことにたとえられます。

私の喜びは誰かの喜びとなり、同時に悲しみは悲しみになります。その逆もしかり。

すべてはつながっていて離れることがないのです。

人は一人では生きられない。

そう同じように一人の人間は多くの人に影響を及ぼすことができます。

今日の私の一日もけっして無駄ではなく必ずその努力は誰かに届くことでしょう。

お疲れ様でした。

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七転び八起

もしミスをしてしまったとしても真剣に出来るかぎりの対応をすればいいのです。

問題はミスをすべくしてしてしまうこと。

それは心がたるんでいたり気が入っていなかったりの話です。

もしミスをしたとしても心が張っていて気持ちも入っているのなら、自分の中でも悔しさはありますがなんだか納得できるような気がします。

気が入っていないのなら同じミスであっても「もう少しなんとかならないのか」といつまでも自分を赦せなくなります。

人間だもの。

調子のいい時もあればそうでない時もあります。

そしてその原因が習慣で長期における何かに起因していることもあるのです。

それなのであらゆることは起きるべくして起きるのかもしれません。

七転び八起

なんだか意味深い言葉です。
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